第11話

包み込まれているような気がした。

だって背中が温かい。

でも、体の節々は鈍く痛む。


何かを、思い出しそうな気がした。


臭いがする。

血の臭い、死の臭い。

この背中に触れているのは、誰?


『ショウタ……もう大丈夫』

頭を撫でてくれた。

『あなたは、幸せになりなさい』


弱々しくなっていく、声。冷たくなっていく体。


誰か、誰かいないのか。誰か。

姉上を、助けて。



「……おい」

体を揺すられているような気がして、ふと意識が覚醒していく。

自分が一瞬どこにいるのか分からなかった。しかし背中に触れている熱は、姉のときのように冷たくならない。自分が横たわっているのは、アルルの木の根が張り廻ったデコボコの土なんかじゃなくて、ふかふかでスプリングの効いたベッドだった。肩に置かれた手は、姉のものよりずっと大きく、がっしりしている。

そこでようやく、自分が蝶国にいて、しかもその王様と同衾していることを思い出した。額には冷たい汗が浮かんでいて、自分がうなされていたのだと知る。


「ごめん、起こした?」

「……うなされていたからな」

真夜中に起された当人は、その割にちっとも不機嫌ではなく、むしろ心配しているような印象を受ける。後ろから抱きこまれているので、顔が見えないからただの推測だ。

「……昔を思い出してた。夢で」

湯殿でアオからきかれたことが、ずっと心に引っかかっていたせいかもしれない。あるいは、酷いことしてきた人に、優しくされたせいかも。

何度も見慣れた悪夢で、見っともなくうなされてしまうなんて。

「俺、あんたに謝んないといけないかもしれない。あんたを幸せにしたいって、言ったけど……それ、俺の勝手な都合だったのかもしれない」


何故自分は、家族にすら詳しく打ち明けることのできなかった過去の闇を、たった二週間程度過ごしたばかりの人に言おうとしているのか。アルルと何のしがらみもないファロだから、自分はこの人に甘えようとしているのだろうか。それとも、この体に回された腕が優しくて温かだから、何か勘違いをしているのだろうか。

「俺、兄と、姉二人と、妹がいるんだけどさ。本当は六人兄弟だったんだ。姉がもう一人いた。アルルは女社会だから、ほんとはその人が母の次に族長になるはずだった」


みんなに愛されていた。姉は賢く、村一番の美人で、心の綺麗な人だった。姉が族長になればアルルも安泰だと、期待されていた。その姉はショウタより一回りも年上で、姉というよりは、母のような存在だった。

その時自分は泣き虫で、二つ下の妹よりも木登りが下手だった。足も遅く、ドン臭く、いつもいじめられて泣いていた。姉はそんな自分をよく探しに来て、「男の子なのに泣かないの」と言って微笑んでは、頭を撫でてくれた。

そうやって二人して手を繋いで帰ると、家族は呆れかえって迎えてくれた。

『もうすぐサツキは結婚するんだから、あんたもいつまでも甘えてたらしょうがないよ』

『あねうえはあととりだもん。ずっとおうちにいるからいいんだもんっ』

そう言っては困らせていた。何を隠そう、その姉と結婚する予定だったのがアオの兄である。もうすぐアオと親戚になると思ったら、それだけでショウタも楽しみだった。


あの日も、ショウタはいじめられて泣いていた。木登りがへたくそだとからかわれて。だから木の上で泣いていた。いじになって高いところまで登って、降りられなくなった。自分がみじめで、情けなくて、ずっと泣いていた。ひょっとしたら、姉が迎えに来ることを期待していたのかもしれない。

そうやって気がそぞろだったから、背後に忍び寄るヘビに気づかなかった。アルルで一番恐れられている毒蛇である。きちんと気を付けていれば、まず遭遇しないし、遭遇しても噛まれることはない。でもその時のショウタは自分のことに精一杯で、毒蛇にまで気が回らなかったのだ。


気が付いたら次の瞬間には、自分は地面にいた。何が起こったのかもよく分からなかった。しかしはっとした時には、自分は姉に抱きかかえられていて、姉は自分をかばうように地面に横たわっていた。そして姉の首筋に、毒蛇が噛みついていた。

木から落ちたのだと思った。姉は木から落ちることも、蛇にうっかり噛まれることもない。

姉は自分を助けるためにそうなったのだと、幼いショウタにもよく分かった。どんどん冷たくなっていく、姉のからだ。ショウタは恐ろしくなって泣き叫んだ。


誰か、助けて。


姉は最後の力を振り絞るようにしてショウタの頭に手を伸ばし、安心するように微笑んだ。

『ショウタ……もう大丈夫』

そして頭を撫でてくれた。

『あなたは、幸せになりなさい』

それから先のことはよく覚えていない。しばらくして大人たちが助けに来てくれたことは確かだろう。しかしあの日のことを、家族は一度もショウタに話さないし、ショウタも必要以上に家族に話さなかった。それだけ、失ったものは大きかった。

アオの兄は、それから三年ほどしてショウタの二番目の姉と結婚した。お互い一番つらいときに、支え合って困難を乗り越えたのだという。結局アオとは親戚同士になったのだが、以前のように手放しには喜べなかった。


それからショウタは強くなった。木登りもかけっこも、誰よりも努力して上手になった。そして泣かなくなったし、笑ったり冗談を言ったりするようになった。そうしなければ、悲しみと後悔に押しつぶされてしまいそうだった。

幸せになりなさいと言った姉の言葉と、幸せになる前にその人生を奪った自分。その二つに急き立てられるようにして、誰かを幸せにすること、自分が幸せであるかのようにふるまうことが義務のようになっていった。


「あんたを幸せにしたいって思ってたのは、俺のエゴだったのかもしれない。姉上を死なせた俺の、せめてもの罪滅ぼしだと思っていたのかも」

族長になるはずだった姉。結婚するはずだった姉。それを勝手にファロに被せて、自分は何のしがらみもない場所へ逃げようとしていたのかもしれない。

「ごめん、俺はファロに大切にしてもらえるような人間じゃない」

10年前と変わらず、自分は弱い。弱虫だ。

村のために犠牲になるかのように見せかけて、本当はつらい過去から逃れようとしているのだ。


世界最強の戦闘民族の、その頂点に君臨する王様に、こうして寄り添っていていい者ではない。自分には、その資格がない。

「人質としてだったら、いくらでも働くし。そういう俺だから、族長の子だとか、そういう風に考えなくていい。ファロが俺を気に入らないのなら、放り出されても構わないし恨まない」

ずっと、誰にも言えなかったことを言ってしまうと、ショウタの心は少し軽くなった。これだけでも十分、自分は蝶国に来て良かったのだと思える。むしろこのような結末が、大事な人を死なせてしまった自分には、お似合いのような気がした。

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