第五話 伝える言葉 -前編-
「サシェさん、終わりました」
その声は元気だったが、様子が普通と少し違っていた。
手には何かが殴り書きされた数枚の羊皮紙を持ち、泣きはらした後のように目が充血している。
「どうしたの、カリリエ?」
ミサヨが駆け寄ると、カリリエがようやくミサヨの存在に気づいた。
「あ、ミサヨ……ううん、なんでもないよ。もうサシェさんには謝ったの?」
ミサヨがハッとしてサシェと目を合わせた。
考えてみれば昨夜のことには全く触れないまま、普通に会話をしていた。
“飛空艇での契約”を破棄されたはずなのに、すっかりふたりでウィンダム連邦に渡るつもりになっていたのだ。
ミサヨはなんだか少し可笑しかった。
「サシェに謝ることがあるんだけど――後にするね」
「俺のほうこそ――あとでちゃんと謝らせてほしい」
そう言うと、サシェはすぐにカリリエに声をかけた。
「お疲れさまです、カリリエさん。そうでした、先生に相談があってこの部屋に来たんです」
サシェが振り返ると、モンブラーが微笑んでいた。
「カリリエさんへのカウンセリングを続けたいんですね。第二診察室をお貸しいたしますよ。少し狭いですが、落ち着けると思います」
「ありがとうございます」
サシェはモンブラーに頭を下げると、ミサヨに了解を求めた。
「もう少し時間がかかりそうなんだ。正午に、下層区のレストランででも待ち合――」
「私も立ち会ったら、まずい?」
ミサヨが遠慮がちな表情を浮かべつつ、はっきりと尋ねた。
親友を心配する気持ちはわからなくもないが、普通なら断るところである。
第三者がそばにいないほうが、患者は医者に素で話をしやすいからだ。
少し考え込んだサシェは、カリリエの意思を確認した。
「カリリエさんが良ければ」
「……ミサヨにも、聞いて欲しい気がします」
カリリエの様子から、むしろミサヨがいるほうが話をしやすいかもしれないと、サシェは判断した。
「わかりました。では、診察室に行きましょう」
モンブラーが資料の束の
部屋に残されたモンブラーは、机の上の資料の山を見てもげんなりすることなく片付けを始め――しばしその手を止めた。
(サシェさんには、子どもに対する認識のあり方をカリリエさんに伝えてもらえると期待しただけで、後のカウンセリングは私が引き継ぐつもりだったのですが……)
モンブラーの表情は嬉しそうだった。
(どうやら本格的な手法でお相手されているみたいですね。お手並みを拝見させていただきましょう。失敗したら私がフォローすることになりそうですけどね)
世界一の名医の部屋は、窓から入る秋のやわらかい陽射しで心地よく暖まっていた。
***
サシェがモンブラーの部屋を訪ね、ミサヨと会う五十分ほど前。
診察室では、サシェがカリリエの最初の話を聞き終わったところだった。
一年前に六歳で引き取り、育てているウイカという名のミラス少女。
彼女の歌の才能はとてつもなく素晴らしく、しっかりと伸ばしてあげたいと思っている。
最初の頃はビクビクしていたウイカも次第に新しい生活に慣れ、明るく笑うことが多くなった。
歌の練習にも一生懸命で、一年でプロとして通用するほどのレベルまで来た。
ところがステージデビューが決まった一か月くらい前から反抗的になってきた。
反抗的といっても乱暴な振る舞いをするわけではない。あまり話をしなくなってきたのである。
こちらがウイカのためを思って言っていることを、聞かなくなってきた。
何か嫌なことがあったらしい日も、何も話してくれなくなった。
意思の疎通を拒まれている――そう感じることが多くなってきたのだ。
それがつらい……。
カリリエの話を聞き終わったサシェは、すぐに声をかけた。
「ウイカさんが話を聞いてくれなくなったんですね……そして嫌なことがあっても何も話してくれなくなった。それは……つらいことですね」
「そうなんです。サシェさんは……どうして私の気持ちがわかるんですか?」
カリリエの目から、大粒の涙がポロポロとこぼれた。
それは嗚咽になり、サシェは彼女が落ち着くまで待った。
やがてカリリエが落ち着くと、サシェはこう切り出した。
「カリリエさんがつらいと感じているということは――」
カリリエがサシェのほうを見た。
「――カリリエさんが誰かを責めているということです。思い当たることはありませんか?」
カリリエは、とまどった。
言っている意味がわからない。
「あの……それがウイカのことと関係があるんでしょうか?」
「先ほど、“ダメ元”とおっしゃいましたが……今だけ、私の会話につきあっていただけませんか?」
サシェの真剣な目を見て、カリリエが考え込んだ。
サシェはいつまでも返事を待つつもりだったし、断られたらやめようと思っていた。
だが、思ったよりカリリエの返事は早かった――それだけ、真剣に悩んでいるのだとわかる。
「私、ウイカのためなら、なんでもできます。なんでもしますから――続けてください」
「わかりました。では、考えてみてください。誰か、許せないと思っている人はいませんか?」
再び、カリリエが考え込んだ。
「……給金がもう少し多くてもいいのに……と店長のことを責めたことはありますが……許せないというほどでは……」
サシェが微笑んだ。
「カリリエさんにとってもっと身近な人だと思います。例えば、ご両親やご兄弟についてはいかがですか?」
カリリエの表情が固まった。
しばらく黙っていたカリリエは、意を決したようにゆっくりと話し出した。
「私――実は、孤児だったんです。育ててくれたのは、ガドカ族の商人でした」
カリリエは少しずつ自分のことを語り始めた。
四歳のときに、バスクート共和国で商人をしていたガドカ族に拾われたこと。
自分にとって家族と呼べるのは、そのガドカ族だけだったこと。
だが、いつからかそのガドカ族のことが何もかも嫌いになっていたこと。
そのガドカ族は商売がけしてうまくなかったこと。
金勘定が得意なヒューマン族の商人たちに、いつもばかにされているのが嫌だったこと。
それでも、夜になると嬉しそうに金を数える姿がもっと嫌いだったこと。
商売がうまく行かないと酒を飲んで荒れるのも嫌だったこと――。
「そうだったんですね」
サシェは数枚の羊皮紙を取り出して、ペンとインクと一緒にカリリエに差し出した。
「このことは、ウイカさんとのことにつながるかもしれません。すべては、カリリエさん次第ですが……」
「わかりました。どうすればいいでしょうか?」
サシェがカリリエに指示した内容はシンプルだった。
羊皮紙を何枚使ってもいいから、そのガドカ族について嫌だったことを書き出すこと。
「バカヤローとか、そんな感情的な言葉でも結構です。重要なのは、気が済むまで書くということです」
モンブラー先生の部屋に行っているので、終わったら呼びに来てください――そう言うと、サシェはカリリエを残して診察室を出たのだった。
***
カリリエは、思いつくままに書き続けた。
書くうちに、色々なことを思い出した。
仕事を手伝いながら、少しずつ商売というものがわかってきたカリリエは、商売の新しい工夫を提案したことがあった。
……全く相手にしてもらえなかった。
嘘をついて、店の手伝いを休んだことがあった。
仕入先の行商人が自国の近くまで来ていることを知ったカリリエは、こっそり店の金を持ちだしてその商品を仕入れてくるつもりだった。
他の商人たちを出し抜けるとふんでいた。
ところがその行商人は夜盗に襲われたあとで何も持っていなかった。
がっかりして戻ったところを見つかった。
(あのとき――“おまえは将来、ロクな商人になれん”と怒鳴られたとき、どんなに悔しかったか――)
この人にとって、私は一生、ただの手伝いなんだ――と思った。
(――あいつが悪いんだ。私がどれだけ傷ついたか……。私の心を何だと思っているのよ――)
ポロポロとカリリエの目から涙がこぼれ続けた。
それ以来、父親代わりだったガドカを遠ざけるようになったことを思い出した。
最近は意識することはなかったが――ずっと許せない人であった。
その後もカリリエは、感情のままに酷い言葉を羊皮紙に殴り書きした。
十分書き尽くしたと思ったとき、妙に気分がすっきりしていることにカリリエは気づいた。
今でも許せない気持ちは少しも変わっていない。でも、以前より心が落ち着いている――と思った。
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