Int.19:水平線の先、往く先は業火に焼かれし煉獄の大地②

 直上に見上げる、黒ずんだ分厚い雲海が覆い尽くす薄暗い中、軍の輸送機やヘリコプターが忙しなく飛び交う空。まだ昼前だというのに何となく雰囲気も暗いそんな空を、ヒュウガの外周を伝う外部通路の一つに立ち尽くし、国崎崇嗣くにさき たかつぐは独りぼうっと見上げていた。

「…………」

 緊張しているのか。

 もし誰かにそう問われたとして、首を横に振ってしまえば。きっとそれは嘘をついたことになるだろう。顔には出していないつもりだが、それでも国崎が内心で独り大なり小なりの緊張に揺られているのは事実だった。

 当然のことだ。まだ訓練生の身の上ながら、何がどう転べばこんな大規模反攻作戦に駆り出される羽目になるのか。幾ら准尉の階級を正式に与えられたといえ、それは申し訳程度のモノに過ぎず、役立つことといえば精々、恩給や軍人年金が遺族各位へ給付されるのに事務手続きが楽というぐらいなものだ。国崎自身、こんなちっぽけな階級章一つで何かが変わったような気など、まるで感じていない。

 それよりも、不安なのは自分が、そして周りの戦友たちが生き残れるかどうかなのだ。あんな無茶な任務に引っ張り出され、自分たちは本当に生きて帰ることが出来るのか。国崎が最も不安に感じていることは、何よりもその一点だけだった。

「……もう、あんな思いは御免なんだよ」

 思い返すのは、数ヶ月前のこと。あの夜に逝ってしまった戦友の、橘まどかのことだ。よりにもよって同じ人間ヒトの手でその命を奪われた、彼女のことだった。

 あんな思いを二度も繰り返すのは、本当に嫌で嫌で仕方ない。国崎自身が彼女にこれといった思い入れがあるわけじゃない。ただ……。

「これ以上、目の前で誰かに死なれるのは……もう、嫌だ」

 ――――自分のすぐ目の前で、救えたはずの生命いのちが散っていくこと。誰かの生命いのちが、救えたはずの生命いのちが。自分の手の中から零れ落ちていってしまう、あのどうしようもない思いを繰り返すのが、嫌だったのだ。

 幼少期と、そしてA-311小隊の一員として戦い初めてから。国崎崇嗣は幾度となく、自分の目の前と云っていいほどの近しい距離での誰かの死を経験している。何度も何度も、それこそ数え切れないほどの数を。

 故にかもしれないと、ふと気付けば。遠くの水平線を眺めながら、国崎はフレームレスの眼鏡の下に覗かせる双眸を、そっと細めてみせた。此処ではない遙か遠くを、水平線の先にあるかもしれない、現世と別の何処かとの境界線、更にその先すらをも見ようとするかのように。

「――――あらあら、崇嗣ったらこんなところに居たのね」

 そうしていれば、すぐ傍から名指しで声を掛けてくる、そんな柔で優しげな少女の声が国崎の耳朶を打った。

「……美桜」

 振り向けば、そこには見知った顔が立っていた。腰まで伸びる綺麗な蒼い髪に、目尻が垂れ気味な真っ赤な瞳と、そして見るからに温和な顔付き。そんな彼女の容姿を、見知った彼女の笑顔を。それだけはきっと忘れることなどあるまいと、何故か国崎はふと、そんなことを考えてしまう。

 哀川美桜あいかわ みおん――――。

 A-311小隊の戦友で、そして戦友に向けるモノとはまた別の感情を互いに意識し始めた彼女が、いつの間にか国崎のすぐ真横に立っていた。

「何処にも姿が見えないから、心配したのよぉ? こういう軍艦に乗るの初めてだから、あちこち探し回ってる内に、私まで迷っちゃったわ♪」

「……それで、彷徨っている内に偶然、俺を見つけたということか」

「せいかーい♪」

 ニコニコと微笑みを絶やさないまま、何処か柔らかく間延びした声もまたいつもの調子で。そんな美桜の普段と変わらぬ様子を横目に眺めていると、何だか今までの緊張感も何もかもがフッと抜けていってしまい。国崎はフッと微かに表情を緩ませると、呆れ気味に肩を竦ませた。

「……崇嗣、もしかして不安なのかしら?」

「この状況下で、俺と同じ立場で。もし不安を感じないようなら、俺はそれを同じ人間とは思えないな」

 案じるように訊いてくる美桜に対し、何となく皮肉めいた言葉で国崎が返す。すると美桜は何がおかしかったのか、クスッとほんの少しだけ吹き出すように笑った。

「貴方らしい答えね、崇嗣」

 そして、数歩近づいてくると、国崎のすぐ隣に寄り添うようにして横並びになり、一緒になって彼方の水平線へと視線を傾げた。視線の先で荒れる大阪湾の海の色は、この先に待ち受ける荒波を暗示しているかのようにも見えてしまう。

「……大丈夫よ、心配しなくても。今度は202特機の方々も付いているわ」

「死神部隊、か」

 国崎がボソリと呟くと、美桜は少しだけ俯きつつ「……崇嗣も聞いたのね、あの噂」と、ほんの僅かに残念そうな横顔で呟く。

「噂を聞いただけだ」と、そんな暗い顔の美桜に国崎が言う。

「あのテのくだらない噂、悪いが俺は信じるタイプじゃない」

 続けて国崎が彼女の方を見ないままで言えば、美桜は途端に顔色を元の温和な顔付きに戻し。そしてクスッとまた小さく笑うと「……そうよね、そうだったわよね」と、何処か安堵したような言葉で呟いた。

「お堅い崇嗣が、そういう噂に流されるようなタイプなわけ、ないですものね」

「……む、お堅いとはどういう意味だ、美桜」

「べーつにー? 深い意味は無いわよぉー?」

「むう、腑に落ちないな……」

 そんな風な言葉を交わしながら、二人は尚もすぐ傍で横並びに立ち尽くしたまま、遠くの水平線を眺め続ける。曇天の下に広がる、荒く波打つ大阪湾と、そしてその更なる向こう側を。

「……大丈夫よ、きっと」

 美桜のひとりごちた細い声を、国崎は確かに耳にしていた。

 しかし、敢えて返す言葉を紡がないまま。ただ、国崎はそこにいた。いつしか、隣り合う彼女のせいで少しだけ拭えていた不安に、押し潰されないようにして。

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