第46話 真相

「そもそも大旗だいきがあなたを冬淋宮に幽閉したのは、貴女の御身をお守りするためでした。後宮の毒殺未遂があったので、王妃さまに危険が及ぼうとしていることをご存じでした。かつ、進善党から王妃讒言の上啓までなされたので、王は一刻の猶予もないとお感じになり、その讒言にかこつけて、無理にでも名分を仕立てて後宮から王妃さまを遠ざけようとなさったのでしょう」

「でも、彼等の手は国君の予想よりもはるかに長かったというわけですね」

「さすがに、あやつ等も旗妃さまを直接手にかけるには躊躇いがあったと見えます。そうでなくとも、そこらに打ち捨てておけばいずれ――と思ったからこその所業でしょう」


 自分を襲ったのは進善党の者だったのか――。だが宝余は事情を理解して気持ちが整理できたというより、むしろより暗い気持ちに捕らわれた。

 後宮にまでたやすく手を伸ばしたということは、内通者は女官だけではない。むしろ、背後にはより大きな存在があるはずだ――宝余はすでに心の底が冷えるかのような気持ちで、その正体の見当はつけていた。


 そして、この非常時だというのに、弦朗君は何やら可笑しそうだった。

「私はもともと民情の視察のため、王命で臨州に赴き、公事宿であなたにたまたまお会いした次第。旗妃さまだとも気づかず、あの後すぐに瑞慶府に戻って復命したのですが、あなたが攫われことはそのとき大旗から直接お伺いしたのです。ふふふ、あれほど取り乱した国君は初めて拝見いたしました。あの、何物にもお心を動かされぬような方が、と」

 宝余は眼を見開いた。

「それほどまでにあの方は?」


 ――では夫のあの冷酷さは、必死で演じていたものだったのだろうか?


「拝見していて、私にはよくわかりましたよ。大旗はあなたのことを、二なく大切に思われているのですね、そして守り切れなかったことを、悔やんでおいでのご様子でした」

「でも、それは――王としての責務をお感じになられたからであって、御心が私のもとにあったからとは限りません」

 宝余は俯いた。


「いいえ。ぜひにもご自身であなたを探しに行かれるおつもりでしたが、むろん風雲急を告げる瑞慶府にあって、国君がそんなことをなされば社稷を傾けかねぬ一大事になります。なので、王妃は病中ということにして、やむを得ず大旗の代わりに数人が密命を受けて捜索することになり、私も遅れてそれに参じました。悪党たちの去った方角を頼りにみちみち探していたのですが、難儀を致しました。何しろ旗妃さまのお顔も存じ上げないわけですから……その前に臨州で同宿したのに、気付かぬありさま、しかも、徐州でこの通りのことに。思えば、宿で言葉を交わしたとき、あなたの烏翠語の訛りに気づいておくべきでした。こんな簡単なことに思い至らぬとは」


「無理もありません、あのとき私はあまりお話ししませんでしたから…。それにしても気になるのは、魏家がかような仕儀に相成ったのも、元をたどれば私が原因ではありませんか」

 宝余は魏兆を思い、すまない気持ちで一杯になったが、弦朗君は首を横に振った。

「いいえ、違うのです。というよりも、むしろ逆なのですよ。そもそも、烏翠に今横たわっている抜きがたい問題は、涼のせいでもなく王妃さまのせいでもなく、はるか以前に、烏翠が自ら解決しておくべきことだったのです。それが遅かったために、王妃までこのようなご苦労をなさるとは…」

「それにしても、私が後宮を長く離れていることは、すでにそこここに漏れてはおりましょうね?」

「旗妃は病中ということにして、海星があなた様になりすまして坤寧殿に籠っていますが……」

「まあ、海星が?気の毒なこと。あんなに働き者なのに、閉じ込められて」

「やむを得ません。それに、大切なのはあくまで『妃が病中ということになっている』ことですからね。進善派も紫霞派もその辺りを突けば火の粉がどう飛ぶかわからぬゆえ、うやむやになっております」


 そこまで聞いて、宝余ははっとした。

「そういえば、ここに来る道々で謀反の噂を聞きました。進善党は本当に国君に弓を引いたのですか?私は後宮にあって、この国の政争のことはほとんどわからないのです」

「それこそお話しすれば長くなりますが――いまに関して言えば、事はまだ起こっていないものの予断は許さぬ状況です。進善党の領袖である曹国良が不穏な動きを見せていると…」

「兵権は王が握っていらっしゃいますか?」

 段々と、二人の会話の調子が早く、切羽詰ってくる。


「今のところは。ただ、禁軍でも他の軍でも、進善党の者達はかなりの数にのぼりますから」

 宝余は考え込んだ。

「差し当たり喫緊きっきんの問題は、あなたが進善党に見つからぬように早く瑞慶府に辿り着き、見聞きしたことを王にお知らせすることですね」

「しかし難しいですよ。瑞慶府の南城までは行けるでしょうが、蔡河を渡って北城へとなると、兵が配置されているでしょうから――」

 話し込んでいるうち、つい声が大きくなっていたらしい。


「何をしている」

 しわがれた声が庭に響き、宝余と弦朗君が振り返ると、そこには大班主と忠賢が立っていた。叱責されると思ったが、忠賢はいつもの無愛想ぶりを若干和らげていた。

「…まず問う前に、礼を言わねばな。宝余、今回はよくやってくれた。班主として礼を言う」

 宝余は微笑んで大班主と班主に一礼し、王妃の幻影を捨ててもとの洗濯女に戻った。


「…してこの方は?」

 弦朗君の正体が明らかにされると、大班主は眉ひとつ動かさなかったが、さすがに忠賢は驚きを隠せなかった。

「――お名前だけはかねがね伺っていましたが、まさか」

 王の従兄は宝余の正体については伏せておくつもりのようで、自分の事情だけを差し支えない範囲で忠賢たちに話した。


「…なるほど、光山さまが瑞慶府に。魏の旦那さまのご縁とあらば、我等もお助けしたいが――ああ、そうだ」

 忠賢は珍しく愉快そうだった。

「大班主の御名と御旗をお借りすればそれも可能かもしれない。大班主、よろしいですか?」

 宝余には忠賢が何をしようとしているのか見当もつかない。大班主も意を通じているのか、珍しく口元をほころばせている。


「大班主は天子様の勅許を賜り、天下の遊芸を統べる身。そして、弦朗君さまと我等を北城へと案内してもらうのだ――烏翠の軍にな」

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