Int.12:金狼と藍の巫女、交錯する想いの中に進むべき航路を垣間見て

「少しだけ、君に話がある」

 ブリーフィングが終わった直後、何をする間もなくエマにそう呼び出され。瀬那が連れ出された先は、何故か訓練生寮の屋上だった。

「…………」

「…………」

 陽の半分以上が西の彼方に沈み、雲の浮かぶ空の色は茜色よりもずっとずっと薄暗く溶け出していて。訪れる夜闇の色の方が濃いぐらいの空の下、吹き込む柔で涼しげな風に互いの髪を揺らされる中。屋上の際にある転落防止の柵に背中を寄りかからせるエマも、そこから少し離れたところで腕を組み、立ち尽くす瀬那も。互いに無言のまま、暫く互いを見合っていた。

「……其方、私に何の用があって、斯様かような場所に私を」

 そして、痺れを切らした瀬那の方から先に口を開けば、そうエマに問いかける。

「きっと、君が一番よく分かっているんじゃあないかな、瀬那」

 フッと小さく、皮肉っぽくも笑うエマがそんな言葉を返す。まどろむ夕闇の中、そんなエマの顔にはいつもより少しだけ、ほんの少しだけ影が色濃く差しているようでもあった。

「私が……?」

「瀬那、一体君は何をそんなに悩んでいるんだい?」

「っ」

 微かに顔を俯かせながら、細く絞られたアイオライトの双眸から刺さるような視線と言葉を、問いかけを浴び。しかしそれに答えるワケにもいかず、瀬那は息を漏らしたじろいでしまう。

 そう……答えられない、答えられなどしないのだ。何処か責めているようにも思えてしまう視線を、他でもない彼女から向けられていても。それでも瀬那は、エマの問いかけに素直に答えてやるワケにはいかないのだ。

「……僕やカズマにも、言えないことか」

 そんな瀬那の沈黙を、暗黙の肯定と受け取れば。エマは軽く肩を竦めながら、独り言のように呟いた。

「僕でも、カズマでも。別に、他の誰だって構わない。君がこんなに長い間、こんなに悩んでいること。それは、誰にも力になれないことなの? 君が一人で、瀬那が独りで抱え込まなきゃならないことなのかい?」

 それにも、瀬那は無言を貫いたまま。一言も発さずただ黙ったままで、答えようとしなかった。

 答えられるはずなど、なかったのだ。例え相手がエマであったとしても――いや、彼女だからこそ余計に。こんなことを、彼女に言えるはずが、打ち明けられるはずがないのだ。己が思い悩んでいるのは、まさに弥勒寺一真と己との関係性にまつわることなのだから。

 ……これから、どうするべきか。きっと彼にとって重荷にしかならない自分が、彼から離れるべきなのか否なのか。それはきっと、己自身の内側で悩みに悩み抜いて、その末に答えを出すべきことなのだと。少なくとも瀬那は、そう思っていた。

(……彼奴あやつは、綾崎の呪われた重荷を背負うべき者ではない)

 ――――綾崎財閥という、殆ど呪いに近い重荷を、一真は決して背負うべきではないのだ。

 少なくとも、瀬那はそう考えている。綾崎の巫女とすら喩えられる彼女だからこそ、綾崎財閥の中心部で生まれ、生きてきた彼女だからこそ。その実感は誰よりも強く、そして一真を案じ思う心は、誰よりも重く切ない。

「…………彼奴あやつは、一真は。私が背負い生まれ落ちてきた呪いを、重荷を。それを背負うべきではないのだ」

 その思いが強すぎるが故に、瀬那は自分でも半分無自覚の内に、エマに向かってそんな言葉を漏らしていた。

 言ってしまってから、瀬那はしまったと思った。思ったが、しかしほんの少しだけ肩の力が抜けたような気もしてしまう。どういうつもりだと瀬那は自嘲するが、そんな中で瀬那はこうも思っていた。きっと、自分は愚痴を零してしまいたかったのかもしれない、と。思えば、こんなことを零せる相手は、今目の前に居る彼女ぐらいしか居なかった。吹き込む風に透き通る金色の髪を揺らす、同じ男を愛してしまった彼女以外に居るはずもなかったのかもしれない。

「君の重荷、呪い……?」

 瀬那の漏らした言葉を受け止め、疑問符を浮かべながらひとりごちた後。エマはハッと正解に辿り着き、「もしかして……綾崎財閥、君の家のこと?」と続けて紡ぎ出し、瀬那に問いかけた。

 それに瀬那は「うむ……」と頷き返し肯定する。きっと、今の自分はひどく暗い顔をしているのだろうなと、何故だかそんなことを思いながら。

「君のそれを、一真に背負わせたくないってこと?」

「……左様」

 次の問いかけにもまた、瀬那は微かに頷く。エマは困ったように視線を微かに右往左往させ、人差し指を下唇の下へ押し当てるような仕草を見せた後、揺れていた視線を再び瀬那の方へ向け直し、そしてこう言った。

「なら、尚更カズマには話すべきだ。カズマの意志を知らないまま、君だけで決めつけて良いことじゃない」

「……出来ぬよ、そのようなこと」

「でも、瀬那……!」

「くどいっ! 出来ぬと……私は出来ぬと申したっ!!」

 怒鳴るように声を荒げてしまい、ハッと我に返った瀬那は思わず指先で自分の口を覆った。しまったと思っても既に遅く、目の前に立つエマは少しだけ驚いたような、困ったような。そんな顔をして、自分の方に視線を向けたままで固まってしまっている。

「瀬那、君は……」

 ここまで剥き出しの感情を露わにした瀬那を、初めて見てしまったから。そんな生の感情を初めて彼女から浴びせられたから、エマはそんな風に身体も思考も硬直させてしまっていた。

 それと同時に、こうも感じてしまう。いつもあれだけ冷静沈着で、誰よりも気高く、誰よりも高貴で品格のある立ち振る舞いをし。決して他人ヒトに対して過剰に怒ったりだとか、そういうことをしない彼女が。あの瀬那がこんなにも感情を露わにしてしまうほどのことなのだと、エマは瀬那に対してそう感じていた。

 ――――それほどまでに、綾崎という家系の責務は呪いのように重く。同時に、瀬那が一真に対して抱く想いも、並々ならぬものなのだ。

(瀬那、君はそれほどまでに、彼のことを……)

 内心でひとりごちたその言葉を、エマは確かな言葉という形にすることはなかった。しかし、瀬那がそれほどまでの想いを彼に抱いている。だからこそ、その瞳の端に、哀しみを滲ませたほんの一欠片の涙粒を浮かばせているのだということは、それは痛いほどに感じていた。……彼女自身でさえも、気付かぬ内に浮かばせている涙粒の意味に。

「……すまぬことをした、怒鳴るような真似をして」

 すると、ハッと我に返った瀬那がバツの悪そうに視線を逸らしながら、小さく詫びてくる。エマはそれに「……構わないさ」と返すも、その視線はやはり彼女同様、顔を見ぬまま宙を泳いだままだった。

「……僕は、出来る限りは君の決断を尊重したいと思ってる」

 そして、互いに視線を合わせぬまま、また暫くの沈黙の後。エマがそう、やはり視線は合わせぬままでポツリ、と再び口を開く。

「僕には、君の背負っているモノの重みも、重圧も。何もかも分からない。だから、外からどうこうは言えないよ。言う資格も、僕にはない」

「エマ、其方は……」

 瀬那が視線を向けると、「でもね」とエマもまた、瀬那と再び視線を行き交わせた。アイオライトの瞳と、金色の瞳とが互いに見合い、交錯し合う。

「君の力になりたいという気持ちは、僕もカズマも変わらない」

「…………」

「……それに、カズマも心配してた」

「一真が……」

 うん、とエマが頷き返す。

「彼、ああ見えても優しいヒトだから。優しすぎるほどに、ね……」

「……彼奴あやつには悪いことをしておる、その自覚もある。しかし……」

「言えない、よね。うん、きっと」

「……すまぬ、エマ」

「謝るようなことじゃないよ。寧ろ、僕が君の気持ちも知らずに、余計なお節介をかけそうになったから。僕の方が謝らなきゃいけない」

「! そんなことは」

 ない、と言おうとした。しかしエマはそれを視線だけで制し、ふるふると首を横に振って、瀬那が続きの言葉を紡ぐことを許さなかった。

「カズマのことは、大丈夫だから。君がいない分、彼のことは僕が護る。この先どういう風になっても、君がどんな決断を下しても。それだけは今、約束できるよ」

「エマ……」

「だから、もう少し。もう少しだけ、時間はある。君の言葉を聞けて良かったよ。君の悩むことは、僕らが不用意に首を突っ込むべきことじゃないって、それが分かったから」

 でもね、瀬那――――。

「それでも、それでも答えが出なかったとしたら。その時は、遠慮なく僕に話して欲しい」

 それは、嘘偽りのない、エマの心の底から滲み出てきた言葉だった。

 一真のことは、今にも胸が裂けてしまいそうなぐらいに愛している。この愛は、間違いなく瀬那にも負けはしない。エマは確信とともにそう自負して、欠片も疑ってなどいない。

 しかし――――それと同じぐらい、瀬那もまた大事な存在だと思っている。かけがえのない、異国で巡り逢えた親しき友。血の繋がりこそないものの、本当に姉妹のようにだってエマは思っている。自分以外に姉も妹も居らず、父も母も失い。天涯孤独の一歩手前ぐらいな身の上の彼女だからこそ、余計にその気持ちは強かった。

 だからこそ、もし瀬那がもう少しだけ悩んで、それでも答えが出なかったとしたら。その時は、何だって構わない。力になってやりたいと、エマは素直な気持ちでそう思っていたのだ。そこまでの段階なら、首を突っ込む突っ込まないとか、もう関係ない。

(それに……)

 これ以上、このまま関係を宙ぶらりんにしていたら。自分もそうだし、何より一真がおかしくなってしまう。

 この先、どういう風に運命が転がるとしても。一度、関係の整理を付ける必要があるのだ。それはきっと、自分だけでなく一真もうっすらとだが感じていると、根拠はないがエマはそう思っている。

 ――――橘まどかの戦死。

 それが、曖昧で、何処か互いに互いの優しさに甘えきっていた自分たちの関係を見つめ直す機会を与えてくれた。不謹慎なことかもしれないが、良い機会だったとすらエマは思ってしまう。死に慣れすぎ、摩耗した心はそう考えてしまうのだ。

 本当のところ、エマ自身も今の関係をあまり善しとしたくはない気持ちもあった。曖昧で、ぼんやりとしていて。そんな関係がいつまでも続くとは、思えなかったから。

 それでも、エマは己の気持ちを優先していた。彼の傍に居たい、彼と日々を生きたいという、己のエゴにも似た気持ちを優先させていたのだ。

 でも、それでは駄目だと、エマは気付いてしまった。まどかの死と、それに打ちひしがれた一真や白井、そして苦悩し続ける瀬那を目の当たりにして。その頃になってやっと、そんな曖昧な関係がいつまでも続くモノじゃないと気付けたのだ。

「この先、きっと……ううん、ほぼ間違いなく、僕たちとカズマの関係はガラッと変わる。崩れて、別れて。どういう形に転がっていくかは、僕も分からないけれど。でも、確実に変わるってことだけは分かるんだ」

 それはね、きっと――――。

「君の決断次第なんだ、瀬那」

「私の……?」

 戸惑う瀬那に、エマは「うん」と柔らかに頷いてやる。

「君がここで、どういう決断をするか。それによって、僕らの関係がこの先どうなるかも変わってくる。僕はどういう形になれど、その決断を尊重する。

 ……でもね、悩んでも悩んでも、それでも答えが出ない時には。僕でよければ、相談に乗るよ」

 ふふっ、と微かな微笑みを向けながらエマは言うと、その後で「僕の話は、これだけ」と言い。もたれ掛かっていた柵から離れると、屋上を後にしようと出入り口の方へ歩き出していく。

「――――あ、これだけは言っておくね」

 と、扉のドアノブに手を掛けたところで。エマは立ち止まると、くるりと首だけで瀬那の方に振り返り、こう言った。

「僕がカズマを愛しているのは、きっとこの先も変わらない。彼の為になら、躊躇なく僕は生命いのちを投げ出せる。それだけの覚悟も、カズマと生きていく覚悟も。全部決めた上で、僕は今、ここにいる」

「……私は」

 その覚悟が、本当にあったのか。今、目の前に居る彼女ほどの覚悟を、自分は本当に持ち合わせていたのか。

彼奴あやつを、綾崎の呪いに巻き込む覚悟が。一真に私の重荷を、呪いを背負わせる覚悟が、本当に出来ていたのか……)

 分からない、分からない。こんなにも彼のことを愛しているはずなのに、それが故に分からない。

「……もし、君にも覚悟があるのだとしたら。きっと瀬那、君は彼の傍に居るべきだった」

 最後にそんな言葉と、「じゃあね、おやすみ瀬那」という微笑みだけを残し。今度こそエマは、この訓練生寮の屋上から姿を消した。

「エマ、やはり其方は強い。強い女よの……」

 そして、独り屋上に残された瀬那は。微かに残るエマの残り香に鼻腔をくすぐられながら、小さくひとりごちていた。まるで、何処か自嘲じみた独り言を。

「……彼奴あやつと、一真と生きていく覚悟は、確かにあったのかもしれない」

 でも――――。

「一真を、綾崎の呪いに巻き込む覚悟が、私には出来ていなかった。そうするべきじゃないとすら思う、私自身がここにいる……」

 君は、彼の傍に居るべきだった。

 最後にエマの残したそんな言葉が、今になって瀬那の胸にひどく突き刺さる。今となってはもう、彼の気配も遠く、彼の言葉も遠くなってしまった。彼の傍に居るという覚悟も薄れて、ただ不安だけが瀬那の身を震わせる。一真をこのまま、綾崎財閥の呪いに巻き込むべきじゃない、巻き込んではいけないという、そんな不安が…………。

「……エマ、其方がそこまでの覚悟を見せるのなら。其方が、そこまで申すのであれば」

 私もまた、決めねばらならない。其方たちとの、この先を――――。

「其方に預けたぞ、エマ・アジャーニ。私が確かに愛していた、彼奴あやつのことを」

 夕陽は西方の彼方へと完全に没し、夜闇が訪れた空の下。浮かび流れていく雲の合間から微かに覗く月明かりに照らされながら、巫女と喩えられた彼女は独り、長きに渡った己が苦悩に、己が葛藤に終止符を打とうとしていた。

 少女は独り、哀しき決断とともにそこへ佇む。なくしたかいが再び手の中に戻ることはなく、己が進むべき航路も見えないまま。しかし、心を許した異国の親友ともの言葉を、優しき彼女の強い想いを新たな道標として、少女は再び暗く閉ざされた運命の大海へと漕ぎだしていく。ただひとつ、彼に己の背負う呪いを、決して背負わせてはいけないと、その思いだけは胸に抱きながら。

 決断の瞬間は、まだ先にある。しかし、確かにその決断の別れ道へ向け、少女は進み始めた。例えその先で、己の傍から彼が離れていっても。別々の道を歩み出し、再びこの道が交わらぬとしても。それでも構わないと、純粋すぎるほどの想いを抱きながら。

「…………其方に、こんなものを背負わせてはならぬ。ならぬのだ」

 少女はもう暫くの間、この夜闇の中に佇んでいようと思っていた。決断のときを待ちながら、ただ独り――――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る