終幕:虹が晴れる時
いつもの朝。だけど、俺の心は「いつも」とは違う。今日、1ヶ月間お世話になったこの街、民宿風水を発つ日という事が、かなりの重圧のように思え、なかなか布団から出られない。感覚的には夏休みの最終日の朝の切なさに近い。このままではダメだ! 気合いを入れて起きようとした時---
トントンと、扉が鳴った。
七夏「柚樹さん☆」
時崎「七夏ちゃん!」
七夏ちゃんの声を聞いた瞬間、今朝からの憂鬱は晴れ飛んだ! 七夏ちゃんに会いたい!
時崎「七夏ちゃん! どうぞ!」
七夏「おはようございます☆」
時崎「おはよう! 七夏ちゃん!」
七夏「くすっ☆ 柚樹さん、昨日も夜更かしさんだったのかな?」
時崎「え!?」
七夏「朝食の準備できてますから、早く降りて来てくださいです☆」
時崎「ああ! ごめ・・・いや、ありがとう!」
大きく背伸びをする。今日も1日を楽しく充実した日にする為に気合いを入れた!
七夏「お布団いいかな? まだおやすみします?」
時崎「起きるし、俺も手伝うよ!」
七夏「ありがとうです☆」
七夏ちゃんと一緒にお布団を1階の洗面所まで運んだ。
凪咲「おはようございます♪ 柚樹君♪」
時崎「おはようございます! 凪咲さん!」
凪咲さんも、七夏ちゃんと同じく、いつもと変わらない。そう、ここ民宿風水では、今日も今までと変わらない1日が始まるのだ。
七夏「柚樹さん☆ ここに座って☆」
時崎「ありがとう! 七夏ちゃん」
凪咲さんと七夏ちゃんが、朝食の準備をしてくれている。
凪咲「お待たせしました」
七夏「ごはん、よそいますね☆」
時崎「なんか、ごめん」
七夏「え!?」
時崎「結局、お世話になりっぱなしで、あまりお手伝いが出来なかったから」
凪咲「いいのよ♪ 柚樹君は私達には出来ない事でたくさん助けてもらったわ♪ ありがとうございます♪」
七夏「柚樹さんが来てくれて、色々な事が変わりました♪」
凪咲「そうね♪ いちばん変わったのは、七夏かしら?」
七夏「え!? そうかな?」
凪咲「柚樹君のおかげだと思うわ♪ ありがとうございます♪」
時崎「・・・こちらこそ、ありがとうございます!」
凪咲さんと七夏ちゃんの言葉が嬉しい。
時崎「七夏ちゃん! 一緒に!」
七夏「はい☆ お母さんも☆」
凪咲「柚樹君、いいかしら?」
時崎「もちろんです!」
三人で、のんびりと朝食を楽しむ。
七夏「柚樹さん☆ 後でここちゃーと笹夜先輩に電話してみます☆」
時崎「ありがとう! 昨日話してくれた事だよね?」
七夏「はい☆」
凪咲「柚樹君、出発は今夜かしら?」
時崎「はい。その予定です」
七夏「・・・・・」
凪咲「お夕飯、早めに作りますから、頂いてください」
時崎「ありがとうございます! 七夏ちゃん? どうしたの?」
七夏「え!? えっと、柚樹さん☆ おかわりあります☆」
時崎「ありがとう! 七夏ちゃん!」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
朝食を頂き、自分の部屋で少し休む。七夏ちゃんからこのお部屋に案内された時の事を思い出していた。
時崎「ここから始まったんだな・・・」
扉に背中を付けながら、部屋全体を撮影する。
マイパッドのデジタルアルバムに、撮影した写真を追加して仕上げを行なってゆく。七夏ちゃんからコメントをもらった時のように、俺もコメントを添えようと、色々な言葉を考えるのだけど、気の効いた言葉が見つからず、結局「ありがとう」という言葉になってしまった。無理に飾ろうとせず、素直に感謝の気持ちを伝えれば、七夏ちゃんなら喜んでくれるはずだ。
時崎「よし! 後は七夏ちゃんのマイパッドへ転送するだけだ!」
七夏ちゃんへのアルバムも糊がしっかり乾いている・・・なんとか間にあった!
だけど、もうひとつアクセントがほしい。海で七夏ちゃんからもらった七色の貝殻を七夏ちゃんへのアルバムと合わせてみると、なかなか良い印象に思えた。でもこれは、七夏ちゃんが俺にくれたから、ここで使うのは違うと思う。と言うよりも、この七色の貝殻は俺が持っていたい。
時崎「そういえば!」
鞄の中を漁る。
時崎「あった!」
以前に雑貨店で買った「ラブラドライドのペンダントトップ」があった。これなら、チャームのようなアクセントとなる。七夏ちゃんへのアルバムと合わせて見ると、七色の貝殻と同じような印象だった。
時崎「この石を付けてから、七夏ちゃんに渡そう!」
俺は七夏ちゃんへのアルバムの最後の仕上げに取り掛かった。
時崎「これで、あとは七夏ちゃんに渡すだけだ」
先に七夏ちゃんに気付かれてしまったら少し切ないので、七夏ちゃんへのアルバムを目に付かないところへしまう。
部屋を出ると、1階から七夏ちゃんの声が聞こえてくる。電話で誰かと話しているみたいだけど、相手は天美さんだろうか? 七夏ちゃんのお話しが終わるまで自分の部屋へ戻って待つ事にする。扉は開けたままなので、七夏ちゃんの声がなんとなく聞こえるような状態だけど、その会話の内容までは分からない。
マイパッドで、今夜の列車の出発時刻を調べる。特に乗車する列車を決めているわけではない。指定席を確保すると、その予定に拘束されてしまうから、融通が利かなくなってしまう。俺がこの旅行を計画的に考えていたら、今、ここには居ないだろう。計画も大切だけど、旅行はのんびりと楽しみたい。
時崎「・・・のんびりし過ぎだな・・・」
だけど、それが良かったのだと思う。のんびり過ごす事の楽しさや心地良さは、七夏ちゃんが教えてくれた。
七夏ちゃんの声が聞こえなくなった。電話が終わったのだろうか?
部屋を出ると、再び七夏ちゃんの声が聞こえてきたけど、さっきよりも言葉遣いが丁寧になっている。相手は高月さんだと思う。七夏ちゃんのお話しが終わるまで部屋に戻って心地良い時間を楽しむ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
七夏「あれ? 柚樹さん? 扉、開いてます?」
時崎「ああ。開けてたから」
七夏「くすっ☆ 」
時崎「七夏ちゃん! 電話終わった?」
七夏「はい☆ えっと、ごめんなさい」
時崎「え!?」
七夏「ここちゃーも笹夜先輩も、今日は用事があるみたいで・・・」
時崎「ありがとう! 七夏ちゃん!」
天美さんと高月さんに会えないのは残念だけど、前から聞いていた事だ。少し落ち込んでる七夏ちゃんに俺は話す。
時崎「今日は七夏ちゃんと二人きりだね!」
七夏「え!?」
時崎「アルバム、天美さんと高月さんに届けてくれるかな?」
七夏「あ、はい☆」
七夏ちゃんはいつもの笑顔になってくれた。
時崎「それと、七夏ちゃんのマイパッドにアルバムを送るから! マイパッドを貸してくれるかな?」
七夏「はい☆ じゃ、七夏のお部屋へ来てください☆」
時崎「ああ!」
七夏ちゃんに付いてゆく。
七夏「どうぞです☆」
時崎「お邪魔します」
七夏「柚樹さん☆ ここに座って☆」
時崎「ああ。 っ!」
七夏「どしたの?」
時崎「七夏ちゃんっ!」
七夏ちゃんの机の上を見て、心が大きく揺れた。
<<時崎「そのフォトスタンドに似合う写真が、早く見つかるといいね」>>
七夏「あっ☆ えっと、みんなの写真です☆ 七夏のお気に入りの写真☆」
時崎「七夏ちゃん・・・」
俺が七夏ちゃんのお誕生日にプレゼントしたセブンリーフのフォトスタンド・・・いや、写真立てには、凪咲さんと直弥さん二人の写真・・・蒸気機関車イベントで撮影した写真が飾られていた。そしてもひとつは、七夏ちゃんと俺が一緒に写っている写真。これも蒸気機関車イベントで撮影してもらった時の写真だ。
七夏「えっと、柚樹さんが写っている写真ってあまりなくて・・・その・・・」
時崎「ありがとう! とても嬉しいよ!」
七夏「くすっ☆ こうして一緒に並べると、柚樹さんも家族みたいに見えます☆」
時崎「え!? 家族!?」
<<七夏「柚樹さんは、お父さんみたいで・・・」>>
俺は、七夏ちゃんにどのように思われているのだろうか? 家族って事は、兄弟のように思われているのだろうか? だとしたら・・・。
七夏「? 柚樹さん?」
時崎「え!? あ、ごめん! 七夏ちゃんのマイパッド、貸してくれるかな?」
七夏「はい☆」
デジタルアルバムのデータを七夏ちゃんのマイパッドへ送る。
七夏「あっ☆ 届きました☆」
時崎「これで、いつでも見れるようになるよ!」
七夏「はい☆ ありがとうです☆」
時崎「後、動くアルバムにするための動画も送るから!」
七夏「はい☆」
動画を送っている少しの間、そんなに面白い画面でもないのに、七夏ちゃんはマイパッドを眺めている。俺もその様子を眺めていた。
時崎「よし! これで全部送れたと思う!」
七夏「ありがとうです☆」
時崎「早速、試してみる?」
七夏「はい☆ あ、お母さんに見て貰いたいかな?」
時崎「そうだね! じゃ、今から凪咲さんのところへ!」
七夏「はい☆」
七夏ちゃんと一緒に1階へ降りる。
七夏「お母さん☆」
凪咲「あら、七夏? 柚樹君も一緒にどうしたのかしら?」
凪咲さんは、アルバム「ななついろひととき」を優しい表情で眺めていた。
七夏「えっと、アルバムいいかな?」
凪咲「いいわよ♪」
七夏ちゃんは凪咲さんの隣に座って、アルバムを一緒に眺めはじめた。
七夏「あ! この場所で、こう・・・かな?」
凪咲「?」
七夏ちゃんは、マイパッドをアルバムにかざした。
凪咲「まあ♪ 七夏が動いて・・・」
七夏「よかった☆ 柚樹さん☆ 上手く出来ました☆」
時崎「よかった!」
凪咲「素敵なアルバムに、さらにこんな仕掛けがあったの?」
時崎「動くアルバムって言うのかな?」
七夏「くすっ☆ この印がある写真が動きます☆」
凪咲「この印に、そんな意味が込められていたのね・・・ありがとう! 柚樹君! 七夏!」
俺は、一礼して、アルバムを楽しむ二人を残して自分の部屋に戻った。
さっきの事を考える。七夏ちゃんは俺の事を兄弟のように思っていたとすると、俺の想いは届くのだろうか?
これから渡す七夏ちゃんへのアルバムには、俺の願いを込めた。七夏ちゃんの心に届いてくれると信じるしかない。
相手の事を自分の事と同じように想ってくれる七夏ちゃんだけど、最後は、俺から想いを伝えなければならない!
七夏ちゃんは、過去に二人の人からの告白を断っているから、俺の想いをはっきりと断られる可能性も十分に考えられる。俺は祈るような気持ちでいた。
七夏「柚樹さん☆ 居ますか?」
扉の向こうから七夏ちゃんの声が聞こえた。
時崎「な、七夏ちゃん!」
俺は扉を開ける。
七夏「ありがとです☆ 柚樹さん、いつの間にか居なくて・・・」
時崎「親子水入らずの方がいいかなって!」
七夏「くすっ☆ お母さん、とっても喜んでくれました☆」
時崎「七夏ちゃん!」
七夏ちゃんへのアルバムを渡すなら今だ!
七夏「!?」
時崎「これを、七夏ちゃんに!」
七夏「え!? アルバム?」
時崎「ああ!」
七夏「七夏色一時・・・」
↓【翠碧色の虹】七夏色一時/七色に変化する瞳の少女【水風七夏】アニメーション
https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=74413313
七夏ちゃんと出逢って、一緒に過ごした1ヶ月。アルバムの名前は、凪咲さんへのアルバムと読み方をお揃いにした。
七夏「中を見てもいいかな?」
時崎「もちろん!」
七夏「・・・・・」
身近な事や自分の事って、案外分からない時がある。七夏ちゃんの場合は、それが瞳の色の変化だというだけの事だ。でも、他人から言われても分からないとしたら、それは辛いはずだ。
こんなにも魅力的な「ふたつの虹」・・・七夏ちゃんにも伝わってほしい! 他人の俺が出来るのは、七夏ちゃんの隣から七夏ちゃんの「ふたつの虹」を別の方法で届ける事だ。アルバム「七夏色一時」に俺の想いを託した! 七夏ちゃんに届いてくれ! 頼むっ! 俺は祈る気持ちで、七夏ちゃんの言葉を待っていた。
七夏ちゃんは、アルバム「七夏色一時」を開いて眺め・・・閉じた。
七夏「・・・・・」
その様子を体の奥底から、溢れてくる震えのような感覚を抑えながら祈っていた。
七夏ちゃんは、再びアルバムを開いて眺めて閉じた。もう一度・・・アルバムを開いて---
七夏「ゆ、柚樹さん!」
時崎「!?」
七夏「こ、これ・・・私・・・目の色が」
時崎「っ!!!!!!!」
七夏「・・・色が・・・変わって見えます!」
伝わった!!!!!!!
時崎「うっ!」
七夏「ゆ、柚樹さん!?」
時崎「ご、ごめん!」
さっきよりも震えが大きくなっていた。だけど、これは嬉しい震えに変わっていた。そんな俺の気持ちが七夏ちゃんに伝わったのか、七夏ちゃんは何も話さず、再びアルバムを眺める。開いて閉じてを繰り返し、それは蝶が花の上で一時を過ごすようにも見えた。
どのくらいの時間が経過しただろうか・・・俺の気持ちが落ち着いてきた時、七夏ちゃんが話してきた。
七夏「柚樹さん」
時崎「!?」
七夏「私の目・・・こんな風に見えるの?」
俺は首を横に振った。
七夏「え!?」
時崎「もっと綺麗に見える!」
七夏「ううっ・・・」
七夏ちゃんも俺と同じ気持ちになってくれている事が伝わってきた。俺は七夏ちゃんがそうしてくれたように、それ以上は何も話さなかった。
七夏「柚樹さん・・・ありがとです」
時崎「あ、ああ!」
何度も交わした言葉。だけど、この言葉は今までよりも特別な事のように思えた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
七夏「まさか、柚樹さんからこんなに素敵なアルバムを贈って貰えるなんて、思ってませんでした☆」
時崎「喜んでもらえて良かったよ!」
七夏「はい☆ 七夏、ずっと大切にします☆」
時崎「ありがとう!」
七夏「くすっ☆」
七夏ちゃんなら、本当にずっと大切にしてくれると思う。
いつものように、心が晴れたような清々しい気持ちで七夏ちゃんとお話しが出来る事。これって普段は気が付かない事だけど、本当は大切な事なのだと思う。そして、人の心はすぐには見えないけれど、ゆっくりと時間をかければ、少しずつ見えるようになるのだということも、七夏ちゃんから教わった。
七夏「柚樹さん☆ 本当にありがとうです☆」
時崎「俺も七夏ちゃんの撮影で、人を撮る事の楽しさを知ったよ。ありがとう!」
七夏「え!?」
俺は人物の撮影を避けていたけど、七夏ちゃんを撮影してゆくうちに・・・人物を避けるのではなく、人物を選べばいいという事に気付かされた。
俺自身、こんなに沢山の人物を撮影するなんて考えられなかった。お礼を言わなければならないのは俺の方だ。
時崎「それまでは、人を撮影する事があまり無くて・・・」
七夏「そうだったの?」
時崎「風景の方が気楽に撮影できるから」
七夏「くすっ☆」
俺は、人物の撮影を避けていた本当の理由を、七夏ちゃんには話さなかった。何度か夢にも出てきて、その度に切ない想いになったけど、これからは違う! これも七夏ちゃんから教わったのかも知れない。
七夏「柚樹さん☆ お腹すきませんか?」
時崎「え!? あ、もうお昼前?」
七夏「はい☆ お昼の準備をしますね☆」
時崎「ありがとう! 七夏ちゃん!」
七夏「くすっ☆」
七夏ちゃんは「おむすび」を作ってくれた。
七夏「柚樹さん☆ もしよかったら、これもあります☆」
時崎「ホワイトシチュー!」
七夏「昨日の残りですけど」
時崎「ありがとう! 頂くよ!」
七夏「はい☆ では、温めてきますね☆」
時崎「ああ!」
おむすびとホワイトシチューという、少し変わった組み合わせだけど、それが家庭的な事のようで、嬉しく思う。ホワイトシチューは、昨日よりも味が深くなっているように思えた。
七夏「柚樹さん☆」
時崎「?」
七夏「お夕食も、頑張って作りますね☆」
時崎「あ、ああ!」
七夏「それから、柚樹さんを駅までお見送りします☆」
時崎「え!?」
七夏ちゃんの気持ちは嬉しいけど、駅まで送ってもらうと、その後で七夏ちゃんを暗い夜道の中、一人で帰らせてしまう事になってしまう。最後にそのような事をさせてしまうのは良くないと思う。
七夏「!? どしたの?」
時崎「あ、ごめん! なんでもない」
凪咲さんが一緒なら安心だけど、そこまでお願いするのは厚かましいと思う。民宿のお仕事もあるだろうから。
お昼を頂いて、少しのんびりと過ごす。七夏ちゃんと凪咲さんは、後片付けをしてくれているのを見て、申し訳ない気持ちが大きくなってくる。
<<時崎「俺も手伝うよ」>>
<<七夏「柚樹さんは、ごゆっくりどうぞです☆」>>
七夏ちゃんに言われたからだけど、やっぱり自分だけのんびりとしている姿を見られるのは心苦しく、そのまま和室へと移動した。壁に七色の光が映っている。以前に買ったサンキャッチャー風鈴の光だ。七夏ちゃんは、この光を見てとても喜んでくれた。縁側の窓を開けると、風鈴は心地良い音を奏ではじめた。この光も音色も、ここでの生活の一部に溶け込んでいて、あまり意識しなくなっていたけど、無くなってからその存在の大切さに気付く事も多い。人は後先を考えているようで、案外今しか意識していないのだ。
時崎「まあ、後先を考えなかったから、今があるのかも知れないな」
しばらく心地の良いひとときを楽しむ。目を閉じていると、今までの出来事が蘇ってくる。その殆どが七夏ちゃんの事だ。それだけ、俺の心に大きな存在となっている。七夏ちゃんの心に俺はどのくらいの存在で居るのだろう?
<<七夏「一緒がいいな☆」>>
俺の心の中で、七夏ちゃんが「一緒がいいな☆」と話し掛けてきた。いつ七夏ちゃんがそんな事を話したのか分からないけど、そんな印象が出来ているのだろう。七夏ちゃんは「一緒」という事を、とても大切にしている。だから、楽しい事、嬉しい事は、俺だけや、七夏ちゃんだけでは、七夏ちゃんは心から喜んでくれない。
時崎「一緒か・・・」
七夏ちゃんの行動と、「一緒」という事を合わせて考えると、今までの出来事がより彩りを増して蘇ってきた。
七夏「柚樹さん☆」
時崎「!?」
七夏「くすっ☆」
お片付けが済んだのだろうか。七夏ちゃんは、俺の隣に座ってきた。昨夜と同じように。女の子座りのためか、少し寄り添うような形になるけど、俺はとても嬉しい。七夏ちゃんと一緒に心地良いひとときを楽しみたい!
時崎「・・・・・」
七夏「・・・・・」
俺は何も話さなかったけど、七夏ちゃんには届いている・・・と、思っている!?
七夏「・・・・・」
時崎「!?」
七夏ちゃんは、そのまま手にしていた小説を読み始めた。俺の心は届いている!? 七夏ちゃんの心境が分からない・・・小説なら一人でも・・・っ!
「一緒」
さっき考えていたばかりなのに、大切な事って意識し続けないと、すぐに見失ってしまう。俺はこのまま七夏ちゃんとの「一緒」を大切に意識し続けた。
寄り添う七夏ちゃんと俺の様子を、凪咲さんに何度か見られているけど、特に何も言われない。このまま一緒に過ごしたいと思うけど・・・そうだ! 七夏ちゃんは駅まで送ってくれると話してくれた事を思うと、少し早めに民宿風水を発つ方が良いだろう。だけど、それをどのように話せばいい? いつも気を遣ってくれる七夏ちゃん。自分の為に俺が早く出発する事を思わせる事なく、自然に話す方法が思いつかない。
七夏「!? 柚樹さん?」
時崎「な、七夏ちゃん?」
七夏「どしたの?」
時崎「七夏ちゃん、小説は?」
七夏「えっと、一区切りです☆」
時崎「そ、そう・・・」
七夏「今日は柚樹さんと一緒に、のんびりがいいな☆」
時崎「ああ! 俺も七夏ちゃんと一緒の事を考えてたよ」
七夏「くすっ☆」
時崎「俺も小説、読んでみようかな?」
七夏「え!?」
時崎「七夏ちゃんのお勧めってある?」
七夏「えっと、それじゃあ、七夏のお部屋で☆」
時崎「ああ!」
七夏ちゃんのお部屋に案内された。
七夏「柚樹さん☆ ここへどうぞです☆」
時崎「ありがとう!」
七夏ちゃんのお部屋でのんびりと過ごす。さっきはアルバムのデータを贈るという目的があったから、あまり意識はしなかったけど、女の子のお部屋に居るという事を意識し始めると、心は少し落ち着かなくなってきた。
七夏「柚樹さん、これはどうかな?」
七夏ちゃんは一冊の小説を持ってきてくれた。「歌恋」・・・初めて見る小説の題名・・・まあ、俺にとっては殆どの小説がそうなのだけど。「うたこい」って読むのだろうか?
七夏ちゃんも隣に座って小説を読み始めた。さっきよりも、ぴったりと寄り添ってくれる事が嬉しいけど・・・。
時崎「な、七夏ちゃん」
七夏「はい☆」
時崎「そ、その・・・どうしたの?」
七夏「前に笹夜先輩がこうしてて、いいなって思って☆」
あの時の事を、七夏ちゃんも意識してくれていたみたいだった。
時崎「た、確かに、いいなって思う!」
七夏「くすっ☆」
俺は心を落ち着かせる事がなかなか出来ず、小説の内容が頭に入ってこない「小説を読んでいるように見えるだけ」の状態だと思うけど、七夏ちゃんと一緒という事だけで良かった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
しばらくの間、小説の中の文字を眺めている。この小説「歌恋」の世界は、歌が上手くなりたいと努力する少女と、歌が上手いけど少し意地悪な少年の出逢いから始まっている。出逢い・・・か。七夏ちゃんとの出逢いはとても印象的だったけど、この小説の出逢いもなかなか・・・。
----------「歌恋」----------
「おまえ、音痴だよなぁ。なんでこの部に入った?」
「なんでって・・・」
「これでも叩いとけ!」
「!? カスタネット!?」
これって歌うなって事!?
「打楽器なら音程気にしなくてもいいからな!ははっ!」
「うー」
「ま、せいぜい、リズム感から養うんだな!」
意地悪なそいつ・・・でも、部を辞めろとは言わない。
・・・そう、私はそいつの歌声に恋をしていた。
そいつじゃないっ! あくまでも「歌声」にっ!
----------「歌恋」----------
俺とはかなり性格が違う少年だと思うけど、七夏ちゃんは、こんな男の人が好みなのだろうか? つい、そのような事を考えてしまう。七夏ちゃんの好みか・・・。
<<七夏「優しく受けとめてくれる人がいいな☆」>>
また、俺の中の七夏ちゃんが語り掛けてきた・・・昨夜、七夏ちゃんとお話しした時の事だろうけど、これは俺の勝手な解釈だ。なぜ、こんな言葉が・・・確か---
<<七夏「そ、それ以上、たくさんの人に優しくされても、受け止め切れません・・・だから・・・」>>
優しくされる事は嬉しい。だけど、その優しさに答えられるのは1人だと言う事なのだろうか?
・・・やっぱり、よく分からない。しばらく考えていると、七夏ちゃんは足を伸ばして座り直す。その時、さらにぴったりと寄り添う形になって、七夏ちゃんの温もりが届いてくると思う間もなく、七夏ちゃんは少し揺れ始めた。足先を動かしているようだけど、この揺れがとても心地良い。七夏ちゃんはご機嫌な様子だから、このまま一緒に楽しみたいのだけど、声をかけるべきなのだろうか?
時崎「な、七夏ちゃん!?」
七夏「はい☆ あ、ごめんなさい」
時崎「どうしたの?」
七夏「えっと、足が少し・・・こうして足先を動かすと、心地良くて☆」
時崎「な、なるほど」
再び七夏ちゃんの「心地良い」が俺にも伝わってくる。
分かる事と分からない事。七夏ちゃんが可愛いという事は分かる。でも、まだまだ分からない事も多い。人の心は1ヶ月で分かる程、単純ではない。だから大切な人とは、ずっと一緒に居たいと思うのだろう。一緒に居る時間が長いほど、分かる事が増えるのだから・・・七夏ちゃんは、どう思ってくれているのだろうか?
時崎「七夏ちゃん! ありがとう!」
七夏「くすっ☆ 続きもあります☆」
このまま小説「歌恋」を読み続けると、夕方になってしまいそうだ。
時崎「続きは、自分でなんとかするよ! 小説の題名『歌恋(うたこい)』は覚えたから!」
七夏「あ、それは『歌恋(かれん)』って読みます☆」
時崎「えっ!? そうなの?」
七夏「くすっ☆ 『うたこい』でもいいと思います☆」
時崎「『かれん』で、覚えなおしておくよ!」
七夏「はい☆」
俺は七夏ちゃんに、民宿風水を発つ時間を早める事を話す。
七夏「え!? 今日の夜じゃないの?」
時崎「ごめん。少し早めに出発しようと思って」
七夏ちゃんを夜道、ひとりで歩かせない為に、仕方のない事だ。
七夏「そう・・・なんだ・・・」
時崎「七夏ちゃん・・・」
七夏「それじゃ、私、今からお弁当の準備をします☆」
時崎「え!?」
七夏「列車の中でどうぞです☆」
時崎「・・・ありがとう!」
最後まで気遣ってくれる七夏ちゃん。七夏ちゃんが喜んでくれる事が他にないだろうか?
七夏「柚樹さんは、ここで小説の続き、読んでいますか?」
七夏ちゃんのお部屋に俺がひとりで居る事を、七夏ちゃんは何とも思わないのだろうか?
時崎「いや、俺も一緒に降りるよ! 女の子のお部屋に俺ひとりっていうのは・・・」
七夏「くすっ☆ 柚樹さん、前に七夏の看病をしてくれました☆」
時崎「え!?」
七夏「その時、私、眠ってましたから・・・」
時崎「あ、ああ。そうだったね」
七夏「だから、柚樹さん、七夏のお部屋にひとりでも大丈夫です☆」
時崎「!?」
つまり、七夏ちゃんのお部屋に俺ひとりで居ても、部屋を詮索される事はないと思ってくれているという事か。確かに勝手に詮索するつもりはないけど、そう思ってくれているのは嬉しい。
七夏「? どしたの?」
時崎「ありがとう! でも、一緒に降りるよ! 七夏ちゃん、何か手伝える事ってないかな?」
七夏「それじゃあ、居間で待っててもらえますか?」
時崎「ああ!」
七夏ちゃんと一緒に1階へ降りる。
凪咲「あら? 七夏、どうしたの?」
七夏「えっと、今からお弁当を作ろうと思って☆」
凪咲「お弁当!?」
時崎「凪咲さん。今日の出発を少し早めにしようと思いまして」
凪咲「あら、そうなの?」
凪咲さんはその理由までは訊いてこなかった。
時崎「すみません」
凪咲「いいのよ。では、私も七夏のお手伝いをいたしますので♪」
時崎「あ、ありがとうございます」
七夏ちゃんを凪咲さんがお手伝い・・・この時点で俺が手伝うのは、足を引っ張るだけのような気がした。
七夏「柚樹さん☆ ここに座ってて☆」
時崎「え!?」
七夏「お手伝い、お願いできる事があったら、声をかけますから☆」
時崎「あ、ああ! 分かったよ」
七夏「くすっ☆」
・・・しかし、結局、何も手伝える事は無かった。七夏ちゃんは、最初から分かっていたのかも知れない。相手の好意を受けとめて、自然な形で全てを行なってくれる。俺もそんな気遣いが出来るようになりたいけど・・・。
時崎「凪咲さん!」
凪咲「はい♪」
時崎「何か手伝える事ってありませんか?」
凪咲「ありがとう。柚樹君。そうね・・・昨日のテレビで、ナオが映っている録画を、これに残す事は出来るかしら?」
時崎「はい! 任せてください!」
凪咲「ありがとうございます♪」
時崎「このディスク3枚に残せば良いのですね?」
凪咲「はい♪ よろしくお願いします♪」
時崎「分かりました」
俺は、直弥さんが映っている録画映像をディスクに残す。ディスク3枚と聞いて時間的に大丈夫かなと思ったけど、そんなに時間はかからないようだ。
七夏「あ、お父さんの?」
時崎「え!?」
七夏ちゃんはその様子が気になったのか、声をかけてきた。
時崎「ああ! この映像をこれに残しているんだよ」
七夏「あっ!」
時崎「!?」
七夏「柚樹さん、虹・・・持ってます☆」
ディスクの記録面に輝く七色の光・・・。七夏ちゃんは、その光を嬉しそうに「虹」と話した。これは、空元気ではない。どんな色に見えようと「虹」は「虹色」なのだから。
時崎「虹を持つ!? その発想は無かったよ!」
七夏「くすっ☆」
虹は、見えても手が届かない存在・・・ずっと、そう思っていた。だけど、虹の七色が分からない少女、七夏ちゃんの方が、俺よりも虹の事を知っている気がする。これからも「ふたつの虹」いや、七夏ちゃんを追いかけたい!
時崎「案外、身近な所にあるんだな」
七夏「はい☆ あ、柚樹さん☆」
時崎「!?」
七夏「えっと、お弁当、出来ましたから、七夏、これからお出掛けの準備をします☆」
時崎「ありがとう! 七夏ちゃん!」
そう話した七夏ちゃんは、自分の部屋へ移動する。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
大丈夫だとは思うけど念の為、ディスクに移した直弥さんの映像が、正しく録画されているか、3枚とも読み込んで確認を行った。
時崎「凪咲さん! これ、出来ました!」
凪咲「ありがとう♪ 柚樹君♪ 急なお願いでごめんなさいね」
時崎「いえ! え!?」
凪咲さんは、ディスクを1枚差し出してくれた。
凪咲「ひとつは、柚樹君の♪」
時崎「いいのですか!?」
凪咲「ええ♪ よろしければ♪」
時崎「ありがとうございます!」
凪咲「こちらこそ、ありがとうございます♪」
七夏「柚樹さん☆ お待たせです☆」
時崎「七夏ちゃん!」
凪咲「あら? 七夏、それは?」
七夏「くすっ☆」
七夏ちゃんは、アルバム「七夏色一時」を手にしていた。
七夏「柚樹さんが、私に教えてくれました☆」
凪咲「教えて?」
七夏ちゃんはアルバム「七夏色一時」を凪咲さんへ手渡す。凪咲さんは、アルバムの中を見て・・・パタパタとさせた。七夏ちゃんの時と同じように。
凪咲「これは! 七夏の目が!」
七夏「七色に変わります☆」
凪咲「な、七夏! 分かるの!?」
七夏「はいっ☆」
凪咲「・・・うぅ・・・七夏っ!!」
七夏「ひゃっ☆ お、お母さん!?」
凪咲さんは七夏ちゃんを抱きしめる。
凪咲「ずっと、教えてあげたいって思ってて、でも出来なくて・・・」
七夏ちゃんの「ふたつの虹」・・・凪咲さんが、ずっと七夏ちゃんに教えてあげたかった事・・・触れたくても触れられなかった事。凪咲さんのこれまでの想いが、心を締め付けられるほど伝わってきた。
凪咲「ありがとう・・・柚樹君・・・ありがとう・・・」
時崎「・・・・・」
俺は、凪咲さんの言葉と気持ちを受けとめる事がやっとだった。凪咲さんと七夏ちゃんを見て、喉の辺りが熱く詰まったような感覚・・・喉に栓をされたかのように声が出てこなかった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
時崎「それでは、1ヶ月間、お世話になりました」
凪咲「こちらこそ、大変お世話になりました♪」
七夏「柚樹さん☆ お弁当ですっ☆」
時崎「ありがとう! 七夏ちゃん!」
凪咲「柚樹君、いつでも風水にいらしてくださいませ♪」
凪咲さんの言葉は社交辞令ではない事が伝わってきて、嬉しく思う。
時崎「はいっ!」
七夏「それじゃ、七夏は柚樹さんを駅まで送ります☆」
凪咲「七夏、気をつけてね♪」
七夏「はいっ☆」
凪咲「柚樹君、またのお越しを、心待ちにいたしております♪」
時崎「ありがとうございます! 行ってきます!」
俺は「失礼します」とは言わなかった。必ず民宿風水に戻ってくるという想いを込めて・・・。
七夏ちゃんと一緒に駅まで歩く。すっかり歩き慣れたこの光景もしばらく見納めになるのか・・・。
七夏「どしたの? 柚樹さん?」
時崎「一ヶ月前と、変わったような気がするけど、変わっていないような気もあって・・・」
七夏「くすっ☆ 七夏は、結構変わったかなぁ☆」
時崎「そう?」
七夏「柚樹さんと出逢って、色々変われたと思います☆ あ、いいなって思える私にです☆」
時崎「良かった」
少し微笑む七夏ちゃんは、とても可愛い。俺はこれからもこの可愛い七夏ちゃんと一緒に過ごしたいけど、七夏ちゃんの心がまだ分からない事もあって・・・でも、俺の想いを伝えるのは今日しかない。想いを伝える為に心を落ち着かせようと努めているけど、心は逆に大きく揺れている。
自意識過剰かも知れないけど、七夏ちゃんは、俺の事を好意的に想ってくれていると信じたい。少なくとも、苦手な人とは一緒に居たいとは思わないだろうから・・・。
歩きながら七夏ちゃんは、駅前の書店を見ていた。
時崎「七夏ちゃん!」
七夏「あ、ごめんなさいです」
時崎「え!?」
七夏「つい、本屋さんを見ちゃって」
時崎「構わないよ! 本屋さんに寄ろう!」
七夏「え!? でも・・・」
時崎「特に列車の時間を決めてる訳じゃないから」
七夏「そうなの?」
時崎「来た列車に乗る! のんびりとね!」
七夏「くすっ☆」
時崎「それに、『歌恋』を買って読もうかなと」
七夏「あっ☆ はいっ☆ 七夏が案内します☆」
七夏ちゃんと一緒に書店に入る。小説コーナーを一緒に眺めているけど、女の子が読む小説コーナーに俺が居ると、浮いて見える・・・いや、周りからどのように思われているかと思う事が、心を浮かせているのだろう。七夏ちゃんは、すぐに『歌恋』を見つけて、俺の所に持って来てくれた。
七夏「えっと、これです☆」
時崎「3冊ともあったんだ」
七夏「はい☆ 全部買いますか?」
時崎「七夏ちゃんのお勧めだから、全部買うよ!」
七夏「くすっ☆」
時崎「七夏ちゃんは、何か気になる小説ある?」
七夏「えっと・・・少し、待っててもらえますか?」
時崎「もちろん、構わないよ」
七夏「ありがとです☆」
しばらく、七夏ちゃんを待つ間、「歌恋」の表紙を眺めている。少女漫画風の絵が描かれているのだけど、これを俺がレジに持って行くのか・・・心の動揺は、もう何に対してなのか分からなくなってきた。七夏ちゃんの事を想って書店に着たけど、最後にこんな試練が待っていたとは・・・と、とにかく、落ち着こう。
七夏「柚樹さん☆ お待たせです☆」
七夏ちゃんは、特に小説を持ってはいなかった。
時崎「あれ? 小説、見つからなかった?」
七夏「えっと、ありましたけど、今はいいかなって」
時崎「そうなの?」
七夏「小説買っちゃうと、すぐ読みたくなりますから」
時崎「構わないと思うけど」
七夏「宿題を先に済ませてからのお楽しみにと思って☆」
時崎「うっ・・・ごめん」
・・・そうだった、ここしばらく、七夏ちゃんは午前中に宿題をしていないみたいだったけど、それは俺が原因だと思う。
七夏「くすっ☆ 柚樹さん、宿題の事は七夏がそうするって決めた事ですから☆」
時崎「ありがとう・・・七夏ちゃん」
七夏「はいっ☆」
・・・で、「歌恋」をレジに持って行く訳だけど、俺の心境を七夏ちゃんが見逃す事は無かった。
七夏「柚樹さん☆」
時崎「え!?」
七夏「小説、七夏が買ってきますから☆」
時崎「い、いいの?」
七夏「くすっ☆ 柚樹さん、少し歩き方が不自然みたいです」
時崎「ご、ごめん・・・じゃ、お願いするよ」
七夏「はい☆」
俺は、七夏ちゃんに小説とお金を渡した。いつも俺の事を気遣ってくれる七夏ちゃん。本当に可愛くて素敵な女の子だと思う。俺が追いかけたいのは「ふたつの虹」ではなく、七夏ちゃんなのだ。
七夏「柚樹さん☆ どうぞです☆」
時崎「ありがとう! 七夏ちゃん」
七夏ちゃんから小説とおつりを受け取った。小説はブックカバーが付けられており、これで人前で読んでも、何も思われる事はないだろう。
書店を出て、駅に着くと、既に列車は到着していた。けど、俺にはこの列車が今すぐ出発しないという事が分かった。
七夏「列車、来てますけど、出発はもう少し先みたいです☆」
時崎「あ、ああ」
七夏ちゃんも、列車の出発が今すぐではないという事に気付いている様子だった。俺は乗車券を購入し、七夏ちゃんは駅員さんから入場券を受け取った。お見送りの場合は、入場券を受け取るだけでいい事になっている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
心桜「ごめんくださーい!」
凪咲「あら? 心桜さん!?」
心桜「つっちゃーとお兄さん居ますか?」
凪咲「それが---」
心桜「えっ!? あたし、今から駅に行きますっ!」
凪咲「こ、心桜さんっ!」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
心桜「さ、笹夜先輩!」
笹夜「あら、心桜さん!? そんなに慌ててどうしたのかしら?」
心桜「笹夜先輩! つっちゃーとお兄さんに会いませんでした?」
笹夜「え!? ええ。まだお話していた時間には---」
心桜「それが、お兄さん、予定よりも早く出発したって! もう駅に---」
笹夜「まあ!」
心桜「と、とにかく駅に急いで!」
笹夜「ちょっ! 心桜さん!?」
心桜「笹夜先輩! 早くっ!」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
駅の構内で七夏ちゃんにお礼を言う。
時崎「七夏ちゃん、本当に色々とありがとう!」
七夏「はい☆」
時崎「天美さんと、高月さんにもよろしく!」
七夏「はいっ☆」
俺は、極力平静を装っていたが、内心の切ない気持が溢れ出ないように必死だった。七夏ちゃんは、いつもと変わらない様子で、俺は安堵する反面、少し複雑な気持ちもある。それは、俺が七夏ちゃんとお別れするのが・・・。
時崎「・・・・・」
七夏「・・・・・」
俺は、七夏ちゃんの綺麗な「ふたつの虹」を記憶に焼き付けようと、七夏ちゃんをじっと見つめる。列車のディーゼルエンジン音が急に大きくなった時---
七夏「・・・・・あっ!」
「ふたつの虹」から溢れ出る光・・・。列車の出発時刻が迫っている事を告げる大きなエンジン音・・・七夏ちゃんと水族館へ出かけた時は、あんなに心が弾んだ音なのに、今、この音を聞くと、とても切ない・・・。七夏ちゃんは、今まで堪えてくれていた事が分かって、俺の気持ちも一気に溢れ---
時崎「七夏ちゃんっ!!!」
七夏「ゆっ!!!」
列車が大きな音をたててながら駅を通過してゆく。
俺は、七夏ちゃんから溢れ出る感情を零さないよう、しっかりと包み込む。俺の手の中で、七夏ちゃんは少し震えているのが、はっきりと伝わってくる。
時崎「好きだ!!! 七夏ちゃんっ!!!」
七夏「っ!!!」
そんなに大きな声ではなく、搾り出すように俺の気持ちを七夏ちゃんに伝えた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
笹夜「こ、心桜さん! 待って!」」
心桜「笹夜先輩! 急いで!」
笹夜「きゃっ!! こ、心桜さん! 待ってって話したけど、急に止まらな---」
心桜「・・・・・」
天美さんは「静かに」というポーズをとった。その行動に、高月さんも状況を理解する。
笹夜「・・・・・」
心桜「笹夜先輩・・・」
笹夜「!?」
心桜「初恋双葉・・・大切に見守らないと・・・ですよね!」
笹夜「・・・・・ええ♪」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
時崎「な、七夏ちゃん・・・」
七夏「柚樹さん・・・・・」
ギュッとしていた七夏ちゃんから、そっと離れる。七夏ちゃんは堪えながらも、笑顔を搾り出そうとしている。
七夏「柚樹さん・・・これ・・・」
七夏ちゃんは、髪留めをひとつ外して、俺に差し出してきた。
時崎「これは、七夏ちゃんが大切にしているセブンリーフの髪留め・・・」
七夏「はい。柚樹さんに持っていて・・・ほしい・・・です」
俺は、少し考える。七夏ちゃんが、とても大切にしているセブンリーフの髪留め・・・手渡してくれたのは四葉の方だ。これが、どういう事を意味しているのか・・・。四葉のクローバーは幸せの象徴だ。七夏ちゃんが俺の幸せを願ってくれるなら、俺もそれに答えなければならない!! しかし、今のんびりと考えている時間は無い!! どうする!? 俺は答えた。
時崎「七夏ちゃん! ありがとう。じゃ、少しの間、借りておくよ」
七夏「え!?」
時崎「必ず、返しに来るから!!」
七夏「・・・・・はいっ!!」
駅のアナウンスに押され、列車に乗る。俺と七夏ちゃんの間に、列車の扉が躊躇いも無く割って入る。俺と七夏ちゃんは列車の扉の窓越しに見つめあう。列車のエンジン音が更に大きくなり、景色がゆっくりと流れ出す・・・。しかし、七夏ちゃんだけは同じ位置のまま・・・列車の動きに合わせてきた。
時崎「七夏ちゃん!」
俺は、扉の窓越しに七夏ちゃんの姿を収め続ける。しかし、徐々に速度を増す列車に、七夏ちゃんは付いてこれな・・・その時---
七夏「○○○○○!!! ○○○○○○!!!」
時崎「え!? 七夏ちゃん!!!???」
七夏ちゃんが、何か叫んだが、それに共鳴するかのように、列車の警笛が大きく鳴り響き、七夏ちゃんの姿は見えなくなった。
時崎「七夏ちゃん・・・」
俺は、自分の心も落ち着かせる。不思議な虹を追いかけて、水風七夏という名の不思議な少女と出逢った。虹は七色だと思っていた・・・。しかし、それは俺の思い込みに過ぎなかった。七色よりも、もっと深く、繊細で、暖かくて、優しくて、可愛くて、少し甘えん坊さんで・・・。俺と七夏ちゃんとの一時は、これからも続く・・・いや、続けさせてみせる! 俺の手の中で暖かくなった七夏ちゃんの髪留めが、力強くそう感じさせてくれて、気持ちが高揚してきた。列車の揺れは心地よく、そんな俺の高鳴る気持ちを、落ち着かせてくれているかのようであった。
そう・・・俺にとって、本当の虹は---
---列車の警笛がこだまする---
時崎「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
離れなければ見えない事もある。虹は、そういう存在だと分かっていたはずだ!
<<凪咲「少し、距離を置いてみると、色々と見えてくると思うわ」>>
時崎「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
俺の気持ちは七夏ちゃんに届けたけど、七夏ちゃんの気持ちは分からないままだ。
時崎「・・・やっぱり、七夏ちゃんの心を確かめたいっ!」
そんな気持ちが、どんどんと大きくなってゆく・・・。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
七夏「うぅ・・・うぅ・・・」
心桜「つっちゃー・・・」
七夏「っ!!! こ、ここちゃー!?」
笹夜「七夏ちゃん・・・」
七夏「さ、笹夜先輩!? ど、どおして?」
心桜「実は、お兄さんの見送り、笹夜先輩と話して驚かせようと思ってたんだけど、予定より早く出掛けたって凪咲さんから聞いてさ・・・」
笹夜「・・・ごめんなさい」
七夏「うぅ・・・ここちゃー、笹夜先輩・・・うぅ・・・」
心桜「つっちゃー、元気だしなよ! 駅の端っこでいつまでも泣いてると、お兄さんも悲しむよ!」
笹夜「七夏ちゃん、また時崎さんと会えると思います♪」
七夏「・・・はい・・・」
心桜「そうそう! ほら、列車来たよ! お兄さん、つっちゃーに会いに戻って来てくれるかも・・・なんてねっ!」
笹夜「心桜さん、さすがにそれは---」
時崎「七夏ちゃんっ!!!」
心桜「え!?」
笹夜「まあ!」
七夏「ゆ、柚樹さんっ!」
大切な人が俺の元に掛けてきてくれ、そのまま自然と抱きしめあった。
大切な人との2度目の再会---俺は、七夏ちゃんの想いがはっきりと伝わってくるのが分かった。惹かれ合い、心から結ばれ、お互いの虹は晴れてゆくのだった。
虹は、どんな色に見えますか?
翠碧色の虹 終幕 完
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「翠碧色の虹」を終幕までお読みくださり、ありがとうございました!
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