Int.82:漆黒の生誕祭/白銀、眺むるは思慮深き巫女の憂い
と、そんな一大事が主役である雅人(と、妹の美弥)の身に起こっているとは知るよしもなく。他の大多数の参加メンバーたちはその大半がA組の教室へと押し掛けていて、時間の余裕がない中での慌ただしい準備作業に追われている真っ最中だった。
「おうあんちゃん! そっちの両面テープ、ちょいとアタシに寄越してくれや!」
「誰があんちゃんだ、誰が! 俺は国崎だと何度名乗れば気が済む!?」
「やかましいわ、あんちゃんはあんちゃんや! それよか両面テープはよ寄越しぃ!」
「ちょっ、慧ちゃん危ないよ!?」
「はぁ? なんや雪菜――――ってうおあっ!? あかん、落ちる落ちる!!」
いつもの堅物めいた態度を崩さない国崎と口喧嘩なんかおっ始めそうな傍ら、雪菜の警告も虚しく慧の乗っていた脚立がグラグラと揺れ始め、その上に乗っかり高所の壁へ飾り付け作業を行っていた慧が危うく落ちそうになる。
「あっ、慧ちゃんっ!?」
「ったく、世話の焼ける……!」
気付いた美桜がハッとする傍ら、国崎は舌を打ちながら慧の元へと駆け出していく。
「あかーん! 落ちるぅーっ!!」
と、遂に脚立がバランスを崩し、叫ぶ慧があわや床へ転落といった寸前で国崎は滑り込めば、落ちそうになった慧の身体を脚立ごと支えてみせる。
「全く、世話ばかり焼かせるな!」
間一髪で間に合い、事なきを得れば。国崎は慧の身体を脚立と一緒に支えながら、叱りつけるみたいな荒い語気で慧に言う。そうすれば慧は何処かしゅんとした態度で「お、おう……」と頷き、
「すまんな、あんちゃん……」
「あんちゃんじゃない、俺は国崎だ。――――ほら、両面テープ」
そんなしおらしい態度の慧へと、国崎は毒づきつつも傍らに手にしていたご要望の両面テープを手渡した。
「ほっ……」
「あらあら、まあ♪ でも何ともなくて何よりだわぁ♪」
ギリギリのところで国崎が割り込んでくれたお陰で慧が何とも無く済み、雪菜は心底ホッとしたみたいに息をつき。そして美桜の方と言えば、頬に手を当てながら何故かるんるんとした眼で二人のやり取りを眺めている。美桜が何を思っているのかはさておき、何故だかやたらに楽しそうだ。
「いやんっ、二人とも楽しそうねぇんっ。アタシも混ざりたいわぁ」
「三井よ、喋ってないで手を動かしなっての」
「クリスよ、ク・リ・ス! んもうっ、おやっさんたらいつになったらそっちの名前で呼んでくれるのぉ!?」
「うるせえよ、三井は三井だ。……ったく、なんで俺たちまで巻き込まれてんだ?」
「良いじゃないのよ、おやっさん♪ せーっかくウチの隊長さんのお誕生日ですもの。お祝いしてあげたって損は無いわよぉ♪」
と、こんなやり取りを交わすのは三島とクリスのメカマン二人組だ。双方ともにメカニック・チーフであるにも関わらずこんな所で油を売っていて良いものなのかって話だが、実のところ整備班の仕事は現状あまりない。日々の点検と、後は他訓練生たちの使う訓練機の整備程度が関の山で、A-311小隊が出撃する機会が無くなった現状では、チーフ二人が今回の催しを手伝える程度には暇なのだ。
「向こうも向こうで楽しそうだねえ。ねえステラちゃん? そうは思わないかなあ、思うでしょー?」
「ああもう、さっきからうるさいってえの! 省吾とか言ったっけ!? アンタも仕事なさいって!」
「うひー、怖い怖い」
「兄貴もその辺にしとかないと、マジでステラちゃんに吹っ飛ばされますぜ?」
「アキラぁ! アンタも余計なコト言わないっ!!」
「すんませんしたァァァァッ!!!」
こちらはこちらで、白井とステラ、そして何故かそこに混ざる省吾とで盛り上がっている様子だ。ステラの180cm越えの高身長を生かし高所の飾り付けを手早く行う中、烈火の如き勢いで怒るステラに対し省吾はニヤニヤといつもの軽々しい態度を崩さず、そして白井の方は全身全霊を込めた謝り方を披露しているといった始末。
(あーあ、アキラちゃんも早速尻に敷かれてら)
と、そんな白井とステラのやり取りを傍で眺めながら、省吾がそんな感想を抱いたのは内緒のことだ。敢えて口に出さず、ただただニヤニヤしながら観察だけに徹している。
「全く、其方らは本当に何というか……」
そんなこんなで賑やかに馬鹿なことばかりやっている一同の方をチラリと横目に見れば、呆れ返ったように瀬那がそんな溜息をついていた。
彼女もまた、慧やステラと同様に脚立に昇り、高所の飾り付け作業を進めている最中だ。流石にこういう作業というだけあって左腰にはいつもの刀の姿はなく、脚立近くの窓際へ鞘に収められた格好で立て掛けられている。いつも殆ど肌身離さずといったようにあった重みが無いと妙な違和感を感じるが、まあこれも作業の為だと割り切りつつ、瀬那は作業を手早く進めていく。
「……はい、替えのよ」
そうして黙々と作業に興じていれば、霧香のものとは少し違うクールな声音とともに、傍らからスッと手が伸びてくる。丁度使い切りかけていた両面テープの代わりを差し出してくれたそのほっそりとした手の主は、クレアだった。
「うむ、かたじけない」
瀬那はクレアが持ってきてくれたそれをありがたく受け取り、また作業の方へ意識と視線を戻す。放課後を迎えてから雅人の眼をどれだけ逸らせるか、どれぐらいの時間を稼げるか。実のところは中々に不明瞭な以上、出来る限り早めに完了させたいというのがメンバーの総意だ。高所の飾り付けなんて作業に三人がかりで取り掛かっているのも、そういった事情があってのことなのだ。
「……ねえ、貴女」
黙々と瀬那が脚立の上で作業を続ける傍ら、脚立の傍に立ったままのクレアがぽつり、と呟くみたいな細い声音で藪から棒に話しかけてくるものだから、瀬那は思わず「む?」と彼女の方を振り返りながら、見下ろしながらで反応してしまう。
「何か、悩みでも抱えているのかしら」
「……
「何となく、ね。そんな風に見えるのよ」
瀬那がこちらの方を見ないまま、作業の手を止めないままに彼女と言葉を交わしながら、クレアはフライト・ジャケットのポケットから取り出したアーク・ロイヤルの煙草を咥える。シュッとマッチを擦り火を点ければ、クレア愛飲なこの銘柄特有の、妙に甘ったるいような匂いが副流煙に乗っかり仄かに漂い始める。
「今の貴女は、ひどく脆いように見えるわ」
「……左様か」
クレアの言葉に、瀬那は作業の手を止めて。フッと自嘲じみた軽い笑みを横顔に浮かべてみせる。
「割り切るしかないのよ。軍人になった以上、これから常に付きまとってくることだわ」
そんな瀬那に対しクレアの言う言葉は、何処か的が外れていて。瀬那の思い悩むこととはベクトルがそこそこズレていることではあったが、敢えて瀬那はそれを指摘しないまま、黙って彼女の言葉に耳を傾けることにした。内容よりも、素っ気ない態度の奥で少しだけでも気に掛けてくれていたクレアの気持ちに報いたかった。その気持ちが、今の瀬那にはやたらと嬉しく感じていたのだ。
「戦う以上、犠牲は大なり小なり出てくるものよ。それが名前も知らない誰かか、そうでないかの違いだけ。こればかりはどうしようもない、言ってしまえば世界の摂理みたいなもの。そういう法則の成り立つどうしようもない世界に、私も貴女も立っている」
「…………」
「失いたくないのならば、強くなりなさい。私もそうしてきた。これ以上失いたくないのなら、自分が強くなるしかないの。誰よりも、何よりも強く、ね」
「神崎中尉、其方は……」
どれほどの苦しみを、痛みを。其方は抱えて生きてきたのだ――――?
言葉にならない問いかけを投げ掛けようと、ハッとした瀬那が彼女の方へ振り返れば。すると彼女は「クレアでいいわ」と何故か瀬那の言葉を訂正する。
「
確かクレアは、下の名で呼ばれることをひどく嫌うはずだ。その理由までは知らないが、そうだった覚えがある。
不思議に思った瀬那が問いかけると、クレアは「簡単よ」と煙草を吹かしながら、やはり瀬那の方を見ないままで答えた。
「貴女からは、同じ匂いがするの」
「同じ匂い……?」
「ええ」頷くクレア。「昔の私と、どことなく似た匂いがする」
その言葉の真意を、瀬那が知るよしもない。彼女の過去を知らぬ瀬那が、赤い瞳の双眸を細め、何処か遠くを眺めるような眼をしたクレアの放った言葉の真意を知る術はなかった。
だが、似た匂いがするという意味では、少しばかり理解出来る節もあった。綾崎財閥の直系に生まれ、幼き頃より様々なモノを抱えざるを得なかった自分と、傍らの彼女とが何故こんなにも重なるのか。それは瀬那にも分からぬことではあったが、しかしクレアの言う通り、何となく似たような匂いは感じていた。前までは感じていなかったものが、今になって始めて。
「それに、あの彼を求めるなら、諦めないことね」
「……クレア、其方はどこまで私を見透かしておる?」
「表面上だけよ」と、戸惑い訊き返す瀬那に対し、クレアは呆れっぽく肩を竦めてみせる。
「ただ、私にも経験があるから。その上でのアドヴァイスよ、貴女への。先達として、ね……」
そう言うクレアの横顔は、先程までのクールな色のままだったが。しかし何処かに諦めにも似た、過去を悔いているような気配を見え隠れさせているのを、瀬那の金色の瞳は見逃さなかった。
「全ては貴女次第よ、何処へどう転ぶのかも。貴女の心持ち次第で身を引くことも出来れば、もう一度引き寄せることも出来る。貴女がどう思いどう判断するか、それは貴女の自由だから、私は敢えてここでどうこう言うつもりはないわ。
……ただ、言いたいことは一つだけ。全部、貴女次第なのよ。綾崎の巫女」
「全部、私次第……」
と、反芻するように瀬那がひとりごちた直後、遠くから「おーい、クレアっちゃーん!」と傍らの彼女を呼ぶ省吾の声が飛び込んで来る。
「油売ってないでさー、ちょいとこっち手伝ってほしいのよぉー! 手が足りないんだって、手が!」
省吾に呼ばれれば、クレアは「はいはい、分かったわよ」と呆れ顔を浮かべ、くるりと踵を返せば煙草を咥えたままで省吾たちの方へと歩き去って行った。瀬那には一言も掛けないままで、ただアーク・ロイヤルの甘ったるい匂いだけをその場に残して。
「全て、私次第と申されてもな……」
独り残された瀬那は、作業の手を止めたまま、脚立の上に乗っかったまま。ただ小さく独り言を呟いていた。誰にも聞こえない程度に、小さく。
「そう言われても、どうすれば良いのか分からぬのだ。他ならぬ私が、どうすれば良いのかを」
その言葉は、まるで自らを嘲るような風だった。何も分からぬ自分を、全てを決めかねている自分を、嘲笑するかのようだった。
「……ただ、これだけは言える」
このまま、
「やはり、私では相応しくないのやもしれぬな」
独白する彼女の言葉を聞く者は誰もおらず、そしてそれに答える者も、誰一人としてこの場には居なかった。
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