第2話

一年間の準備期間は、残酷にも早々と終りを告げてしまった。本当にこれで良かったのかという思いを何となく抱えつつも、もう後ろは振り返らないと決める。

自分の子のように17年間の成長を見守った子を、村の命の引き換えに渡す。そういった後ろめたさを払拭できないのか、村人は一様に下を向いて、誰もこちらの顔を見ようとしなかった。

「じゃあみんな、元気で」

名残惜しさは感じさせないように最後の挨拶をした。いつもげん骨をくらわす母や姉たちはただ涙を流し、魚とりや鹿狩りを教えてくれた父と兄は微動だにしなかった。村人たちは「すまねぇ」だの、「いつか帰って来い」だの、口々に何かを言うが、結局本当のところ、何と言ってやったらいいのか、良く分からないみたいだった。

もしかすると、もう二度と会えないのかもしれない。誰もその可能性は口にしないが、頭ではよくわかっていた。

自然と口数の減った静かな集会所に、遠くの方から馬のいななきが聞こえてくる。村人は無意識にお互い擦り寄り、震えを隠すかのように手をさすった。一年も前のことではあるが、この村を焼き払うと散々恫喝した兵士の恐ろしさは、昨日の事のように村人の耳にこびり付いている。

嘶きと共にひづめの駆ける音も響いてきた。いつもと異なる異色の振動に、驚いた鳥たちがギャオギャオ叫びながら飛び立っていく。


「蝶の国の使者である。人質を受け取りに来た」

約束にぴったりの時間、平和な原生林のただ中に、不釣り合いな厳しい声が飛んだ。そして鎧と剣が立てる金属音。一年前、蝶の国からの伝言を持ってきたときと同じだ。

この村は、太古の昔から外の国とは閉ざされていた。村人は軍馬も鎧も見たことがない。その平和を打ち破り、一年前恐怖のどん底に村を突き落としたのが、彼ら蝶国の兵士である。

その使者達は、このアルルの住人達の誰よりもずば抜けて背が高く、原生林の枝を薙ぎ払いながらここまでやって来た。またその男たちの威圧感から、相当腕が立つ者たちらしいことは、ひしひしと感じられた。

この田舎村アルルでも、蝶国のことは噂になっている。蝶の民族は喧嘩早く、異常な回復力と体力を備えており、今まで戦った戦争では負けなしであると。そしてアルル村の属していた国も、それなりの大きさと強さを持つのに、蝶国にあっさりと戦で負け、属国となって供物を納め、頭の上がらない立場であるということだ。


「俺です」

村人たちから兵士たちの注意を引きたくて、普段からよく通ると褒められる声を張り上げる。自分より何十センチも高く、屈強な男たちが一斉にこちらを向くが平静を装った。

旅をするための簡素な衣装に身を包みつつも、少しも怯えを見せないように背筋を伸ばす。

「……ショウタ殿」

たった一人ついて行くことを許された付き人のアオは、少し不安そうな声を出した。五人兄弟の末っ子として生まれ、本来であれば臆病な性格の彼だが、幼馴染が人質に行くと知ると、今まで見たこともないくらい意地になって付いていくと言い出した。

そのアオを安心させるように微笑みかけ、一人軍馬に近づいて行く。

族長一家証である白髪を認めると、蝶国の軍人は、馬からひらりと舞い降りて近づいてきた。全部で五人いる内の、先頭の男である。

「……お前か」

そうは口にしたものの、興味のなさそうな声だった。こちらを一瞥しただけであっさり視線を外し、村をぐるりと見渡している。五人の中で一番立派な馬に乗り、軍服も装飾も凝っているところから、隊長格の人間のようだった。

佇まいからしてどこか品がありつつも、目つきからして、本当は獰猛な性格なのだと分かる。男が小さく舌打ちしただけで、近くにいた赤子が泣き出した。


「ふん、千五百人ほどの小さな村だと言うから、てっきり人質なんて渡さねぇのかと思ったがな。……つまらん」

その一言で、男は最初からアルルを焼き討ちにするつもりで来たと分かった。アルルが平和な国で、人質なんか出さないと踏んで。

ショウタはギリッと奥歯を噛み締めた。アルルの民が今回の一見でどれほど心を痛めたかも知らないで、村を塵灰程度にしか思っていない。男に腹が立ったが、寸での所で拳を握りしめて堪える。後ろにいたアオが不安そうに旅着の裾を引っ張って来なければ、思わず怒鳴り返していたかもしれない。

落ち着け、ここでアルルの弱みを取らせてはならない。自分の行動次第で、事は有利にも不利にもなるのだ。自分を落ち着かせるように深く息を吸い、努めて気丈に振る舞った。

「えっと、一年前にはいらっしゃらなかった方ですね。初めまして、ショウタです。……カインさん、お久しぶり」

後半は男の背後の兵士に呼びかけた。カインという兵士が、軽く会釈するが、まさか名前を覚えられているとは思わなかったのだろう。驚いて目を丸くしている。

カインは一年前、五人のリーダーとして来ていたが、今回はそのカインよりも目の前の不遜な男の方が偉いらしい。カインはただ黙って控えている。

「ディックさん、ルイスさんもお久しぶり。一番後ろの方も、初めましてですね」

一年前会った五人の顔と名前は、全て覚えている。今回は二人メンバーを入れ替えているようだ。一番後ろの男は、自分に話しかけられたことに戸惑ったようだが、「ジェイです」と小さい声で挨拶した。


「で、あなたは?」

「……ファロ」

ファロと名乗った男は、ようやくもう一度ショウタを見返して来た。その瞳が先ほどとは違い、剣呑さよりは戸惑いの方が強くなっている。

屈強な男をたじろがせたことに少し溜飲が下がり、何とか嫌な気持ちを払拭して出立できそうだ。

それだけでは収まらず、よろしくとほほ笑んでまで見せると、蝶国の兵士たちは毒気が抜かれたような顔をする。今までに敵国の捕虜や人質を護送したことは何度もあるが、このように能天気に笑っていた者は一人もいなかったのかもしれない。


思わずぽかんと見つめてきた兵士たちに、遠慮なく背中を向けて先に歩き出す。

一体どこに行くつもりだと慌てた兵士たちが、急いで後ろをついてきた。

「じゃ、行こうか。俺馬なんて乗れないし、歩きでいいかな?」

元々敬語を使うのが苦手なので、挨拶という義理を済ませるとあっさり言葉を崩した。この兵士たちはあくまで皇帝の元まで護衛してくれる存在であり、自分は人質とは名ばかりで後宮に入る予定なのだから、きっと構わないだろう。大人しそうな人質が急に態度を変えたものだから、いくつもの戦場を駆け抜けて来た先頭民族の兵士も、思わず言葉を失っている。

「まて、そっちに道はないだろうが」

兵士一行が剣を薙ぎ払って無理矢理に進んできた道は、逆方向である。しかし気にせずに歩き続けた。

「こっちの方が近道なんだよ。ちゃんと馬が通れるところを案内するから、俺に付いて来いって。あんたらこの森のことは何も知らないだろ」

「……そう言って逃げるわけではないだろうな」

「俺が行かないならアルルが滅ぼされるんだろ。そんな愚かなことはしない。俺やアオは馬に乗るよりも木から木に飛び移った方が早いし」

せっかく別れを惜しんで集まってくれた村人に、もう一度声をかけようとは思わなかった。きっとどんな言葉をかけようとも、この村人たちは仲間を売ったと苦しむのだろう。だったら、いつもみたいに、山菜取りに行くみたいに出てしまう方がずっといい。

付き人のアオが後ろに従った。いよいよショウタが行ってしまうと、村人の何人かが泣き始めるが、聞こえないふりをする。もう涙は十分だ。この後は、誰も泣かせたりなんかしない。


兵士一行人質自らの提案に乗っかって、ついて行ってみようという気になったのは、単に戦闘民族で冒険好きだったからだろうか。それとも、逃げたら逃げたで、アルルを焼き払えば済む話だと思っているからだろうか。

「いいだろう。お前の提案に乗ってやる。ただし、裏切れば村を焼き払う」

なるべく脅すように言ったつもりだろうが、その脅しにはにっこり笑ってみせた。

「ありがとう」

戦闘能力では自分より遥かに勝はずのファロが、豆鉄砲でも食らったかのような顔をする。馬鹿な、と頭を振りつつ百面相するファロは差し置いて、ショウタは付き人のアオと共に木に飛び移った。

「こっちだ」

慣れた手つきで、木から木へと飛び移っていく。足のばねや手の伸ばし具合も調節しながら、程よく伸びている枝を選んで進んで行った。いかに世界最強と言っても、自分たちには決してできない芸当を目の当たりにし、兵士たちは思わず息を呑んでいる。

蝶国で鍛え上げた軍馬をもってしても、こちらの方が速いくらいのスピードで進んだ。来る時は剣で道を空けつつ、方位磁針で方向を確認しながら進んでいたために、一週間かかって辿り着いたと言っていた森は、アルルの民なら四時間で抜けられる。

「驚いたな」

感心したようにファロがうめいた。

身体能力もそうだが、アルルの民にはずば抜けた方向感覚がある。他所の人間には、アルルの森はどこを見ても似たような景色しかなく、薄暗い。何も目印になるものはない。アルルの民にとっても、森は毎日姿を変えるものだ。森に対する記憶力と方向感覚だけで、いつも森を移動している。だからただ最短距離を選んでいるのではなく、カインたちが軍馬に乗りつつ付いてこれる道を選んでいた。

この能力はいかに世界最強と言えど、蝶の人間には真似できまい。


「ちょっと休憩しよう」

休まずに駆け抜けて来たが、さすがに二時間経ったところで限界を迎える。休憩するには適した開けた場所に差し掛かり、これ幸いに立ち止まった。蝶国の兵士は軍馬の手綱を太い幹に結び、水筒を開けて一息吐く。馬に乗ったことがないのでよく分からないが、馬にも人間にも適度な休息は必要だろう。

アオは木の幹に腰かけたまま休むようだが、自分はするすると降りて兵士たちに近づく。そのままファロの隣に腰掛け、座高の違いから自然と見上げる形になったファロに話しかけた。

「なぁ、ちょっと休憩する間に、あんたの国のこと聞かせてよ」

急に親しげに声をかけられて、ファロは一瞬言葉が出てこなかったようだった。つい二時間前に村人たちと今生かもしれない別れを済ませてきた者には見えなかったのだろう。

「……お前、これから人質になりに行くというのに、気楽なものだな。村と決別した恨みも惜しみもないのか」

確かになぜ自分が行かなくてはならないのかとか、どうしてこんな目に遭うのだとか、蝶国とやらが憎いとか、マイナスなことはいくらでも思い付きそうなものだ。しかし自分は一切そのような呟はしないと決めている。それも一年前からだ。過去に対面した人質たちは、泣くか喚くか怒るかくらいのことはしていたのだろうが、こちらは今日までの覚悟の蓄積が違う。


「……だって俺、一年前から蝶国に行くって分かってたから。むしろ楽しみにしてきたんだ」

「楽しみに、してきた……?」

それは意外な言葉だったようだ。一年間を焦りと悲しみで過ごしたのでも、怒りゆえに八つ当たりを重ねてきたのでもない。留学にでも行くかのように、楽しみにして来たなんて。

「なぁ、俺と結婚する王様ってどんな人?あんた見たことある?」

昨年は隊長とまで呼ばれていたカインよりも偉いのだから、当然の質問だったかもしれない。ファロは不快そうに眉をひそめた。カインはなぜかニヤニヤしている。カインもよく皇帝に会っているのかもしれない。

「……ああ。だが、それを聞いてどうする」

「俺、王様を幸せにしたいんだ」

ぶふぉっと耳障りな音がして、兵士のディックが水筒の水を噴出した。咳き込むディックの背を、カインが気の毒そうに叩いている。

「なん、だと……」

さすがのファロも言葉が出ないようだった。

しかしこちらとしては大真面目なのだ。大真面目に、皇帝を幸せにしてやりたいと思っている。

「俺と結婚する蝶国の王ってやつを幸せにしたい。だからどんな人か教えてくれないか」

ファロが思わず赤面する。それを見た他の四人の兵卒が隕石でも落ちたかのような顔になった。

「なんだよあんた、いい男のくせして、まさか恋愛とかしたことねぇの?」

頭をかち割られても生きてそうな屈強の男が、これくらいのことで顔を赤くしているなんて可愛いものだ。ファロは精悍で男前だから、てっきり妻の一人や二人はいそうなものだと思っていたが、そうでもないらしい。

「なっ……!俺は独身だが、少なくともお前よりは経験豊富だっ!」

「なんだよ、むきになっちゃってさ。可愛いとこあんだね。言っとくけどアルルは未成年交際禁止だよ。経験値なんてないっつーの」

成人前のガキに揶揄からかわれた屈辱に戦慄わななくファロを見ていたら、何だか親しみが湧いてきて、思わずよしよしと頭を撫でた。プライドが高いところとか、何となく実の妹と似ていて、つい甘やかしたくなってしまう。

頭を撫でられてぴしっと固まったのは、ファロだけでなく同行者四人もだった。石のようになった彼らを見て、案外蝶国の兵士は親密なスキンシップが苦手なのかもしれないと思い当たる。仕方なく手を引っ込めると、ファロが勢いよく立ち上がった。


「み、水、汲みに行ってくる」

そのまま勢いよく後ろを向いたファロは、ずかずかと繁みに入っていった。

「おいっ、待てっ」

焦って袖を掴もうとした手が滑った。

ファロはこちらの叫び声が聞こえているはずなのに、お構いなしに繁みを進んでいってしまう。

その足元の繁みが、不自然にゆがんだ。

「くそっ」

背筋を冷たい汗が伝い落ちる。嫌な予感に、ざっと血の気が引いた。

方法なんか構っていられず、懐の小刀を迷わずファロに投げつける。ファロはそこでようやく足を止めて振り返った。ほっとしたのもつかの間、瞬時にカインに羽交い絞めにされ、腕をひねりあげられてしまう。

「ぐっ……」

屈強な戦士に容赦なく関節をひねられ、言葉にならない激痛が腕を走った。腕がミシミシと嫌な音を立てる。

「ショウタ殿っ」

アオが焦って木を降りて来る。

ファロも慌てて引き返してきた。

「おい、カイン離せ」

「しかしへいっ……ファロ様、この者はあなたに短刀を」

「いや、離せ。あれを見ろ」

ファロが先ほど居たあたりを指さすと、繁みが不自然に揺れている。その揺れはやがて収まり、ディックが走りよって悲鳴をあげた。

「うわっ」

ディックがそれを引き出すと、大蛇が頭に剣を刺したまま息絶えていた。体の模様は原色が混じった目立つもので、一目で毒蛇だと分かる。

カインの拘束が解けると、思わず膝をついた。関節の激痛は収まりそうもなく、額に脂汗が滲む。

「すまないショウタ、だいじょ……」

「おい、ふざけんな」

屈み込んできたファロの胸倉を、皆まで言わせないで無事な左手で掴んだ。右腕は最早感覚がないくらいだったが、そんなものには構っていられない。体格差がかなりあるので、傍から見るとこっちが縋り付いているように見えるかもしれない。しかし頭が沸騰しそうな焦りで、冷静なことは考えていられなかった。

「ここはアルルの森だ。俺がいいと言ったとこ以外行くな。あの毒蛇は噛まれると必ず死ぬ」

十年前の嫌な記憶が蘇ってきて、吐きそうなくらいの恐怖がこみ上げる。たとえ敵国の兵士だろうが、もう目の前で誰も死んでほしくなかった。


過呼吸になりそうな恐怖感を必死で抑える。尋常じゃない怯え様に、ファロは顔をひそめたが、一言謝ると危なげく抱え上げられた。

無事を確かめたくて、痛くない左手で必死に縋り付く。良かった、温かい。蛇には噛まれてない。

自然と目に浮かんだ安堵の涙は、ファロの軍服に染み込んで消えた。

ファロは何も言わずに、黙って背中を叩いてくれた。

「変な人質だな、お前は。笑ったり泣いたり忙しい。敵国の兵の命なんか助けるし」

「うるせーよ、降ろせ」

途端に取り乱した恥ずかしさが込み上げて、無事な左手で背中を叩いた。しかしファロはちっとも降ろしてくれる気配がない。

「腕が痛いだろう?俺が抱えて馬に乗せてやる。道案内はアオという従者にやらせればいい」

そう言ってファロは、ショウタごと馬の背に乗り込んだ。もうすぐ成人する男一人抱えているのに、少しもよろめかなかった。

皇帝に輿入れする人質を抱き抱えてていいのかという言葉は、言おうと思ったけど飲み込んだ。その腕の中が言い心地良かったからではない。決して。



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