Int.10:二人目の来訪者、巴里より愛を込めて⑤
『――――よし、今日はここまでだ。出てこい、弥勒寺』
放課後になっていつものように地下のシミュレータ・ルームに籠もっていた一真は、オペレータ席の西條からそう告げられると、シミュレータがスタンバイ位置に戻り次第解放された上部の乗降ハッチから這い出し、シミュレータの上から乗降用キャット・ウォークへと飛び降りた。
「いい加減タイプFは身体に染みついてきたようだな、弥勒寺」
「はい」いつの間にか近くに寄ってきていた西條にそう言われ、頷く一真。「あれだけ回数重ねてりゃ、誰だってそうなりますよ」
「はっはっは。だが"ヴァリアブル・ブラスト"の使い所がまだ今ひとつといったところだな」
「そうなんですか?」
「そうだ」西條が肯定する。
「そもそも"ヴァリアブル・ブラスト"は一対多の超至近距離に於ける格闘戦の為に、この私が考案した機構だ。アレ本来の意味は、前にも説明したな?」
「ええと……『威力増幅と柔軟な対応性を与え、更に関節の損耗を軽減し継戦能力を異次元レベルに引き上げる』でしたっけ」
「概ね、その通りだ」
うんうん、と満足げに頷きながら、西條はキャット・ウォークの高い手すりに背中を預けた。白衣の胸ポケットからマールボロ・ライトの煙草を取り出し吸い始めるのは、まあいつものことだから一真もイチイチ気に止めない。
「だが弥勒寺、お前の場合は今のところ最初の一つしか使えていない。この意味、分かるな?」
「はあ……」
あまり分かっていなさそうな素振りで一真が頷けば、西條は紫煙混じりの溜息を小さくついて、
「お前の場合、単純に斬撃の威力増強装置としか未だに捉えられていないんだ。いや、乗り始めてからの期間を考えれば十分すぎるのかもしれんがね。
――――だが、"ヴァリアブル・ブラスト"の真の目的はあくまでも柔軟性と戦闘継続能力だ。威力がデカくなるのは、その副産物でしかない」
「かといって教官、実際問題そんな、人工筋肉パッケージが戦闘中に駄目になるようなことってあるんですか?」
疑り深い様子で一真が訊けば、しかし西條はあっけないほどにあっさりと「ある」なんて風に即答した。
「激しい格闘戦を繰り返せば、人工筋肉パッケージはお前が思うよりずっと激しい負荷を受ける。ただでさえ過酷な動きが多い戦闘状態だから、戦闘中に駄目になることは稀でも、一度後ろに交代してからパッケージが死ぬことは往々にして起きうることだ。現に私だって、何度もそれは経験してる」
「じゃあ、パッケージを交換すれば済む話じゃないっすか」
と一真が返したところで、彼の頭頂部にポカンと西條の軽い拳骨が降ってきた。
「痛ってえ!?」
「馬鹿者が。お前はメンテの手間を知らんからそんなことが言えるんだ。確かにパッケージの交換は簡便なように気を遣って設計されているよ。ただし、きちんとした設備が整っている中ではな」
「じゃあ、設備がないと……?」
「そういうことだ」西條が頷いた。
「お前たちが演習場に向かうのに使う73式輸送トレーラー、アレがそのまま現地での整備デッキになるんだ。いや、トレーラーが無く、しゃがませて露天駐機で整備することだって多々ある。そんな中でだ弥勒寺、あんなクソ重いパッケージを交換できると思うか?」
「やって、出来ないことは」
「そうだ、やって出来んことはない。……だが、あまりするべきではない。交換と微調整に掛かる手間と時間を考えれば、それだけ一機辺りの前線復帰までのタイム・ロスが大きくなる」
「その為の、"ヴァリアブル・ブラスト"?」
西條は「そういうことだ」と言って、短くなった煙草を自前の携帯灰皿に放り込んだ。
「無論、アレがなければないでそのように戦えばいい、決して悪いことじゃない。――――だがある以上は、使うに越したことないだろ? 補助スラスタ用の推進剤が少々減りやすくなるだけで人工筋肉パッケージの損耗が抑えられるのなら、その方が良いに決まってる」
「格闘戦ってのは、意外に難しいんですね」
「だからこそ、他の連中はそこまで力を入れてないんだろうな。欧州連合軍が珍しいというだけだ。世界的に見れば、ここまで積極的な近接格闘戦を行う軍は他に在りはしないよ」
「土地柄、って奴ですか」
そんな一真の言葉に西條は頷きながら、もう一本の新しい煙草に火を付ける。
「山だらけで起伏が多く、市街地は密集し狭く見通しが悪い。大規模砲撃戦を行えるような平原なんて、本当にあるのかも定かじゃない。そんな国土で効率よく戦う為に、我々の近接格闘戦術は成り立つべくして成り立ったと言うべきだろうね」
としていれば、コツコツとこちらに近づいてくる足音が二人の耳に届いてくる。西條はフッと小さく笑うと「ほら、痺れを切らしてお迎えが来たよ」と言って、煙草を吹かしたまま一真のパイロット・スーツに包まれた背中をドン、と押した。
「おっと、すっかり忘れてた……。――――じゃあ教官、今日もありがとうございました。俺はこれで失礼します」
「おう、さっさと行くがいい。じゃじゃ馬姫を待たせると、蹴られて地獄に落ちてしまうよ?」
「ははは……笑えないっすよ、それ。じゃあ俺はこれで」
最後に一真は小さく苦笑いして言うと、シミュレータ・ルームの入り口に立ち、少し苛立った眼差しをこちらに向けてきていた迎えの彼女――――ステラ・レーヴェンスの方へと駆けていった。
西條は「遅い!」なんて具合にステラに怒られている一真の背中を、煙草を吹かしながらニヤニヤと眺める。眺めながら、ふと何気なく独り言を呟いた。
「次の相手は……エマ・アジャーニは一筋縄じゃ行かない相手だ。はてさて弥勒寺よ、お前はアイツに勝てるのかね……?」
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