第82話琵琶引(完)

 春江花朝秋月夜  往往取酒還獨傾  豈無山歌與村笛  嘔啞啁哳難爲聽  

 今夜聞君琵琶語  如聽仙樂耳暫明  莫辭更坐彈一曲  爲君翻作琵琶行  

 感我此言良久立  卻坐促絃絃轉急  凄凄不似向前聲  滿座重聞皆掩泣  

 就中泣下誰最多  江州司馬靑衫濕



春の水辺に花が咲く朝、また秋の月が美しい夜は、たいてい一人手酌で酒を飲む。

山のほうでは歌もあり、田舎のほうでは笛を吹く音もする。

しかし、そんなものは、ただの雑音、聴くほどの価値など、何も感じない。

そんな私は、今夜あなたの琵琶の音を聴き、まるで仙界の楽と感じた。

閉ざしていた耳も、ようやくその姿をもとに戻した。

できれば、もう一度、そこに座り直して、あと一曲弾いてもらえないだろうか。

あなたのために、この曲を詩に表現し、「琵琶の歌」を作るとしよう。

私の言葉に感じるものがあったのか、琵琶を弾く女は、しばし立ち尽くしていた。

そして、座り直して絃を激しく鳴らせ、ますます緊迫した音楽を作り上げる。

その凄絶としかいいようのない音楽は、先の演奏とは全く異なる。

周囲の満座の人々は、その凄さに全員が顔をおおって、泣き崩れてしまった。

その中でも、一番涙を流したのは、誰だったのであろうか。

それは、江州司馬、この薄青色の官服となってしまった、この私自身なのである。


※山歌:南方の山野で歌われる労働歌

※啁哳:騒がしい音、雑音

※促絃:早いテンポで琵琶を弾く。


○元和十一年(816)江州の作。

○共に都落ちした芸術家同士、心が触れ合う何かがあったのだと思う。

○琵琶弾きの妓女も、その前に弾いた「お客様用の音楽」から、自身の内奥の音楽を弾いた、それ故、演奏を真に迫るというよりは、真そのものを表現した。

○できれば、その場に居合わせたいと思うような、白楽天ならではの描写、さすがに凄いと思う。


○源氏物語で、都落ちした光源氏と、これもまた本来は都人の明石の君が琵琶を通じて心を通い合わせる場面があるけれど、作者紫式部も、この琵琶引を愛読していたという。



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