Squirming


 今から記すことは、ボクが実際に見聞きしたことではない。

 なにしろそれが起こっていた頃、ボクは監獄にいて、外界とシャットアウトされていたのだから。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 漆黒の闇に紛れ、『黒い霧』は海を渡ってやってきた。


 ほんのわずかな金属反応と、少しばかりの熱。霧がレーダーに伝えたものはそれだけで、偉大なるVK海軍は敵のグレート・ブリテン島上陸を許してしまった。


 敵。そう、黒い霧は敵だった。

 イングランド州グロウスター市上空で黒い霧は結集し、1つの奇妙な形の機械となる。

 5階建てのビルほどもある、浮遊する鶏卵。それは『マザー・グース』に登場する擬人化された卵ハンプティ・ダンプティにちなんで『ハンプ』と名付けられた。

 ハンプはしばらくの間、尖った面を下にしてぷかぷかと浮かんでいるだけだった。だが突然、前兆もなく、見守る民衆に向かっていきなりレーザーを発射した。


 それはアトラクションでもイルミネーションでもなく、殺傷力を持った戦闘行動アクションだった。

 人々がパニックに陥ったことはいうまでもない。


 これにより攻撃を許可されたVK空軍は戦闘機部隊に攻撃を許可。

 ハンプの足元が広い公園だったこともあり、直ちにミサイル攻撃が実施される。

 そして思いの外あっさりと、卵形の浮遊物体は破壊された。


 しかし、そのあとどれだけ探しても、ハンプの残骸は一欠片も見つからなかったという。



 その3日後――。


 大丈夫なんですかねカリヴァは、と問われて、ラマイカ・ヴァンデリョスは胸を締めつけられる思いをした。


 周囲にいた職員がぎょっと身を竦ませる。

 ラマイカの前であの裏切り者の話をするのはタブーであると、実験小隊の誰もが知っていた。そのはずだが、ロルフトン・マドラスだけは当たり前のように話題に出す。


 空気が読めないのか。あるいは、読まないのか。


「ファング・フォースに問い合わせてみろ。私が知るわけない」

「貴族でもない僕にそんなコネ、あるわけないじゃないですか。伯爵令嬢なら聞き出せません?」


 もうやめておけ、と後ろで他の職員達が目配せをするが、ロルフは気づいてもいないようだった。


「というか、気にならないんですか? 彼のこと」

「彼はテロリストに協力していた男だ。犯罪者だ。しかるべき裁きが下される。知ったことじゃない」

「僕は気になりますね。あいつは何を考えてスパイをやってたのか。そしてどうして、仲間を裏切って僕達を助けようとしてくれたのか」

「子供だからな。人生の軸に余裕が有り余っているのだろう」


 ラマイカはその場を離れたが、ロルフはついてきた。

 なんなんだおまえは、と立ち止まって振り返る。


「一刻も早く、ヴルフォード2機を万全な状態に戻せ。私とお喋りしている暇はないはずだが?」


 いまだ名も知れぬ『敵』の攻撃がもう終わったとは考えられない。

 サマータイムが終わる前に何かしてくるだろう。


「ヴェレネ嬢は、面会に行くと言っていました」

「しつこいな! 君は、私に何を期待しているんだ?」

「それが、自分にもサッパリ」


 ヘラヘラ笑うロルフを殴りつけないでいるために、ラマイカはその精神力を総動員しなければならなかった。


「自分でもどう受け止めたらいいのかわからないんですよ。彼は確かに裏切り者ですよ。でも僕等を救うために戻ってきた。そして僕にとってはオタク話に付き合ってくれる、数少ない、得がたい友人です」

「君から情報を引き出すためだろう? 友人であろうと家族であろうと、彼はVKの、女王陛下の敵だ」

「それって、逃げてません?」

「なに!?」


 ひょっとして自分はしなくていい我慢をしているのではないか、とラマイカは思い始めた。

 殴っていいかな、こいつ。


「カリヴァは敵に協力してたかもしれません。でも100%僕達の敵ではなかった。だから戻ってきたんでしょう? あいつが僕等を裏切ったのが事実なら、助けてくれたのも事実で、ええと、その分の借りはあるというか、その分の譲歩はあっていいというか、15年も生きていない奴に的確な判断を要求するのも酷じゃないかっていうか……」


「……要点をまとめず言いたいことも定かでないまま話そうとするから、君はコミュ障とかいわれるのだマドラス主任。不作法は許すから率直かつ明瞭簡潔に述べたまえ。そして私を早く解放してくれ」


 えっとつまりですね、とロルフは少し考えてから口を開く。


「僕はカリヴァのことが好きなんです。レディ・ラマイカも同じでしょう?」

「え…………あ?」

「このまま、あいつの言い分も事情も知らず永遠の別れになったら、それはきっと、僕達にとっても、向こうにとっても、悲しいことなんじゃないですかね?」

「…………」


 ラマイカは少しの間、返事ができなかった。

 ロルフトン・マドラスの言葉は、彼女が内心抱いている思いを言い当てていたからだ。

 しかしそれをラマイカが――ヴァンデリョス伯爵令嬢が認めるわけにはいかない。

 彼女には立場がある。下の者への示しがある。


 だからラマイカは冗談めかして流すしかできない。


「……君の言いたいことはわかったよ、主任。同性愛者だとカミングアウトしたかったわけだな。問題ない、VKはマイノリティに寛容だ。最近寛容すぎるくらいに」

「え? 僕はただ友人として好きLikeだと言ったまでなんですが。レディは別の意味の好きLoveで捉えられたわけですか?」


 ニヤニヤ笑うロルフは、今度こそ鉄拳を喰らう羽目になった。





 10分後、タクシーを待っていたヴェレネの前に、1台の車が滑り込んできた。

 山吹色の派手なスポーツカー。


「……ラマイカ様」

「マドラス主任から聞いている。乗りたまえ」

「まだお仕事中では?」

「……私にも有休を取る権利はある。何かあっても主任がなんとかしてくれるだろう。無駄口を叩くほど暇らしいから」


 ヴェレネは助手席に乗り込んだ。

 そういえば後部座席以外に乗るのは初めてだわ、と思う。


「助かりました。草の根分けても探す予定でしたが、あなたがついてくださるのなら早く済みそうで」

「君は、初めて会ったときに比べるとだいぶ行動的になったな」

「カリヴァのおかげです。私は受け身でいることが、貴族の令嬢として正しい振る舞いと信じて……いいえ、自分の怠惰の言い訳にしておりました。それが間違いだと言ってくれたのがカリヴァです。あそこまではっきりと私に否を突きつけてくれたのは、父以外では彼が初めてでした。それがなんだか嬉しくて」

「そうなのか?」

「ラマイカ様は、自分が周囲から敬遠されていることを寂しく思ったことは?」


 こちらに非があるのに、何故か向こうに謝られる。

 話しかけても当たり障りのない言葉だけですぐに切り上げられる。

 ヴェレネはいつも、寂しさを抱えていた。


「私にはないな。我が家はどいつもこいつも口の減らない奴ばかりだったから」


 ラマイカは大きくハンドルを切った。


「まあ、私は君より少しばかりだったから、無視したくともできなかったんだろう」

「……『少しばかり』」


 学校に伝わるラマイカ伝説の数々を思い出し、ヴェレネは頭を抱える。

 曰く、他校との交流会において無礼を働いた男子生徒に決闘を挑み勝ったとか。

 曰く、近隣の不良グループを1人で壊滅させたとか。

 曰く、女子校なのに男子制服をでっち上げて在学中それで通したとか。


 それと少ししか違わないと評されるのは、一種の侮辱ではないだろうか?


「それにしても、今日はやけに人が少ないな。まるで昼だ」


 言われてみれば確かに、真夜中だというのに人通りが少ない。

 吸血人がまだ雑食人だった頃の、大昔の夜のように。


「危ない!」


 車が急停車する。

 前方に人が倒れていた。

 ラマイカは車から出て、男に駆け寄る。相手は吸血人だった。息が荒い。熱もあるようだ。


「熱だと?」


 吸血人が病気にかかることはない。少なくとも、既知の病気には。


「これは……?」


 男の首筋には何かに噛まれたような痕がついていた。


「ラマイカ様、どうされました? 救急車、呼びましょうか?」


 ああ頼む、と答えようとして、ラマイカはヴェレネに飛びかかろうとする黒いものの存在に気づいた。


「危ない!」


 辛うじて、寸前でキャッチ。

 それは、子猫ほどもある真っ黒な鼠だった。

 かなり気性が荒いらしく、ラマイカの手の中できぃきぃと暴れる。


「痛ッ」


 鼠に指を噛まれ、ラマイカは手を離す。

 脱出に成功した鼠は、瞬く間に裏路地の闇へと消えていった。


「大丈夫ですか? 手当を……」

「平気だよ、雑食人じゃあるまいし。それより病院を」


 カリヴァに会うどころではなくなってしまったな、とラマイカは思った。



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