第68話 幽閉の帳

”ふん・・・ずいぶんと懐かしい・・あの時の小汚い狐娘がまだ生きておったか・・”


 少年の幻影が小生意気な口調で気安げにウルに向かって話しかけた。


「ジルの母親を殺した男が・・・その娘を娶ろうとは、長く生き過ぎると恥というものを忘れるようですね」


 ウルが冷え冷えとした声音で応じる。

 すぐ横で、ジスティリアが弾かれたように顔をあげてウルを見た。


(母親の仇だと、知らなかったんかな?)


 吸血姫の動揺を見てとってから、俺はちらとヨミの様子を窺った。これは、どう転んでも全面戦争になる。相手の程度は知らないが、ウルやジルの様子からして、かなり手強いのだろう。ヨミも先ほどから静かに黙っているが、ひっそりと気配を断ったまま大量の魔素を練り続けているようだった。


”おいおい、花嫁を前にそのような誤解を招く物言いは迷惑というもの。あれを討ったのは、余では無いだろう?”


「800名もの吸血鬼による襲撃・・それを長であるお前が知らなかったとでも?ご丁寧に、遠方に居た私にまで刺客を送っておいて?」


 狐耳の美人さんが辛辣な声を投げかける。


”・・・余の恋路を邪魔する者を除こうと・・家中の者共が暴走したのだよ。強者に阿ろうとする輩はどこにでも居る。実に嘆かわしいことだがな・・・その者達は厳しく罰せられたはずだ”


 少年の幻影が薄らと笑みを浮かべた。


「ふうん・・反対する母親を殺害してから、娘を奪い取ろうとしたわけか。実に愚かというか・・なあ・・おまえって、馬鹿なんじゃない?いや、間違い無く馬鹿だよね?その頭、飾りなの?」


 俺は素直な感想を述べた。


 果たして、少年が口を噤んだ。その整った顔から笑みが消え去り、硬質の怒りを眼に宿して俺を睨み付けてくる。


「おっとっと・・いやぁ、すまんかったねぇ?君ぃ・・ジルちゃんに片思いだったんだって?ずうっとフラれてたんだってね?いやいや、申し訳ないねぇ~?なんていうか・・・うん、可愛いジスティリアは俺が美味しくいただいちゃいましたぁ~。いやぁ、とても良かったよぉ?もうね、最高でぇ~す」


 俺はへらへらと笑いながら吸血姫を小脇に抱き寄せた。耳まで真っ赤にしたジスティリアが抱かれるままに大人しく身を任せている。


”・・貴様・・・その薄汚い手を離すが良い。その者は・・我が祖に血の親しい貴種なるぞ!”


「えっ?手って・・この手ぇ?おっとっと・・」


 調子に乗った俺の右手が吸血姫の胸の辺りをもぞもぞと這い回る。


「ぁ・・お兄様・・」


 ジスティリアが身を縮めて小さく声を漏らした。


”貴様ぁっ!・・おのれ、この矮小な糞虫めがっ!”


「ジルはもう俺のものですよぉ?この・・可愛らしい身体の隅から隅まで全部俺のものなんでぇ~す」


 くくく・・良い気分だぜぇ!とことん、煽ってやろうじゃないか!

 そういうの得意だしぃ?


”ゆ・・許さんぞぉ・・下賤な汚物めが・・”


 少年の幻影が顔を歪ませた。長生きしているわりに、ずいぶんと余裕が無い奴だ。もしかして、見たまんま幼い奴なんじゃなかろうか?


「えぇ~?ボク、怖ぁ~い・・お爺ちゃん、怒っちゃヤダだぁ~」


「お・・お兄様・・その・・このような所で、ジルは恥ずかしいです」


 どさくさでお尻の辺りを撫でられながら、ジスティリアが恥ずかしそうに身をよじる。


”おのれぇ・・・下郎めがっ!”


 ついに少年の幻影が激高して怒声を張り上げた。

 ほぼ同時に、


「陛下っ!」


「ユート様っ!」


 レナンとウルが俺を背に庇うように両手を拡げた。間髪を入れず、ヨミが放った紫雷の渦が少年の幻影を撃ち抜いていた。


『クウカン オカシイ ダンレツ レンゾク』


 アンコが意味不明の事を言っている。

 そう聞こえたのも束の間、


「お兄様っ!」


 悲鳴のような声が聞こえたと思った瞬間、抱きかかえていたはずのジスティリアの温もりが、俺の腕の中から消え去っていた。


(ぉ・・おお!?)


 一瞬にして、俺の視界がキラキラした何かによって覆われていた。


 硬質な・・透明な壁・・。


 そう見て取るまで、俺は動かずに立ち尽くしていた。

 こういうの初めてじゃ無いから・・。

 要するに、怖ぁ~いお嫁さん達の相手は避けて、弱そうな俺を狙っちゃおう・・って作戦だよね?


 すでに、自身には回復魔法がフルコースで掛けてある。とりあえず、何事が起ころうとも簡単には殺されない。

 いつぞやの骨の王様のように姿を見せたなら、捨て身で突っ込ん行って、あの取り澄ました少年の顔面に蹴りの一発でも入れてやろうと思ったのだが・・。


”蛆のごとき、貴様には不似合いだが・・・鏡回廊で、ゆっくりと老い果てるが良い。直ちに殺さぬのは余の情けだ・・”


 妙な空間に連れ去ったくせに、直接姿を見せるつもりは無いらしい。

 声だけが頭上から降ってくる。


「鏡回廊・・ね」


 なるほど、言われてみれば鏡の壁のような薄幕が無数に浮遊して見える。

 俺を殺そうとするのかと思ったが、どうやら幽閉してしまおうという事か。存外に根性の無い・・ねじ曲がった野郎らしい。


(俺を人質にして、ヨミ達の動きを封じるって感じかな?)


 こんな回りくどいやり方をするって事は、うちの嫁さん達を相手に真っ向から力勝負は出来ないって事だろう。まあ、妥当な考えと言える。


”貴様の居た世界とは断絶した空間だ。さしもの・・大妖、ウル・シャン・ラーンめも、ここまでは手出しが出来ぬ。貴様が頼りにしている者共、誰1人として助けには来れぬ世界と知れ・・”


 届くのは声ばかり・・。幻影を見せることが出来ない空間らしい。


「理屈はよく判らんけど・・どうやって、ウルの結界から、俺だけ連れ去ったんだ?」


”あやつめの結界は厄介でな・・まともにやったのでは、余といえども手出しが出来ぬ。だが・・”


「ああ・・アモン何とかが媒体とか言ってたっけ?」


”・・・ほう?よくぞ見破ったものだ。あやつめの死魂を贄にした呪法・・・貴様ごときに認識できるとは思えんが?”


「なに、俺の子分は優秀でね。教えて貰ったんだよ」


 さすがアンコだ。敵の親玉に褒められてるぞ。


”ほう・・ラーンめの他にも、なかなかの術者がおるようだ。伝え識る者など居らぬはずの秘呪だが・・まあ良い。余の望みは、貴様の永遠の死だからな”


「俺を殺して、うちの嫁さん達が黙っているとでも?」


 案外、お話好きな奴だ。永く生きすぎて淋しいのかもしれない。根性がねじ曲がっている感じだし、話し相手も居ないのだろう。可哀相な老人である。


”ふん・・アモンの報告によれば、あの場の女共は貴様には絶対の忠誠を誓って居るそうではないか?幽閉しておるものとして、せいぜい脅してやるのよ。貴様の死を知らぬまま、余のために尽くして貰おう・・くくく・・獣憑きにしては美形揃い、久しぶりに楽しめるというもの・・”


 頭が可哀相な老人でした。これは、野放しにしておくと世のため人のためにならないな・・。


「アモンのブンシ・・招き寄せる呪法か」


 脳味噌が桃色に染まった年寄りは放っておく事にして、俺は拳に付着しているブンシを指に感じていた。大掛かりな呪法なのだろう。簡単に使えるなら、アモン何某を犠牲にする必要は無かったはずだ。


「ふうん・・」


 そういう物があるんだと思いながら集中すれば、指先で存在を感じ取ることができた。自分でも引きそうになるくらいの超感度である。


 アモン何某のブンシとやらには、呪因と言うのだろうか、魔術的なマーキングがされていた。やり方はわからないが・・・。

 

(これで、居場所の特定をやってるって事か・・ヨミが撃ったのはどうなったんだろ?)


 ヨミは、俺の手に付着したブンシは撃たなかった。あの時点で、俺の手に着いたブンシは死滅していたため、アンコが排除目標として認識しなかったのだろうか。


(これって・・もっと小さくなるのか?・・って言うか、撃って何とかなるような物?)


 俺の指で感じ取った情報通りなら、ヨミさんは出来るはずの無い事をやってのけたことになるんだが・・。


「そう言えば、名前を聞いて無いね?」


”下賤の蛆虫に聴かせる名など持たぬわ”


「あっ、そうなの?・・じゃあ、シュワン・ビィノ・ボルタンちゃんと呼ぶ事にしようか」


 そう言いながら、俺はにんまりと意地の悪い笑みを浮かべた。


 果たして、


”・・きっ・・貴様ぁっ!?ど、どこで・・我が名をっ!?”


 発狂したのかと心配するくらいの乱れた絶叫が降ってきた。

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