第8章 催命符

第48話 禁曲

 そして、ついに一行は瑞慶府の管轄内に入った。街道の延びゆく先、おぼろに霞む瑞慶府ときらめく蔡河の流れが見えてきたときには、さすがの宝余も胸が迫るものがあった。


 しかし府に近づいてみると、南城の南西に位置する達黎門たつれいもんは厳重に封鎖され、その前には城内に入れない民草が大勢集まっていた。みなこもごも城門を指し、文句を延々と垂れ流して門を固める兵士に威嚇されている。


「全く冗談じゃないよ、いくらお上の御命令とはいえ、もう二日もこの有様じゃないか。いい加減開けて欲しいものだよねえ」

「そうだそうだ、俺たちここに足止めで、これじゃあ日干しになっちまうよ」

「でもこの城門だけじゃないんだよ。何たって蔡河も禁足なもので、たとえ中に入れても北城に行くこともできないんだからさ、ひどいもんだ」


 忠賢達は割り込むように人々の中に入って行った。「芸人ずれが割り込むな、邪魔だ」という目を向けられるや否や、班の小者の鯨郎げいろうが声を張り上げる。


「――さてさて、ここで待ちくたびれた皆様。我等もここで皆様の後につき、一緒に待ちくたびれまするが――どうせ待ちくたびれるならば、せめて我等の芸をご覧になっては?」

「おやおや商売上手だね、ただでさえこの閉門騒ぎでおあしが出ていくばかりだというのに、このうえ木戸銭なんか払っていられるかい」


 野次が沸騰する前に藍芝らんしが後を引き取り、女形の衣装は着ていないものの扇をかざしてしなを作れば、あっという間に場の空気を自分の色彩に染め上げる。

「まさかまさか、皆様から髪の毛一筋たりとて取れましょうか。ただただ無聊ぶりょうをお慰めするために、私の拙い舞と歌などご覧あそばして」

 そこで居合わせた民からは、わあっと歓声が上がる。ただで芸を見られるなどとあって、あっという間に人垣ができる。

「外題は?外題は?」

 人々の囃し声にこたえて忠賢が「天朝揺籃てんちょうようらん」と呼ばわると、歓声がどよめきに代わる。


 「天朝揺籃」とは古い華劇だが、のちに諸国で国劇としても仕立て直され、天朝の幼帝を操り権勢を恣にする悪辣な宰相が、やがて天誅を受けるという筋立てであった。しかし天朝の御政道に対し強く風刺を加えているとの理由で「禁曲」とされ、天朝でも諸国でも演じることが固く禁じられている。宝余もその名だけは知っていたが、観るのは初めてだった。


 ――このような曲をかけて、大丈夫かしら。

 宝余は不安気に忠賢を見やったが、彼はといえば涼しい顔をしている。

 大班主の旗のもとではいかなる曲も演じられる――その御法を利用して、大班主の身分と旗を隠したうえでわざと禁曲を演じてみせる。ほどなく班は捕らえられ、取り調べのため北城の瑞慶府治に連行されるだろうから、そのときに蔡河を渡る。北に渡ってから弦朗君と大班主の正体を明かし、釈放を勝ち取る。何しろ弦朗君はもと瑞慶府尹であったし、彼が忠賢にしてやった説明によれば、幸いなことに現任の瑞慶府尹も紫霞党の一員だという。ということは、とりあえず瑞慶府治に転がり込めば何とかなる。忠賢が立てたのは、そういう作戦だった。


 みなみな等しく天子様の玉座を仰ぎ見よ

 いと高き御位に登られるは

 一天いってん万乗ばんじょうの君におわす

 孔雀の天蓋てんがい黄金きん瓔珞ようらく

 象牙の椅子に珊瑚のあしだい


 この曲が禁曲とされながらも、多くの民が名だけでも知っているのは、この曲は主筋のほか脇筋に、民を苛む官吏が手痛いしっぺ返しを食らうという話がいくつも盛り込まれており、国を問わず苛斂誅求かれんちゅうきゅうの憂き目にあう者達は、密かに演じられるこの曲を観て溜飲を下げるからである。


 芝居は進み、藍芝の扮する皇姉こうし紫雲公主しうんこうしゅが、旋一演じる悪役の宰相を追い詰めていく終盤では、二人の俳優が丁々発止のやり取りをし、互いに見えを切るたびにやんやの喝采を浴びる。宝余も気がかりではあるけれどもやはり見入ってしまう。


 そこへ、

「下賤の者ども、散れっ散れ!」

 いきなり城門の扉が開き、なかから十数騎ばかりが飛び出してくる。歓声は一気に悲鳴に変わり、班は丸ごと騎馬の兵に取り囲まれた。先頭にいる別将べっしょうが忠賢に剣を突き付ける。

「お前たちか、……よりにもよって王のおわすこの御城下で、天朝の御法にて禁じられている曲を演じたな。いい度胸だ。引っ立ててくれようか!」

 民草は、半分は倉皇として走り去り、あとの半分はかたずを飲んで見守っている。

「この班の全員に縄をかけよ!南城より十里外に追放する!」


 別将の言った後半の一節に、忠賢の表情が固まった。どうやら、もっか蔡河の舟の往来はよほどのことでなければ行わず、想像よりも封鎖が厳重らしい。どうも、話は彼の考えとは見込み違いの方向に転がり出したと見える。単に南城からの追放では骨折り損のくたびれもうけで、意味がないのだ。宝余はちらりと荷担ぎに化けた弦朗君と視線を交わした。彼はいつの間にか、一番目立たない場所に後退している。


「お待ちなされよ!」


 そのとき、鋭い一声が飛んだ。班からやや離れたところにから、老人がこちらを睨みつけていた。彼は旅の間ずっと携えていた蓆を広げてその上に立ち、手には金色の烏の旗竿を持っている。牛黄色の旗は、将兵を威嚇しているかのように翻る。別将はその旗を見てひるんだ。


「それは…その旗の御印は…」

「この旗をご存じないか。天子さまから賜りし御旗ぞ。このむしろをご覧じろ、天子さまの授けたもうた御蓆ぎょせきぞ。大班主のこの旗の下、この蓆の上ではいかなる曲を演じても禁曲とはならぬこと、そしていかなる国の王であろうと通行を妨げてはならぬこと、そのかみ天子さまより我等の祖が承りし永遠の御約定おやくじょう。さあ、囲みを解いて我等を自由にし、北城に渡してもらおうか」。

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