同道二人
明るい夜が、盛夏の訪れを教えてくれる。
いつもは闇1色に染まっている街も、この季節ばかりは10万ドルほどの輝く夜景を描いていた。
夏休みを利用して押し寄せる観光客をもてなすために。
VKで暮らす雑食人は夜を吸血人の支配する世界と認識している。日が沈めばすぐに寝るか、そうでなくとも出歩くことはほとんどない。だが観光客はそうではなかった。限られた滞在時間を最大限に活用しようというのか、日没後も平気で歩き回る。
そんな彼等のために雑食人の商店もこの季節は営業時間を延長する。ホテルの窓には夜遅くまで灯りが点った。
加えて、この季節はプレミア・リーグが始まる。VK最大のサッカーリーグだ。観光客はもちろん、VK在住の雑食人もまた試合のある夜は外に繰り出し、お気に入りのチームに声援を飛ばす。
今もどこかで試合が行われているらしい。ボクの右手に見える夜空はスタジアムから漏れる光で照らされていた。
「もうそんな季節になっていたか」
駅にたむろするフーリガンを眺めて、ラマイカさんが感慨深げに言った。
ボクは目を伏せた。去年まではトリーリョに付き合わされて、アルゼナルFCの初試合を観戦していたのを思い出したからだ。今年の初試合など、とうに終わっているだろう。
ラマイカさんは目的地から少し離れた場所に車を停めた。
まだ距離がありますよ、とボクが言っている間に彼女はさっさと降りてしまった。
仕方なく、ボクもシートベルトを外す。と、助手席側のドアが外から開けられ、ラマイカさんがうやうやしく手を差し出してきた。
「少し歩こう。VK紳士たる者、無駄を楽しむ余裕を常に持つものさ。――足元に気をつけて」
ボクはその手を取って外に出る。
彼女は自分の体格に合わせてオーダーメイドした男物のカジュアルなスーツ、対してボクは夏用のカーディガンに素朴なブラウスとスカートといった格好。もはや完全に男女逆だった。
何故この人、男装をしているのだろう――と思ったが、それを訊くとボクも姉にまつわる辛気くさく込み入った話をしなければならないので我慢した。
ウインドウショッピングをしながら夜の街を歩く。
こういう場合、ドラマなどに登場する貴族のお嬢様というのは街のありふれたあれこれを珍しがって手軽に感動してくれるものだが、我等がラマイカお嬢様は逆だった。むしろ彼女の方がボクなどよりよっぽど世俗に詳しかった。
「あそこの
「いえ、ボクは遠慮しておきます」
「このブティックは店の外から見える分には洒落ているが、中にある商品は
「大声で言わないでください、店の婆さんが睨んでます」
「向こうにあるデパートは隔週日曜にストロングレンジャーのショーをやるぞ。1度見てみたが、なかなかに凝っていた。私の子供時代とは大違いだ。まあ1世紀近くも経てば当然か」
「……色々詳しいんですね、ラマイカさんは」
ラマイカさんは遠い目をした。
「初めて
「いや、今さらっととんでもないこと言いませんでした? 戦車砲で撃たれた? なんで生きてるんです?」
「直撃じゃないよ、効果範囲に入っていたというだけだ。ほら、私は高位吸血人だから身体機能は他より高いし、暴走するブルドーザーみたいにおっかないが優秀な従軍看護師が野戦病院にいてな……。戦車よりそっちの方が怖かった」
生き方が変わることもある。子供の頃には興味を持たなかったものに、大人になってから惹かれることも。
そんな当たり前のことに、ボクは胸を突かれる思いだった。
姉さんがVKに来ることができたら、その時は何に興味を持っただろう。その中には、日本にいたときには気にも留めなかったものだってあるはずだ。だけどそれが何かボクにわかるはずがない。
ボクはボクの知る範囲でしか姉さんをシミュレートできない。それは姉さんの過去を再現しているだけだ。姉さんの亡霊に過ぎない。
おまえのやっていることは、結局何の意味もない。全てが無駄だ――そう言われているような気がした。
五月蠅い、黙れ。言われなくても知っている。
無駄であれば、意味がなければ。姉さんのことなんか記憶から捨て去ってしまえというのか。無理だ。
現実から逃げるように、ボクは視線を
おもちゃ屋のショーウインドウに目が吸い寄せられる。そこにはボクの腰の高さまであるロボットの玩具が飾ってあった。展示品かと思ったが、値札がついているところを見るとれっきとした商品らしい。値札に記載された数字の桁数にボクは目を見張る。こんなもの、誰が買うんだ?
「……欲しいのか?」
ボクの後ろからラマイカさんが覗き込む。
まずい、玩具のロボットなんか欲しがって、子供みたいと馬鹿にされやしないだろうか。
しかしラマイカさんはボクを笑ったりしなかった。もっと最悪なことに、真面目な顔で財布からカードを取り出して店員を呼び止めようとした。
「いやいやいやいや、待ってください! 見てただけですから! あんなでかいの置いとけま――いや、余裕で置けるけれども!」
「でかいの? ああ、そんなのもあったな」
「……もしかして、ショーウインドウの中にあった奴、全部買うつもりで?」
「ああ、面倒くさいからな」
「…………」
お嬢様、物事にだけじゃなくて常識にも興味を持っていただけませんか。
「おっ」
落ち着きのない子供のように、ラマイカさんは次のターゲットに目を向ける。
「博物館でWG展だと。入ってみようか?」
台詞こそボクの同意を求める文章だが、言い終わる頃にはボクは博物館の敷居まで引きずられていた。
受付を通ると、ずんぐりむっくりとした西洋甲冑がボクらを出迎えた。
兜の長い
「そうそう、WGが出るまでこいつが歩兵の基本装備だったんだ。中が臭くてな」
銃火器の発達に伴い、雑食人国家の軍隊から
銃弾を防ぐほどの装甲を得ようとすれば装備重量は百キロを超えたが、怪力の吸血人にとってそこまで問題ではなかった。むしろ太陽光下で活動するために、全身を覆う鎧は必要不可欠だった。
「まあそれでも限度はある。戦車の主砲以上の火力にはどうしようもなかった。むしろ
そうしてようやくWGの開発が始まるわけである。
当初、
「第1世代は人の形すらしていなくてな。四つん這いにならねばならなかった。合理性を追求したそうだが、逆に動かし辛くてな。それで徐々に人型へと改良されたんだ」
第1世代から第3世代へとバージョンアップしていく流れは、4足歩行のサルが2足歩行のヒトへ進化していく図を連想させた。
展示された写真を見るラマイカさんはとても懐かしそうだった。エース・トゥームライダーの一覧に自分が入っていないことにはひどく不愉快そうだったが。
「まあ……どうやら戦死した奴ばかり集めてあるようだからな」
「肖像権の問題ですかね」
「……君はここに並んでくれるなよ」
突然、ラマイカさんは落ち着いたトーンで語りかけてきた。急に真面目な雰囲気になったのに耐えられず、ボクは冗談交じりに返答する。
「意外ですね。ラマイカさんなら、死ぬまで戦えって言うかと思ってました」
「せっかく鍛え上げた兵がたった1度の戦争で死ぬなどもったいない。君には第5次世界大戦までくらいは生き残っていてほしいな」
「……ラマイカさん、その時には人類自体が生き残ってないと思います」
「あの、いいですか?」
振り返ると、観光客らしき2人連れがキラキラとした目でボク達を――いやラマイカさんだけを見ていた。
「『太陽の魔王』ラマイカ・ヴァンデリョスさんですよね!? サイン、あと写真よろしいでしょうか!」
そういやボクは有名人と一緒に歩いてるんだよな、と今更ながらに認識する。ボク自身は凡人に過ぎないのはわかっているが、なんだか誇らしいような、照れくさいような気分になるのを止められなかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
それから数分後、チェヴストルの市役所にボク達はいた。
「……ドレスを受け取りに来たのでは……?」
「もちろん行くさ。後でな」
フフン、とラマイカさんは鼻を鳴らす。
「父は反対していたが、血婚契約書を提出してしまえばこっちのものだ。そうは思わないか」
「さっきの観光客には騎士道精神溢れる人物みたいに振舞ってたのに……」
「私は相手によってちゃんと接し方を変えられる人間だ」
「……御館様は、血婚を邪魔するためならなんでもやるって仰っていたはずですが」
「ハッハッハ。だからっていくらなんでも殺しに来るようなことはないだろう」
「……ソウデスネ」
ボクが警察署でサインしたのは取り上げられてしまったそうなので、新しいものに署名する。
もうどうにでもなれ。
だが、そんな悲痛な覚悟で提出した書類は、幸いというべきか突き返された。
「この書類は受理できません」
いかにも役人といった眼鏡の吸血人は言った。ボクとしてはラッキーだが、当然、ラマイカさんは食い下がる。
「なんでだ、君。どこに不備があるというのだ。個人の権利の妨害だぞ!」
「貴族法第31条第3項に基づき、この血婚の認可にはドーンレイ・ヴァンデリョス伯爵とブーシェフル・クーバーグ侯爵の同意を得た上で女王陛下の許可が必要です」
「……貴族法なんてたいした罰則ないだろう。役人はもう少し融通の利かせ方を学ぶべきとは思わないか」
「私のような下っ端役人がその場のノリで法律や規則をねじ曲げ始めたら国が滅びますよ」
「そうではあるが!」
窓口の役人に文句を付けても始まらない。ボク達は一旦、引き下がった。
「……あの、その法律って、どんな?」
「問題のある貴族子弟の財産分与、各種法的手続きに対し、当主が制限をかけられるというものだ。禁治産者扱いみたいなものだよ。しかもなんだ、女王陛下のお手まで煩わせねばならんとか。私は知らぬ間にクーデターでもやったのか」
「ああ、道理で役所の人達の目が冷たかった……」
「言うな、思い出したくもない」
ラマイカさんはスマートフォンで父親を呼び出した。
「父上、あなたが手を回したな?」
電話に出た伯爵は、
「馬鹿め」
それだけ言って通話を切った。
「……愉快な親父様だよ」
ラマイカさんの顔は笑っていたが、眉間に深い皺が寄っている。
彼女がもう一度父親に電話をかけようとしたとき、それに先んじてスマホが着信を報せた。
「――ナローラか。何の用だ」
「街にいらっしゃるのでしょう。アンが『アールグレイの茶葉を切らしたので2カートン買ってきてくれ』と。銘柄は御存知ですね?」
「アクタウ夫人の店に行けばいいんだろう。――それだけか? 今立て込み中だ、切るぞ」
「それから、御館様から
「何故そっちを後回しにした!?」
「紅茶の枯渇以上に深刻な問題があるでしょうか?」
「……まあいい、父上は何と?」
「『馬鹿め』と」
「それはさっき聞いた!」
「……貴族法の件は高位吸血人の存在を公にしないための方便でございます。お嬢様は特別な御方。それ故に、その御身には制約が伴うのです。不承不承でしょうが御了承いただくしかないでしょう」
仕方あるまい、と苦々しげにラマイカさんは呻き、通話を打ち切った。
「結婚の方は想像がついたが、血婚の方までとはな。そこまで干渉されるとは思ってなかった」
「訊いてもいいですか、ラマイカさん。どうしてそんなに、ボクと血婚したがるんです?」
「……君をテストパイロットにしたいからと言わなかったかな」
「なら普通にテストパイロットとして雇い入れればいい。そもそもボクがヴルフォードを動かしたのは、プロポーズされた後の話だ」
「…………」
ボクには何もない。家柄も、名誉も、財産も、秀でた技能も。1㏄の血液で何万ポンドと稼ぐような高級血液の持ち主でもない。
「正直、あなたのその好意がボクには怖い。はっきり聞かせてくださいよ。それとも言えない理由があるんですか?」
ラマイカさんは視線を彷徨わせた。
「話してくださらないなら、ボクはヴァンデリョス家には帰りません」
「…………」
「ラマイカさん」
「……これから話すことを聞いても、私を嫌いにならないと誓ってくれるか」
「内容によります」
誠実な返答は好きだがね、とぼやいたラマイカさんだったが、やがて深呼吸をした後、意を決したように口を開いた。
「私が君の世話を焼いてきたそもそもの始まりは、ある人物に頼まれたからだ」
「頼まれた……? 誰に……?」
彼女は、一拍置いた。
「……ヴェレネ・リープシュタットだよ」
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