Int.79:漆黒の生誕祭/イレギュラーは唐突に

 そして、日は幾らかを跨ぎ、来たるべき九月十三日のDデイを迎えていた。

「ささ、行こうっお兄ちゃんっ!」

「お、おい美弥……分かった、分かったからそう引っ張るなって」

 その日の課程が無事に終わり、放課後。美弥は解放されるなりすぐに士官学校中を駆け回り、何とか兄の雅人を捕まえ。そして「折角だから、少しお出かけしよっ!」と半ば強引で無理のある感じで雅人を校外へと引っ張り出そうとしていた。

 勿論、その真意は雅人の眼を例の計画の準備作業から逸らす為の陽動だ。愛美と西條で様々な案を練ったが、最終的に「外に出してしまうのが、一番じゃないでしょうか?」という美弥の提案に押され、それを呑むことになったのだ。

 幸いにして、雅人は異常なほど妹の美弥に弱い。何処からどう見ても超重症のシスター・コンプレックスって奴だ。そんな雅人だからか、こんな風に戸惑いつつも、なあなあで美弥の頼みを受け入れ。こうして彼女の小さな手に引かれるがまま、士官学校の校門の外へと連れ出されようとしていた。

「なんだか、陽が落ち始めるのも早くなってきたよね」

 そうして首尾良く雅人を士官学校の外へ連れ出すことが成功し。適当に散歩がてらで夕暮れの中を並んで歩きながら、雅人の顔を見上げつつ美弥が笑顔で言う。

「夏至はとっくに過ぎてるからな。ここから先、どんどん陽は短くなっていく」

 美弥の向ける笑顔と言葉に、雅人もまた(本人にしてみれば)精一杯の笑顔を添え、そんな言葉を返した。雅人が浮かべるのはナチュラルな笑顔ではあったが、しかし意識してしまっているせいで何処か引き攣っていて。そのせいで、好青年っぽさよりも不気味さの方が却って強まってしまっている印象だ。それこそ、前に一真に対して向けていたような、あんな感じの不気味な笑みだ。

 日本人にしては割かし彫りの深い顔付きだから、そうなってしまうのも仕方ない。そういう風に見えてしまう笑い方しか出来ないのも、兄の昔からの癖だ。それを誰よりも分かっていても、しかし美弥は「そ、そうだねっ」と、向けられた笑顔に対し少しだけ戸惑ってしまう。夕暮れ時で雅人の顔に少し影色が差しているせいで、いつも慣れているのとは少し違う不気味さだったのだ。

「――――ふっ、本当に仲の良い兄妹だね……」

 と、そんな壬生谷兄妹を影から見守り、気配を殺し追いかける姿がひとつだけあった。

 夕暮れ時の薄暗い中に紛れ込むようにしながら、電柱の陰に身を潜めつつそうひとりごちるのは、霧香だ。今日も何故かあんパンを片手に、それを頬張りながら美弥と雅人の後をけていた。

 霧香の役割は、雅人の不測の行動に備え、二人を尾行すること。そして、二人の行動を逐一報告することにあった。西條や一真のような一部を除き、彼女が宗賀衆の忍びの者であることは知らぬものの、期せずして彼女の技能が役に立つ局面が来たというわけだ。

 そういうわけで、霧香は人知れず壬生谷兄妹の後を追い縋っている。ちなみに彼女が背後に控えていることは、美弥も知らぬことだ。彼女はその性格上、何というか顔に出やすいというか。とにかく不用意にボロを出されては尾行する側の霧香としても困ったことになるので、西條と愛美が相談した結果、敢えて霧香の存在を美弥には伏せておこうということになっているのだ。

 だから、兄と話す美弥の横顔は無邪気そのものだ。まさか背後に霧香の気配があることだなんて、想像もしていないといったぐらいに平和そのもの。こんな横顔を見ていると、流石の霧香といえども少しばかり心が痛むというか、良心の呵責みたいなものを感じてしまう。

「……ま、お仕事だからね。文句は言わずにやるよ。おしごと、おしごと……」

 はむはむとあんパンを頬張りながら、霧香は二人の後を追いかけていく。傍らにあんパンがこれでもかと収まったコンビニ袋も抱えているので、兵糧の方も問題なしだ。あんパンさえあればシベリアだろうが南極だろうが、月の裏側まで尾行対象を追いかけていく。単純な話だが、霧香とはそういうだった。宗賀衆でも屈指の変人と云われていた事実は、伊達ではない。

「とはいえ、本当にシスコン拗らせてるね……」

 そうして二人を尾行しながら、二人の背中を遠巻きに眺め。あんパン片手に霧香はそう、細く起伏の無い声の中で、彼女にしては珍しく呆れたような色を見せながらひとりごちる。

 とはいえ、彼女が呆れるのもさもありなん。雅人といえば相変わらず美弥と手を繋ぎながら歩いていて、背中だけ見ていれば身長差もあってまるで親子のようだ。……一見すると微笑ましいように見える光景だが、雅人の笑顔がやったらと不気味なせいで全て台無しになってしまっているのが玉に瑕というか、何というか。

 何にせよ、噂に聞いていた通りだなと霧香は呆れる思いだった。凄まじくシスコンを拗らせた男とは聞いていたが、まさかここまでだとは。幾ら何でもその歳になった妹と手を繋いで歩くのはないだろう。美弥だって……言い方はアレだが、そろそろお年頃な時期だ。なのに兄がここまで近い距離というのは、如何なものなのか。

「美弥、何かあったらお兄ちゃんに何でも言うんだぞ」

「あ、うんっ。分かってるよ、お兄ちゃん」

 ……その上、この過保護っぷりだ。

 どう言っていいものか、どう表現していいものか。流石の霧香でも、これには溜息の一つでもつきたくなってしまう。雅人の超重症のシスコンが悪いこととは決して言わないが、この調子でこの先どうなってしまうのやら。美弥に拒絶でもされてしまえば、それこそ雅人はショックのあまり身投げを図りかねないような気さえしてくる。年頃の女心は夏の天気のように変わりやすく、複雑怪奇だから、そうなる可能性だって決して無いワケじゃあないのだ。

「でも、仲が良いのはいいこと、いいこと……」

 と、霧香がひとりごちながらあんパンをまた一口頬張った時のことだった。

「――――あの、少しお話よろしいですか?」

 丁度通りかかった二人組の制服警官に、壬生谷兄妹……というより、主に雅人の方が声を掛けられたのは。

「……あ」

 この後の事態を何となく察してしまい、唖然とした霧香は思わず咥えていたあんパンを取り落としかける。

「はい?」

 背後でそんな風に霧香が悟っているともいざ知らず、雅人はいつもの好青年スマイルで話しかけてきた警官に対応した。すると警官は「いえね」と疑念モリモリの視線を雅人にぶつけながら口を開き、

「実は、不審者が子供を攫っているようだっていう通報が先程ありまして」

「……どういうことかなあ、それは」

 明らかに疑ってますよ、という視線と言葉を受ければ、途端に雅人は不機嫌になり。ぶつけ返す語気も荒く、表情こそ笑顔のままだったが、しかし嘗て一真に向けていたような不気味なモノへと変えてしまう。それが却って逆効果なのだが、当の雅人本人はそれに気付かない。

「少し、お話を伺ってもよろしいですかね? あー、出来れば署の方に来て頂けると、ありがたいんですけれど」

「ま、待ちたまえ。君たちは何か妙な誤解をしているようだ。この美弥と俺とは実の兄妹で――――」

「お嬢ちゃん、もう大丈夫だからね」

「あ、え……? いや、その……?」

 肩を掴まれ引き剥がされる雅人と、しゃがみ込んで目線を合わせる元の警官から、子供を安心させるように頭を撫でられて戸惑う美弥。大真面目に実の兄妹である二人がどんな誤解を警官たちから受けているのか、もう見るからに明らかだ。

「さ、来て貰おうか。話はそこでゆっくり聞くから」

「いや、ちょっと待ちたまえ。君たちは重大なことを履き違えている。第一僕は軍属だ、見て分からないのか?」

「はいはい、軍属だろうが何だろうが、全部署で聞きますから。ね?」

「よせッ! 俺は陸軍・第202特殊機動中隊≪ライトニング・ブレイズ≫の壬生谷大尉だ! そしてそっちは妹の美弥! 問い合わせれば……というより、貴様らのデータベースを漁ればすぐにでも分かることじゃあないか!」

「あの、お兄ちゃんは本当に私のお兄ちゃんで……」

「大丈夫だからね、もう心配は要らないよ。おじさんたちが守ってあげるから、ちゃんと家に帰してあげるからね?」

「いや、だからそうじゃなくて……」

 説明しようとしても子供扱いでまるで聞き入れて貰えず、戸惑い続ける美弥と、その横で「よせッ!」と抵抗しつつ雅人は尚も釈明を図ろうとしている。とはいえ状況が明らかに劣勢なのは明らかで、そして雅人が完全に美弥を連れ去ろうとしていた誘拐犯だと思われていて。状況はどうにもならないことだけが、確かなこととしてそこにあった。

「緊急事態、発生だね……これは連絡しないと、マズいかな……?」

 警官たちに引きずられるようにして連行されていく雅人を尻目に、霧香はそそくさとその場から離脱を図った。何がどうなるにしても、これは明らかな緊急事態だ。今日の主役である雅人が警察に連行されるなんて最悪のイレギュラーが発生してしまった以上、何はどうあれ霧香としてはこのことを西條の耳に入れなければならない。それが自分の仕事だからと、背中越しに雅人と美弥に詫びながら、霧香は誰にも気取られることなくその場を去って行く。

「よせーっ!! 俺は、俺は無実だぁーっ!!」

 …………背中の向こう側から聞こえる、断末魔にも似た雅人の悲痛な叫び声を、右から左へと聞き流しながら。

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