Int.55:変わりなき日常、しかして何処か異なる日常②

「おんやカズマ、今日はエマちゃんも一緒かい?」

 そうして手早く食券を券売機で買い求め、席の確保は先んじた慧たち二人に任せつつで一真ら三人がいつものカウンターに向かえば、やはりそんな威勢の良い声音で出迎えたのは割烹着かっぽうぎの眩しい、いつもの四ッ谷のおばちゃんだった。

「あはは、たまたま出くわしちゃいましたからね。折角だからと思って」

 すると、一真より早くそうやって四ッ谷のおばちゃんに反応するのは、エマだった。その表情は何処か苦笑い気味ではあるが、しかし一応微笑むような形ではあった。

「へぇーっ、そりゃあまあ。ったくカズマ、アンタも隅に置けないじゃないのっ」

 そんな風にエマが言えば、このこのっといった具合で四ッ谷のおばちゃんはニヤニヤといやらしく笑いつつ、肘で一真を小突いてくる。ともすれば、一真としても「あははは……」なんて苦笑いすることしか出来ずにいた。

「相変わらずだな、四ッ谷殿は」

 四ッ谷のおばちゃんがそんな風に一真に絡んでいるのを眺めながら、瀬那はフッと小さく笑みを浮かべ。そうしながら、手に持っていた食券をスッと差し出した。

「もうじき、此処も混んでくる頃合いであろう」

 なんて具合に言いながら瀬那が食券を差し出せば、四ッ谷のおばちゃんも「あっ、そうだねえ」とハッとしながら一真から離れ、

「いやあ、アタシったらうっかりしてたよ」

 と言葉を続ければ、ガハハとやたらに威勢の良い笑い声を上げ始める。

「ほいほい、あんがとね瀬那ちゃん。――――ほらほら、エマちゃんもカズマも、さっさと寄越しな」

 そして四ッ谷のおばちゃんに急かされるままに一真とエマ、二人も食券を渡せば、四ッ谷のおばちゃんは「えーと……?」と独り唸り、受け取った三枚の食券を確認し始める。

「…………カズマ、アンタまた朝から唐揚げかい」

 ともすれば、一真の渡した食券を見るなり、四ッ谷のおばちゃんが呆れたように言う。それに一真が「ま、まあ好物なもんで……」なんて具合に苦笑いしていると、

「ったく、毎日毎日よく飽きないもんだ……。ってあれ? 唐揚げ定食、これもう一つあるじゃないか」

「あ、それ僕です」

 何故か唐揚げ定食の食券が手元に二枚もあったものだから、四ッ谷のおばちゃんが目を丸くしていれば、そこに名乗り出たのは意外や意外でエマだった。

「エマちゃんがかい? 珍しいコトもあったもんだね……」

「いやあ、毎回毎回カズマがあんなに美味しそうに食べてるの見てたら、僕もなんだか興味出てきちゃって」

「おんやぁ? つまりこうだ、自分の男の好きなモンがどんな味してるか、知りたくなったと……。さてはエマちゃーん、そういうことだね?」

 ニヤニヤと好色めいた笑みを浮かべながらでそんなことを口走る四ッ谷のおばちゃんは、きっとエマが顔を赤らめながら慌てて右往左往するか、恥ずかしがりきゅーっと縮こまるような反応を期待していたのだろう。

「……バレちゃいましたか。まあ、その通りですよっ」

 しかし、現実としてエマの反応はこんな具合で。ニコニコと微笑みながらも真っ直ぐ、堂々と宣言するみたいにそう言われてしまえば、完全にそれが想定外の返しだった四ッ谷のおばちゃんは呆気に取られ、「あ、そ、そうなのかい……?」なんて具合にしどろもどろなことしか返せない。

 その数秒後で、「……はぁ」と小さな溜息をつくと、それから四ッ谷のおばちゃんは三人を均等に見回すようにしながら、口を開いた。

「…………まあ、アンタたち二人が、カズマにゃ一番お似合いか」

「えっ?」戸惑うカズマ。すると四ッ谷のおばちゃんは「気付かないとでも思ったのかい?」なんて呆れ気味に言い返し、

「アンタ、武闘大会過ぎた後ぐらいから、他のクラスのとかに詰め寄られる機会、極端に減ったろ?」

「あー……」

 言われてみれば、確かにそうかも知れない。数ヶ月前――――今から思えば随分と遠く感じる数ヶ月前の、クラス対抗TAMS武闘大会の決勝戦。つまりエマ戦を契機に、前のように他クラスの顔も名前も知らぬ連中が詰め寄ってくることが、殆ど無いに等しいぐらいに機会が減っているのは確かだ。

 思い返してみれば、あの時にエマが決勝戦の場でしでかした唐突すぎる大告白が、沈静化してくれた一番の原因かも知れない、と一真は此処に来て漸く思い当たる。あんなものを見せつけられてしまえば、確かに興醒めするというもの……なのか?

 とにかく、あの騒ぎが落ち着いてくれたのは、一真にとっても正直有り難いことだった。詰めかけて来ていた女子連中がすべからく自分に対して好意の視線を向けてきているのは、一真とて鈍感でもないから気付いていた。気付いていたからこそ、正直言って鬱陶しく思ったり、面倒に思ったりする節もあったのだ。何せこちらには、その気がまるで無かったのだから。

「……ひょっとしなくてもアンタら二人、二人同時って感じだろ?」

 そんな思案を一真が巡らせている間に、四ッ谷のおばちゃんが続けてそう問いかければ。腕を組む瀬那は至極堂々たる態度で「まあ、そうなるな」と頷き。そうして対するエマはといえば「あはは……微妙に形は違いますけどね」なんて具合に、苦笑いを浮かべつつも一応肯定自体はしてみせた。

「やっぱりねえ……。噂通り、ってことかい」

「噂?」

 一真が訊き返すと、四ッ谷のおばちゃんは「そうさね」と頷き、

「噂も噂。結構女の子たちの間じゃ持ちきりらしいわよ? ――――ま、それ以前に、実際こうして見ちまえば、誰だって分かることだわねぇ」

「はあ……」

 呆れたような顔をする四ッ谷のおばちゃんと、何だか腑に落ちないといった微妙な顔色を浮かべる一真。

 そうしていると、四ッ谷のおばちゃんは「ま、それはそれで別に良いんじゃないかね?」と、声音をいつもの明るい色に切り替えて言い、

「アンタたち二人に任せときゃあ、カズマもよっぽど大丈夫だと思うよ。何、この四ッ谷様が太鼓判押したげっから!」

 なんて風に言い、恰幅の良い腹をボンッと自分で叩いてみせるような仕草まで見せるものだから、瀬那もエマも、そして一真すらも思わず表情を綻ばせてしまう。

「……おっとっと、仕事よね仕事。自分の仕事忘れてちゃ世話無いわ。

 ――――それじゃ、三人分ね。すぐ持ってくるから、チョイとだけ待ってなよ!」

 その後で、四ッ谷のおばちゃんはいい加減カウンター周りの混み具合が大きくなっているのを見ると。そんなことを三人に言い残し、三人分の食券を持って慌ててカウンターの奥へと引っ込んでいった。

「……相変わらず、元気の有り余る人だ」

 ドタドタと小走りで引っ込んでいく四ッ谷のおばちゃんの背中を見送りながら、一真がそんなことをひとりごちる。

「まあでも、元気は貰えるよね?」

 すると、そんな一真に向かってエマがそう言い返し。ともすれば瀬那も「うむ」と頷いて、

「四ッ谷殿は、ああだからこそいのだ。ああいう者こそ、ひょっとすれば平和の象徴たり得るのやもしれぬな」

 腕を組みながら、同じく四ッ谷のおばちゃんの背中を遠くに眺めつつそう、感嘆とした風に独りでうんうんと頷く。

「ま、かもな…………」

 そんな風に二人に言われてしまえば、一真も小さく肩を竦めながら、そうやって頷いてみせる。

 それから四ッ谷のおばちゃんが三人分の盆を持って一真たちの方に戻ってくるのは、本当にすぐのことで。正に超特急といった具合で駆けてくる四ッ谷のおばちゃんの「はいはい、お待ちどう!」の声が、今日も変わらず、この平和な食堂棟いっぱいに木霊した。

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