Int.04:沈黙の深蒼、野望の色は未だ深淵の奥底に

「――――ほう、淡路島の奪還作戦ですか」

 その頃、くだんの淡路島にほど近い兵庫に置かれている国防陸軍の駐屯地の一つ、伊丹駐屯地では。執務室の応接ソファに深々と腰掛け脚を組むマスター・エイジがそう、対面に座る倉本陸軍少将の言葉を受け、何処か楽しげに微笑なんか浮かべつつそう言っていた。

「何か不満かね?」

 葉巻を咥え、苛立たしげに言う倉本少将に「いえ」とマスター・エイジは首を横に振る。口に咥えたまま吹かすマールボロ・ライトの煙草から立ち上る白く濁った副流煙が、その襟足の長く真っ青な色をした彼の前髪をそっと撫でつけた。

「思っていたよりも随分と動きが早いと、そう思っただけのことです」

「……早くなるのも、仕方ないのです。マスター、貴方とてお分かりのことでしょうが、淡路島は本州防衛の要。緩衝地帯でもあるあの島を一刻でも早く取り戻さなければ、今度は神戸と大阪が焼かれる番だ。そうなれば……」

「経済的な大損失は必至。避難民の大疎開は困難を極め、色々終わった後には倉本少将、貴方の首も飛びかねないと」

「そういうことだ」

 倉本は口から葉巻を離し、ふぅ、と紫煙混じりな深い溜息をついた。マスター・エイジはニコニコとしたまま、フレームレスの眼鏡越しにその双眸で倉本の顔を見据える。

「それで、A-311小隊も作戦に参加させると?」

「重要な位置を担って貰うことになる。幸か不幸か、綾崎の娘の戦死とて狙えるというワケだ。意図せぬことだが、一石二鳥というわけなのですよ、マスター・エイジ」

 ですがね、と倉本はひとしきり言葉を紡いだ後で前置きをし、更に別のことを対面に座るマスター・エイジに向かって話し始めた。

「それは、あくまで偶発的な副産物のような要素に過ぎない。実のところ、A-311小隊より必要なのは――――」

「202特機、≪ライトニング・ブレイズ≫の力ですか」

 マスター・エイジが先んじて言い当てれば、「理解が早くて助かる」と、倉本は満足げに頷く。そんな倉本の反応を見ながら、貴方の判断は尤もだと、マスター・エイジにしては珍しく、倉本に同意するようなことを思っていた。

 この局面に於いて、確かに精鋭たる特殊部隊≪ライトニング・ブレイズ≫の力は喉から手が出るほど欲しいところだ。例え淡路島に六匹のデストロイヤー種が確認されているとしても、彼らの突破力ならば或いは、ということもある。

 それに、このことは倉本も認識していないだろうが。≪ライトニング・ブレイズ≫がA-311小隊に同行する以上、A-311に関わる西條のコネクションもまた優位な方向に作用するかもしれない、という要素もある。確か彼女は技研――国防軍・技術研究本部に強いパイプを持っているはずだ。ひょっとすればこの局面で、西條は多少無理をしてでも何かしらの強力な試作兵装を持ち出してくるやもしれぬ。

 いや、確実だとマスター・エイジは踏んでいた。小隊に綾崎の巫女――瀬那が加わっている以上。そしてあの彼・・・もまた共に戦地へと赴くことになる以上、あの西條舞依がそうしない筈がない。

 マスター・エイジはそうに違いないと、確信すら抱いていた。二人を何が何でも生き延びさせる為に、彼女はどんな無理も押し通すはずだ。自分に出来ることを出来る限り、全てやり尽くす。それが西條舞依という女なのだから。

「202特機、そしてA-311小隊には前線の突破と、大物狩りをやって貰うしかない。幾らかの事情はこの際考えないことにしても、悔しいが奴らの力は今回の作戦に必要不可欠だ」

 忌々しげながら、しかし確信を込めた瞳の色で倉本は言った。灰皿に置いていた葉巻を咥え直す顔は相変わらず醜いが、しかしここに来て漸く、一端の将官らしい顔付きになっているようにも見える。

「その通りですね」と、マスター・エイジはそんな倉本に対し、にこやかな笑顔とともに相槌を打ってやった。

 ――――倉本。実に愚かで俗物めいた男だが、こと戦術的、戦略的な慧眼だけは目を見張るものがある。

 基本的にマスター・エイジは倉本のことを内心では軽蔑しているものの、陸軍の一将官としての倉本だけは、ほんの少しだけ評価している節もある。現に今の、過去に類を見ないほどの幻魔大攻勢とそれに伴う最悪な劣勢状況下。それでも未だここまで持ちこたえられているのは、こと中部方面軍に倉本の存在があることも遠因にある。本当に愚かしい男ではあるものの、指揮官としてだけはそこそこに優秀なのだ、倉本は。

 だからこそ、マスター・エイジはA-311訓練小隊、ないしはそれに随伴する第202特殊機動中隊≪ライトニング・ブレイズ≫の投入に異を唱えるつもりは欠片もなかった。その判断が正しいことも、現に彼ら特殊部隊の突破力が必要なことも、マスター・エイジは理解していたのだ。

(……ですが)

 しかし、それと同時に思うところもある。倉本ににこやかな顔を浮かべると同時に、その薄っぺらい笑顔の下で、マスター・エイジも己が計略を打ち出す算段を整え始めていた。

(今、この局面で瀬那を死なせるワケにはいきません。私の計画が本格的に動き始めた今、あの娘の生命いのちをそう易々と渡すワケにはいかないのです)

 倉本には笑顔を浮かべたまま、薄ら笑いにも似た氷のような冷たく不気味な笑顔を浮かべたまま。短くなってきたマールボロ・ライトの灰をテーブルの灰皿へと落としつつ、マスター・エイジは独り内心で思考の糸を張り巡らせる。

(大尉に202特機、守りきれるだけの要素は幾つもあります。……しかし、全てが完璧ではない)

 そう、完璧ではないのだ。錦戸大尉に≪ライトニング・ブレイズ≫、瀬那を生かすだけの要素は幾つも揃っているが、完全ではない。伝説の白い死神が出張るのならば話は別かもしれないが、今の状況で瀬那が生き残る確率は、決して九割近いとも言い切れないのだ。

 当然、往く先は不確定要素を煮詰めたような煉獄の戦場、地獄の釜の奥底にも似た戦地。そんな状況下で、九割の保証なんて得られるはずもない。であるのならば……。

(…………或いは、私が)

 灰皿に吸い殻を押し付け火種を揉み消すマスター・エイジの内心で、そんな思考が渦巻いていることに。そんなことに倉本が気付くわけもなく、ただ時間は無為に過ぎていく。

(今、この局面で瀬那を失うわけにはいかない。だとすれば、私に導き出される結論はただ一つ)

 男はその胸中に、確かな計略を張り巡らせていた。その顔に薄く張り付いた笑顔の下で、脈々と胎動し続けている己が野望を果たさんが為に。

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