枢機卿


 国連軍が、敵?

 目的はハンプ殲滅の援護ではなく、VKの実効支配?


 ボクは席を立った。


「どこに行くのかね、刈羽君」

「報せないと。みんなに」

「そんなことをする必要はないよ。VK首脳陣だって知っているはずさ。だが相手が国連を名乗っている以上、VKも無下にはできない。全世界に戦争をふっかけるつもりなら話は別だがね。たとえ自分達を征服に来た敵だとしても、尻尾を出すまでは仲良くやっていくしかないのさ」


 いっそ先制攻撃をかけてしまえば――いや、無理だ。いかに吸血人であれ全世界を相手に戦争はできないと、2度の世界大戦が証明している。


 最も単純な方法は、国連軍の艦隊が来る前にVKが独力でハンプを倒すこと。


『ヴァルヴェスティアを斃せるのは、ヴァルヴェスティアだけだよ』


 ロルフの言葉が甦る。

 ボクはドアに歩み寄った。ミス・ガローニャが静かに移動して進路を塞ぐ。


「……君が行く必要が、あるのだろうか?」


 リシュリューが言う。

 確かにそうだ。ヴルフォードはボクしか乗れないわけではない。そしてボクはラマイカさんのようなエースでもない。ボクが行かなくたって、他の誰かが乗れば――いや、むしろその方がいいかもしれないじゃないか。


「それに忘れたのか? ウフ・ブルイエハンプは伊久那君と不可分の存在だ。ウフ・ブルイエを止めることは彼女の心臓を止めること。君に、家族同然の知己を殺すことができるかな?」

「姉さんがそう望むなら」


 ボクは即答した。迷うことなんか何もない。テロリスト達の戸惑いが空気で伝わってくる。


 リシュリューのことだ、ボクの素性は調べがついていてもおかしくない。

 とっくの昔に死んだ姉に全ての判断を委ねるボクは、狂気のドブ底に足を突っ込んでいるように見えることだろう。

 あるいはただ単に、主体性のない奴だとも。


 だけどボクは、姉さんの代わりとして生きていくと誓ったのだ。

 今更ボク自身の感情など、知ったことか。ボクにとって伊久那がどれだけ大事かなんて、どうでもいい。


 姉さんが、大勢の人達の死を、許すはずがない――たぶん、きっと。


「……素敵だMarvelous!」


 突然、リシュリューが拍手する。ボクはもちろん、ミス・ガローニャもぎょっとした。


「なら、好きにしたまえ。ロンドン水族館の方向に行くといい。君の服に入っていた発信機、そこに捨ててきたからね。お仲間はその辺をウロウロしている、かもしれない」


 ティアンジュさんのくれた上着には発信機が入っていたらしい。気づかなかった。

 思ったよりは気の利く人だったのだなと思う。もっとも見抜かれていたわけだが。


「枢機卿!」


 ミス・ガローニャが目を吊り上げた。

 捕虜を解放するなど、と言いかけた彼女の頭が、爆ぜる。

 いつの間に抜いたのか、リシュリューの手の中には拳銃が握られ、その筒先から硝煙をたなびかせていた。


「あなた……?」

「私はウンザリしていたんだよ、刈羽君。人類というものは自分達の共同体のことばかりで、人類全体という視野に立ってものを見ることがない。愛するものを傷つけられた報復のため、他の愛するものを平気で傷つけていく彼等には心底ウンザリさせられた。もちろん、全てを裏で操っている、目的のためなら倫理をものともしない俗物に対してもだ」

「それに唯唯諾諾いいだくだくと従ってきたあなたが言いますか!」


 組織のやり口が気に入らなかったのなら、こうなる前にもっとうまく反抗すればいい。

 今更彼が組織を裏切ったところで、もう始まってしまった戦いはどちらかの敗北でしか終わらないじゃないか。


「だからといって私は、吸血人にも生き残る価値を見いだしてはいない」

「え……」

「血を吸う化け物に成り果てても、人は結局、人間としての業を乗り越えられないということだ。そのような生き物には、存在する価値がないと判断した。それ故に、私は組織の駒ではなく、私の目的を果たすために活動すると決めたのだ」


 リシュリュー個人の目的……?


「世界平和だよ」

「は?」

「1人死ねば1人分、百人死ねば百人分、世界は、広く、静かで、平和になる。目標ざっと80億。それだけ殺せば、この星は大いなる安らぎに包まれる」

「誰のための平和なんだ!?」

「生き残った極小数の人間のためだ。その中に自分が含まれていれば上出来だが、贅沢な夢は見ないことにしよう。いいかね、人々が真に欲するは安心だ。ストレスのない世界なのだ。しかし現代社会においては人と人との軋轢あつれきこそが最も大きなストレス源になっている。つまりは孤独こそが、人を真に癒やすものなのだ」

「…………」


 ボクは蝶の髪飾りに触れようとして、しかし髪を撫でただけに終わった。

 姉の形見はティアンジュさんが人質代わりに握っている。


「私は吸血人を含めた人類を、この世に在ってはならないものと考える。しかし惨たらしい死を与えるには忍びない。それ故に、せめて最後の一世代ほどは、幸福の中で静かに逝かせてやりたいと思うのだ」

「ボクにはあんたが狂っていることくらいしかわからないな」


 リシュリューはおかしそうに喉を鳴らした。


「生まれながらにして自分の名前も顔も人生も奪われれば、狂いもしよう」

「は……?」

「あのジャンヌ・ダルクと同じなんだよ、私は。小さい頃からフランス残党軍を名乗る武装組織に育てられた。リシュリューというのは、17世紀に瓦解しかけていたフランス残党をまとめ上げ再興させた、英雄の名だ。君達にとっては迷惑な存在だろうがね」


 JDがジャンヌ・ダルクの再来として作られた存在なら、目の前の鉄仮面は英雄リシュリューの再来を目論まれて生まれた存在だというのか。


「私は私を狂わせた組織を憎んでいる。しかしだからといって組織を裏切ってVKにつけば、VKは私を受け容れてくれるだろうか? そうは思えない。今の在り方に疑問を抱く頃には、私の手は血で汚れすぎた」


 私の黒は、私が流させてきた血の色なのだよ――とリシュリューは言った。


「だが、私に何ができた? フランス残党軍の両親の元で生まれ、兵士として育てられた私にどんな選択肢があった? 私が吸血人や、それに与する者の命を数多あまた奪ってきたとして、それは私の罪なのか?」

「…………」


 人によっては、リシュリューの言葉は責任逃れに聞こえることだろう。

 だけどボクには腑に落ちる。

 親を選べないというのはどういうことか、ボクはよく知っているつもりだからだ。


 何があったか知らないが、リシュリューは知ってしまったのだ。

 自分を育んできた共同体が――『普通』であり『善』だと信じてきた世界が――もっと広い世界からすれば『悪』なのだと。

 そしてどんなに焦がれても、もはや自分は正義の側につくことはできないことを。


 もし、そこで彼が世界の方を否定し、あくまで自分達のコミュニティが正しいと信じられれば、それはきっと彼にとって幸せだった。

 けれど彼にはできなかった。


 リシュリューが、ガリリアーノさん達を嫌う気持ちがわかるような気がする。

 復讐に盲進するなど、彼にはできない。愛であれ正義であれ、無批判無根拠無条件に信じられるものをリシュリューは何も持ち合わせていないからで――彼は孤独だ。


 だからこそ。


 自分の所属する共同体を信じ、そのために凶行さえ良しとする者達の独善は、彼には許せるものではなかった。


「――最初、君は私の宿敵かと思った」

「宿敵……?」 

「みんなが当たり前に持っている『自分』を許されなかった私にとって、自ら『自分』を捨ててしまった君は不愉快極まりなかった。しかも、死んだ者のために。ふざけているのかと思ったよ。けれどね」


 リシュリューは立ち上がり、近づいてきた。ボクより頭2つほど上の位置から、威圧的な髑髏の仮面がこちらを見下ろしてくる。けれどその声色は、どこか哀れみさえ誘うものだった。


「だからこそ、君には私が理解できると思ったのだ。加えて先程、君は友人の命より見知らぬ多くの人々の命を選んだ。君のいう姉上とは、もはや現実の姉ではあるまい。冷徹なまでの理想という概念が、姉の形を取っているだけだ」


 きっと君は、それが理想的な人間として選ぶべき道であれば、我が子さえ躊躇なく殺せるのだろうね、とリシュリューは笑った。

 笑ったように思う。


 そうして彼は、黒い手袋に包まれた掌をボクの頬に添えた。


「……刈羽君。私と、結婚していただきたい」


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