Onset


「カリヴァに会う前に、1つ用事を済ませたい」


 唐突にラマイカはそう言った。

 車の主はラマイカなのだからヴェレネに拒否権などあるはずもない。

 だが内心の不満を表に出さないでいられるほど、少女は大人ではなかった。


「あまりグズグズしていると、太陽が昇ってしまいます」


 ただでさえ、行き倒れの吸血人を病院に搬送するのに時間を取られたのだ。


「なに、通り道だし、10分とかからん」


 山吹色のスポーツカーが乗り込んだのは、養老院だった。


「……ラマイカ様のお祖父様か、お婆様の?」

「いや。ゲスゲンの、母上だ」


 職員の案内で、微かに死臭が漂う廊下を歩く。

 時折入居者と思わしき老吸血人とすれ違ったが、彼等はラマイカ達など存在しないかのように視線すら向けなかった。幽鬼のように歩き去って行く。


 入居者の中には拘束衣を着せられている者もいる。

 一応自力で歩けるようにはされているが、足の間には枷が取り付けられていた。


 罪人というわけではない。

 身体より先に脳が老いてしまった吸血人は下手な野生動物よりも厄介だからだ。

 痴呆老人の実態を知らない者からは虐待と糾弾されることもあるが、スルーしてもらうしかない。


「――こちらです」


 やがて個室に辿り着く。

 狭い部屋の大部分を占めるベッドの上に、上品そうな老婦人が1人、座っていた。

 編み物をしていた老婦人は、ラマイカ達に気づいて、ニッコリと微笑む。


「――久しぶりね、ゲスゲン?」


 ヴェレネは胸をナイフで突かれたような気分になった。

 ラマイカが1歩前に出る。


「お初にお目にかかります、マダム。私はラマイカ・ヴァンデリョス。御子息の上司をしておりました」

「あら、そうでしたの。いやだわ、どうして間違えたのかしら」

「……単刀直入に言います。御子息は」

「ゲスゲン! 会社の人がお見えよ、どこにいるの、挨拶くらいしなさい!」


 ゲスゲンの母はここにいない息子を呼ぶ。その間も編み物をする指は止まっていない。

 しかしそこにあるのは、ただのグチャグチャになった毛糸の塊だ。

 自分の両親が老いた後の姿をヴェレネは幻視する。

 職員が肩をすくめて言った。


「調子のいいときはしっかりと会話ができなくもないのですが、今日は加減があまりよくないようです。またの日にされては?」


 その間も、ゲスゲンの母親は息子を呼び続けていた。そうしているうちに、だんだん彼女の声に怒気が混じりはじめる。


「本当、気の利かない子だよ! あの穀潰しに似て使えない!」


 さっきまでの穏やかな表情はもはやない。地獄の悪鬼のような凶相がそこにあった。

 鬼は歯ぎしりし、荒い息をつく。


「わけのわからない数字だの記号だのこねくり回して、あたしを笑ってるんだろう! 地獄へ落ちやがれ! まっとうな仕事にも就けないグズが!」


 怒り任せに壁を叩こうとするゲスゲンの母。しかしその腕には鎖が巻かれており、壁にまでは手が届かないようにされていた。それは彼女の怒りの火に油を注ぎ、彼女は手元にあった毛糸の塊に噛みついた。


 職員は慣れた動作でスタンガンを取り出してゲスゲンの母の首筋に当てる。

 蛙のように鳴いて、老婦人はベッドの上に崩れ落ちた。


「お気になさらないでください。よくあることですから」


 にっこりと爽やかな笑みを浮かべる職員。

 まるで物に対するような扱いにヴェレネは何か言いたくなったが、それが職員の側に寄り添わない理想論だと考えるだけの冷静さはあった。


「……やはり、日をあらためるとしましょう」

「それがいいと思います」

「では、我々はここで。ああ、見送りは結構です。お手間を取らせました」


 2人は部屋を出た。自然、早足になる。


「――無駄足だったな」


 スポーツカーに乗り込んで、ラマイカは言った。


「ラマイカ様、何故ここに?」

「家族に報告はせねばなるまい。それにあの無駄に気の行き届いたゲスゲンのことだ、自分が駄目だったときのために何らかの保険をかけているものと思ったんだ。的外れだったようだが。だが、なんであいつが血換炉の公開を焦っていたかは知ることはできた」

「え?」

「母親がまだ会話できるうちに、偉業を成し遂げたかったんだ」


 ゲスゲンの両親は身分違いの恋だったらしい。

 だからだろうか、ゲスゲンの母には息子の仕事の偉大さがわからなかった。

 彼女にとって『立派な仕事』とは額に汗を流して働く肉体労働であって、数式をこね回す研究者などは遊んでいるにも等しいのだ。


「お母様に認めてもらいたかった……?」


 たぶんな、とラマイカはヘッドレストに頭を預けて言った。

 それにしても――どっと疲れた。なんだか、ぼんやりする。


「ラマイカ様、その手……」

「……あん?」


 左手を見る。生々しい傷がそこにあった。

 あの大きな鼠に噛まれたものだ。その瞬間はヴェレネも見ていただろうに、何を驚いているのだろう?


「……まだ治ってないんですか?」

「まだ……?」


 言われてハッと気づく。

 そうだ、この程度の傷など吸血人にとってすぐに治ってしまうようなものだ。回復力の強いラマイカなら尚更。

 だというのに、出血こそ止まっているものの傷跡はまだくっきりと残っている。


 さっき助けた男の首筋に突いた傷跡をラマイカは連想した。

 まさか、あれも黒い鼠にやられたものだとしたら。


「ヴェレネ、マドラス主任に――連絡――――」


 ラマイカの意識は、そこで途切れた。





 同じ頃、夜のグロウスター市街を忙しそうに駆け巡る、無数の小さな影があった。

 猫ほどの大きさのある、巨大な黒い鼠である。

 彼等は壁を齧って穴を開け、日の出に備えて室内でくつろいでいた吸血人に牙を剥く。


 吸血人の反射神経をもってしても鼠達はすばしこく、また狡猾だった。それでなくとも数が尋常ではない。

 悪意ある闇の化身のごとき齧歯類のキスから逃れ得た吸血人など、1人もいなかった。


 1度噛みついてしまえば用は済んだとばかりに鼠達は去って行く。

 おかしな奴等だ、と傷口をさすりながら吸血人達は首をかしげ――忘れることにした。

 きっと明日には誰かが答えを教えてくれるだろう。


 誰もこの出来事を深刻には考えていなかった。吸血鬼は病気にかからない。噛まれた傷だって、少しすれば綺麗サッパリ完治してしまうはずだったからだ。


 だがわずかな時間を経て、噛まれた人々はみな例外なく、高熱と倦怠感を訴え、最後には意識を失っていった。

 

 そして――日の出まであとわずかとなった頃だ。

 突然、倒れていた人々がむっくりと身を起こし始めた。酔っ払いじみたおぼつかない足取りで、それぞれの屋根の下から外へ出ていく。


 道路に、歩道に、公園に、力尽きた吸血人が倒れ伏す様はまさに地獄。

 彼等の祖先が人間としてのあり方を捨ててまで逃れようとしたあの病が、再び舞い戻ってきたようだった。

 死都と化した街の上に、またあの卵形の浮遊物体――ハンプが亡霊のように現れ、消える。


 やがて、地平線から顔を出した太陽と競うように、炎が地上を照らし出した。


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