6:漆黒の 稀人来たる 夜の森。闇より昏き 死者の呼び声。

新生活


「――起きてくださいご主人様」

「もう夕方ですよー、です!」


 柏崎刈羽の1日は、2人の愛くるしい幼女メイドに揺り起こされるところから始まる。


 え? いやいや、違う。


 小さな子供ではないのだから、ボクだって毎日目覚ましをかけて自力で起きている。

 いや、そうじゃなくて――。


「……君達、誰だ?」


 ボクは跳ね起きた。カーテンの隙間から差し込んだ夕陽が、メイド服を身につけた2人の童女、略して女達をオレンジ色に照らしていた。栗色の髪をした痩せた釣り目の幼女と、黒髪のぽっちゃりとしたドングリ目の幼女。おそろいにしたのか、髪型は同じだ。


 ヴァンデリョス家に雑食人はボクだけである。陽が沈みきっていない時間帯に、地上2階にあるボクの部屋に家人の誰かが来ることは滅多にない。ボクがうっかりカーテンを閉め忘れて眠り、ドアを開けた途端夕陽の直撃を受けることを使用人のみんなはとても警戒しているのだから。


 だが彼女達は夕陽を浴びてピンピンしているし、髪や目の色は吸血人のそれではない。雑食人だ。しかし、こんな子供、いたのか?

 疑惑の目を向けるボクに対して、メイ童女は2人揃ってぺこりとお辞儀をした。


「今日から刈羽様のお世話をすることになった、ワカバですぞ!」


 と、ドングリ目が言った。


「同じく、モミジです」


 こちらは釣り目の方。


「2人合わせて!」

「えっ、そういうのあったっけ?」


 1人でなにやら決めポーズのようなものをとったワカバにモミジは呆れ顔で呟く。

 ふと目をやると、2人の後ろで何かが動くのが見えた。目を凝らすと、それは尻尾だった。ワカバのお尻から狸の尻尾が、モミジからは狐の尻尾が生えている。そしてそれは生きているように動いていた。


「君達、それ……」

「はい、私達は東亜人妖共栄圏からやってきたのですぞ」

「ワカバが化け狸で、私モミジは化け狐です」

「2人合わせてッ!」

「いやだから特にそういうのない」


 吸血鬼が現実に存在したように、妖怪もまた20世紀以降実在の生物として人類に認知されている。

 VKの東アジア侵攻を危惧し、妖怪達は人類の前に公然と姿を現した。彼等を仲介することで日本、中国、インド、そして東南アジア諸国は1大連合を結成。欧州の反VK勢力の中心だったドイツ帝国やチェコ錬金協会と共同戦線を張りVKの覇道を挫いたのだった。

 東亜人妖共栄圏。それがその連合の名前だ。


 妖怪は自分の住処からほとんど離れないものと、行けるところなら何処にでも行くものに大別される。後者に属する個体は故郷とか祖国とかいった土地に縛られる観点を持たず、人間が勝手に作った国家という枠組みに対しては概ね冷笑的だ。そういうわけか、彼等が『出身地』を訊かれたときは好んで東亜人妖共栄圏の名を出す。ワカバとモミジもそうなのだろう。


「刈羽様も人間が日本とか呼んでる辺りの生まれでしたな? 妖怪は珍しいですかな?」


 尻尾をじっと見ているボクに気づいてワカバが問う。


「うん……。実物は君達が初めてだよ」


 妖怪達の総数は少ないらしい。なので日本にいた頃、ボクはついぞ妖怪を見かけることがなかった。


「ではどうぞ心ゆくまで見るがいいですぞ」

「撫でてもかまいませんよ。なんなら油揚げ1枚ごとに服を1枚脱ぎます」

「いや脱がなくていいから」


 絵面的に非常にまずい。VKは日本以上にそういうことに過敏だから、下手すれば懲役刑にされてしまう。


 カンカン、とドアノッカーが鳴った。少しだけ開けられたドアの隙間から、メイドのシモーヌさんが警戒するように顔を出す。


「お目覚めですか、カシワザキ様。こちらに子供が2人、来ていませんか?」

「いますですぞー!」


 シモーヌさんは凶相を浮かべた。冷気を帯びた威圧感がドアの隙間から流れ込む。ワカバは顔を引きつらせ、モミジは現実逃避するように顔を覆ってうずくまった。関係ないはずのボクでさえ全身に鳥肌が立つ。


「あなた達……勝手に抜け出して、あまつさえ遊んでいるとは……」

「……は、入ってこない方がいいですぞ教育係殿! 今入れば夕陽のパワーでおまえの身体は大炎上ですぞ!」

「あ、カーテン閉めましたからどうぞ、シモーヌさん」

「刈羽様!? ホントに裏切ったんですか!?」


 風のように部屋に侵入したシモーヌさんは2人の頭を鷲掴みにした。

 頭蓋骨にヒビが入るような音がしたが気のせいだろう。


「痛い痛い痛い痛い! 児童虐待ですぞー!」

「何が児童ですか。どうせ実際年齢は1000歳超えでしょう?」

「老人を労るべき!」

「労るのと、何をしても許すのは違います。素直にごめんなさいも言えない老骨など敬意に値しません」


 ひとしきり苦痛を与えた後、シモーヌさんは2人から手を離してこちらに一礼した。


「お目覚めからお騒がせして申し訳ありません、カシワザキ様」

「……あの、彼女達は」

「カシワザキ様のお世話をするため、新たに雇ったメイドです。もう少し教育してから顔合わせをしようとしていたのですが、勝手に出歩いてしまって……」

「ボクのために、わざわざ……?」

「いつまでもカシワザキ様に缶詰ばかり召し上がっていただくわけにもいきませんから」


 ヴァンデリョス家には吸血人しかおらず、屋敷には雑食人が食べられる食料の備蓄もなければ、料理のできる人間もいなかった。キッチン自体は14世紀のものが物置として残っていたのだが、調理器具はとっくに捨てられている。


 そういうわけで、ここに住むようになって以来ボクの食事は使用人さん達が適当に買い置きしてくれた缶詰か、外食の2パターンだった。今週の“血税”の評価は低いかもしれない。


「キッチンも整備し、冷蔵庫や調理器具、調味料も簡素ですが一通り買いそろえました。調理もあの2人がやってくれるでしょう」

「……何から何まで申し訳ないです」

「食事だけでなく、身の回りの世話も2人にさせますので。とりあえずこれはもう要りませんね」


 シモーヌさんはボクの目覚まし時計をつかんで持っていこうとする。慌てて止めた。


「ご心配なく。処分ではなく保管させていただきますので」

「いや、起きるくらいは自分でしますから……」

「いけません。カシワザキ様は使用人ではなく家人なのですから、こんな無粋な機械に1人寂しく叩き起こされるなどあってはならないことです。それにカシワザキ様は男と女両方の仕度をされるのですから、大変でございましょう?」

「それは、まあ」


 ワカバが前に進み出る。


「安心してくださいですぞ、刈羽様。お化粧はもちろん、髭剃りだって任せてくださいですぞ」

「……なんでカッターナイフを取り出したのかな、ワカバちゃん?」

「今宵の虎徹は血に飢えているのですぞ」

「錆びるぞ虎徹」


 まさかそれで髭を剃る気か。


「メイクの準備も整っております」


 そういうモミジの手には白色のペンキ缶があった。よもやそれを人の顔に塗りたくるつもりじゃないだろうな。


 柏崎刈羽の1日は1杯のモーニングコーヒーから始まる――と優雅にいきたいところだったが、今日はそうもいかないようだった。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 エネルギー開発省、第6実験小隊。

 その本拠地である『第3ラボ』はチェヴストル北西の競馬場跡にあった。


 ボクはラマイカさんの提案を呑んだ。つまり、新型WGヴルフォードのテストパイロットとして働くことを選んだのだ。


 それはもちろん、機密の塊であるあの機体の情報をガリリアーノさんの組織に横流しするためである。その代償としてボクはいずれ来る伯爵との対決に彼等の手を借りるわけだ。


 夜の闇の中、かつて競走馬たちが駆け抜けていたグラウンドを、1体のWGが疾走している。

 WGの名は『陽光の誉れ』サンライト・グローリー。乗っているのはラマイカ・ヴァンデリョス。

 ボクは格納庫に向かいながら、彼女がコースを一周するのを横目で追う。


 彼女の走行フォームは美しい――ボクと違って。

 それを悔しいと思う自分を、ボクはテストパイロットとして働くこの半月と少しのうちに自覚していた。


 敵として見た場合、彼女は恐ろしい。攻略を考える場合、直接戦闘は回避する方向で考えるのが妥当だ。

 それなのにここ最近、ボクは彼女に正面から戦って勝ちたいと考えはじめている。


 自分より操縦の上手い人間ならば紫蒲さんの所にいたときから何人も見てきていたが、彼等に対抗心を抱いたことはなかった。なのに何故彼女には負けたくないと思うのか、自分でもよくわからない。やはり、仲間の仇である貴族だからだろうか?


「カシワザキ君、遅かったじゃないか」


 職員が声をかけてきた。お互いフランクに挨拶。


「ええ、ちょっと立て込みまして」


 モミジとワカバにメイクを任せたらピエロが出来上がり、その修正に時間を取られたおかげだ。やはりあの2人には食事の用意だけしてもらおう。


「主任を探してきてくれ。そろそろ『荷物』が来るってよ」

「わかりました」


 ボクは1階の空き部屋に向かう。主任――ロルフトン・マドラスは大抵そこでサボっている。


 ドアを開けると、やはりいた。満員電車で揉まれてきたかのようにくしゃくしゃの格好をした吸血人がパソコンのモニターに見入っている。画面の中では現実にはありえないビビッドカラーの髪をした少女達が下着も露わに空を駆け、触手を振り回す醜悪なモンスターと戦っていた。

 ちなみにこの手の作品はVKでは児童ポルノとして単純所持が禁止されている。


 ヘッドフォンをつけ、画面とキスせんばかりにアニメに没入している彼はボクの侵入に気づいていない。そっと近づき、素早く画面の電源を落とす。画面が暗転した瞬間、彼は世界が終わったような悲鳴をあげた。


「やめてくれカリヴァ! 可愛い女の子達の後で画面に反射したオッサン顔を直視するのは精神によろしくない! というかまだ終わってない!」

「もうエンディングテーマが流れてたじゃないか。みんなが呼んでるよ、ロルフ。『荷物』が来るってさ」

「駄目だ、このアニメはCパートが標準で……」


 ロルフトン・マドラスは重度のジャパニメーション・ナードオタクだ。

 多くの人が想像するナードの例に漏れず、彼はあまり人付き合いが得意ではない。VKのビジネス界では頻繁にパーティを開いて親睦を深める風習があるらしいが、基本的に彼は欠席している。そういうこともあって、チーム内ではやや浮いた存在だ。


 しかしそんな彼も、日本人というだけでボクには積極的に話しかけてくる。いや、私立病院での戦いで同じ戦場に立ったことから仲間意識を抱いたのかもしれない。

 ボクからすればロルフは機密情報を引き出すための貴重な情報源となりえた。そういうわけで仲良くしている。


 再びテレビのスイッチを入れるロルフ。ボクはすかさずヘッドフォンを取り上げた。日本語の音声が微かに漏れてくる。彼はアニメを観るためだけに日本語をマスターしていた。


「あんまり言ってると、いい加減当局に通報するよ」

「カリヴァ、彼女達がスカートの中に履いてるのはパンツァー・アクセサリ・ネプチューン弐式P.A.N2という装備であってパンツじゃないんだ恥ずかしくないんだ。だからこれは児童ポルノでもヘンタイアニメでもない。合法なのでやましいところは一切無い。いいね?」

「うん、心底どうでもいいな。今すぐ仕事に戻るか、裁判官の前で同じことを言うか選べ」

「……職務に復帰致します」


 ロルフが閲覧記録を抹消する間、ボクは部屋の中をぼんやり眺めていた。

 太陽が出る前に帰れなくなった職員が泊まり込むための部屋で、誰のものでもないはずだが、ロルフの私物があちこちに置かれている。強制的に捨てられても文句は言えない。他人事ながら心配になる。


 本棚の一角に並んだ、古いアニメに登場するロボットのプラモになんとなく目がとまった。


 オルゴールの蓋を開けたように、思い出が流れ出す。

 それは、決して美しい曲ではない。


 ……姉はボクをよく友達の家に連れて行った。小さかったボクを家で1人にしておけなかったからだ。

 でも正直な話、姉の友人達からすればボクは邪魔者でしかない。その家に男兄弟がいる場合は、大抵彼等が子守を押しつけられることになった。


 向こうにとっては迷惑な話だったろうが、ボクにとっては好都合だった。余所の男の子達が持っているプラモデルやゲーム、コミック本は、幼いボクにとっては宝の山だったからだ。


『どうして、ボクにはあれが1つもないの?』


 あるとき、家路を辿りながらボクはそう訊いた。

 見上げた姉は微笑を浮かべていたけど、その笑顔はひどく悲しげに歪んでいて、ボクは余計な質問をした自分を恥じた。


 別にボクの家は貧乏ではない。金持ちではないものの、他と比べて格段に貧しいわけではなかった。

 ただ父は、自分の稼いだ金を自分以外のために使うのが心底嫌だっただけなのだ。


「欲しいの?」


 唐突に投げかけられたロルフの声が、記憶のオルゴールを閉ざした。


「――え、な、なんで」

「じっと見てるからさ」

「べ、別に」


 実は、ロルフが「それあげようか」と言ってくれるのをほんの少しだけ期待した。


 しかし実際のところ、あげると言われてもそれはそれで困るのだ。手の中に収まるか収まらないかくらいの大きさのプラスチック人形は生卵より繊細に見えて、触れるのすら躊躇われた。持ち運ぶなどもってのほかに見える。


 もちろん、今のボクの懐事情なら普通に買うことはできる。だが具体的にどこで売っているのかよくわからないし、組み立てられるかどうかも自信がない。


 やっぱり特殊な技能が必要だろうか。完成までにどれくらいの月日を必要とするのだろう。そう考え出すと、興味はあっても手が出ないのが現実だった。


 それに姉さんはこういう物を欲しがったりしないだろう。

 だからボクはまったく興味ない、という顔をした。


「そんなことより準備は出来たのかい」

「ああ」


 ボクからすればまったくそうは見えないが、ロルフは寝癖だらけの頭やよれよれのシャツを恥じる様子もなく、親指を立ててみせる。まあ本人がそれでいいというならいいのだろう。


「『荷物』の内容は聞いてるかい、カリヴァ?」

「いいや」

「だったら楽しみにするといい。なんてったって、中身は君へのプレゼントなんだからね」


 ボクはヘアピンに手をやった。

 聞いたかい、姉さん。この国では、ボクにもプレゼントがもらえるんだ。


 中身がいいものとは決まっていないのだけれど、ボクはまた姉への罪悪感を募らせた。

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