第70話 黒の天使
右を見ても左を見ても鏡のような薄板に仕切られ続ける空間。改めて言葉にする必要など無い事だが、
「なあ?どうやって出れば良いんだ?」
俺は半死半生の体で倒れ伏している吸血鬼の親玉を前にして、尋問を繰り返していた。
この奇妙な吸血鬼は、真名という存在を縛る核を無数に所持しており、しかも次から次に新生させるという面倒な特技を持っていた。おかげで、真名による拘束時間はほんの数分しかなく、つまり・・次から次にぶん殴ったり踏んだり蹴ったりして、新生した真名を調べて拘束し続ける必要があったのだ。
決して、好きで殴っているんじゃないぞ?
俺は暴力は嫌いだからね?
「呪陣がどうの、血縛の法がどうの・・・分かんないんだよ!もっと、俺に分かる言葉で説明しろっ!」
俺は倒れたままの吸血鬼の親玉の顔面を踏みつけた。
うちの奥方達が強すぎて目立たないかもしれないが、鍛錬に付き合わされて俺の身体もそれなりに強くなっている。腹立ち紛れに踏み下ろした足は、いとも容易く吸血鬼の顔面を圧砕した。
最初は隙を見つけて襲いかかって来ようとしていた吸血鬼だったが、今は総てを諦めてしまっていた。何をどうやろうとも、どんな攻撃を当てようとも、俺は傷一つ負わないのだ。
俺を幽閉するための空間は、吸血鬼自身を閉じ込める監獄と化していた。
「・・・次は、ニーンル・ドル・マティオか」
もちろん、新しい真名を調べるためにやっている行為だ。
決して、好きで踏んでいるんじゃない。
そして、何の策も無いままに尋問ごっこを続けていた訳じゃない。
「もう、アレだねぇ・・何千年も生きて来たのに、こんなに弱っちくて、真名を増やす他に能も無いし・・何て言うの?憐憫?・・同情しちゃって良い?」
主な目的は、こうやって嫌味を聴かせ続けることにある。
そして、また踏みつける。
「サスーラ・ミン・ミケイル君か」
ふむふむ、と俺は大人ぶった表情で鷹揚に頷く。
「俺、まだ十八歳とかなんだけどさ?数千年も頑張ってる君より強くなっちゃった?なんだか、申し訳無いねぇ?・・あはは?」
そして、また踏む。
尋問というのが何かを聞き出すための行為だとすれば、答える間を与えていないので、ちょっと違うのかもしれないが・・。
俺は小さな事は気にしない男だ。
なにしろ、皇帝なのだから。
「ビムリス・モンド・コーム君、君にはどんな価値があるのかね?阿呆みたく長生きしてきたようだけど?主人である俺に分かるように説明してごらん?」
真名を知った最初に、同じ空間に来るように命じて以来、8千年を生きる吸血鬼にとって気が遠くなるような時間、俺に隷属させられたまま死と再生を繰り返していた。
(でも・・飽きてきちゃった。コレ、どうしよっかなぁ・・)
ただ踏みつけるという行為も疲れるのだ。
こいつは、俺の苦労を理解しているのだろうか?
筋肉痛になったらどうしてくれるんだ?
俺は忙しいんだぞ?
(まさか・・踏まれて喜んで無いよね?)
多少、疑心暗鬼というか、淡い不安が俺の心をざわめかせる。
まさか、誤解はされていないと思うが、俺はコレの治療をしているのだ。
おかしな妄想を抱いて、いたいけない少女を追いかけ回している頭が桃色な老人を更正させようという試みなのだ。いろいろと方法はあるのだろうが、まずは素直になって貰わないといけないだろう?そう考えての処方なのである。致し方ない力業なのである。
この桃色老人が最後に縋る根源・・。
それが、この新生し続ける”真名”にある。何者にも支配されず、滅せられても新しい真名を持った核が生まれるという正しく不死を体現している肉体が、この桃色老人の絶対的な強みだった。それ以外は、まあボチボチだ。
うちのお嫁さん達を見ているだけに、戦闘能力といった面では、どうしても見劣りしてしまう。まあ、吸血鬼の社会では親玉らしいから、自分が強くなくても、強い奴を使役すれば良いんだろうけど・・。
うん、俺もね、まあ似たようなもんだし・・。
吸血鬼の中には、ジスティリアのように強い奴なら沢山いそうだけど、これだけしぶといと最後は根負けするだろう。生き残った者が偉いというルールなら、この桃色老人は最強というわけだ。
(まあ、根比べなら得意よ?俺も長生きらしいし?でもねぇ・・ちょっと方法を変えないと飽きるんだよなぁ)
こちらも寿命無制限である。体力回復し続ければ、それこそ永遠に踏み続けることだって可能だけども・・。
それは実に不毛なので、一応の仕込みをやっている。
いわゆる再生の逆、魔瘴を潰すのと同じ感覚で、強い意思を込めて踏んづけている。"野郎、ぶっ潰してやるっ!"というやつである。これは、魔瘴根治の根幹となる手法で、平たく言えば"てめぇ~ぶっ殺してやる!"という強い意思を込める事によって爆発的な効果が発生して対象の撲滅を図る事が出来るという秘技だ。
たぶん、魔瘴がボコボコと連鎖した・・ヨミ達と初めて会った時に開花した能力だと思う。あの時には何となくしか解っていなかったけど、今なら一つの技能として認識できる。
そもそも、魔瘴というのが、この桃色老人と同様に、延々と再生を繰り返すのだ。アレを撲滅する技能が、そのまま桃色老人を滅する技能となる。
これは自慢だが、俺は魔瘴退治にかけては世界一の技能者だと自負している。
桃色老人の一匹や二匹、ただ滅ぼすだけなら造作も無い。
(でも、普通に潰したんじゃ、面白くないもんな)
ウルの話ぶりからして、大昔から困ったちゃんだったらしいし、滅ぼす前に少し折檻しておかないといけないだろう。ジスティリアの母親の死にも関与しているっぽいから、その辺も含めて罪を償わせないと駄目だ。罪を犯したから滅ぼされるんだと理解させた上で滅ぼさないといけない。
皇帝として、そこはきちんと務めるべきだろう。
他の吸血鬼に比べて厄介な点は、細胞の再生サイクルの速さと真名の転生のみ。要するに、しぶとく生き残る力だけが抜群に優れているが、他の能力はちょっと強いくらいの吸血鬼なのだ。
(で・・新しい真名が生まれなくなると、どうなるでしょう?)
やたらと再生の速い吸血鬼というだけで、こいつの特異性は失われるわけだ。
おまけに、真名を知っている俺の支配を受け続ける事になる。
(ふむ・・)
闇妖精のシュメーネを蝕んでいた魔瘴は治療し損なったために特殊な物体に変異していた。あれを参考に、桃色老人の真名を再生させる核そのものを変異させてやろうと・・・まあ、そんな感じで色々な試みをやっていた。
(・・なんだコレ?)
概ね、核そのものを変異させる事には成功しているのだが、俺の指先がどうにも奇妙な違和感を覚えていた。
おかしな言い方になるが、この頭が桃色な老人には別の存在が混じっている・・?混ざり物がある・・という感じだろうか。この俺が、真核を弄って初めて気付いたくらいの微少な気配が核の中にあった。
存在というより、記録?核の記憶のようなもの・・と表現するべきか。
(・・どうも、これ・・よろしくない感じ)
そう思いながらも開けてしまいたくなるのが男の子・・。
蓄音機が針で音を読み上げるように、俺は指先で真核に秘された記憶を読み解いていった。
後悔した。
(絵日記かっ!)
そう突っ込みたくなる映像記録でびっしりと埋め尽くされ、誰が創ったのか詩吟らしき文字の羅列が飛び交った世界・・・。
いや、文字で書けばそれだけの事だが、すべてがジスティリアとそれを讃える詩吟なのである。
映像の一例としては・・、
屋敷で挨拶をしている、幼いジスティリア。
木陰で昼寝をしている、幼いジスティリア。
薄暗い部屋で本を読んでいる、幼いジスティリア。
母親に甘えている、幼いジスティリア。
泉で水浴びをしている、幼いジスティリア。
・
・
・
そして、それぞれにちょっとイケナイ妄想を込めた詩が書き込まれている。
(うわぁ・・無いわぁ、こいつ・・)
俺は確信した。いや、知ってたけども・・。あらためて、思い知った。
この桃色老人、もはや種として存在してはいけないレベルに達していた。
映像の総てに、ちょっと吐き気を催す類の煩悩が詩吟調に綴られている。恋い焦がれるとかいうレベルじゃぁない。妄執です。正直、危険です。
もう駄目でしょう、この生物は・・。
「ああ、君・・・今度はチャリス・モント・オーガリスか。すまないが、君の記憶を見させて貰ったよ」
俺はそっと語りかけた。できるだけ、優しい口調を心がけたつもりだ。まあ、ちょっぴり笑顔が硬かったかもしれないけど、仕方ないよね。吐きそうだし・・。
「まあ、なんだ。まさか、君がジスティリアにそこまで惚れ込んでいたなんて・・うん・・なんていうか、ほら・・8千年も独り身だったんだって?いやぁ・・初めてを捧げるつもりだとか、おかしな詩に書いてあったけど・・その、何て言うか、気持ち悪いよね?気色悪いっての?ちょっと病院行った方が良いかも?ああ・・そっちは俺には治せないなぁ。ごめんね?」
足下で、桃色老人が、まだ踏みもしないのに勝手に絶命した。言葉だけで絶命できるとか器用な奴だ。まあ、すぐに蘇るのだが・・。
「いやぁ・・すごい詩ばかりで、ちょっと吐きそう。俺、無理だわ、こういうの・・」
再び、最古の吸血鬼が絶命した。
「まあ、ジルはもう俺のものだから無理だけど・・世の中には、君の・・・その不気味な愛を受け入れてくれる人が居るかもしれないよ?あ・・・そうだ!俺、協力してあげるよっ!君の恋人捜しをやろう!全世界に向けて、君の愛の詩を発信しよう!8千年、操を守っていますって!全世界に声を大にして叫ぼうじゃないかっ!」
拳を握り締めて力説する俺の足下で、少年の姿をしていた最古の吸血鬼が水分を失うようにして皺を増し、干物のようになっていく。
嗄れた声で何かを言いかけて力尽きるように絶命した。
「お、おい・・元気だせっ!これからだぜ、人生は?8千年が何だ?これから取り戻せば良いんだぜ?すっごい可愛い子が飛びついてくるかもよ?」
しばらくして蘇った吸血鬼が、何かを懇願するように喉をひゅうひゅう鳴らしていたが声が小さすぎて聞こえない。
「うむ、俺に任せろっ!必ず、総ての愛の詩を全世界に届けることを約束しようっ!」
俺は慈愛に満ちた眼差しで何度も頷いて見せてから、周囲に方陣を展開した。
「召喚っ!夢幻の伝言蜂ぃっ!」
俺の呼び掛けに応じて、金色をした小さな蜂が一匹、また一匹と姿を顕した。
「フォーマン・コウ・カール君、心配するなっ!我が伝言蜂は、魔界の夢魔にも勝る夢使いなのだ。君の詩を全世界の人々に、夢を通じて発信してあげることを約束する!うん?・・ああ、心配するなって、全部タダでやってやる。金は取らんから」
萎びた手を伸ばして懸命に動こうとする吸血鬼を制して俺は蜂達に命令を発した。応じて、無数に浮かび上がっていた金色の蜂達が音も無く消えて行く。
「うむ・・これで、一夜と待たずに、君の愛の詩は全世界で語られるぞ」
俺は笑顔で足下の吸血鬼を見下ろした。
「・・あら?」
最古の吸血鬼が倒れ伏したまま崩れ始めていた。
新生するはずの真名が失われたまま蘇らない。
(ん・・?)
どこかで、何か硬質な物が破砕したような音が聞こえた。
思わず耳を澄ませた、その時だった。
ギィィィィィッィーーーーーーーーーー
硬い物を擦り合わせるような音が大きく響き渡り、唐突に俺の周囲がブラックアウトした。
一切の物が視界から消え失せ、床のように感じていた足場も、俺を包んでいた空気も何もかもが感覚の外へと消え去っていた。
(・・おぅ)
何とも言えない浮遊感覚が下腹の上あたりをくすぐる。
落ちているのか、飛んでいるのか・・。
面白い空間だ。
(でもねぇ・・)
俺の口元に皮肉な笑みが浮かぶ。
ギィィィィィッィーーーーーーーーーー
再び、大きな摩擦音が鳴り響いた。
『オヤブン オマタセ』
一声掛けて、俺の足下から漆黒の球体が浮かび上がって来た。
うちの子分は優秀なんだぜ?
どこのどいつが仕掛けたのか知らないが、空間遊びじゃ、うちのアンコさんには敵いませんよ?
『ココ ツナガッテナイ クウカン トギレテル ジカンカカッタ』
何やら言っているアンコを、俺はぺちぺちと叩いて笑って見せた。
「なぁに、良いって事よ。ちょうど良い感じだ」
『キュウケツキ イナイ ドコイッタ?』
「う~ん・・どっか?もしかして、死んだかも?」
『シナナイ キュウケツキ シンダ?』
「なんかさ、消えちゃったんだよねぇ」
俺は、アンコを抱えたまま周囲へ視線を巡らせた。
『ウル アンコ ミツケタ』
「おっ・・」
『ウル クウカン ツナゲタ デモ ジャマスルモノ イル』
「へぇ?」
うちのお嫁さんの邪魔をするとか、どんな勇者だ?
正直、やばいんですよ?
どうなっても知りませんよ?
一族郎党どころか、町ぐるみ、いや国単位で消し飛びますけど、よろしいか?
『ココニ キタ』
「む・・?」
アンコに言われて、俺は視線を振り向けた。
(ほう・・?)
漆黒の闇の中に、大鳥が翼を拡げるようにして、翼のある巨人が姿を顕していた。腕が四本あるので、こっちの人では無さそうだ。魔界の生まれだろうか。鳥のような翼があるくせに、頭は人間っぽい・・・ああ、髪の毛は無くてツルリと肌を晒しているが、頭の形状、目鼻立ちなどは人のソレに近しい形状をしていた。
「即時、降伏と謝罪をすることを勧めるよ?」
俺は巨人に話しかけた。これ以上無い、友好的な会話だろう。
しかし、
"虫けらめが・・・永遠なる死をくれてやろう"
非常識なくらい大きい巨人の周囲で膨大な魔素が大河のように渦巻き始めた。
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