第四話 霊獣の呪い -後編-



「では、始めましょうか」


 ペンと黒インク、さらに羊皮紙を数枚用意したサシェが、カリリエと面接用の机を挟んで向かい合わせに座り、そう言った。


「えっ――本当に、やる気なの?」

「もちろんです。カリリエさんが望むなら――ですが」


 相談内容は、ウイカとうまくいっていないこと。

 それはミサヨの勧めで、カリリエがここの名医に相談するつもりだったことだ。


 彼女は、サシェの目をじっと見つめた。


「――わかりました。ダメ元――と言ったら失礼ですが、お願いします」


 サシェはまず、カリリエの話を聞くことから始めた。





  ***





 ついにモンブラーが見つけたのは、新聞や雑誌の一部を一定の大きさに切り抜いてファイリングした資料のうちの一冊だった。

 その中にペンで枠囲みされた記事がある。

 それが彼のかすかな記憶に合致するものであった。


 集中して記事に目を通していたモンブラーは、ノックの音に気づくのに数秒かかった。


「すみません、モンブラー先生、ミサヨです。ただ今戻りました」


 モンブラーが気づくのと同時に、返事を待ちかねたミサヨがドアを開けて入ってきた。

 慌てて返事をするモンブラー。


「おかえりなさい、ミサヨさん」

「――どうしたんですか、先生? 今朝は、あんなに綺麗に片付いていたのに……」


 あきれるミサヨの視線の先には、今にも崩れそうに高く積み上げられた本やファイルが、広い机の上を占拠していた。

 それを指摘された名医が、照れ笑いを浮かべる。


「ちょっと調べ物をしていたのですよ。サシェさんに頼まれまして」

「サシェが来たんですね。カリリエも来ましたか?」


 モンブラーが頷くと、ミサヨは溜め息をついた。

 部屋にいるのはモンブラーだけだ。


「ふたりとはすれ違いでしたか。神父様へのご挨拶は後にして、待っていればよかったです」


 上層区にひとつだけある隣の教会は、ちょっと贅沢な結婚式会場として知られている。

 そこで何組かの結婚式を手伝ったことのあるミサヨは神父と顔見知りだった。


 ミサヨの問いかけるような視線に、モンブラーはすぐに答えた。


「あなたの依頼どおり、おふたりを会わせましたよ。来院のズレが三十分ほどでしたから、難しくはありませんでした」

「そうですか、ふたりは会えたのですね。良かった。その後、ふたりがどこへ行ったかお聞きになっていらっしゃいますか?」


 ふたりが出会ってすぐに帰ったと思い込んでいるミサヨに、モンブラーがいきさつを説明しようとしたとき、部屋のドアが再びノックされた。


「どうぞ」

「先生、そろそろ一時間だと思いますが、実は――」


 入ってきたタルルタ族を見て、「あっ」と短く声を上げたミサヨ。

 彼女の存在に気づいたタルルタ族も目を丸くした。


「来てたのか、ミサヨ」

「サシェこそ、まだいたんだ」


 いきなりの状況に次の言葉が出ないふたりは、同時に若い医師のほうを見た。

 モンブラーが、いつもの笑みを見せてつぶやいた。


「アダルナの女神様がご用意される偶然の前では、人の思惑など意味がないのかも知れませんねぇ」





  ***





 結局、モンブラーが順を追って、朝からの出来事をサシェとミサヨに説明することになった。


 まず開院と同時に来たミサヨが、サシェがいないことを確認すると「隣の神父様にご挨拶に行くので、もしその間にサシェとカリリエという人物が来たら、ふたりが会えるように取り計らっていただけないでしょうか?」と頼んできたこと。


 その後にカリリエが来て、少し話してから休憩してもらっている間にサシェが来たこと。


 サシェにマルガレーテという少女の病気について聞かれ、自室で調べることにしたこと。


 自分の考えで、カリリエの相談をサシェに任せたこと。


 ちょうど調べ終わったところで、ミサヨとサシェが部屋に来たこと――。




「何かわかったのですか?」


 “ちょうど調べ終わった”という言葉を聞いて、サシェとミサヨの関心は、まずそこに向かった。


「ええ、まぁ落ち着いてください、おふたりとも」


 少し間を置くと、モンブラーが説明を始めた。


「まず申し上げておきますが、私が記憶する限り、少なくとも過去五十年をさかのぼっても――マルガレーテさんの症例が学会や論文で報告されたことはありません」


 五十年分の資料を調べたことがあるというだけで驚きだが、モンブラーの記憶力に疑う余地がないことをサシェは知っている。

 ふたりは軽く落胆して次の言葉を待った。


「結論から申し上げますが、彼女の症状は病気ではありません。私は専門外なので断定はできませんが――呪いの一種ではないかと思います」


 これには、すぐにミサヨが異を唱えた。


「お待ちください、先生。マリィの病気は生まれつきのものです。生まれたときから、呪われる理由なんて――」

「――いや、生まれる前から呪われていたという可能性もなくはない」


 サシェが口を挟んだ。

 彼が言っているのは、いわゆる“末代まで呪ってやる”というたぐいの呪いだ。


「そんな……たしかに兄さん――マリィの父親は死んでいるけど、それは獣人との戦闘によるものだし……」


 サシェにとって、ミサヨとマリィの関係を聞いたのはこれが初めてだった。

 その割にはマリィもその母親のリタも、黒鎧のミサヨには気づいていない様子だった。


 それは状況が状況だったから、心に余裕がなかったのかもしれない。

 髪を刈り上げてフェイスガードをつけていたことで、気づきにくかったのかもしれない。

 ともかくその疑問は後回しにして、サシェはマリィの父親の死因を確認した。


「間違いない?」


 ミサヨが頷く。


「私も、その場にいたから……」


 しばらくの沈黙の後、ミサヨのつらい思い出に触れたことをサシェが謝った。


「ごめん」

「いいの、気にしないで」


 ミサヨが無理に作った笑顔が痛々しかったが、モンブラーが話を続けた。


「唯一私の記憶に残っていたのが、この一年前の記事です。信用できる情報かどうかは、おふたりで判断してください」


 モンブラーからファイルを受け取ると、ふたりは記事に見入った。




 ===



 週刊魔法パラダイム ○○○号


 大人気連載コーナー

「あなたの知らない(かもしれない)世界 その二二六」


 あなたはご存知だろうか? 生まれてすぐに真っ黒な炭と化してしまう恐ろしい病気のことを。それは人知れず百年に一度発生している。そのことを突き止めたいにしえの学者は、その病気をこう名付けた。


 カーバンクル・カース(訳:カーバンクルの呪い)


 なぜカーバンクルなのか? カーバンクルといえば、この世界に生きるものたちに優しい霊獣として広く知られる存在である。過去に霊獣たちが人類を滅ぼそうと考えたときには、常に人類に味方してきた心優しき霊獣だ。いやむしろ、そのカーバンクルの呪いと名付けることで、その病気の恐ろしさを印象付けているのではないかと筆者は思う。


 さて、筆者はこの病気の存在を、我らがウィンダム連邦が誇る知の宝庫・図書院の蔵書の中にて発見した。この本の内容について、暇そうにしている図書院院長に直撃インタビューを敢行した。


 ウルル(以下「U」)「この本の内容は真実なのでしょうか?」

 トスクポリク院長(以下「T」)「なんだ君は、勝手に本を持ちだしては困るな。なに、待て待て、ちょっと待て。そんなデタラメを書くんじゃない。もし月の神子みこ様に知れたら……」

 U 「ご協力に感謝いたします」

 T 「やれやれ、見せてみろ。なに、おい君、これは禁書じゃないか。なぜこんな物がここに?」

 U 「ほぅほぅ、これは院長の不始末ということに……」

 T 「待て待て、ちょっと待て――」


 この後のやり取りについては読者の皆様のご想像にお任せします。重要なのは、このカーバンクル・カースなる病気が、禁書に書かれていたという事実です。禁書といえばその内容が極秘のため、庶民の目に触れることはないという超重要資料。果たして、国家機密にかかわる秘密を暴いてしまったこの記事は、無事に出版されるのか? 筆者の生命は安全なのか? 励ましのお頼りをお待ちしております。(ウルル)


※前回の記事にありました「獣人タルルタ族発見!」の内容は、泥酔したミラス族が獣人風帽子をかぶったタルルタ族を見間違えたものでした。謹んでお詫び申し上げます。



 ===




「…………」


「週刊魔法パラダイムって……」


 ミサヨがサシェの様子を伺った。

 週刊魔法パラダイムは、タルルタ族とミラス族の国――ウィンダム連邦の有名な週刊誌である。


「ああ、俺の祖国の雑誌だ。こんなところにヒントがあったなんて……」

「……あの、あまり信用できない記事が多いって、聞いたことが……」


 モンブラーに申し訳なさそうに言うミサヨを、サシェがフォローした。


「そうでもないさ。冒険者を使って、事の真偽を確かめさせることもあるくらいだ。確かにゴシップ好きの記者もいるけど、このウルルっていう記者は割と信用できる。それに――」


 ミサヨは記事の最後に小さく書かれた謝罪文を見つめて、疑いを増している表情だ。

 無理もないと言えるだろう。サシェも丸々記事の内容を信用しているわけではない。


「それに、どうせ次の目的地はウィンダム連邦のつもりだったから、ちょうどいい」


 そこまで聞くと、ミサヨも納得して笑顔を見せた。


「わかったわ。どんな手がかりでも、調べてみるしかないもんね」


「ところで、この記事には病気と書かれていますが、先生は先ほど呪いの一種だろうとおっしゃいましたよね?」


 サシェの疑問にモンブラーが頷いた。


「病気とは考えにくいですね。その発生頻度の低さから、少なくとも感染症ではないでしょう。可能性があるとすれば遺伝病ですが、それにしては身体の変化が速すぎるようです」


 少なくとも病気ではない――というのが、モンブラーの結論だった。


 考え込むサシェとミサヨ。

 もし記事が正しいならば、とても個人でなしえるレベルの呪いとは思えない。

 本当に霊獣による呪いなのだろうかと疑いたくなる。


「とにかく、ウィンダム連邦に行ってみるしかなさそうだね」


 ミサヨの言葉にサシェが頷く。

 ふたりがモンブラーにお礼を言ったとき、部屋のドアからまたもやノックの音が聞こえた。


 モンブラーの返事で、ゆっくり部屋に入ってきたのは、カリリエだった。



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