第52話 闇の妖精族

 誰だったかな?


「ええと、闇妖精ダークエルフの・・」


「ユーフィン・ローリンと申します」


 漆黒の髪をした細身の女が丁寧にお辞儀をしてみせた。森人と呼ばれるエルフに似た雰囲気で、同じように細いつくりの体付きだがこちらの方がすらりと背丈があるだろうか。

 

「ああ、ローリンね」


 細面の美貌から、すぐ傍らに立っているヨミとウルへと視線を流した。

 助けて・・?

 この子、何してる人だっけ?

 俺、会った事ある?名前知らないんだけど?


「ここより東部の樹海に住む闇妖精ダークエルフ達の古老の1人だそうです」


 以前から謁見の申請がされていたらしい。

 ヨミが教えてくれた。


「ああ・・古老?長老みたいな?」


 俺は若々しく見える女の容姿を眺めた。初対面だったらしい。安心した。


「我らが姫・・シュメーネ・サイリーンの治療をお願い致したく、参上いたしました。皇帝陛下におかれましては、ご多忙の事とは存知ますが・・・」


「ああ、良いよ」


「・・・・えっ?」


「治療だろ?」


「え・・ええ、はい」


 狼狽え気味に、闇妖精ダークエルフが頷いた。


「場所は?遠いの?」


「飛竜で10日ほどの・・クロニクスの東端に位置する樹海になります!」


「ふうん・・樹海ってことは、森なんだよな?」


「はい。魔界随一の大森林です」


「へぇ・・それは見てみたいな。みんなで行こうか」


 俺は玉座の左右に並び立つ、ヨミとウルを振り仰いだ。


「畏まりました」


 2人が目元を和ませて頷いた。

 何だかんだ言って、この美人さん達は、俺が治癒師として求められることが嬉しいらしい。


 闇妖精の古老、ユーフィン・ローリンが想定外の成り行きに呆然となっている中、俺達はテキパキと準備を整え、ヤクトに城の守りを任せて出発した。


 冗談のように素早い意思決定・・。


 そして、笑うくらいに早く到着している。


 何しろ道中の足として利用したのは、飛竜ワイバーンなどでは無く、漆黒の魔龍ケイオスロードだった。

 クロニクスの皇城よりも巨大な生き物が死に物狂いで飛んだのだ。それはもう素晴らしい速度でした。


「ご苦労でした」


 レナンに労りの言葉をかけられて巨龍が満足げに喉を鳴らして魔界の空高く飛び去っていった。


 謁見の間から、わずか半日の出来事だった。


「お兄様とお出掛けするなんて久しぶりです!」


 ジスティリアが満面の笑顔で、俺の手を引くようにして纏わり付いてくる。


「だよなぁ、俺も城から出るのが久しぶりだもんなぁ」


 実は、クロニクス城は火山脈が近い事もあって地下深くに良質な湯だまりがあったのだ。得意の水操作で湯を錐のようにして下から上へと岩盤を抉らせ、俺は城の中に大きな浴場を完成させたのだった。

 俺様の水芸は、もう芸術の域に達している。


 黙っていても、美味しい料理が出され、心地よい湯で癒やされ、優しくて綺麗なお嫁さん達に骨の髄まで溶かされる毎日・・。薬油の塗りっことか楽しくってさ・・。外なんか行かないよね?


 城に引き籠もって当然だよね?

 ボク、おかしくないよね?


 いや、クロニクスという国の未来を憂えていたのは本当よ?でもねぇ、棚ボタって言うの?何か、ぽんっと手に入った地位だったものだから有り難みが無いって言うか・・。

 そんなこんなで、ついつい喰う寝る寝るという素敵な毎日を送っていたのだった。


「おっ、綺麗なリボンつけてるな」


 俺はジスティリアの髪を束ねているレース地の銀布に眼を留めた。


「うふふ・・小母様に頂いたんですの。とっても綺麗でしょう?」


 ジスティリアが嬉しそうに言って髪と一緒に左右へ振って見せる。

 この吸血姫が小母様と呼んで慕うのはウルだ。そういえば、ウルは何やら縫い物をよくやっている。


「うん、よく似合ってるぞ」


 相手がちびっ子でも綺麗なものは綺麗だと素直に褒める。17歳になった成長の証といって良い。大人の余裕というやつだな。男子は3日で別人のように成長するのだという。1年という歳月は、俺を劇的に成長させたに違いない。


「大きな樹ですねぇ」


 ウルが眼を細めて巨樹を見上げていた。


「お前達の姫は、この奥に?」


 俺は、未だ呆然となったままのユーフィン・ローリンに声をかけた。そろそろ戻って来て貰わないと困る。黒龍の爆速くらいでビビってたら身が保ちませんよ?


「あ・・は、はい、結界の護りが御座いますが・・」


「幻覚の霧と移送の結界ですか。よく練られていますね」


 ウルが巨樹の合間へ視線を向けて感心したように感想を述べている。何がどう見えているのか、この狐耳の美人さんは幻術だの結界術だのには一家言お持ちです。そして、ここまで素直に褒めるのは珍しい事だった。


 ウルが軽く手を振って見せると、行く手に明るい陽の光に照らされた綺麗な泉が見えた。


「参りましょう」


 にっこりと笑顔を向けられて、俺はほいほいとついて行った。当然のように、ヨミやジル、レナンもついて来る。

 1人、ユーフィン・ローリンだけは、真っ青な顔色になって震えていた。


 俺は知らなかった。

 この巨樹の森の結界が、闇妖精の古老達が太古の知識を結集して成した秘術だということを・・。魔術に関しては闇妖精こそが魔界随一だと自負しているということを・・。


 闇妖精ダークエルフ達の秘術によって幾重にも護られた究極の結界の奥地こそが、今、ぱっくりと開かれてしまった泉の地なのだ。


「へぇ・・綺麗な泉だなぁ」


 俺は、澄み切った冷たい湧き水をちゃぷちゃぷと手で揺らし、差し込む日差しの照り返しに眼を眇めた。


(少し・・水が弱ってる?)


 俺は、ちらと頭上の陽光を振り仰いだ。

 周囲は木々では無く、火山の火口のような断崖に囲まれた土地だった。


「ふうん」


 土に触れ、草に触れ、岩にも触れてみる。俺はとにかく指で触れないと駄目なのだ。


「こ・・こちらで御座います」


 呼ばれて振り向くと、見ていて心配になるくらいに青ざめた顔のユーフィン・ローリンが立っていた。


 特に取り決めた訳では無いが、俺の後ろにヨミが立ち、ウルとジルが左右へ、レナンが前を先導する形に並ぶ。


 案内されたのは、岩壁に掘られた坑道を抜けた先にある不思議な空洞だった。

 水晶石がびっしりと覆い尽くした中に、草木色の絨毯が敷かれて、1人の少女が横たわっている。他には、侍従らしい闇妖精の娘達が6人、黒い甲冑姿で侍していた。


 侍従の長らしい女が、慌てた様子でユーフィン・ローリンに詰め寄っていたが、声低く何やら話し合って、どうやら収まったらしい。


「症状は?」


 俺は侍従の長らしい女に訊ねた。


「・・意識がお戻りになりませぬ」


「それだけ?」


「緩やかに衰弱が進んで御出です」


「ふむ・・」


 俺はちらと寝かされている少女を眺めてから、今度はユーフィン・ローリンを見た。


「治療の対価は?」


 当然、無料タダではありませんよ?

 俺様、クロニクスの第9代皇帝陛下ですよ?


「それは・・その・・」


 ユーフィン・ローリンの顔色が悪いままだ。唇を噛んで俯いてしまった。


「・・まあ、先に治療をしてしまおう」


 俺は横たわっている少女の傍らへと歩み寄ると、地面に片膝を着いて少女の額に指を伸ばした。


(ですよねぇ・・)


 そうだろうなとは思っていました。

 魔瘴ですね。

 正確には、魔瘴を鎮めようとして半端に変異させてしまった何かです。

 魔瘴に抵抗してみせたのは立派だが、所詮は素人治療です。変にこじれちゃってます。

 ヨミとは違って、体内には魔瘴は残っていない・・ように見える。そう、視覚では捉えられない状態に変異して存在してしまっているのだ。


(心・・って言うんかね?この子の思いの中に入り込んじゃってんだなぁ)


 そりゃあ、ありきたりな治癒術じゃあ治りませんよ。肉体そのものは健康体だもの。


「よし・・それじゃあ、この子の服を脱がせてくれ」


 俺は侍従長の女に依頼した。

 一瞬、もの凄い形相になったが、ぎりぎりで暴発を踏みとどまったのか、侍女達に指示をして少女の衣服を脱がせていった。

 俺の世界で見かけた森エルフとは違って、やや浅黒い肌をしている。

 綺麗な顔立ちだが、病で痩せてしまったのか、か細い感じの少女だった。痩せすぎて肋骨が浮き出て見える。見かけの年齢で言えば、12、3歳くらいか。まあ、闇妖精だというのだから、実は数百歳ですとか言われても驚かんけどねぇ。


「これで、宜しいでしょうか?」


 何やら懸命に感情を押し殺した顔で、侍従長の女が訊いてくる。少女が俯せに寝かされて、薄布を掛けられていた。

 変な所に触ったら斬りかかってきそうである。

 いや、触らないと治せませんよ?

 もちろん、高潔な俺ですからね。邪な気持ちや目的じゃないよ?


「ヨミ・・暴れたら困るから護ってね?」


「お任せ下さい」


 ヨミが静かな表情で微笑んで見せた。

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