Int.58:エピローグ/白と紅蓮、ぶつけ合う拳の先に

 制服のブレザー・ジャケットの袖に腕を通さず、肩に掛けた一真は左側を瀬那に支えられながら、士官学校校舎の廊下を歩いていた。まだふらつく足元を、左腕を掴む瀬那がなんとか支えてくれている。

「おや? 一真、彼奴あやつは……」

「……ああ、分かってる」

 瀬那と一緒になって、廊下のド真ん中で立ち止まる一真。その視線の先には――――。

「…………あら、気が付いたのね」

 同じように廊下のド真ん中へ仁王立ちする少女の、燃えるようなツーサイド・アップの紅い髪を揺らすその少女の――――ステラ・レーヴェンスの姿があった。

 紅い前髪の下に覗く金の双眸が、ズタボロな一真の姿をじっと見据えてくる。その格好は流石に先程までの米軍M5A2パイロット・スーツではなく、やはり瀬那と同じように士官学校の制服に着替えていた。

「…………」

 暫く無言のまま、一真とステラは互いの視線を交錯し合い、睨み合っていた。今にも喧嘩がおっ始まりそうなぐらいに張り詰めたその空気感に、一真に寄り添う瀬那でさえ小さく息を呑む。

「……カズマ、だったっけ」

 そして、先に口を開いたのは意外にもステラの方だった。

「ああ、弥勒寺一真――――。確かにお前の胸に刻みつけたはずだぜ、ステラ・レーヴェンス」

「ええ、刻んだ。嫌になるぐらい深く、深くね」

 コツ、コツとリノリュームの床を上靴の底で叩き、歩み寄り距離を詰めてくるステラ。何かしでかすんじゃないかと思った瀬那が一瞬身構えかけたが、しかし一真がそれを横目に流す視線だけで制す。

「私は、アンタが嫌いよ」

「奇遇だな、俺もお前が嫌いだ」

「でも、アンタの一撃は完璧にキマってた」

「お前の一発も、随分効いたぜ」

「だから、認めてあげるわカズマ」

「ああ。俺も認めてやるぜ、ステラ」

「アンタは」

「お前は」

「「――――シビれるぐらいに、強かった」」

 一真の突き出した右の拳と、ステラの突き出した右の拳とがぶつかり合う。そこに遺恨は無く、馬鹿馬鹿しくなるぐらいの清々しさすらもがあった。

(杞憂、であったか)

 そんな二人の横顔を間近で眺めながら、瀬那は小さく胸をなで下ろす。雨降って地固まる……ではないが、どうやらあの激闘を経て、二人は言葉を交わさずして和解の糸口を見つけたらしい。

(似たもの同士、ということであるな)

 拳をぶつけ合った二人を眺めていると、思わず瀬那も頬を綻ばせてしまう。性別も人種も関係ない、ただ全力の拳をぶつけ合った者同士にしか分からない、確かなモノ――――それを、どうやら二人は見出したようだ。

「カズマ、約束覚えてるかしら」

「約束?」

「とぼけんじゃないわよ。この戦いに勝った方が、負けた方になんでも言うことを聞かせられるって奴。

 ――――悔しいけれど、アタシは敗者。勝者たるアンタにこそ、私に命じる権利がある」

「要らねえよ、そんなもん」

 ステラの言葉を、至極面倒くさそうな顔で一真は一蹴した。「元々、そんなつもり無かったしな」

「無くてもいい、何か命じなさい。でないと、アタシのプライドが許さないわ」

 圧迫感すら抱かせるようなステラの睨み付ける鋭い眼光に、一真はあからさまに辟易したような顔色ではぁ、と大きく溜息をつく。

「本当に、何でも訊くんだな?」

「ええ、このステラ・レーヴェンス様に二言はない……――――って、ままままさかアンタっ! こっ、この私にっ! いっ、いかがわしいことをさせるつもりなワケっ!?」

 謎の超解釈でいきなり顔を真っ赤にしながら口走り始めるステラに、「なんでそうなるんだよ!」と一真は思わずツッコんでしまう。

「……ほう? 一真よ、其方もしや最初からそれが狙いで……」

「違うって言ってんだろ!? 瀬那まで冗談止してくれよ……ったく、あーもう! ペース狂うなあ、ホントに!」

 そんなステラの珍妙すぎる妄言を何故か瀬那まで真面目に受け取ってしまい、じぃっとキツい視線を向けてくるものだから、一真は参ったように右手で額を押さえる。

「あ、あああアンタ! い、幾ら勝者の特権だからってそんな……! っ、でも負けは負け、従わなきゃいけないわよね、そうだわよね……」

 今度は何故か声を小さくしながらステラが俯き始めたので、それこそ横の瀬那がマジに受け取り「其方という奴は……! そこに直れい! この私が直々に成敗してくれるわ」なんて言い出す始末。

「だーかーらー! 違うって言ってんだろ! お前らの耳は節穴か!? さもなきゃ何だ、壊れてんのか!?」

 とにかく強引にでもこの妙な事態を収拾しようとひとしきり叫んだ後で、一真ははぁ、とまた大きく溜息をついてからステラの方に向き直る。

「ンなこと言わねえっつの、ったく……。俺が言いたいのはな、ステラ! ――――お互い、もういっぺん最初からやり直そうぜ、ってことだ」

「さ、最初から……? どういうことよ、一体」

 一真の言葉の意味が分からず、真面目に困った顔のステラが訊き返してきた。それに一真は「簡単な話だ」と言って、

「俺もお前も、お互いが嫌いだ。――――だが、それも一旦今日でチャラ。あんだけ派手な喧嘩した後だ、関係やり直したってバチは当たらねえ、そうだろ?」

「ま、まあ? 別にそれならそれで、全然構わないんだけれど……。いいの?」

 何故か顔を逸らしながら言うステラに「良いも何もないだろ」と疲れた顔で一真が言い返す。

「い、良いなら良いの! そ、その、アンタってよく見たらいい男だし、強いし。それに、初めてアタシを真っ正面から打ち負かしたんだし……」

 段々と声が小さくボソボソとなっていってしまった為、後半の方はまるで一真の耳には届いちゃいない。だから頬をカァッと赤く染めながら俯くステラの反応が、イマイチ腑に落ちていなかった。

「とっ、とにかく! ――――いいわ、これでお互い遺恨はゼロ! 勝者も敗者も関係なし! 一からやり直すってことで、いいわね!?」

「ああ」ニィッと不敵に笑いながら、一真は頷いた。「俺とお前は何でもねえ、ただの喧嘩仲間だ。そうだろ?」

 そして、再び一真が右の握り拳を突き出す。フッとまた小さく笑ったステラもその礼に応じ、右手を硬く握り締めた。

「俺は、お前が嫌いだった」

「アタシも、アンタが嫌いだった」

「だが、今は――――」

「けど、今は――――」

「「――――ただの、喧嘩仲間だ」」

 ガツン、と確かな衝撃を以て、二人の拳が真っ正面からぶつかり合う。一真の横顔も、そしてステラの横顔でさえも清々しく。傍で眺める瀬那の眼から見ても、二人の間にもう遺恨は何ら残っておらず。ただ二人の喧嘩仲間が、互いの健闘を称え拳をぶつけ合っているだけだった。

(ホント、いい男で罪造りな男。たまんないわね、思わず惚れちゃいそうになるぐらい)

 ステラは真っ正面に見据えた一真の顔から目を離さないまま、胸の奥底でひとりごちる。しかしそれを口には出すことなく、独り胸の奥にしまい込んだ。

 西の彼方に沈みゆく夕日と、茜色に染め上がる雲一つ無い男晴れの空。ぶつかり合う二人の拳は、幾千の言葉よりも重い魂の激突。戦いの中で理解し逢った二人の喧嘩仲間、その象徴のように夕焼け空に照らされていた――――。





(第一章、完)

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