爪を噛むみたいに

 怒られると思ったんだ。

 ドアが開いたとき、はっとして手を止めた。こんなことをした理由を聞かれても答えられない、と焦る。ただなんとなく、本当になんとなくやってしまったことだったから。つい、爪を噛んでしまうみたいに。

 わたしは、クッキーを細かく潰していた。

 半分に割り、そのかけらをもう一度半分に割り、砕けてしまったかけらを指で潰すのを繰り返していたのだ。

 千草さんはテーブルのあたりを見つめて、首を、ほんの少し、傾げた。

 怒られると思った。

 食べ物をこういう風にすると、大人にはいつも怒られるから。別に食べたくないとか、遊んでいるとかそういうわけじゃない。いつも気がついたらやっているから、だから、やめることができない。

 わたしは肩を縮こめて、千草さんの方に神経を向けていた。そっちを見る勇気はなかった。怒鳴るなら殴るならそれでいいけどなるべく早く終わって欲しい、とそれだけを思っていた。

 けど、千草さんは怒らなかった。

「クッキーは嫌いだったかしら」

 千草さんは笑っているような声で言う。長い腕をつっと伸ばし、テーブルに溢れたクッキーのくずを掌で集めて、持ち上げたゴミ箱のなかに落とした。

「じゃあなにが好き?」千草さんがわたしを覗き込む気配がした。「甘いものは嫌い?」

 わたしは黙って首を振った。嫌いな食べ物ってなかったから。

「じゃあケーキとかどうかしら。フルーツのタルトがあるのよ」

 わたしはまた、首を振った。ケーキ。ケーキはダメだ。絶対バラバラにしてしまうから。ぐちゃぐちゃにしてしまうから。

「そう……」

 千草さんはそう言ったっきり沈黙してしまった。なにかを考えているみたいで、たまに小さくため息のようなものをつく。

「じゃあお菓子はやめておきましょう。今日は。そうね、ピアノを弾きましょう。いらっしゃい」

 くるりと身を翻して、千草さんはドアの方へ向かう。片手をノヴに乗せたまま、もう片方の手で手招きをした。わたしは慌てて、椅子から立ち上がる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る