第68話 揺るがぬ理想

 本来なら明るく執り行われるはずの挙式だが、漂う空気は重く暗い。

重臣ブラッケを失ったことを知らず、ステフェン・ベイレフェルトは挙式を催促するために、直々に帝都スロース城を訪問した。


情勢が落ち着いたら挙式をすることになっていたため、葬儀ののちにする手筈になった。

ステフェンは延期してもいいと言ったが、これ以上の延期は無礼と言って、強行して現状に至っている。

この空気では、本当に強行すべきだったのか、怪しいところではあるが、ステフェンは黙って式の進行を見守った。


 もっとも、ベイレフェルト家の配下たちは、快く思っていない。

「父上、このような状況で式を挙げるとは、我々は蔑ろにされているのではないでしょうか」

「ベンヤミン、そんなことはない。陛下はわざわざ時間を作ってくださり、挙式に至ったんだ」


 ステフェンの次男ベンヤミンは、重苦しい式を厳し目で見ている。

「これが結婚式の空気か。初めて知りましたよ」

 ベアトリクスに侮蔑的な視線を送ってから、彼は席を立った。


 離れていく背中を見つめながら、ステフェンはため息をついた。

家中に今回の事をどころか、リーベック帝国への婚姻という形での参加に反対している人は少なくない。


 そのような政策を行う利益を説き、家中をまとめてきた。

だからこの婚姻を正式なものとして、政策を結実させるための挙式が、かえって不和を招くようなことがあってはならない。


 ステフェンは席を立ち、ベアトリクスと彼女の夫になるエルベルトのところに行った。

彼は二人の前で軽く会釈した。

「祝辞を言わないなんて配慮は無用ですよ」

「それは失礼しました」


 エルベルトはステフェンを見た。

「父上、戦場で武名を挙げられず、申し訳ありません」

「戦場だけが戦争ではない。そのことを決して忘れるな」

「それはわかっております……」

 エルベルトは沈鬱な表情を見せた。


 そんな彼を見かねたベアトリクスが、彼の肩を叩いた。

「後方の仕事をしない?」

「一体何をするんですか?」

「補給を任せたい。前線に必要量を確実に運ぶんだよ」

 エルベルトは自分にできるのか、不安になってきた。

軍を支える重要なことを、自分にできるのだろうか。


「最初は人に教えてもらえばいい。人を付けておこう」

「わかりました」


 会話の頃合いを見て、ステフェンが話を切り出した。

「陛下、北の帝国の貴族から、内密な話があるという使者が来ております」

 北という言葉を聞き、彼女の目は鋭くなった。


「要件は?」

「手を組みたいとのことです」

 帝国で反乱が起きようとしている。

かなり重大な話なのは間違いない。


「わかった。明日その使者に会おう」


******


 翌日、ベアトリクスは例の使者を迎えるために、応接間で待った。

室内には彼女の他にフェナもいる。


「皇帝からの使者ではないということは、何かきな臭さを感じます」

 フェナの言葉に、ベアトリクスはうなずいた。

「だろうね。おそらく北部で反乱が起きる。宮廷内の勢力争いか、ロンサール公系の貴族が事を起こすと思う」

「対応の腹積もりはしているのでしょう?」

「もちろん」


 フェナはベアトリクスの顔をきつく睨んだ。

「反乱を外交カードに使うのは賛成ですが、乗じるのは反対です」

 ベアトリクスは怪訝な顔をして、その理由を尋ねた。

「我が国に北部を飲み込むだけの力はありません。たとえ反乱軍の力を借りてもです。それに、志を共にする仲間が北にはいるじゃありませんか」


 ベアトリクスはフェナを睨み返した。

「あの男とは歩む道は違う。彼は既存の枠組みの中で地位を高めて改革をしようとしている。私は違う。新しく枠を作った」

「新しい枠で全てを取り込もうというのですか! 見ている世界は同じなのに、争う必要はないんです! エブロネスを割譲して侵攻の意思がないことを示せば、講和の可能性はあります」


 ベアトリクスは席を立ち上がり、フェナを見下ろした。

「ふざけるな! ブラッケが命と引き換えに守ったエブロネスを捨てろと? 私は旧弊を討ち、新しい秩序で全てに豊かさをもたらす。それが私の責任だ!」


 フェナは彼女の危うさを見た。

大局ではなく、先走った理想と感情で戦略を決定していた。


けれど理想を掲げて戦ってきたことも、隣で見てきて熟知している。

女性が家督を継ぐ時点で、既に敵の多いリスキーな道を進んでいるんだ。

だから危険とわかっていても、それ以上彼女の言うことはない。


「どうしようもなく頑固な人ですね」

 ベアトリクスは彼女の様子を見て着席した。

もう対立する必要はない。

「何を今更、そんなの知ってるでしょ?」

「そうですね」


 応接間の扉をノックする音がした。

「入っていいですよ」

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