25-1 メシアスside 陽炎の可憐傀儡 / the last proposal



「……ん」

「はぁ。よかった」

「あ、メイル」

「……マーマロッテ」

「どう、したの? なにか、あったの?」

「この状況が分からないのか?」

「……ん? なんだろう。ちょっと分かんないや」


「お前、倒れたんだよ」

「倒れた? ああそっか、倒れちゃったんだ」

「タデマルに診てもらっても原因が分からなかったから、もう目を覚まさないんじゃないかと思って……」

「心配してくれた?」

「そりゃするだろ。三日も眠り続けていたんだから」

「え? そんなに?」

「厳密に言えば、倒れているところを発見してから三日だ。最後に顔を合わせてからだと四日は経っている」


「あらら、さすがにそれは眠りすぎだね。へへへ。なんかもったいないことしちゃったな」

「とにかく、お前が無事でよかったよ」

「……うん。そうだね」



 自宅の寝台に横たわるマーマロッテと、その近くの椅子に座る自分。

 静かな朝の窓からは、弱々しい光が悲しげに流れ込んできている。



「身体の具合はどうだ?」

「全然、なんともないよ」

「本当か? 顔色がやけに悪いぞ。それにほら、腕だってこんなに白くなっている」

「あ、ほんとだ。真っ白だね。どうしちゃったのかな?」

「これって普通じゃないだろ。心当たりとかないのか?」

「……ううん。これといってないかな。でもさ、私クローンだからその影響なのかも」


「今になってか? 不自然すぎる気がしないか?」

「突然変異、てやつだよ。きっとそうなんだと思う」

「まるで別人と話しているみたいだ」

「こんな私だと、気持ち冷めちゃう?」

「馬鹿なこと言うな。なにがあったって気持ちは変わらないよ」

「そう言うと思った。嬉しい」

「本当に、大丈夫なんだな?」

「このとおり。絶好調だよ」


「一人で起き上がれるか?」

「うん。でも、もう少しだけこうしていたいな」

「やっぱり無理しているんじゃないか」

「違うよ。メイルのことをここから見ていたいんだよ」

「お前ってほんと、変な趣味してるよな」

「でもそんな私がまた、よかったりするんでしょ?」


「ああ。そうだよ」

「じゃあ、その証拠に八重歯、見せてくれるかな?」

「こうで、いいか」

「なんだかぎこちなくて、それもまたいいね。うん」


「……あのな、マーマロッテ」

「もしかして怒っちゃった?」

「いや、そうじゃない。でも……」

「でも?」


「あの時は酷いことをしてしまった。すごく反省してる」

「……あの、ことだね。うん。ちょっと辛かったかも。でも、もう気にしていないから。私にも原因があったわけだし」

「あれは全部俺のせいだ。お前が言ってくれたように落ち着いて話し合っていれば、ああいうことにはならなかったんだ」

「あの時のあなたは私達を守るために必死だったんだから、それを邪魔するようなことを言った私がよくなかったんだよ」

「だが暴力を振るってしまった。なにがあってもしてはいけないことを……」

「あれは単なる事故だよ。それに、ああしてくれなければあなたの気持ちに気づけなかった。仕方なかったんだよ」


「ごめんな、マーマロッテ」

「あの時のメイル、すごく怖かったけど、ちょっとだけ格好よかった」

「やめてくれよ。再現なんて冗談でもしたくないんだ」

「そっか、なんか残念かも」

「おいおい」



 二人で笑う。

 窓からの光も幾分か活気を見せはじめている。

 彼女の身体は、それでも白さを保ち続けていた。



「あれ?」

「どうした?」

「さっき、なにか言いかけてなかった?」

「ああ、そうだったな」

「浮かない顔だね。よくない知らせかな」


「昨日から、ジュカと連絡が取れないんだ」

「オント、だね」

「俺にもっと力があれば救える命もあったはずなのに。残念でならないよ」

「私達を、全員殺すつもりなのかな?」

「どうだろうな。現に俺は生かされているわけだし」

「どうして、だろうね」

「俺の身体の再生能力に興味があるんだよ。本人がそう言っていたからたぶん間違いない」

「興味があっても仕組みが分からなければ、意味ないよね」

「それを今探っているんだ。俺をわざと半殺しの状態にして観察しているんだよ」

「……ごめん。返す言葉がないよ」

「いいんだ。気にするな」

「うん」


「それでな、やつが言うにはもうじきその仕組みも解明できるらしい。俺はきっと、その日が来たら殺されるんだと思うよ」

「なんとか、ならないのかな」

「やつの前に立ち続ける限り解明は阻止できないだろうな」

「メイルを死なせたくない」

「俺だって死にたくはないさ。でも、一日でも長くここを守っていたいから最後までやつのところに行くつもりでいる」


「うん。私もあなたのこと最後まで見てる」

「ありがとう。その言葉が聞きたかったんだ」

「絶対に諦めないでね。私、ずっと待ってるから」

「ああ。俺達はいつまでも一緒だ」


「メイル、嫌だよ……」

「なにがなんでも生き続けてくれ。それが俺の、唯一の願いだ」



 声を押し殺して泣いていた。

 なにかを言いたげな視線を向けて、静かに、沈鬱に。



「……ねえ」

「どうした」

「子供を作るとしたら男の子と女の子、どっちがいい?」

「そうだなあ、両方いたほうが楽しいだろうが、どちらかと言えば女の子だな」

「なんで?」

「そりゃあ、女の子のほうが可愛いに決まっているからだよ」

「男の子だって、可愛いかもよ」


「男は、どうだろうな。きっと俺みたいなひねくれ者が産まれてくるぞ。それだったらお前みたいな、少し変でも可愛げのある女の子のほうがいいよ」

「だったら私は、男の子のほうがいいかな。ちっちゃいメイルだよ。もう間違いなく可愛いんだから。うん、これはなんとしても男の子優先だ」


「じゃあ、最低でも二人は作らないとな」

「うん。私、頑張るよ……」



 会話が途切れた。

 交わされた言葉の余韻だけが、二人の間を虚しく漂う。



「明るい未来、作りたかったな」

「もう、いいんだよ。今だってたくさんのことが叶えられて、十分すぎるくらい満足してるから」

「すまないと、思っている」

「この先がどうなったとしても、私は最後まで幸せだよ。だから、ありがとうね、メイル」

「マーマロッテ。俺も最高に幸せだった」

「メイルと一緒にいられたこと、ずっとずっと大切にするね」

「ああ。俺もお前のことはいつまでも忘れないよ」



 たった一人のために贈られる笑顔がそこにあった。

 この世界の一部であることを知る尊い証明が、眩いほどに光り輝く。



「……私ね、眠っている時にとても長い夢を見ていたんだ」

「どんな夢だったんだ?」


「うまく説明できないんだけど、とある男女が恋に落ちてね、一度離れ離れになっちゃうっていう夢なんだ。二人はとても長い時間を待ち続けるんだけど、お互いを信じ続けた思いが実を結んで奇跡の再会を果たすんだ」

「なんていうか、いい夢だな。聞いているだけで幸せになれそうだ」


「それでね、すごくたくさんの人がいたんだ。私達のいる世界とは全然違うけど、みんな優しくてね、平和なところだったよ。二人は本当に幸せそうだった。理想の世界と大切な人を両方手に入れた二人は、それからも永遠に愛し続けるんだ」

「少し妬けてしまうな」

「だね。でも素敵な夢だったよ。私達の世界もあんな未来になればいいなって、思っちゃった」

「それを言われると、意地でも負けられなくなってしまったな」

「へへへ」


「まあ、夢は夢。現実は現実だ。俺達は俺達にできることをやっていこう」

「うん。そうだね」

「ありがとう。いい話だったよ」

「どういたしまして」



 現実は残酷だった。

 夢のように自由でなければ、痛みも容赦なく襲ってくる。

 一度なくなってしまえば、もう二度と戻ってはこない。



「なんだか落ち着かない感じだな。どうした? そろそろ起きるか?」

「ねえ、お願いがあるんだけど」

「おう、なんだ?」

「今から外に出て、散歩しない?」

「は?」

「やっぱり、無理?」

「危険すぎるよ。それにやつはまだ来ていないんだ。それが終わってからじゃ、駄目なのか?」

「思い出を作りたいんだ。私達が元気なうちに、足跡を残しておきたいんだよ」


「どうしても行くのか?」

「ねえ、行こうよ」



 畳みかけるような彼女の甘い説得に負けた。

 外は寒いだろうからといつもより多めに服を着るように言う。

 本人は嫌がって薄着のまま行こうとしたが無理やり着せてやった。



 俺は、念のために刀を腰に着けておく。



「思っていたよりも、寒いね」

「着込んできてよかっただろ?」

「うん。ありがとう。危ないところだったよ」

「アイテルは、使わないんだな?」

「雰囲気壊れちゃうからね。じゃあ、行こっか」



 彼女の冷たくなった手が触れる。

 小さくて、とても大きな愛が詰まった大切な手。

 俺は、今日まで手にしてきた全てを零さないように、そっと握り返した。



 すっかり色褪せてしまった草や葉を掻き分けて、ゆっくりと進む。

 行き先のない道。誰も待っていない平原。



 果てしなく続く大地は、俺達の将来を暗示するかのように切なく赤焼けていた。



「私達は、まだ生きているんだよね」

「ああ」

「私のこと、見える?」

「しっかり見えてるよ」

「私も、あなたのことちゃんと見えてる」


「マーマロッテ」

「なに?」

「いや、なんとなく呼んでみただけだ」

「うん。私はここにいるよ」


「俺は、いるか?」

「いるにはいるけど、笑顔のあなたは見当たらないね」

「ごめん。今は出てきたくないみたいだ」

「それは残念だ。せっかくの思い出作りなのに……」



 悔しい気持ちが込み上げてくる。

 近くにいるのに、満たされているのに、心からは不安しか生まれない。



 どんなに強く握っても守り通せないもの。

 マーマロッテという俺の命。

 彼女が、手の平の感触だけを残して、風に乗り霞がかっていく……



 無情な思想の持ち主を受け入れた、地球という名の星。

 そして、大切なものを奪おうとする世界に抗えない無力な自分。



 俺達はなんだったのか。

 なんのために生まれてきたのか。

 こんなに悲しい思いをさせて、誰が得をするのか。



 オントだろうか。

 この世界はオントを肯定するために存在しているのだろうか。

 欲するものを力で奪い取り、抗うものを滅することが真理なのだろうか。



 自分とそれ以外のあらゆるものを敬い、愛することが許されない世界。

 それが事実だとしたら、こんなところに残っている意味はない。



 俺は、大切なものだけを持って、ここを去る。



「そろそろ戻ろう。やつが来るかもしれない」

「もうちょっとだけ、ここにいようよ」


「お願いだ、マーマロッテ。言うことを聞いてくれ」

「嫌だ。絶対に帰らない」


「なんでだよ。もうたくさん歩いただろ。一体どうしたっていうんだ」

「……だって」



 あいつ、すぐそこまで来てるんだもん


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