Int.21:楽園、それは脆く儚き夢想の地
そして、迎えた月曜日。やはり準決勝を勝ち抜いたエマ・アジャーニとの決戦の舞台・クラス対抗TAMS武闘大会の決勝戦を土曜に控えた週が始まったこの日の昼休みに、一真は座学を終えて出て行こうとしていた西條をなんとか捕まえ、やはりいつもの校舎二階・談話室に通されていた。
「ほれ」
いつの間にか用意したらしい珈琲の注がれたカップを自分の前のテーブルに出され、一真は「あっ、すんません」と恐縮する。
「構わんよ。インスタントで悪いがね」
そう言いながら、自分の分のカップも置いた西條が対面のソファに深く腰を落とす。それから相も変わらず白衣の胸ポケットから取り出したマールボロ・ライトの煙草を咥え始めるが、一真もいい加減慣れたのか今更気にもしない。
「…………それで? 私に用があるんだろう。君が何を私に訊きに来たのかは、大体分かってるがね」
自前のジッポーで煙草に火を付けながら、西條が言う。カシャン、と閉じられるジッポーの蓋が小気味の良い音を立てた頃、一真もまた口を開いた。
「――――"
一真がその単語を口にすれば、やはりか、といった風に西條は小さく紫煙混じりの溜息をついた。仄かに漂うマールボロ・ライトの香りが、一真の鼻腔をもくすぐる。
「瀬那の方から、概ねのことは既に聞き及んでいる。……遂に、これを君に話す時が来たってコトか」
「教えてください、教官。何なんです? その"
まあ、慌てなさんな――――。
西條は一度口から離した煙草を灰皿の上でトントン、と指で軽く弾き、灰を落とす。その煙草を再び口に咥え直すと、西條はいつもの冷静極まりない顔のまま、言葉を紡ぎ始めた。
「"
「えっ?」
意味が分からず、一真が訊き返す。すると西條もその反応は元より織り込み済みだったらしく、特に何を言うこともなく、話を続けた。
「そもそも、幻魔が寒さに滅法弱いってのは、前に座学で君らに教えた通りだ」
「ええ」
人類の敵――――今も尚、種の存亡を懸けた絶滅戦争を戦い続ける地球外起源の不明生命体・幻魔。無尽蔵かと思える程に湧いてくる彼らも寒さにだけは何故かやたらと弱いことは、今や殆ど常識の範囲内と言っていい。
その為、幻魔には冬の期間に休眠期に入る習性がある。具体的な気温や、そもそも寒さに弱い理由などは未だに分かっていないものの、基本的に冬の時期には活動を休止するというのが専らだ。またその為に北極やシベリアの永久凍土など、極寒の地では活動、及び生存が不可能とされている。これに関しては実際に捕獲した幻魔の個体をサンプルとして当該地域に晒した結果、すぐに死亡したという記録も存在している。
「端的に言ってしまうとね、弥勒寺。その"
「……それはまあ、なんとも無茶苦茶な話ですね」
困惑する一真の言葉に、しかし西條は「そうでもないさ」と意外な言葉を返す。
「単純に考えれば、理に適っている話だ。それこそ北極か南極にコロニーを作ってしまえば、そもそも幻魔と戦う必要もなくなるからね」
「でも、幾ら減ったといえ人類の数は相当な量ですよ? それを全部移住させるなんて――――」
「待ちたまえ、弥勒寺。――――誰が、人類全てを移住させるだなんて言った?」
「えっ……?」
――――どういう、ことだ?
「簡単なことさ」
そんな一真の思考を読んだかのように、フッと小さく笑った西條が言う。
「選別した連中だけを、人類の未来を託すに値するだけの人間だけを、人類最後の楽園たる極地のコロニーに移住させる。それが奴ら"
――――"
「"プロジェクト・エデン"……」
そんな、そんなこと。そんなこと、許されていいのか――――?
「で、では……残った人間は」
「皆、それまでの時間稼ぎとして使われる。生き残ることを許された者たちが住むコロニーが出来上がるまでの、時間稼ぎとしてね」
「そんな……ッ!!」
無茶苦茶な話だ。荒唐無稽にも程がある。下手なジョークだって、もう少しマシなことを言うだろう。
しかし――――こちらを、一真の顔をじっと見据える西條の冷たい双眸が、それが紛れもない事実であることを物語っていた。
「ちなみに、"プロジェクト・エデン"の最終目標は極地への移住じゃない。それはあくまでも手段だ、一時凌ぎの為の」
「どういう、ことですか」
恐る恐るといった風に一真が訊く。すると西條は短くなった煙草を灰皿に押し付けて、
「プロジェクトの真の最終目標は――――外惑星への移住だ」
と、さも当然のように言い放った。
「……へっ?」
冗談か? 冗談にしてはセンスがなさ過ぎる。
しかし、やはり西條の瞳はそれが事実であることを暗黙の内に示す。ならば一真は「……悪い冗談だ」とひとりごち、大きく溜息をつくことしかできない。
「幻魔に蹂躙され尽くした地球を放棄し、新たなフロンティアたり得る星を目指して宇宙船で旅に出る。どうだ? 無限に広がる大宇宙への
ははは、なんて笑いながら言う西條に、「どこがですか」と至極参ったように一真が言い返す。
「無論、私はこんなことを容認できない。一応国連内で正式な計画として水面下で動いてはいるが、こんな荒唐無稽なプランだ。当たり前だが、未だ少数派に留まっている。
当然だろう? 生まれ育ったこの星を捨てろだなんて、普通に考えて納得出来る話じゃない。戦わずして負けを認めるだなんて、受け入れられるワケがなかろう」
「でも……それじゃあ、なんでその連中が瀬那を?」
それを一真が訊けば、西條は少し押し黙った。本当に言っていいものか悩んでいるのは、少し影を落とした彼女の表情から何となく察せる。
「奴らにとって、瀬那が…………いいや、瀬那の家が邪魔なんだ」
「瀬那の、家が?」
「ああ」西條が頷く。「瀬那の詳しい家庭事情は、まだ聞いてないんだろ?」
その問いに一真が小さく頷いて肯定すれば、西條は「なら」と言って、
「その辺りには、敢えて触れずに説明させて貰おうか。その辺りは瀬那から直接訊いてくれ。私が言って良いことじゃない。
――――瀬那の家は、この国に於いてもそれなりに影響力がある立場だ。ボカした言い方で申し訳ないが、そんな程度に思っていてくれればいい。その瀬那の親父さんがプロジェクト反対派のドンで、そのの意向があるからこそ、この国も反対派寄りの立ち位置を保っていられる」
「……つまり、瀬那の親父さんが折れてしまえば」
「その通りだ。国内の賛成派が一気に勢いを増すことになる。その程度の政治工作は、瀬那パパの影響力さえ無くなってしまえば、今よりもっと容易い」
もう、頭がパンクしそうだった。馬鹿みたいにスケールのデカい話が一気に降り被さってきて、一真の頭は今にも爆発しそうなぐらいだ。
しかし、それでも必死に理解しようと努める。自分は理解する必要がある、しなければならない。敢えてそれを打ち明けた瀬那の礼に応じる為にも、自分はこれを頭に留め、理解しなければならないのだ。
「……正直、私は"プロジェクト・エデン"が成功するとは思えない。そもそも幻魔は外から来た連中だから、折角移住してもまた襲いかかってくる可能性だって十二分にあり得る話だ。万が一にでもそうなってしまえば、今度こそ人類は終わりだ」
「幻魔に対しての人類は二者択一、文字通りのデッド・オア・アライヴってコトですか……」
「その通りだ」西條が相槌を打つ。「どのみち、幻魔を無視することは出来ない。"
「……俺は、嫌ですよ。戦わずに、ここを捨てるなんて」
「私もだ」
本音を吐き出すみたいに絞り出す声で一真が呟けば、ニッと小さく笑みを浮かべた西條がそう言う。
「君がそう言ってくれて心底ホッとしたよ、弥勒寺。これで漸く、私も安心して瀬那を君に任せられる」
「えっ……?」
なんのことを言っているのかまるで分からない一真が頭の上に疑問符を浮かべていれば、西條は何かを机の上から引っ張り出し、それをゴトッとテーブルの上に置いた。
「これを、君に託す」
テーブルの上を滑らせ、一真の前にもたらされたソイツは――――拳銃だった。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ教官。これは……」
カイデックス樹脂の腰用ヒップ・ホルスターに差されたそれは、紛れもなく自動拳銃だった。一真もステラとのトレーニングですっかり使い慣れた国防軍のグロック17――――の、コンパクト・モデルであるグロック19にそれは相違ない。
「ステラから熱心に扱いを教えて貰ってるんだろ? なら、そろそろ渡して置いても良いかと思ってね」
「でも、こんな物、俺には……」
「どのみち、いずれは渡すつもりだったんだ。安心したまえ。弾代も、万が一ブッ放す羽目になった際の事後処理も。その辺りの細かいことは私が上手いことやっておくから」
言いながら、西條は咥えた新しいマールボロ・ライトの煙草に火を付けた。ふぅ、と大きく息をつけば、白い紫煙が天井に向かって霧散していく。
「この間君らが遭遇したようなことは、恐らく今後も十二分に起こり得る。
だから、頼む弥勒寺。――――そうなった時にアイツを、瀬那を護ってくれ」
「しかし……」
一真は、迷っていた。本当にこれを受け取って良いのか、自分にこれを受け取るだけの価値があるのか、分からなかったからだ。
「瀬那は強い、並みの人間じゃあ敵わないぐらいに。だが、それでも独りでは限界がある。常に瀬那の傍に居る弥勒寺なら、アイツを護ってやれる。
――――すまない、身勝手なことを言っているのは承知だ。だが現状、霧香以外で一番信頼でき、頼れるのは弥勒寺、お前しか居ないんだ」
「…………」
――――どうすればいいのかなんて、分からない。
分からないが、しかし瀬那の力になりたいという想いだけは、分かっていた。ならば、目の前に少しでも彼女の力になる手段があるのなら。
(俺は――――ソイツを手に入れる)
意を決し、一真はテーブルの上に置かれたソイツを手に取った。親指でホルスターのロックを解除し引き抜いたそれは、紛れもないグロック19自動拳銃。9mmパラベラムのジャケッテッド・ホロー・ポイント弾がフルに装填された、人を殺す為の無骨すぎるツールだ。
だが、既に覚悟は決まっていた。誰かを殺すことに精神的な抵抗は初めからアリはしない。それが誰かを、まして瀬那を護る為とあらば、尚更だ。
「…………済まないな、弥勒寺。迷惑を掛ける」
「いえ」手の中のグロックをホルスターに差し戻しながら、一真が言った。「どのみち、次があれば素手でも戦ってやるつもりでしたから」
「フッ、そうか……」
そう言えば、西條は小さく笑う。そんな西條の顔を見ながら一真が啜った珈琲は、すっかり冷めてしまっていた。
("
それが、瀬那の害となるのなら――――。
(――――俺は、迷わずそれを叩き壊す)
テーブルの下で、いつの間にか一真は無意識の内にその拳を硬く握り締めていた。
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