第69話 夫人会議

「ジルっ!立ちなさいっ!」


 鞭のような鋭さを持った声が飛んだ。

 泣き崩れるようにしてしゃがみ込んだ吸血姫が、思わず背を伸ばしたほどに激しい叱咤の声は、普段は冷え冷えとした無表情で寡黙な銀髪の麗人が発したものだった。


 泣き濡れた顔をあげた吸血姫を、ヨミの氷刃の双眸が真っ向から射すくめた。


「お、お姉様・・」


 ジスティリアの声が震える。それほどに、ヨミの眼光は怖ろしかった。


「心配せずとも、ユート様は必ず無事にお戻りになられます。例え、万の齢を数える魔人であろうと・・私達の旦那様を害する事など出来ません。しばしの間、いずこかに足止めをする程度でしょう」


「は、はい・・」


「ですが、私は・・いいえ、私達はその無礼を赦してはなりません。良いですか?私達は、あの方の・・ユート様の妻なのですよ?一分一秒たりともご不自由な思いをさせてはなりません!泣いている暇があるなら、あの道化に向かって牙を剥きなさい!この世の何処に隠れようとも・・いいえ、この世では無い場所へ居ようとも、探し出して罪を償わせなければなりません」


「・・はい!」


「御師様」


 ヨミの双眸が狐耳の佳人へ向けられた。


「心得ております。今は・・私の探知を逃れておりますが、逆にそれこそが場所の見当をつけさせてくれます。伊達に永く生きてはおりませんよ」


 ウルの方は、双眸を赤々と光らせ、逆立って膨らんだ金色の尻尾をゆっくりと振りながら宙空の一点を睨み据えている。


「あの者の不死性は驚くべきものですが・・・貴女が言うように、ユート様の生命を脅かす要素は皆無です。ただ・・・すぐにお救い出来ない事が歯痒い!・・ずらした空間を力ずくで越えるとなると・・半日はかかってしまいそうです」


「小母様・・」


「ジスティリア、貴女の母親は、まだ赤子だった貴女を護りながら800もの吸血鬼を滅した最強の吸血鬼だったのですよ?自分で手出しが出来ず、ひたすら配下の者をけしかけ続けた卑劣漢などに泪を見せるなど・・・恥を知りなさい!」


 依然、宙空を見据えたまま、ウルが叱りつけた。


「・・はいっ、申し訳ありません!ジルはもう泣きません!」


「レナン・・ここへ」


「はっ」


 呼ばれて、レナンがウルに近付いた。


「あの者は真贋をすり替えることに長けています。命の核とも呼べるものを無数に持っていて、それぞれ一つ一つを破壊しても、すぐに再生してしまう。貴女の呼び寄せで強制召還しても、あいつを仕留めるには至りません」


 レナンには、先代のクロニクス皇帝を強制召喚した呼び寄せという技がある。相手を目視出来ていれば、距離に関係無く、瞬時に召喚してしまう秘技だが、


「・・なるほど」


「故に、8千年もの月日を生き延びてきたのです。おまけに、アモンという自身と似通った特性の吸血鬼を滅ぼしたヨミの手並みを見たがために、より慎重になっていることでしょう。我々の前に姿を見せたとしても、それが総てでは無いと言うことです」


「厄介ですね」


 レナンが小さく舌打ちをして顔をしかめた。


「ですが・・我ら化身に至った獣種には思念を牙にする技があります。ヨミが、アモンを滅したように・・滅ぼそうという意思を爪牙にのせれば不死者の命にすら傷を与えます。かつて、それを成せたのは私一人でしたが、今はヨミはもちろん、レナン・・貴女も使えますね?」


「・・おそらく」


「それから、ジル・・・貴女はもう能力を抑える必要など無いのです。その時が来たら、その身に受け継いだ血を目覚めさせなさい。御しきれぬ事を怖れる必要はありません。ここには、ヨミが居て、私が居て、レナンが居るのですよ?」


「はい、小母様・・ジルはもう躊躇いません!」


 吸血姫が心を定めた表情でしっかりと頷いた。


 その時、


『オヤブン ゲンキ ケガ ナイ』


 ヨミの足下からアンコが浮かび上がってきた。


「アンコさん・・良かった!お兄様はご無事なのですね?」


 ジスティリアが歓喜に声を震わせた。


『オヤブン キュウケツキ イジメテル』


「・・いじめ?ユート様が戦っておられるのですか?」


 訊ねたのは、ヨミだ。厳しい表情ながら、声音に安堵が滲む。


『オヤブン マナ シラベタ キュウケツキ サカラエナイ』


「まな・・真名ですか!?しかし・・あの者には無数の名があるはず。一体、どうやって・・」


 呻くように呟いたのは、ジスティリアである。


『ワカラナイ アンコ オイツイタトキ キュウケツキ ウゴケナクシテ タクサン ナグッテタ イマ ズット フンデル』


「・・さすがは、ユート様です」


 ヨミがうっとりと頬を染めて吐息を漏らした。双の手を差しのばすようにして、黒い玉を大切そうに抱きかかえる。


『オヤブン モドルマデニ フネ ジュンビスル コレ デンゴン』


「・・承った!」


 レナンが深々と頭を垂れて踵を返した。向かう先は、エビルドワーフの工房町だ。


『モウヒトツ デンゴン アル』


「何でしょう?」


『キュウケツキ テイコク ナカヨシ ゼンブ ハナシタ』


 ユートが訊いてもいないのに、べらべらと色々な事を話しているらしい。


「あの者と帝国が結んでいたと?」


『ジッケン イッパイ ヘイタイ ツクッタ』


「兵士を・・呪因でも埋め込みましたか?」


 ウルが顔をしかめた。


『マカイ マショウスクナイ ダカラ テイコク マカイ セメル クニ ツクル』


 魔瘴にまみれた世界を脱して、魔界へと移住する計画を立てていると言う。そのための兵士を生み出し、軍備を増強している最中だという話だったらしい。

 普通に聴けば一笑に付すような話だが・・。


「・・ユート様のご指示は?」


『テイコク マカイ イク カンゲイスル』


「歓迎・・なるほど、魔界で迎え撃つおつもりなのですね?」


 ラージャが眼を輝かせた。


『オヤブン フネデ リョコウシタイ』


「りょっ・・旅行でありますか!?」


『タノシミ シテタ』


「そ、そうでありましたか・・・確かに、帝国などに構ってやる必要は無いのでしょうが、それでは魔界が・・・いえ、陛下の深慮遠謀に間違いは御座いませぬ。きっと、私などには分からぬ、お考えがおありなのでしょう」


 あれこれ呟いて自分を納得させようとするラージャだったが、その顔には一抹の不安が滲む。

 クロニクス現皇帝は、元々、魔界の出身者では無かったし、日頃から魔界のことを考えているとは、到底思えないような素行、言動をしている。ラージャで無くとも、不安に思うのは無理からぬことだろう。


『オヤブン ヨンデル イッテクル ウル アンコ ミテテ』


「わかりました。お願いしますね」


 ウルがにっこりと相好を崩して頷いた。

 アンコが正確な座標を教えることで、どれほど隔絶した空間であっても行き来が自在になる。秘呪の痕跡を辿る作業が不要になるのだった。


『マタ アトデ』


 そう言い残して、アンコがヨミの足下にある影へと潜って行った。


「ジル、吸血の一族はどの程度の規模ですか?」


 そう訊ねたヨミは、先ほどとは別人のように穏やかな表情になっていた。


「個々が領地を持ち、権勢を競い合って譲らないため、数はさほど多くありません。取るに足らない雑種を除けば、二千に届かないかと」


 応える吸血姫も常の落ち着きを取り戻している。


「その者達に、生きるか滅ぶか、自ら選択をさせましょう」


「はい、お姉様」


「シュメーネ、帝国の動向を密に探る必要があります。皇城にも連絡をしておいてください」


「畏まりました」


 闇妖精の姫が膝を着いて頭を垂れた。


「そろそろ・・断裂していた空間を繋ぎますよ?」


 金色に光る瞳で虚空を見つめたまま、ウルがそっと呟いた。


「大丈夫です。例え、分子と化そうとも・・」


 総身から白銀光を立ちのぼらせながら、ヨミが頷いて見せた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る