第4話 ダンスとピアノの意志

1 沙合とピアノ

「じゃあ、お姉さんの指を見ていてね」


 カフェに広がるコーヒーとピアノの甘酸っぱいシンパシー。それに呼応する形で、小学生たちは私の指捌きをじっと見つめる。かつて、私を夢へと導いてくれた曲を。

 〈月光〉前半を弾き終えると、そこからは小さな拍手が聞こえた。もちろんそこに含まれるのは音のボリュームだけで、未知数の可能性をも秘めていた。


「こんなかんじ。こう、楽しそうに弾くの」

「こう?」


 笑顔のステップが続く。小さい子が真似ているだけで、私は天にも上りそうな心地よさと快感を得られた。


「そうそう。演奏するにしても、楽しく弾かなきゃ。そして、聞いている人を感動させるの」

「そんなことできるの?」

「できるよ」


 そう、感動させるのだ。


 あの日、舞台上から幕下へ退場した際に夏帆は倒れ、救急病院へと搬送された。原因こそ分かり切っていたものの、どうしてもたった一度しか再演できなかったという後悔の念が頭を過ぎった。


「ごめんなさい……」


 悲しみだけが100パーセント含まれた言葉を発したのは、やっぱりあの女帝だった。垂れる涙は控室の絨毯を濡らし、下げられた頭の前に置かれた私は彼女を落ち着かせることくらいしかできなかった。


「本当に、ごめんなさい」

「……大丈夫です。夏帆も私も、自分の意志で出場した。それだけです」


 愚鈍な行為だと、馬鹿な言葉だと人は笑うかもしれないが、これは真実なのだ。私と夏帆がようやく、4年間という長い隔たりを壊してやっと解りえた、共有し得た答えなのだ。

 だが、女帝の伝えたいことは一線を画していた。


「私、小学生の頃柳さんと同じ学校で、同じようにダンスを習っていました。教室は違かったけれど、程よいくらいの仲の良さを保っていられていたと思います。

 ある日、柳さんが参加していた公演会で彼女が倒れ、ダンスができなくなったことを知りました」


「あなたも、来ていたんだ。第3回」

「はい。ハードルが高かったので、私は参加できませんでした。でも、柳さんがああなってしまって……私にできることは何だろうって考えたんです」


「それで、ああいう形で夏帆を受け継いだ」

「っていう事になる……かと……」


 真偽がどうであれ、私は感心した。夏帆は何でも知っているね。あのコンサートホールでの絶叫会話が、本当だったなんて。怒りなんて出ないよ。あるのはほんのちょっとの安心感だけ。


「ありがとう」


「夏帆だったらそう言うと思う。まあ、口にはしないだろうけどね」

「私……」


 女帝が泣く。澤田という名があるにもかかわらずそう呼ぶのは、やっぱりその雰囲気からなのか、それともそう呼ばないと気が済まないからなのか。答えは解らない。


 あの日の答えをきっと、夏帆なら知ってる。

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