第84話 絶望

「ホウリウスっ!何処だっ!お望み通り、ガレシア・バーンハイドが来てやったぞ!」


 中央塔地下部に、安息池と呼ばれる地下水脈を利用した巨大な人工池がある。

 吸血鬼の一族が穏やかに眠るための棺桶が沈められた池だった。無論、満たされているのはただの水では無く、幾重にも防御の呪法を重ねて護られた不可侵の領域だった。


「どこだ、ホウリウスっ!ジスティリア・ホウリウス、姿を現せっ!」


 ガレシアの声は、大空洞に澱んだ空気の中を虚しく響き渡っただけだった。


「お、おのれぇぇぇ・・」


 眼前に広がる光景に、ガレシアは怒りに身を震わせていた。


 安息池の水底から水草のように無数の杭が突き出している。紅く染まった巨大な杭で、眠っていた棺桶ごと貫かれた無数の同胞達が苦悶しながら弱々しく足掻いていた。

 貫いた杭から生え伸びたであろう無数の棘が、不死者達が抜け出すことを許さず、杭に縫い刺しにしたまま苦鳴をあげさせている。


「くっ・・リーリン!何処だっ?」


 文字通りに牙を剥き、背から黒々とした翼を生やしながらガレシアは三度、四度と声を張りあげた。


 その時、


「むっ・・」


 不意に殺到する気配を感じて、ガレシアは頭上を振り仰いだ。


 破城鎚を手にした巨人兵が降ってきた。特装兵と呼ばれる、魔瘴魂を埋め込まれた人造の巨人である。


「くだらぬっ!」


 風鳴りがするほどの勢いで振り下ろしてくる巨大な破城鎚を、ガレシア・バーンハイドは片手を頭上へ掲げて軽々と受け止めていた。


れるか、ホウリウスっ!」


 鋭く怒声を放ちながら、握りしめた拳を巨人兵めがけて突き出す。

 拳が届くような距離では無かったが、わずかな間を置いて、巨人兵の胴体が大きく陥没し、巨体が弾け飛んで床に弾み安息池へと落ちていった。


 その様を見送る間もなく、


「ガレシア・・さま」


 いきなり背後から声を掛けられた。


「・・ぉお、リーリン!・・・おまえ・・もう」


 ガレシアの顔が絶望と怒りで歪んだ。

 長年自分に付き従ってくれた側小姓だ。見間違えるはずが無い。あのひたむきな忠誠に満ちた紫瞳は生気を失い昏く濁ってしまっていた。それは、支配に堕ちた者の眼だった。


「・・・許せ、リーリン!」


 ガレシアは、憤怒の形相で爪を伸ばした手刀を一閃し、少年の首を断ち斬った。

 なおも向かって来ようとする少年の胸へと手刀を打ち込んで心臓を破壊する。


「ぁ・・・ガレシア・・さま」


 足元に転がった少年の顔がゆっくりと動き、主人を見つめながら名を呼んでいた。


「すまぬ・・リーリン」


「お・・にげ・・くださ」


「リーリン?」


「おにげ・・くだ・・」


「大丈夫だ。後は任せておけ・・このガレシア・バーンハイドはすでに吸血鬼など超越した存在だ。いかに祖に近しい者であろうとも我が敵では無い!」


 慰めの声をかけようとして、ガレシアは弾かれたように立ち上がって身構えた。

 何者かが居た。

 前触れ無く、唐突に、降って湧いたように気配が出現していた。


「ホウリウス?」


 低く誰何の声をかけたが返事は返らない。


「・・違うな。貴様は・・」


 双眸を怒らせ、睨み付けるようにして、まだ遠い敵の姿を凝視する。


「あんたが血吸いの親玉かい?」


 紅蓮のような髪をした大柄な女が静かな歩みで近づいて来ていた。

 映像で見た。獅子種の獣人だった。


「ホウリウスは・・ジスティリア・ホウリウスは何処だ?」


「城へお戻りになった」


「・・なん・・だと!?」


 ガレシアは眼を剥いた。


「お飽きになったそうだ」


 獅子種の女が軽く肩を竦めて見せる。


「おのれぇ・・どこまでもふざけた事を」


 歯ぎしりをするガレシアを見ながら、獅子種の女が真っ赤な髪を乱暴に掻き上げて背へ流した。


「雑魚は見逃してやっても良いんだが・・あんたには訊きたい事があってね」


「獅子種・・獣人風情が、吸血鬼である我を前にたいそうな口を・・」


 言い掛けて、ガレシアが眼を見張った。

 女の姿が視界から消えていた。


「加減はしてやる」


 聞こえた声は、すぐ耳元からだった。


 慌てて振り返ろうとしたガレシアだったが、凄まじい力が足を掴みあげて逆さ釣りに持ち上げられていた。


「ぅ・・あ?」


 直後、小枝でも振り下ろすかのように、ガレシアの体は床めがけて叩きつけられていた。破砕した床石が飛び散る中、再び、ガレシアの体が振り上げられた。

 そして、振り下ろされた。


 二度、三度、四度・・。


 抗う事の出来ない剛力にガレシアは支配されていた。

 骨が砕け、肉が裂ける。飛散した血液のただ中に放り出すなり、獅子種の女は背負っていた大剣を振り上げ、地べたで呻くガレシアの腰めがけて振り下ろした。

 上半身と下半身に寸断されたガレシアが絶叫をあげて転がる。

 その下半身に短剣を突き立てて床まで貫き徹してから、獅子種の女が這いずるガレシアの頭を鷲づかみに掴んで引きずり上げた。


「正直に答えな」


 間近から見据える獅子種の眼光に、ガレシアの心身は震えた。

 逃れようのない恐怖に支配されていた。

 

「帝国は北を攻めたかい?」


「き・・きた?」


「極北さ」


 ガレシアの頭蓋が、みしり・・と嫌な音をたてる。


「・・ぁ・・ああ、いや攻めていない」


「本当かい?」


「北軍は大規模侵攻を始めていた。だが・・あの世界が改変された時に、大勢の兵士を失った。気象が激変し・・とても生きていける世界では無くなった」


「・・ふうん、北にいた獣人は何処へ行った?」


「知らぬ・・いくつかの部族に別れたまでは把握している。だが、帝都が魔獣に襲われために、追っていた部隊は呼び戻された」


「ま・・筋は通って聞こえるね」


 ふむ、と獅子種の女が頷いた瞬間、


「イージス・・ライトニング!」


 ガレシアが密かに準備していた魔法を発動させた。轟音と共に雷が爆ぜ散って閃光が辺りを包み、無数の雷光が獅子種の女へ降り注ぐ。

 この至近距離だ。どんなに素早く動こうとも回避は間に合わない。

 その隙に、脱しようとしたのだが・・・。


「これ、何がしたいんだい?」


 ガレシアの頭を掴む手は小揺るぎもしていなかった。

 それどころか、魔法に弱いはずの獣人が、ガレシア渾身の雷撃魔法を躱しもせずに涼しい顔で浴びている。


「馬鹿な・・貴様、いったい・・ただの獅子種では無いのか?」


「あん?何を言ってやがんだ?ただの獅子種さ・・ああ、まてよ・・ただのじゃねぇな。一族のもんは、てめぇらに玩具にされて死んじまったんだ。最後の獅子種ってやつさ」


「・・さ、最後の・・」


 ガレシアは絶望に眼を見開いた。


「貴様達、帝国兵を根絶やしにする・・・それだけを考えて磨ぎ続けてきた獅子の爪だ。ようく味わって地獄へ逝きなっ!」


 獅子種の女が熱く滾るような口調で宣言したのが聞こえた。

 それが、ガレシア・バーンハイドの最期となった。

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