第35話 早馬
三日後、臨州の山々を右手に見ながら進むと、昼近くには開けた土地に出た。遠くに川が、きらきら銀色に光る長い筋となって見えていた。愛姐の言葉通り、夜には明州府で芝居を打つことができそうである。
慣れない長旅で宝余の足は痛みの極限を迎えていたうえ、荷車があるため、上り坂では皆と一緒に後ろから押したり、道の真ん中の大きな石を取り除いたりしなければならなかったが、辛いはずの班の生活も――実際には辛さも飢えも感じられたが――宝余には意外と苦に思わなかった。
もちろん、班においては理不尽な目にもあったし、慣れない生活と仕事は体力と気力を奪い、自分を明らかに厄介者扱いする者も少なからずいたが、
明州府まであと二里というところで、派手な衣装に身を包み鐘と銅鑼を持った先触れが二人、列を離れて駆けだしていった。芝居の一座が来ることを府内に知らせ、客を集めるためである。班はもう府に着いた気になって、かなりの速度を落として歩いていた。
「明州では李常卿さまのお邸にまず行って、次の日には、府の商人達が我等を呼んでくれたので、いつものように市で…」
忠賢が副班主の
「えらいことになりました。何でも、瑞慶府では謀反の動きありということで、明州ほか各州に早馬が駆け、州境は全て封鎖ということです」
謀反?一体どういうことだ?口ぐちに班員は叫んだりつぶやいたりしたが、なかでも鋭い少女の一声が皆を驚かせた。
「謀反ですって?謀反とは、王への反逆のことですか?」
宝余は我知らず列の最前列に飛び出し、二人を問い詰めた。片方の者はその剣幕に驚きながらも、
「俺たちだって何も知らんさ、ただ街での話を持って帰ってきただけで」
とそっけなく答え、忠賢のほうに向きなおって
「それでも官府の人間から聞いたので、確実な話だと思われます」
と続けた。宝余は自分の心臓が音を立てているのを感じた。謀反の動き?王はご無事なのだろうか?動揺を抑えて忠賢を見やると、握りしめたこぶしの硬さから彼も珍しく冷静さを失っているのを知った。
「…あの連中は、あれだけの粛清をやらかした後だというのに、まだ懲りないのか」
彼の口から、押し殺したつぶやきが洩れた。しかしその怒りはすぐに隠され、再び冷静な声音になった。
「府に入ることはできるか?城門も閉じているのか?」
「いえ、まだ閉じてはおりません。ですが、一刻も早く入城したほうがよいでしょう。運よく城門の近くで李さまの家令に行き会いましたので、我等のことをお伝えしました」
彼等がそんな会話を交わしているまさにそのとき、下級官吏を乗せ、旗を差した馬が白煙を上げ、こちらに駆けてくる。一同は慌てて道を開け、頭を下げた。
「痛いっ」
馬の跳ね飛ばした小石が、愛姐の頭を直撃した。よほど痛かったのか涙を浮かべている彼女を見て、宝余は手ぬぐいで彼女の頭を押さえてやった。馬はそのまま蹄の音も高らかに駆け去って行く。
「…よし、わかった」
忠賢は振り返り、一同を見まわした。
「どうやら瑞慶府では大変なことが起こっているらしいが、我等は何があっても――たとえ天が落ち地が割れようと、そこに人がいる限りただ芝居を打つだけだ。早く明州府に入らねばならん。急ごう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます