Int.10:慟哭と手向けの花、それは一足早く自由になった戦友《とも》が為に
それから数時間後、やっとこさ京都士官学校に帰還すれば、既に頃合いは日付も過ぎたという頃で。そうした後でなんだかんだとしていれば、既に時刻は深夜もいいところといったぐらいの夜更けになってしまっていた。
帰って来たはいいが、なんだか寝付けず、眠るような気分にもなれず。寝ている瀬那を起こさないようにと訓練生寮・203号室をそろりそろりと抜け出した一真は、足の赴くままに訓練生寮の屋上までやって来てしまっていた。
「…………」
無言のまま、転落防止の手すりに両肘を突いて、ただ深夜の夜風に吹かれている。少しばかり湿気が強くジメッとはしていたが、しかし昼間よりも格段に涼しく、吹き付け肌を撫でる風は何処か優しい。しかしそんな優しい風に頬を撫でられても、一真の気分は一向に晴れなかった。
原因は、やはりまどかの戦死だ。一抹の淡い希望と共にまどか機の残骸を士官学校まで持ち帰ったはいいが、回答はK.I.A(作戦行動中に戦死)。まどかの遺体はとても人に見せられないほどに損壊が激しかったらしく、一真も直接彼女の遺体を見てはいない。
だが、何となくどんな具合かは想像が付く。コクピット・ブロックごと深々と対艦刀で胴体を両断された上、その後にまどか機は爆発炎上までしたのだ。中にあっただろう彼女の身体がどんな様子なのかは、想像したくないが想像に難くない……。
「……俺は、何をしてた?」
そして胸中に渦巻くのは、強烈な無力感。白井とまどかの救援に駆けつけることも出来ず、まどかを殺したあのマスター・エイジにだって、二人がかりですら太刀打ちが出来なかった。それに加え、突然現れたあの黒い≪飛焔≫にマスター・エイジの相手まで任せてしまうことになったのだから、一真は凄まじい無力感を味わっていた。
――――己の技量は、あのマスター・エイジに遠く及ばない。
それを痛感すると、一真は奥歯を強く噛み締めずにはいられなかった。悔しさに駆られ、無力感に苛まれ。しかし涙は一粒たりとも流れることの無い自分に、余計に腹が立つ。どれだけ非情なのだと、己はどれだけ非情なのだと……。
「――――カズマ?」
ともすれば、キィッというドアの軋む小さな音と共に、聞き慣れた少女の呼び声が耳を打つ。
「やっぱり、此処に居たんだ」
振り返れば、現れたのはエマだった。月明かりに透き通るプラチナ・ブロンドの髪を夜風に小さく揺らしながら、スタスタと一真の隣にまで歩み寄ってくる。
「眠れない?」
「……まあな」隣り合う彼女の方を見ないままで、一真が小さく頷いた。
「やっぱり、まどかのこと……?」
エマの問いかけに、一真はやはり彼女の方を見ないまま、無言で頷き肯定する。
「君のせいじゃない」
「分かってるさ」と、歯を食いしばりながら一真が言う。「分かっちゃいる……。けど、やりきれないんだ」
「……誰のせいでもないよ、今回のことは」
手すりを強く握り締める一真の手の甲にそっと自分の掌を寄せながら、やりきれない彼を諭すようにエマが言葉を紡ぎ出していく。
「戦っていれば、仕方の無いことなんだ。戦争である以上、犠牲は避けられない」
「まどかは犠牲なんかじゃない! 殺されたんだ、アイツにッ!!」
己の手に添わせてくれていたエマの掌を
「……すまない」
その後でハッとした一真が俯きながら詫びると、エマは「気にしないで」と言って再び一真の右手を取る。今度は、両手で包み込むようにして。
「……まどかは、殺された。同じ人間に、殺されたんだ…………!」
――――殺された。幻魔ではなく、同じ人間に。
突き付けられた、そのあまりに残酷すぎる現実。一真はそれがどうしても受け入れられなくて、赦せなくて。そんな感情の渦が、エマの一言を切っ掛けにして吹き出しただけのことだった。
幻魔に殺された方がマシだと、そんなことを言うつもりは一真にだって毛頭無い。だがこんな形で、同じ人間の手で彼女が殺されたという事実が、やたらと辛かった。
「うん」
そんな一真の慟哭を、エマは黙って頷き耳を傾けてくれている。小さく瞼を閉じながら、祈りを捧げるみたいに安らかな表情で。
「俺は、何も出来なかった」
「うん」
「俺は、どうすることも出来なかった」
「うん」
「アイツにも歯が立たないまま、無様に逃げることしか出来なかった……!」
「……うん」
「どうしようもない、どうしようもなさすぎるぐらい、俺は無力だった……っ!」
「うん……」
胸の内に渦巻く激しい慟哭を、言葉という明確な形で吐き出せば。目の前の彼女にぶつけるようにして吐き出せば、自然と目尻からは小さく透明な雫が滴り落ちていく。
「何もしてやれないまま、何もやり返せないまま。俺は、ただ見ていることしか出来なかった……」
気付けば脚の力が抜けていて、一真は両の膝を地面に付けていた。俯き、雫が頬を伝い滴り落ちるまま。彼女の両手に包まれた右の掌を、小さく掲げたまま。
「……そっか」
すると、一真の右手から手を放したエマもまた、そんな彼の前へ向き合うように膝を突く。
そのまま小さく「おいで」と呟けば、エマは彼の頭を胸元にまで抱き寄せる。仄かな石鹸混じりの淡い香りが、柔らかく鼻腔をくすぐった。その香りに満たされながら、柔な感触に包まれていれば。そうして小さく後頭部を撫でられていれば、凄まじい感情の入り交じる大波に揺れていた胸中が少しだけ穏やかになってくる。
「哀しいことを、我慢する必要はない。哀しいことがあったのなら、素直に泣いて良いんだ」
「…………」
「初めて周りの誰かが
「…………」
「大丈夫、君は独りなんかじゃない。君が望む限り、僕が傍に居てあげるから……」
気付けば、一真は滴り落ちる雫の勢いを止められなくなっていた。決壊したダムから溢れ出てくる水のように、胸の奥からあふれ出した感情の洪水が唸り声となって溢れ出す。
「いっぱい泣いて、いっぱい哀しんで。それでも僕らは、先へ進まなきゃいけない。彼女の分まで、僕らは生きなきゃならないんだ」
そんな一真の抑えの効かない感情を胸中に受け止めながら、彼の頭をそっと掌で撫でながら。半ば独り言みたいにエマが呟く。
「他の誰が忘れても、僕らだけは忘れない」
それが、一足早く自由になった
「だから、今はこうしていよう。君の哀しみは全部、僕が受け止める……」
胸に掻き抱く彼を諭すように、そして自分自身へも言い聞かせているように。そう呟くエマの月明かりに照らされる横顔、前髪の下に垣間見えるアイオライトみたく蒼い瞳には、やはり哀しい色が揺れていた。
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