第98話

 ピスパーはその見た目に似合わないスピードで俺の体を躱していて、いつの間にか自分の前に更に小さい壁を展開している。

 勢いが乗った俺は、そのまま奴の後ろにあった梯子の穴にダイブしてしまう。


「し……しまった! りくぜ……!」


 体を捻じって、何とか梯子の一段目は掴んだ。しかしピスパーの反応は速い。一段目の上に光の壁を張り、俺を閉じ込める。

 甘かった。軽率だった。

 相手は最初から、戦力の分断・各個撃破を狙っていたのか。


「貴様はレオス様直々に相手にするとのことじゃ。ワシは余計な陸前家の娘を任されておるが故、大人しく進め」

「ふざけるな! 陸前を放っておけるか!」

「くどいぞ」


 ピスパーの手から、ヒトガタが生成された。


「……!」


 一体ではない。何体もだ。

 それが壁をすり抜けて、俺に手を伸ばしてくる。


「邪魔だ!」


 片手しか使えない。しかもこの長剣だ、振るえなどしない。突きだけが攻撃手段だ。

 しかし片腕だけで梯子を掴み続けるのも無理があり過ぎる。すぐに腕に震えがきた。


「ぐ……! くそ!」


 このまま落とされるか、捌き切るか。しかし相手の物量は圧倒的の一言だ、このままだと落とされる。

 大人しく梯子を下りれば落下の被害は防げるが、そうすればピスパーは更に壁を増やしてくるだろう。戻ることも出来ない。

 下には間違いなくレオスが待っている。悠長に陸前を待つことは出来ない。

 二人そろって行くには、今を耐え抜くしかない――


「兼代君」


 俺が剣で壁を突き砕こうとした時。陸前の静かな声が聞こえる。


「すぐに行きますから、大丈夫です。兼代君は先に行ってて下さい。こんなとこで消耗してる場合じゃないでしょう」

「陸前! でも、お前! こいつをどうやって倒すんだ!?」


 陸前のコキュウトスで敵うような相手とは思えない。そもそも魔念人を倒すには至らないと自分でも言っていたのに。


「倒す方法は、戦いながら考えますよ。私は今んとこ撃破数ゼロですし――ちょっとくらい撃破数を分けてくれなきゃ、陸前家の名が廃っちゃいますよ」

「……!」

「まあ兼代君ならレオスなんかちゃちゃっと倒しちゃうでしょうから。その時には頼みます」

「……」


 思い出す。

 陸前が最初にコキュウトスをお披露目した時。空から撃ち出した無数の矢の雨。ジョグの前に立ちはだかった姿のなんと頼もしかったことか。

 ミナタスを撃ち落とした時も、淡々と正確にやってのけた、俺の相棒。


「そうか」


 天照之黒影を下げると、ヒトガタの動きも止まった。

 相手は盾を出すだけが能の相手だ。危険も少ないはず。


「頼むぞ!」

「ええ」


 淡白な返事だった。それがかえって頼もしい。

 陸前の言う通りだ。相手は将蔵さんを殆ど単騎で負かしたという相手。消耗はしてられない。

 ここは――陸前の判断を仰いで。あいつの信頼に応えよう。






「さて」


 陸前はピスパーと向き合う。

 盾に覆われた体。それで兼代の背中へと続く通路を塞ぐ。

 退路は既に遮断されている。正真正銘一対一の戦い。

 陸前 春冬に表情は無い。しかしこの時は、誰にでも分かるほどの困り顔を無表情で表現していた。


「どうしましょうかね?」


 その言葉にツッコミを入れていた男も、今やいない。

 ただ、無表情を返す老人が陸前を見つめている。


「……陸前、春冬。といったの。貴様」

「え? ええ」

「ここを破れると思っているのなら、お門違いじゃ。貴様はこれを破れなければ、永遠にここからは出られんのじゃぞ?」

「……」


 分かっていることだ。閉じ込められたということは、その術者を倒さなくては出ることが出来ないということ。

 そしてその術者は、己をとらえる檻と同じ堅牢さを持つ壁の向こうにいることも。


「破ってみせますよ、隠居おじいさん」


 陸前はコキュウトスを構える。


「その先で兼代君が待ってますし」

「……ヒャッ」


 ピスパーは低く笑い、


「ヒャッヒャ」


 上ずった笑いを出し、


「ヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャ! ヒャッヒャっヒャッヒャ! ヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!」


 耳障りに笑い転げた。


「面白い! その意気がいつ尽きるか、のんびり観察させてもらうとしよう! ヒャヒャヒャヒャヒャ! ヒャヒャヒャヒャヒャ!」


 陸前はこの笑いを、当然のものと思っていた。

 内心、この男の出す壁は自分に破れるものではないと理解していたからである。

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