第2話

「別に私はあなたのお姫様ではないし、あなたも私の召使いではないのだけど」

 長い黒髪をとかされながら先輩は言った。声こそ前を向きつつも、心は後ろの俺にある。しがない一男子大学生のアパートにドレッサーなどなく、勉強机と卓上ミラーがその代わり。

 少し手を止めた。

「駄目ですか」

「駄目とかではないけれど」

 先輩は答えた。

「……なんですか?」

 問いの届いたかあやふやな間。それを答えと受け取って、多少逡巡しながらも再び手を動かし始める。髪をとかす音が昼間の沈黙を刻む。

「ただ、姫と従者みたいだなって」

 呟いた。静寂にことの一滴が落ちる。否定も肯定もないそれに、憂慮の雲が満ちてゆく。不安なのだ。それが俺にとって良い意味なのか悪い意味なのか。分からないことは考えてしまうし、考え始めれば悪い方へ倒れていく。まさに今こうして。

「手、動かして」

 依然顔は向けないままに、先輩は後ろに立つ俺の手を握った。冷たい触りが彼女の温度。

「私、あなたにこうされるの好きだから」

 そっと手が離される。言われた通り再開する。さすがに言葉にはできないから、代わりに心を手に込める。

 寄り添う心に、静けさはかえって心地いい。

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