第30話
それから一週間が経った。
「当たったね、前崎君。」
「当たりましたね、北条さん。」
今回のキーワードは、遠方の客、品ぞろえの限界、常連さんの懐の限度だ。僕らはこの問題に当たって立ち往生していた。
だが、そもそも根本的なテーマを忘れていた。それは「顧客のニーズ」だ。
「まさか、コンビニと同じようなファストフードを置くだけでここまでになるとはね。」
このお店の総菜は、基本的に全部手作りだ。だが包装も簡素で見映えが悪く、汁気の多いメニューが特に売れ残ってしまっていた。
それを全面的に見直して、片手間で食べられるものや家庭では時間のかかる物に変更して、売り場をレジに併設したのだ。
レジに併設することで、そこにしか用がない人がさっと寄ってさっと帰っていく。レジの回転率も上がるし、補充も気づきやすい。商品の回転率は格段に上がった。何よりも店員に、取ってもらうことが好評のようだ。歴の長いパートのおばちゃんといつもの常連さんが、簡単な会話を交えながらついでにと単数を増やしてくれる。
売り場の変更は簡単じゃなかったが、店長が二日でやってくれた。
そして何よりも、惣菜がお店にあるレシピではなく、北条家のメイドさん全面監修に変わったこと、それが500円というワンコインで手に取れることが大いにウケた。
「メイドさん、よかったんですか?」
「ん?あぁ。僕が頼み込んだら慌てちゃって、すぐに取りかかってくれてよかったよ。今度ご飯でもおごってあげようかな。」
「死ぬほど喜ぶと思いますよ。それ。」
一度店の設備を見るために、北条さんがメイドさんを連れてきたんだが、僕らとそう歳の変わらない若い方で、北条さんの一言一句にキャーキャー言ってうるさかった。たぶん気があるんだろう。
いや、そりゃそうだよ。御曹司とお近づきになれるなんて、禁断の恋とか想像しちゃったんだろう。上機嫌だったな本当に……。
味も好評で、学校でもちらほら話題になっている。気づかれてないのが不思議だが、自分の学校の制服をよく見かけるようになった。
「それもあるけど、業者向けの弁当が何より大きかったね。本当に、よく思いついたよ前崎君。」
ここまでは北条さんの案。若い客層を取り込みつつ、常連さんのマンネリを防ごうという作戦だった。
そして僕の案は、それだけの地盤が確保できたからこその話だった。
「店長の見回り先なら、基本的には問題ないんじゃないかと思ったんです。平日はアレですが、土日祝日となると、配達までやってくれる業者は少ないんじゃないかと思いまして。……思いのほか当たりましたよね、本当に。」
僕が提案したのは内ではなく外。つまり弁当の業者発注を受け付ける事だった。
これはあくまで取引先や、いつも納品に出張している業者限定ではあるが、店頭と同じ価格で持ってきてもらえるという利便性が利益に繋がった。業者での発注は五人前以上からにすることで、単純に数を確保することが容易になった。加えて手作りということもあって好評だ。
だがそれだけでは、単純に弁当を作る人手が増えてしまって人件費がかさむ。もうひと押しが必要だった。
「あぁ。業者向けの配達サービスは確かに当たった。でも、一番の当たりはこれだね。」
そう言う北条さんが指ではさんでなびかせたのは、10枚に小分けできるチケット。つまりは回数券だ。
500円の弁当のチケットを10枚つづりにして4500円で売る。最初、北条さんは渋っていたが、一食分が丸々お得になることが購買意欲につながると僕がごり押しした。結局、チケット自体は数を限定して販売することになったのだが、弁当を販売して2日後に売り出したところ、その日の内に全部売り切れた。
「前崎君の言う通り、一食分ってのが大きかったね。正直利益を考えるとあの数が限度だけど、あれが間違いなくリピーターに繋がっている。」
「回数券さえ提示すれば、そのままレジを通るだけでいいですからね。期限も一カ月と余裕がありますし、忙しい時のための保険にもなる。弁当が無くちゃ紙切れですけど。」
「ははは。それは気を付けないとね。なにせ、生鮮食品の廃棄率が、これで格段に下がったからね。今まで捨ててた分が丸々利益だ。」
正直それがセーフなのかどうかはわからないが、見切りが近づいた商品をその日の内に弁当にして売ってしまう。閉店時間の近づいた20時には生鮮食品は店頭に並ばず、全部加工されて惣菜になる。もちろん割安で売るので、夜の忙しい客層が立ち寄って買っていく。
「夜の補充分までに残ってくれてないと、それはそれで損だからね。」
「どのみち売れてるから嬉しい悲鳴のはずなんですが……。」
「まぁ、そうなんだけどね。せっかく始めた新サービスなんだし、できるなら活用していきたいじゃないか。」
「……まぁ、心配する必要はなさそうですけど。」
以上、僕らにできることをすべてやった結果だった。
そして肝心の目標進捗だが……。
「それで、賭けは勝てそうですか?」
僕はまだ、売上データを見ていない。これだけやってまだできてないと言われたら、もうどうしていいかわからないからだ。
不安はある。それでも、お店に来るお客さんの数や、商品の補充が間に合わないほどの忙しさを体感している辺り、達成できていると信じたい。
北条さんは、顔色一つ変えようとはしなかった。
「……そうだね。本当に、ギリギリだったよ。」
静かな重みのある低い声に、僕は生唾を飲みこんだ。
「……無事、2割増達成だ。あとはこの空気が続くように、人手を増やす努力をしないとね。」
胸のしこりが解けていくようで、僕は溜め息と共にほっと胸を撫で下ろした。
これでようやく、少しは落ち着いた日々に戻れるだろうか。
「……前崎君。」
「はい?」
安堵していると、北条さんが僕に向けて、いつもの爽やかな笑みで右手を伸ばしてきた。
「今回は本当に、君がいてくれてよかったよ。不幸中の幸いだった。企画の話もそうだけど、見えない所でも頑張ってくれた君に、本当に感謝している。」
「……僕は何もしてないですよ。店長と、北条さんの努力の成果です。」
「いいや、バイトやパートナーではどうしても、営業や経営の事は他人事になりやすい。いや、それが普通なんだけども、だからこそこうやって、僕らと視点を重ねて行動してくれる人材は貴重なんだ。もちろん、商品の補充や適切なレジへの誘導といった、普段通りの業務もね。」
正直、前に出過ぎたとは思う。非正規が、それも学生バイトが気軽に乗っかっていい話ではなかった。それでもちゃんと耳を傾けてくれて、こうして握手を求めてくれることは、恋敵という事は抜きで嬉しいとも思う。
「ちゃんと自分の仕事をしてくれる。それだけでも僕らは、感謝するべきことだよ。だからこれは、一個人としてだ。」
僕は心の中で、北条さんと握手を交わすのを躊躇っていた。結局、ここまでやれたのは殆どが北条さんの力だ。僕はただ、思いついたことを矢継ぎ早に発言しただけに過ぎない。
むしろこの握手が、僕にとっては敗北なんじゃないかとも思える。
「……北条さん、一つお伺いしてもいいですか?」
「ん?なんだい?」
このタイミングで、こんなことを訊くのは卑怯だと思う。
でも僕は、あなたが思うほど胆は据わっていない。
「なぜ、上杉との見合い話を受けようと思ったんですか?」
北条さんは、やはり虚を突かれたように目を丸くしていた。もしかしたら、僕がもうそんなこと気にしても居ないと思っていたのかもしれない。
でも僕が、あなたとここに居る理由はそれなんだ。あなたが上杉を狙っていないという、確固たる証が欲しい。
「……僕に上杉さんを取られてしまうのが、そんなに怖いかい?」
「可能性はゼロではありませんから。」
もし二人が一緒になっても、恐らく成功はしない。僕が言っても皮肉に聞こえるだろうが、それは二人も感じている事だ。
でも、だからこそ、北条さんがこの話をはっきりと断らない理由が、やはり僕には理解できなかった。
「ははは、まいったね。まさかそんなこと聞かれるとは思ってなかったよ。」
北条さんの笑いは軽い。これは僕の気にし過ぎだ。そんな事は百も承知だ。
だからこそ知りたい。ここまで近づいて、一緒に仕事をできた今だから。
「……そうだね。知りたければ、登ってくるといいよ。」
それは穏やかな言葉だった。だが確かに、その裏側を垣間見た。
「……わかりました。今日の事、忘れないようにします。」
学ぶことは多かった。乗り越えた今なら、この状況が降りかかったことに感謝できる。そして未来に、上杉の隣に居る自分に、少しだけ自信を持たせてあげられた。
僕は北条さんの右手と、自分が目指す目標と固い握手を交わして、互いの健闘を称え合った。
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