Int.62:ファースト・ブラッド/虚無の大地、血に染まるは空虚の戦場
「にしても、静かなもんですね」
吉川ジャンクションの上空を回転翼で切り裂きながら飛ぶ森林迷彩塗装の小さな機影、国防陸軍OH-1"ニンジャ"偵察ヘリコプターのコクピットでは、後席に座る観測手がそう、前席のパイロットに向かって他愛のないことを話しかけていた。
「後方の遊撃任務だ。大体、いつもこんなんだろ」
すると、前席のパイロット――――秋山という彼が、後席の観測手・古橋の言葉に冷静な声音でそう言い返す。
「ですかねえ」
「そうだ」
分厚い防弾ガラスのキャノピー越しにも聞こえるやかましいメイン・ローターの回転音を背景に、秋山と古橋の間でそんな短い言葉が交わされる。
「……それにしても、遊撃に訓練小隊が駆り出されるとは」
「仕方ないさ」小さな憂いを入り交じらせた古橋のぼやきに、秋山が悟ったような低い声で言い返す。
「こんなご時世だ。それに、今は時期も時期だ。ただでさえ人手が足りない現状、重要性の低い後方遊撃に訓練生が駆り出されるのは、仕方ないっちゃ仕方ないことだ」
「でも、あの子らはまだ――――」
「言うな」
古橋が言い掛けた言葉を、秋山は低く、そして圧のある短い一言で制す。紡ぎ掛けた言葉を途中でせき止められた古橋は喉を鳴らし苦い顔を浮かべるが、しかしそれ以上を紡ごうとはしない。
「……軍人を目指す以上、いつかはこうなる
「…………」
古橋は、何も言い返せなかった。秋山の言葉の奥に、噛み締めるような苦々しさが垣間見えてしまったから、古橋は何ひとつ、その言葉に返すことが出来なかったのだ。
――――秋山とて、抱く気持ちは同じなのだ。
「…………俺たちが、少しでも手伝ってやらにゃなりませんね」
「そういうことだ」
絞り出すような声音で呟いた古橋に、秋山が低く頷く。
武装を持たないOH-1偵察ヘリでも、彼らに対してしてやれることはあるはずだ。直接の火力支援は出来ずとも、自分たちにやれることはある。
それを信じながら、古橋はコクピットの中で前傾姿勢になり、計器盤に埋め込まれた液晶のマルチファンクション・ディスプレイ(MFD)を注視する。そこに表示されているのは、丁度後席の真上に据えられた可動式索敵サイトから得られる観測情報だ。
「……ヴァイパー、こちらスカウト1。敵集団を目視した。送れ」
古橋がヘルメットから伸びるマイクに向けてそう呼びかけると、数秒後にA-311小隊
『スカウト1へヴァイパーズ・ネスト、数を報告してください。……送れ』
「ヴァイパーズ・ネスト、敵の数はおよそ一三〇。繰り返す、敵の数はおよそ一三〇。大半はソルジャー及びグラップルだが、少数ながらアーチャーとハーミットの姿も確認できる」
淡々とした口調でそう報告する古橋の見るMFDのタッチパネルには、数km離れた西の大地を這い、進軍する幻魔の集団が映し出されていた。
その大半は今古橋が報告した通り、体長2mほどの小型種"ソルジャー"と、8mの中型種"グラップル"であったが、中にはマシーン・ガンのような飛び道具を持つ同中型種の"アーチャー"と、そして六本脚のヤドカリめいた外殻を持つ格好の大型種"ハーミット"の姿も僅かだが見受けられていた。
ドデカいハーミットはさておき、飛び道具を持つアーチャー種はOH-1偵察ヘリにとっても厄介な相手だ。ヘリなど航空兵力にとってのアーチャー種は、要は対空機銃が歩いているようなものと思えばいい。
「アーチャーを確認、こちらは一度距離を取る。敵集団とヴァイパーの接触まで、およそ六〇〇秒と推定」
古橋がマイクに向かってそう告げると、その意を汲み取ったパイロットの秋山は操縦桿を手前に引き、急速に後方へとOH-1を下がらせる。
攻撃手段を持たない偵察ヘリコプターであるOH-1にとって、連中の相手をするだけ命の無駄遣いというものだ。幸いにしてOH-1の索敵サイトは優秀だから、多少距離を離した程度ではまるで問題ない。まして機体上部に付いているから、超低空に姿を隠しながらの観測も容易というわけだ。
「高度を下げる。アーチャーの相手は、ヒヨっ子どもに任せるとしよう」
呟きながらOH-1の機体を動かす秋山の言葉に、古橋は「了解」と短く応じながらも、しかしその双眸は計器盤のMFDから一瞬たりとも目を逸らさない。
『スカウト1、了解しました。スカウト1はジャンクション後方、ホールディング・エリア2に後退し、待機。……送れ』
聞こえてくるCPの声に「了解」と秋山は短く返しながら、地上に展開するA-311小隊よりも前に出ていた機体を下がらせ、吉川ジャンクション付近にノーズを向け、段々と高度を下げていく……。
「…………」
――――その頃、ジャンクションの傍にあるゴルフ場の一角では。
ゴルフ・コースと敷地外とを隔てる森に身を隠すようにして、純白の装甲に身を包む≪閃電≫・タイプFが芝の上に膝を突き、じっと息を潜めていた。
『――――敵集団とヴァイパーの接触まで、およそ六〇〇秒と推定』
上空を飛ぶスカウト1からの報告を聞きながら、一真は知らず知らずの内に息を呑んでいた。
そうしながら、頭の中でもう一度、スカウト1の報告にあった敵の構成を反芻する。
――――敵の大半は、小型のソルジャー種と中型のグラップル種で、それらは取るに足らない。問題はアーチャー種とハーミット種だが、どちらも数としては少ないようで、ひとまずはホッとした。
前衛たる一真たちが真っ先に排除すべきは、やはりアーチャーだろうと一真は考えていた。この構成の中で唯一の飛び道具を持つアイツらを野放しにしておけば、いずれスカウト1が危険に晒される。
そして、目下最大の脅威といえばやはりハーミット種だ。全長15mとドデカい六本脚のヤドカリめいた格好の身体で、茹でた海老のような紅白の外殻は、今の一真機が持つような93式20mm突撃機関砲の砲弾ではとても敵わず、弾かれてしまうことだろう。
勿論、頑張れば排除出来なくはない。だがやはり、ハーミットの処理は後衛連中に任せた方が無難だろうと一真は判断した。特に、白井機が携えていた140mm口径の81式狙撃滑腔砲の威力を以てすれば、幾らハーミットの外殻が硬くとも、一撃で撃ち貫けること間違いない。
そう思えば、前衛たる自分たちがやるべきことは、まず真っ先にアーチャー種の排除。そして、他の小型・中型種を引き寄せつつ、可能な限りそれを殲滅することだ。
裏を返せば、後衛の陣取るポイントまで押されたところで、作戦そのものが瓦解すると言っても良い。敵はその殆どが雑魚ばかりといえ、一三〇を越える物量で攻めてくる中規模集団なのだ。効率的に殲滅していかなければ、とても追いつくわけがない……。
「……何もかも、前衛の頑張り次第ってワケか」
そう思えば、一真は奮い立った。無意識の内に起こる小さな身震いは、武者震いに近い。
だが、緊張していないといえば、多少の恐怖も抱いていないかと訊かれれば、頷かなければ嘘になってしまう。初陣で恐怖を抱かないパイロットなど、誰一人として居ない。
そういう意味で、A-311小隊の面々は一真も含め、割と落ち着いている部類だった。初陣に駆り出された際、錯乱して泣き喚く奴も決して少なくないと聞く。それは特に徴兵された者に顕著だというが、それを思えば一真たちA-311小隊は、徴兵組が居るにも関わらず、随分と落ち着いているように見えた。
『……一真』
一真が独りコクピットで押し黙っていると、唐突に瀬那からそんなプライベート回線での通信が飛び込んで来る。
『……其方も私も、共に生きて帰る。そして、あの話をしよう。私が言い掛けていた、あの話を』
「…………だな」
わざと不敵な笑みを作りながらそう頷いてやれば、瀬那は小さく微笑みながら頷いて。そうして、それっきりでプライベート通信の回線を切ってしまった。
「さて、と……」
そんな瀬那との一瞬のやり取りで、少しは緊張が解れた所で。一真は正面コントロール・パネルのタッチ・パネルに触れ、≪閃電≫・タイプFの兵装状況を確認する。
――――両手マニピュレータには、右手側に93式20mm突撃機関砲を持ち。そして左手には、77式220mm対殻ロケット砲を肩に担ぐ格好で持っていた。これは謂わばTAMS用のロケット砲で、一真機が持つ中では唯一、硬いハーミット種に対し効果的な一撃を放てる兵装だ。一発使い切りなのが欠点だが……。
加えて両腰にはいつもの73式対艦刀を計二本下げていて、そしてサブ・アームを兼ねた背部マウントには右に予備の突撃機関砲を、左には使い慣れた88式75mm突撃散弾砲が、ダブルオー・キャニスター通常散弾カードリッジを装填した状態で懸架されていた。
物凄い重装備だが、しかしこれでも一三〇体の敵に対して追いつくかは、正直言って微妙なところだ。でなければ、作戦地域へ事前に補給モジュールを設置したりなどはしない。それ程までに熾烈な戦いを強いられるのだ、対幻魔戦というものは……。
『……敵と接触まで、残り一八〇秒。全機、マスターアーム・オン』
そうして一真が兵装チェックを終えた所で、膝を突く一真機の左方200mの所で同じように膝を突いた格好で待機していた錦戸の≪極光≫から、冷え切った声色での通信が飛んでくる。ちなみに右方には、200m刻みでステラ機と国崎機の姿もあった。
「ヴァイパー02、了解。マスターアーム・オン」
一真は錦戸の命令を復唱しながら、正面コントロール・パネルから生える兵装安全装置、マスターアーム・スウィッチのトグル式スウィッチを、安全状態のSAFEから解除状態のARMへと指先で弾いた。
すると、コントロール・パネルに表示される各種情報の中に、安全装置が解除されたことを告げる表示が出て、そして網膜投影される情報の右端には"GUN RDY"、左端には"ROCKET RDY"という小さな表示が浮かび上がる。それぞれ、右の突撃機関砲と左のロケット砲が発射可能ということを示していた。
『前衛部隊へヴァイパーズ・ネスト、接敵まで残り六〇秒』
高速道の少し離れた本線上に待機する82式指揮通信車より、部隊の
機体の音感センサーが、文字通り大地を揺らすような地響きを前方に捉えた。一三〇体の敵が進撃してくる、巨大な足音だ。
すぐそこにまで迫るそれを感じれば、自然と身体が震えてくる。それは他の皆も同じようで、ステラは唇の端を小さく噛み、国崎は小刻みに震える手で、フレームレスの眼鏡をクイッと上に上げていた。
『……大丈夫、僕たちでフォローする』
そうしていると、エマの声がデータリンク通信で飛び込んで来る。ここに来ても尚平静を保っている辺り、流石は欧州連合のエース・パイロットというわけだ。
そんな彼女や、それに瀬那も共に中衛遊撃として背中に付いていてくれるのだから、安心出来ないワケがない。だからこそかもしれない、一真がこの程度の緊張具合で済んでいるのは……。
『接敵、三〇秒前』
『中衛遊撃の皆さんは、散開を。前衛の砲撃開始と共に、援護射撃を開始してください』
美弥の報告から間髪入れずにそう告げた錦戸の言葉に、『ヴァイパー05、了解』とエマが、『ヴァイパー03、承知した』と瀬那が頷き、そして最後に『ヴァイパー10、了解しました』と美桜が、普段のおっとりした色を捨て去って淡々とした声音で頷く。
それを皮切りに、略地図内に表示されていた"VPR-03"、"VPR-05"、"VPR-10"と表示される光点が、エマ機を示す05を中心にそれぞれ前衛部隊を後ろから大きく扇状に囲むように散らばっていくのが、一真にも見えていた。
『――――前衛部隊、接敵十秒前』
『……分かりました』
美弥の報告に錦戸は小さく頷くと、
『――前衛各機、起立。射撃規制を解除、
――――全機、砲撃開始!』
珍しく
「ヴァイパー02、
一真も叫び、そして操縦桿のトリガーを引き絞る。視界の中、シームレス・モニタに映る景色と重なるターゲット・スコープの向こう側より迫り来る、無数の物言わぬ侵略者に向け、20mm砲弾の雨を叩き込む。
(そうだ、ここで死ぬわけにゃいかねえ……!)
チェーンが激しく回り、次々と20mmカートリッジが撃発されれば、足元には大量の空薬莢が吐き出される。マズル・フラッシュの激しく瞬く砲口の先に敵の姿を見据えながら、いつの間にか一真は知らず知らずの内に雄叫びを上げていた。
「ああ、こんなところで――――」
こんなところで、死ぬワケにゃいかねえんだ――――ッ!!
雄叫びと共に、20mm砲弾の雨が暴力的な勢いで吐き出されていく。数百mの向こうで次々と血煙が上がるのをシームレス・モニタの中に見据えながら、一真は叫ぶ。
「この命! 俺たちの命を――――そう簡単に、テメェらに渡してやるものかよォォォッ!!!」
その雄叫びに呼応するかのように、一真の駆る純白の≪閃電≫・タイプFの紅い双眸が、ギラリと光り唸りを上げていた。
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