第92話 決心

 それを誤算や油断というのは、あまりにも可哀相だろう。


 別の空間、それも何らかの術で封鎖した場所から語りかけていた何者かは、決して油断はしていなかったはずだし、こちらの力量を軽んじていたわけでも無い。

 慎重に距離を置き、十分に安全だと確信した上で、俺に向けて語りかけてきたのだ。

 逆探知されないよう、いくつもの疑似空間で反響させながら、実に見事に声だけを届けてきていた。そこに魔素の残滓ざんしなど微塵も無かった。


(なんだけど・・)


 俺は、敵のおっさんが"白銀の君"と称していた我が家のお嫁ヨミさんを見た。


「命中・・腹部を貫通・・ですが核は外したようです。まだ動きます」


 狙撃銃を手に、ヨミさんが淡々とした口調で報告する。

 そもそも、うちのお嫁さん達、とりわけヨミさんとウルさんは、別空間に潜んでいるとか、そういう敵に慣れてますから・・。

 手法は知らないけど、どうやってだか別空間に居るはずの敵の姿を捉え、きっちり狙いをつけちゃってますよ?


 あ・・撃った。


「次弾命中・・頭部破壊ヘッドショット


 あ・・また撃った。


「次弾命中・・胸部破壊」


 ま、まだ撃つの?撃っちゃうの?


 俺はジスティリアを抱き寄せて、立射をしているヨミさんを惚れ惚れと眺めていた。

 きりりっ・・と目元が引き締まって美しい横顔なんです。本当に綺麗です。


「・・アンコさん!?」


 不意に、ヨミが射撃を止めた。呟いた声の動揺を耳にして俺はぎょっと眼を見開いた。ちょっとやそっとで動揺を表すような女の子じゃない。


「アンコ・・アンコっ?」


 慌てて、足元の影へ声をかける。

 しかし、どんなに呼びかけても、いつも元気に現れるはずの黒い球が出て来ない。


「ヨミ?」


 俺はすがるようにヨミを見た。ヨミなら・・ヨミになら何かが見えているはずだ。


「なにかの・・容器らしき物で、アンコさんが囚われていました。それを楯にされ・・・敵を討ち漏らしました」


 ヨミが桜色の唇を噛みしめた。


 信じ難い話だが、他ならぬヨミが見たのだ。それは事実だ。そして、ヨミにできなかったのなら、他の誰にもできない。


(アンコが捕まった・・どうやって?)


 影潜りがちょっと出来るくらいの連中に、あのアンコが捕まるはずがない。

 別の誰か・・何かが居たのか?

 アンコを上回る力を持った何かが・・。


「一度、城へ戻る。ヨミ、ジル、ユーフィンも来てくれ。事後処理は闇妖精ダークエルフに任せる。玉座の間だ」


 俺は千々に乱れる思考を振り払うようにして言った。

 ここは時間を掛けちゃ駄目だ。即断即決でいく。


「はい」


「わかりました」


「承知致しました」


 三者三様、緊張した面持ちで首肯して、転移術式によってウルが待つクロニクスの皇城へと舞い戻った。


 すでに、ウルとシーゼル・モアが玉座近くで待機していた。


「待たせた!」


 短く声をかけて、俺は玉座へと腰をおろした。

 すぐさま、追ってきたヨミ、ジスティリア、ユーフィンが整列する。


「アンコが捕まった。救出する」


「畏まりました」


 ウルが小さく頷いた。すでに状況は掴んでいるのだろう。

 こうした時、説明を省けるのはありがたい。


「今回の敵、位置の特定はできるか?」


「私に特定できない空間がありますので・・そこでしょう」


 ウルの双眸が赤みがかっている。かなり感情が荒ぶっている様子だった。


「・・なるほどな」


 俺はヨミを見た。

 こちらも久しぶりの絶対零度アブソリュートゼロである。表情こそ変わらないが、胸内で吹き荒れている氷雪が透けて見えるようだった。どちらも気合い十分だ。


「すまないが、ユーフィン。諸王国連合の掃討、龍人族の掃討、暗殺教団の掃討、すべてを君の指揮の下でやってもらうことになる」


 全員を連れて行く訳にはいかない。魔界中に宣戦布告をして回った後なのだ。


「お任せ下さいませ。近衛の力をお借りしても?」


「もちろんだ。こき使ってくれ」


「必ずや、ご期待に添える成果を」


 ユーフィン・ローリンが片膝を床に着いて低頭した。


「レナンとラージャも連れていく」


 俺はウルに向かって告げた。


「呼び寄せます。しばしお待ちを・・」


 ウルが双眸を閉じて、2人の居場所へと意識を集中する。


「ヨミ、ウル、ジル・・それに、レナンとラージャ、俺を加えた6人でやる。各人、完全装備で挑む。準備を頼む」


 俺は努めて平静に、感情を抑えながら手早く指示をした。


 久々に、怒りで頭が沸騰していた。

 玉座の肘掛けを掴む手元でミシミシと小さく破砕音が鳴っている。

 今すぐにでも飛び出して行きたい。

 だが、どう行けばいいのか。そこは、ヨミやウルに頼るしかない。


 ・・・じれったい。


 自分で出来ないというのが、これほどもどかしいとは・・。


「お待たせしました」


 ウルの声に、はっ・・と顔をあげると、きっちり甲冑を着込んだレナンとラージャが兜を小脇に、床に片膝をつけて控えていた。ウルも軽甲冑に黒いマントを羽織って短槍を手にしている。

 ヨミは常の軍服に、腰にはサーベルと短刀、背嚢のような背負い袋を背負っていた。ジスティリアはいつもの軍服に、法衣を想わせる深紅の長衣を羽織り、ヨミと同じようにサーベルと短刀を持っている。


「目的の第一は、アンコの救出。第二は、敵の抹殺。状況の確認だの、敵の素性がどうのは・・すべて後のことだ。まずはアンコを助け出す!」


 俺はゆっくりと玉座を立った。

 ヨミとジスティリアが俺のための装備を手に進み出る。俺の方は、いつもと変わらない。ただ、すべてを新しい物に着替えた。その上で、丈の長いマントを羽織った。


「ヨミ、ウル、ジスティリア、レナン、ユーフィン・・それから、ラージャ。おまえたちを愛しているように、俺はアンコを大切に思っている。あいつは、俺の大事な子分なんだ」


 独白するように語る俺を前に、ヨミを筆頭に女達が横一列になって整列した。


「どんな敵が待っているのか、どれほどの時間がかかるのか何も分からない。本来なら全員を連れて行きたいんだが・・状況がそれを許さない。人界はシュメーネとリーンに、魔界はユーフィンに、それぞれ預ける」


 俺はウルを見た。金毛の尻尾が膨らみ、静かに左右へ揺れている。半眼に伏せられた双眸は赤光を放ち、食いしばるように引き締めた口元には鋭く犬歯が覗いていた。


「・・本陣では無いかもしれませんが、関係しているだろう空間を特定いたしました」


 激情を押し殺した妖狐の双眸が俺に向けられる。


「よしっ・・」


 くそっ、なんて頼りになる女なんだ!

 こんな時じゃなければ押し倒して明後日の夜まで寝かせやしないのにっ!


「ユーフィン、魔界側だけでなく、人界側にも厄介な敵がいる可能性がある。シュメーネと連絡を取りながら対処してくれ」


「お任せ下さい。我が最愛の主マイロードに精霊王の祝福があらんことを・・」


 ユーフィン・ローリンが闇妖精ダークエルフの祈りを捧げた。


「俺達をおびき寄せる罠が仕組まれていることを前提に行動する。まずは転移途中、そして直後の対策だが・・」


 俺が切り出すと、すぐにウルとヨミ、ジルが参加して簡潔な議論、そして打ち合わせを始める。レナンとラージャは甲冑人形のように沈黙したまま佇立していた。


(許さん・・絶対に許さん)


 ふざけた真似をした連中は、塵一つとして遺さない。いつぞやの吸血鬼同様、とやらに変えて消し去ってやる。


(遠慮しねぇぞ・・・今度ばかりは、禁じ手でも何でも使ってやる!)


 俺は煮えたぎる怒りを抑えるように拳を握りしめながら決心を固めていた。

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