Incubation


 

  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 ラマイカ・ヴァンデリョスは見知らぬ街角に立ち尽くしている自分を発見した。


「此処は何処だ? 私は、今まで何を――」


 思わず口を衝いて出た言葉は、まるでドラマの中に出てくる記憶喪失者のようだった。

 自分で言っておいてなんだが、月並みで可笑しくなる。


 吸血人にとって1番大事なのは時刻の把握だ。

 混乱している間に昇ってきた太陽に火あぶりにされたくはない。


 とりあえずスマホをチェックしようとして、ポケットに何も入っていないことにラマイカは気づいた。財布もキーホルダーも、ついでにいうとハンカチとティッシュも。


「いったいどういう状況なんだ、今の私は」


 よく見れば、周囲にも同様の人々がいるようであった。

 みな、自分が何故ここにいるのかわからないといった風に周囲を見回している。


 ラマイカがその1人に話しかけようとした時、軍の装甲車が向こうからやってくるのが見えた。


「皆さん」


 装甲車のスピーカーから声が流れる。


「こちらはVK国防義勇軍です! 日の出が迫りつつあります! まずは一刻も早く屋内へ移動してください! 動くことのできない方がおられましたら、お呼びください!」


 ラマイカは装甲車に駆け寄り、紫外線防護服を着た兵士が足の悪い老人を車内にかくまうのを手伝ってやった。


「君、私はラマイカ・ヴァンデリョス特務少尉だ。……といっても、証明するものは何もないが」

「いえ、存じております。一昨年、講演にいらした時に――」

「ああ」


 とはいってもラマイカの方は覚えていない。大戦時のエースとして、各地の士官学校や基地で訓辞を頼まれることはよくあるからだ。

 しかし兵士の方はしっかりと覚えていた。若く美しい女性、そして希少なサンライト・ヘアーとなれば嫌でも記憶に残る。


「簡単でいい、状況の説明を」


 兵士の理解している現状はラマイカの知識欲を満足させるものではなかった。


「エネルギー開発省第6実験部隊に繋いでもらいたい」

「今は無理です。どこも混乱して」


 街中の至る所にテロリストがWGで潜伏していたのだ。

 今はほぼ鎮圧されたというが、まだ沈静化したとはいえない状況だった。


「紫外線防護服の予備はあるか? あるなら貸してほしい」

「了解しました」


 ラマイカは装甲車から降りて、近くの民家からバイクを借りた。


「とりあえずはラボに戻るか……」


 そこで彼女は気づいた。

 状況報告を聞くのに、装甲車の中で結構な時間を過ごしたはずだ。

 それなのに。


 太陽はまだ昇らない。


 

  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 ロンドンの街は黒い濁流に呑まれたかのようだった。


 ハンプが放った無数の魔鼠まそが、一斉にハンプへと駆け戻る。それは黒い大河となって道路を埋め尽くした。


 ハンプの真下まで来ると鼠達はピラミッドを作り、後から来たものを空へと導いた。

 鼠達を吸収し、卵は更に肥大化する。


「どうしたのだ、刈羽君は負けたので御座るか」


 ハンプが存在している以上、そうなのだろうなとジル・ド・レは思った。

 しかしそれにしては妙なことがある。

 どうやらハンプはその能力を使って黒雲を召喚したようだ。日の出時刻はとっくに過ぎているのに太陽が見えない。


 太陽の力を借りてロンドン中の吸血人を皆殺しにするのが彼等の計画ではなかったか。


「あるいは、刈羽君がハンプのトゥームライダーを仲間に引き入れた……?」


 ジル・ド・レはしばし瞑目めいもくした。

 考えてもわかるはずがない。ならば自分は自分のなすべきことをするまで。


 そう、彼の敬愛する聖女の名を穢す不届き者どもを、1人残らず抹殺すること。


「どこに行きおった、あの贋作がんさくは――」


 姿を眩ませたデス・サンソンを求め、WG青髭はハンプに背を向けた。

 刈羽もティアンジュもいない今、もはやそれを咎める者はいない。

 この先ロンドンがどうなろうが知るものか。


 だが――。


 卵が、と誰かが叫ぶ声が聞こえた。

 この場において卵といえば1つしかない。茹で卵を弁当に持ってきた奴がいるなら話は別だが。


 ジルは振り返り、天を仰ぐ。

 その眼が、大きく見開かれた。


 

  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 イギリス海峡に集結した国連軍艦隊。

 その指揮をとるフォルスマルク少将は、指を組んだままじっと時計を見た。


 先程から国連軍は何度もVK政府に対し、ハンプ殲滅を目的とした、戦闘部隊の上陸許可を打診していた。

 

 だがそれはあくまでVK国内に軍を派遣するための口実だ。

 少数の人員を送り込み、現地の反吸血人勢力を扇動・吸収して1大テロを起こす。

 それを鎮圧する目的で大部隊を送り込み、治安維持の名目でVKを占領する――というのが彼等の狙いだった。


「我々の『人道的武力支援』に対するVK政府からの返答は?」

「ありません」


 そうか、とフォルスマルクはマイクを手に取った。


「全部隊に次ぐ! VK政府はハンプ打倒に失敗しながら、己の威信のために罪のない民間人の犠牲を看過するという愚を犯している! 故に我々は人道的見地からVKに突入、市民の安全のために戦うものである!」


 VKにしてみれば他国の軍隊が勝手に踏み込んでくる方が迷惑だろう。

 フォルスマルクは自分の言葉が正当性を持つのかよくわかっていなかったが、彼の、いや彼の背後にある組織にとってすればもはや些細な理屈などどうでもよかった。


 血換炉。そしてその燃料となる吸血人の血。

 それがあれば、世界を悩ませているエネルギー問題が解決する。

 些細な問題は無視していい。もし些細ではなかったとしても、己の首を捧げる覚悟をフォルスマルクは自己陶酔と共に抱いていた。


「VK海軍から停戦要求です!」

「撃て!」


 戦闘をつとめる国連軍の戦艦『キルケー』の主砲がVKの海上警備艦を轟沈させたことが、開戦の合図となった。


 吸血人という生ける薪を手に入れるため、ついに雑食人達は体裁をかなぐり捨てたのだった。


「――艦長! ハンプに変化が!」

「なに?」


 人々は見た。

 ハンプの黒い殻に、地割れのようなヒビが走るのを。

 亀裂からはマグマを思わせる赤い光が漏れる。


 殻が裂け、扉のように開いた。途中でそれは翼へと転じる。


「映像を拡大できないのか?」


 フォルスマルクの命令に従い、艦長席に備え付けられたタブレットにカメラが捉えた最大望遠映像が転送される。


 ハンプの中から生まれ出でたモノ。

 それは真珠色の甲虫じみた肌に包まれていた。

 長い首の先にある、爬虫類めいた頭部。

 眼球は比喩ではなく光を放ち、顎には鋭い牙が並んでいる。

 卵の殻の部分は、今やそれの蝙蝠に似た翼へと変貌していた。

 鉤爪のついた筋肉質な四肢。

 長い尾の先端には剣にも似た鋭い刃。


 そして何よりも、それは巨大だった。

 鶏が鶏卵よりも大きく育つように、既にハンプの全長を越えている。

 目測にして50メートル。いや、なおも成長を続けている。


「あれは、WGなのか?」


 誰にともなくそう問いかけたフォルスマルク自身も、そう問いかけられた乗組員達も、自分達の常識では受け容れがたい、ある1つの答えを胸の中に浮かべていた。


――ドラゴン。


 ヴァルヴェスティアという、所詮は機械に過ぎないモノから生まれでたそのドラゴンは、生物そのものの生命力に満ちた咆哮をもって空を震わせた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る