第1話

「おばば様、どういたしましょう」

口々に、女たちが焦ったように訴えるのが、集会所の外にまで聞こえてきていた。足音を気にしないで歩みよっても、誰も気づく気配がない。

今から一週間前のことだった。突如として、この平和な原生林の村に波乱が訪れたのは。それ以来、毎晩のように集会所では話し合いが持たれている。

村の集会所は、普段使われることがない。村で大事な行事があるときに、村人みんなが集まるために使われる。だから精々、一年に五回くらい、祭りやお祝いで使われればいい方だ。

しかし、原生林の太い幹を使って組み立てたこの木造の集会所は、今や家族を代表して集ってきた女たちでひしめき合っていた。そして毎回、皆が皆、険しい表情を崩せず、何も最善の案を見出せずに時間だけが経っていた。


「これ以上の議論はもはや無意味。いたしかたあるまい。我々から人質を選ぼう」

重々しい口調で切り出したのは、齢70になろうかという村のおばばである。ここ、アルルの森の民族は女系社会であって、村ではおばばが一番偉い。腰が曲がり、麻布でできた着物が皺を寄せて小さくなっていても、おばばの言葉には重みがある。

その皺だらけの顔は、今や苦渋で満ちていた。70になっても豊かな真っ白い髪が、おばばの肩にさらさらと流れる。この真白の髪は、彼女の年齢故ではない。族長一家はみな白い髪をもっているのだ。

何故族長の家には白い髪の人間が生まれるのか。それはいにしえからの謎である。しかし村では、月の女神が特別な加護を与えているから、と信じられている。

「人質と言っても……」

女たちは黙り込んだ。一週間前に突然訪れた相手方の要求が、大変厳しいものだったからである。

1つ、一年以内に族長一家から人質を出すこと。

1つ、人質は未成年の男であること。

1つ、それが守れないようであるなら、この村は壊滅を免れないこと。

この条件が当て嵌まる者は、そう多くはない、というか、1人しかいない。誰もがそれを分かっているが、その重さ故に誰も何も言えなかった。

誰も「あいつが行けばいい」とは言えないのだ。それほどに、この村は全体が家族のようなものである。誰も泥を被りたくないし、悪者になりたくない。そうやって生きていくには、人口の少ないアルル村では厳しすぎるのだ。

しかしその者が行かなければ、この村は滅ぼされる。


「蝶の一族」に。世界最強とも言われる戦闘民族に。


蝶の一族は、アルル村が聞いていた以上に大きな威圧感と圧倒的武力をもってこの村にやって来た。一年に一回、アルル村の自治を認める親国家の役人が、ラバで最低限の荷物と共に訪れ、てきとうな調書を作り上げて行く以外に、アルルの人間は他所者を見たことがなかった。

平均身長160センチというアルル村の中で、突然やって来た男たちは平均して二メートルを超えていた。乗っかっている軍馬は人間の身長よりずっと高く、体は大人二人が横に並ぶよりガッシリしていた。その後ろ脚で蹴られたなら、きっと一瞬であの世に行ってしまうだろう。

男たちは腰に長くて重い剣を差しており、その剣で木々を薙ぎ払って無理矢理に道を作り、アルル村に辿り着いたようだった。数はたったの五人だったが、その五人でもアルル村の全人口を滅ぼせるくらいに逞しかった。

そして、村を滅ぼされたくなければ、蝶国に人質をよこすように言い放ち、手土産にとアルル村が所属していた親国家からの貼り紙を置いていった。その貼り紙によると、親国家は最早蝶国の属国となってしまい、自治区の扱いは蝶国に判断を任せるという内容だった。

有無を言わさない高圧的な態度と、いつでもアルルを焼き払えるという恐ろしい脅しを残して、蝶国の使者はまた一年後に来ると言い残して去った。その時の恐怖感は一週間経っても消えることがなく、村人みんなの心を言い表しようもない不安で押しつぶしていた。


皆が押し黙ってしまうと、深夜の森はしんと静まる。ギシッと木の床板を踏みしめて集会所に立ち入ると、ようやく女たちはこちらを振り向いた。まさか該当者本人が来るとは思っていなかったのだろう。みな一様に氷ついたようになった、

それでも女たちは無言で道をつくり、集会所の中に入れてくれる。この族長会議に男は呼ばれないはずだし、禁令を破れば手痛い制裁もある。しかし、今夜は誰も未成年とは言え男の侵入を制止する者はなかった。

なにせ自分だけが、人質の条件に当て嵌まる「唯一の該当者」だから。


本人を前にして、人質を送ってほしいとは言えないのだろう。ショウタと目が合いそうになると、みんな下を向いたり顔を反らしたりした。そのことに少し寂しさも覚えながら、努めて明るく振る舞ってみる。

「何辛気くせぇ顔してんだよ、みんな。頼まれるまでもなく、俺が行くよ、人質。俺しか行けるやついねぇじゃんか」

緊迫した会場全体に、カラッとした明るい声が響き渡った。

自分の実の祖母に当たるおばばの前まで来ると、誰からも許可されていないが勝手に胡坐をかいて座る。本来であれば許されないようなことだが、皆固唾を呑んでこちらの動向を見つめていた。とばっちりも被害も被りたくないから、大人しくしていることにしたのだろう。

「俺が行くと行っても……お前はその意味が分かっているのかい、ショウタ。やつらは外国の男を召し上げて子孫を残すという特殊民族。人質に行くというのは……」

「当ったりめぇじゃん、ばあちゃん。耳が遠くなったかよ。俺が蝶の国に人質に行く」

皆まで言わせないで、おばばを遮った。ショウタと気軽に呼んでくるのも、おばばを気安くばあちゃんと呼べるのも、おばばの血を引く族長一家だけ。また何より、この真っ白な髪が証明している。自分はおばばの直系の孫なのだと。

そして今回の人質の引き渡しに、唯一該当する人間なのだと。

月明りが白髪と色白の顔に反射すると、どこからともなくはっと息を呑む音がする。自覚したことはないが、ショウタは族長の血を濃く引いて、女神のように見えると聞いたことがあった。実際これまでも、いくつかの家から婿に来ないかと打診があったが、こういう状況になった今は関係ない話だ。

「アルルは女社会だ。俺がいなくなったって、姉さんたちがいれば心配ねぇよ」

現在16歳。自分はまだ成人前だ。家族に兄と姉と妹がいるが、成人前の男の子は、自分の他にいない。また次期族長になる姉には息子がいるが、まだ乳離れしていない幼子で、片道一週間以上かかる長旅をすることは不可能だった。

要するに人質として現在引き渡せるのは自分一人だけ。誰から指摘されるわけでもなく自覚していたから、今夜は居ても立ってもいられずにこの集会所まで来てしまった。

村のみんなは引き続き黙っていたが、どこか先程とは雰囲気が違う。人質に行くと自分から言い出したのを見て、安心したのだ。本当は誰もが言いたかったに違いない。「お前に行って欲しい」と。しかし誰一人として、そう口にしなかっただけだ。身内を売った人間には、なりたくなかったから。

おばばはその様子を悲しげに見つめ、やがてため息とともに決断した。

「よろしい。ショウタを送り出そう」

族長のおばばの言葉は絶対である。どこからか安堵の声が出たのは、おばばにも聞こえてしまったらしい。途端におばばが申し訳なさそうな顔を向けて来る。しかしおばばにはアルルを守る責任がある。村全体のためだったら、切り捨てなくてはならない。

たとえ、それが、目に入れても痛くない、愛する孫息子だったとしても。

安心させるように力強く頷いてみせ、さっそうと集会所を出てしまう。

みんなにこれ以上、心苦しい気持ちは味わせたくない。


こうして一年後、蝶の国に人質に行くことに決まり、あっという間に今日という日を迎えてしまった。

あくまでも、自ら望んだ結果だ、という体で。

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