第10話

【この動画に心当たりは?】


【君が撮ったんじゃないのかい?】


【このことは誰にも言うな。わかったか?】


 以上が、全校集会後に僕を生徒指導室に呼び出して、仮にも教頭や校長といった肩書がついたお偉いさんが言った言葉だ。


 もちろん全部、胸ポケットに忍ばせたボイスレコーダーに録音してある。


 全校集会の後、緊急のいじめアンケートが実施された。あなたのクラスにいじめはありますか?いじめを見たことはありますか?あなたのクラスにいじめはあると思いますか?などと質問され、解答欄に「いいえ」と答えておけばいいだけの紙切れだ。


 少なくとも、「はい」と答えた奴が居るなんて聞いたこともない。しかし今回は、そうもいかないだろう。動画が周知されてしまった以上、「はい」と答えないやつの方がおかしいと思える。


「やることはやった。後は……。」


 生々しい感触。ぞわぞわっとしたものが背をぬるりと一撫でした。その先を考えて、少し身震いしてしまう。


「……僕にだって、怖い物ぐらいあるさ。」


 誰に聞いてもらう訳でもない独り言に、我ながら苦笑いしてしまう。


 そんな事を思うのならやめればいいのに。


 黙って我慢すればいいのに。


 百人中百人がそう言うだろう。


 だがしかし、それでは弱者は淘汰されるのみだ。下剋上、起死回生、この世には天地をひっくり返す言葉が多々ある。だがその言葉の力は、本当は強者である者にしか

与えられないのだ。つまり、根本的な弱者には、その言葉は当てはまらない。


 ただ一つを除いて。


 日本にはこんな言葉がある。これは弱者が弱者のまま、唯一強者に対抗できる手段を使う例えではないかと思う。弱冠16歳の僕のボキャブラリに無いだけで、本当は他にもあるのかもしれないが、僕は弱者の恐ろしさを物語るこの言葉が好きだ。


 その言葉は、「窮鼠猫を噛む」と言う。


……………………………。


 次の日の朝、案の定ニュースになっていた。学校関係者が取材され、「現在調査中です。」との回答。昨日の今日なので当たり前だが、少なくとも昨日のいじめアンケートについてぐらいは言及できたはずだ。


 学校側の答えは、「このまま何も起こらなければ、このままやり過ごそう。」だった。


 それは僕や支倉、名前も知らない弱者たちに「黙ってやられていろ。」と言うようなものだ。ゴミクズの命よりも己の保身の方が大事らしい。まぁ当然と言える。


 僕が朝食のチーズ乗せトーストを齧っていると、言わずもがなテレビに喰いついている母が、心配と不安を露わにした様子で僕の顔を覗き込んだ。


「ねぇ澄雄、これあんたの学校でしょ?本当に大丈夫なの?」


 いじめと聞けば、前科がある僕にそうなるのはわかるが、もう少し信用して欲しいものだ。


「あぁ。。」


 真顔で生返事を返すと、母はそれ以上何も言わなくなった。驚くでもかく、動揺もしないのなら、これとは無関係なのだろうと思うだろう。


 そんなこと、絶対にありはしないのに。


……………………………。


 いつも通りに登校した。誰も気にも留めなかった。支倉を見かけたが、少し挙動不審になっている程度でいつも通りだった。


 自分が関係者じゃなければ、誰一人として問題意識を持とうとしない。


「皆さん、席についてください。」


 ただ、いつも通りの教室に、いつも通りでは無い空気を纏っている者もいた。若いだけあって、この手の問題には敏感になるらしい。


「今日は大事なお話があります。昨日、みんなにしてもらったいじめアンケートについて。みんなに書いてもらった結果ですが……」


 一瞬、担任の表情が強張った。


「このクラスにいじめがと、教えてくれた人がいます。」


 大して、驚いたりするような者はいなかった。ある程度確信していたからだろう。


「正直……そんなことはあって欲しくないと思っていました。ですが、今朝のニュースや昨日の動画は、私は嘘だとは思っていません。私はこの問題に、真摯に向き合いたいと思います。どんなに小さなことでも構いません。それらしい情報があれば、必ず教えてください。これは、みんなの協力が必要な事です。」


 熱く語る担任の話を、熱い視線を送るように聞き入るクラスメイト達。


「最後に……もし、今いじめの「加害者」になっている人がこのクラスにいるのなら、もうやめなさい。いじめは、一人の人生を奪ってしまうかもしれないような残酷な出来事です。将来のためにも、そんな事は絶対にやめなさい。そして、「被害者」になっている君達、今までよく耐えてくれました。私達はあなた達の味方です。遠慮は要りません。もしつ辛い時は、頼ってください。以上です。」


 熱弁を終えた担任の後に、重苦しい空気の中で今朝の連絡事項が伝えられた。


 必死だ。熱血とかそういうのじゃない。プレッシャーに押す潰されそうになっているだけだ。それに最後の二つは、それではこのクラスにいじめの「加害者」と「被害者」がいると言っているようなものじゃないか。


 あれでは、いずれ自分が標的になるのもわかっていないだろう。


「これで連絡を終わります。それと、前崎君は後で職員室に来てください。」


 しかも、こちらを名指ししてくれる始末だ。その話の後で名指しで呼び出すのは、どう考えても「関係者」だと思われる。


 本当に、無力な立場の人たちだ。


……………………………。


 職員室呼び出しは、やはり例の事についてだった。以前に荒くれ者から呼び出しを受けたことが何故か認知されており、真っ先に被害者の候補として挙がっていた。そう言えばなぜか校内放送で教員が集められていたが、あれがそうだったのか。誰一人現場に来なかったが、大丈夫なのかそれは。


 それはそれとして、これで学校側の協力は完全に期待できなくなった。できるだけ内側でやり過ごそうとする姿勢、そして何かあればあの担任をどうこうするつもりだ。


 これ以上待っても、何も変わらないだろう。何も起こらなければ何もしないつもりだ。


 僕は今、学校の屋上にいる。


「汚い空だな……。」


 青い空が白みがかっていて、薄い雲が黒いもやのように網を張っている。頬を撫でるような涼風が心地よく、崖の上に立った僕の背を今か今かと後押しする。


 もう少し……ギャラリーが集まった方が良い。騒がしくなってきた眼下の生徒たちを眺めていた。


 突然、荒々しく扉を開く音が聞こえた。


「前崎君!!」


 顔も見せていないのに僕を特定するとは器用な人だ。女性の声ではあるが、生憎と聞き分けられるほど聴きなれた声ではない。


「何をする気なの!?早くそこから離れて!!」


 必死だ。自分が傷つく訳でもないのに、どうなる訳でもないのに。それほど大切にされる覚えがある人物など、この学校にはいないはずなのに。


 本当に、世界は偽善に満ちている。


「聞こえないの!?お願いだから返事をして!!」


 彼女は必至に訴えている。言わなくてもわかるか。だが僕が後ろを振り返ることはない。僕の道は、目の前の足元の無いこの先にしか続いていない。


 だが、僕は彼女の綺麗事が許せなくなった。


「……それで、その後はどうなる?」


 僕は無情な空を見上げて言った。


「ここで僕が何もしなくて、それでどうなる?君たちは僕を縛り、あの手この手で雁字搦めにして、腐っていく僕を閉じ込めて蓋をするだけ。そうだろう?だからこうするんだ。まだ生きているうちに、命を無駄にしないように。」


「命を無駄に?飛び降りて死ぬ方がよっぽど命を無駄にしてる!!」


「有用さ。何も生きていることが正しい命の使い方じゃない。人はそれぞれ役目を持って生まれてくる。疫病で死ぬ赤ん坊だろうが、認知症で迷って死ぬ老人だろうが、何かしらの意味を持ってその役目を果たして死ぬ。たまたま僕の役目がこれだったというだけさ。大した問題じゃない。」


「大した問題じゃない?あなたが死んで悲しむ人がいたとしても?」


「あぁ、もちろんだ。僕の死と言う過程を経て、成長する人もいれば廃れる人ももちろんいる。大事なのは内容じゃない。それをどう捉えて受け止めたかの結果だ。」


 彼女がゆっくりと近づいているのがわかる。結論を急がなければならない。


「君は、弱者が強者を倒すにはどうしたらいいか知っているか?」


「そんなの知らない!知る必要もない!」


「……そうか。」


 僕は片足を外した。同時に、彼女が押し上げた圧が背に迫る。


「じゃあ教えてやるよ。弱者が強者を倒すには、」


 ゆっくりと体を傾けて、広げた腕と肩に風を感じる。


 叫び声が、耳鳴りのように劈いた。


「泣きながら死んでくれと呪うんだよ。狂ったように。」


 強い衝撃を体に感じた後、猛烈な眩暈に飲み込まれ、僕は事切れた。

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