呪腕


 バタバタと何かが羽ばたくような音が聞こえてきた。レーダーマップに味方を示す青い光点が2つ追加される。光点の示す方向から、2機の戦闘ヘリが近づいてくるのが見えた。キャノピーが丸ごと装甲で覆われている以外はよくある形状だ。機体にVK空軍RAのロゴが記載されている。


「今頃か、遅いぞ」

『すまない』


 毒づいた直後に無線機からヘリのパイロットの声が流れ、ラマイカさんはばつの悪い表情を浮かべた。


『こっちも基地機能が麻痺していてな。霧が――』

「釈明は後で結構。状況は把握しているな?」

『あのガリヴァーの飼い犬みたいなワン公を殺処分すればいいんだろう、粗相される前に片付けてやる』


 衝撃波が届かないであろう間合いを保ちつつ、ヘリは攻撃ポイントを求めて旋回する。獣はそれを目で追うことしかできない。


 ――と、思われたのだが。


 獣が激しく身を震わせた。背中の1点が隆起し、左右に広がりはじめる。見る間にプロペラが形成された。しかもそれはただ見た目を模倣しただけではなく、実際に回転し獣を空に運んでいく。


『嘘だろ?』


 戦闘ヘリと獣は空中戦ドッグファイトを開始した。最初は互角に見えた戦いは、あっという間に獣の優勢へと変わった。ヘリというよりもはや戦闘機のようなスピードで飛翔する獣が、2機のヘリを撃墜するまで時間はかからなかった。


 パラシュートで脱出したヘリの乗員を貪りながら、獣は遠くを見つめ顔を喜色に歪ませた。

 飛行能力を得たことで広い世界を知った奴は、餌の満ち溢れる街並みに歓喜しているようだった。


 それを見ているボクの心は、ひどく冷静だった。さっきまでの恐怖はもはやない。

 奴が翼を生やそうが角を伸ばそうが知ったことか。やることは1つだ。


――余計なことは考えないで、かりばちゃん。


「……余計だって?」


――あなたでは勝てない。逃げなさい。


 そうだね。姉さんの言うことはいつだって正しい。ボクはきっとあいつに勝てないだろう。きっと手も足も出ずにむしゃむしゃ喰われてしまうに違いない。逃げるのが1番。誰だってそうする。


 それでも。


「……嫌だ」


――かりばちゃん!


「嫌だ、嫌だ! ボクはあいつを殺したいッ!」


 ボクの人生の全ては、姉さんの望みを叶えることにある。姉さんがボクに命じるなら、ボクはそれをやらなければならない。


 だけど、ボクはこいつをのさばらせておきたくなかった。


 姉さんに背いてまで叶えたい初めての願いが、何かの命を奪うことだったのは悲しむべきことなのだろう。だけどそれでもそれこそが、ボクが心の底から望んだことだった。


 人を平気で殺しうるボクが、誰かに大切な人を殺されて怒り狂うのは、本来お門違いなのかもしれない。

 それでも。


「幸せになればいいんだろッ!? 敵が――ボクから大切なものを奪う奴等がこの地上から消えて無くなることこそが、ボクの幸せだ!」

「……カリヴァ君?」

「何かないんですか、ラマイカさん! こいつだって吸血鬼なんでしょうよ!?」


 ラマイカさんは少し考え――昂然と顔を上げてボクを見据えた。


「攻撃手段はある。ただこっちも制御できるかギリギリのラインだ。君の精神に負荷をかけることにもなる。だが、今の私には代わってやることはできない」


 それでもやってくれるな? とラマイカさんが目で問う。

 いや、彼女は質問などしなかった。これは命令だ。

 それをやれるのがおまえしかいない以上、それをするのはおまえの義務だ、と彼女は言外に断言していた。


 ボクは頷いた。不安はない。力強く道を示してくれる彼女の瞳に、かえって救われたような気分にさえなっていた。


 ラマイカさんはもう一度、あのダモクレスの剣を己の身に突き立てる。苦痛に美貌が歪む。

 VCRゲージ、再チャージ。『陽光の誉れ』が唸りをあげた。


 バシュ、と蒸気が噴き出すような音と共に背後で振動。見れば、肩の後ろについていた箱状のパーツ――最初に見た時はミサイルポッドかと思っていた――の蓋が開いていた。


 しかしそこから勢いよく吹き出してきたものは、蒸気でもなければミサイルでもない。

 それは、やや紫がかった黒い濁流だった。


 一旦後方へと吐き出されたそれは、空中を泳ぐ大蛇のように、ぬるりとUターンして戻ってくる。そして渦を巻く黒い霧と化し、機体の周囲を駆け巡りはじめる。

 メインカメラのすぐ前を横切ったので、ボクはそれがなんだったのか知ることができた。


 それは無数の、3ミリにも届かない小さな羽虫のようなものの集合体だった。何千何万、いやひょっとすると億すら超えて何兆匹ものそれが『陽光の誉れ』の右腕に殺到する。


「うっ!?」


 突然、ボク自身の右腕を不快感が襲った。何万匹もの小さなものが皮膚の上を這いずり回っている感覚。まさに今『陽光の誉れ』が感じているような。


 WGの受けた痛みをパイロットが感じるような機能はない。にも関わらず不快感は強くなっていく。ただ虫にたかられているだけにあらず、このままでは魂そのものが汚染されてしまう――、そんな予感が脳を灼いた。吐き気がする。





 いつの間にか、ボクは宇宙のような場所にいた。異次元じみた色彩の星々が笑っている。電車も笑ってゴミ箱に投身自殺すると巻き寿司になった。海を飲み干した魚が後ろ足を蝶々結びにして窒息しそうにぴくぴく震えていたのは母さんだったと500万年前の日記帳に万年筆で呑み込んだ。


「しっかりしろ、カリヴァ・カシワザキ! 呑まれるな!」


 ラマイカさんの声が遠くに聞こえる。


『カシワザキ君!? ああ、やっぱり駄目だったのか?』


 マドラスさんの声がした、ような気がした。


――戻ってきなさい、かりばちゃん。


「……ね、え、さ、ん……?」





 気づけば、ボクはWGのコクピットに戻っていた。不快感は消えない。だが、耐えられないほどではなくなっていた。


 『陽光の誉れ』の右腕を見る。そこにあったのは、悪魔を思わせる奇怪で醜悪な腕だった。あの無数にいた虫のようなものが、細胞のように寄り集まってできたものだ。紫がかった表面はてらてらと光り、脈動している。

 右腕を操作すれば、悪魔の腕もその通り動いた。指を曲げると、猛禽の爪を持った指がそれに従う。


「カリヴァ君、早くとどめを!」

「あ――」


 何をすればいいかは本能的にわかっていた。いや、腕が教えてくれたというべきだろう。それと同時に、腕もまたボクの頭の中を覗いていた。吐き気がぶり返す。だが、吐くのは後だ。ボクは殺意を込めて右腕を突き出す。


「『喰らえ』!」


 手首の部分から、腕が伸びた。

 砲弾のようなスピードで拳が敵へ向かう。

 獣はそれをかわしたが、腕は急旋回して目標を追尾する。

 驚きのあまり動きを止めた敵の目前で、拳がぱっと裂けた。

 指を開いたのではない――握り拳の形をしていた蛸が擬態を解いたかのようだった。


 ホーミングミサイルめいて蠢く8本の触腕が敵を絡め取り、呑み込む。触腕に挟まれた獣の手足やローターが小枝のように抵抗なくへし折れた。触腕の先端は鋼の装甲を刺し貫き、何かを吸い上げ始める。そしてそれは、獣の背中に引っかかったままのコクピットブロックに対しても例外ではない。


「や、やめろ!」


 内部にいるのは病院に攻撃をかけた犯罪者。多くの命を奪った紛れもない悪人だ。だけどそれでも、こんなわけのわからないものに食われて死ぬのはいくら何でもひどすぎると思った。

 憎むべき敵に同情するくらい、ボクはこの悪魔の腕に嫌悪感を抱いていたのだった。


「やめろって!」


 だが、悪魔の腕はボクの入力を受け付けない。そもそも8本の指なんて、どうやったら操作できるんだ?


 なんなんだ、これは――。

 まさかコレは、本当に悪魔の力なのではないだろうか。


 その時だった――光が差したのは。

 上空を漂っていた黒雲はいつの間にか綺麗に消えてしまっていた。晴れたというよりは最初から存在しなかったかのように。

 陽光に照らされた瞬間、悪魔の腕はたるんだゴムのように力なく地面に落ちた。爆発はせず、しゅうしゅうと蒸気を上げながら溶けていく。


 後には、なんだかよくわからない鉄の塊になった敵隊長機だけが残された。

 既に息絶えたそれが爆発することはなかった。『陽光の誉れ』にも異状はない。さっきの一撃で吸血鬼としての力を使い果たし、ただの機械に戻ったのだとマドラスさんが教えてくれた。


見事也よくやった


 ラマイカさんの手がボクの頭に置かれた。


「よくぞ武勲ぶくんをあげてみせたものだ。褒美をやらねばならんな」


 微笑んだその顔が、何故だが姉に重なって見えた。ちっとも似ていないのに。


「――すまなかった、頭を撫でるなど君のような年頃の男子にすべきことではなかったな」


 戸惑ったような顔でラマイカさんが手を引っ込めるのを見て、ボクは自分が涙を流しているのに気づいた。

 何故、ボクは泣いているのだろう。


 ボクはヘルメットを脱いで涙を、ラマイカさんは汗を拭った。だいぶマシになったとはいえ、彼女の腕にはまだ火傷の痕がくっきりと残っている。


「まだ、治らないんですね」

血婚申し込みプロポーズの時みたいに、ちょっと焦がしたってわけじゃないからな。だが、すぐ――」


 続く言葉はなく、代わりにドスンという音がコクピットに響いた。


「ラマイカさ……ん……!?」


 ボクは息を呑む。糸が切れた人形のように力なくへたり込んだ彼女の、無造作に投げ出された足は腕以上に焼けただれていた。

 以前テレビで聞いたが、人間は全身の70%を火傷すると命が助からないという。いや、表面積がもっと小さくても皮膚が炭化するようなレベルの火傷なら充分致命的だろう。今の彼女は正にそんな状態だった。


 おまけにあの『ダモクレスの剣』にかなりの血を吸われたはずだ。

 吸血人は最強の生物ではあっても無敵でも不死でもない。寿命はもちろんあるし、脳が破壊されるか再生可能な程度を超えて傷つくか、大量の血を失うかすれば、死ぬ。


「し、しっかりしてください! 血婚でも何でもしますから! 目を開けてくださいよ!」


 ラマイカさんが苦しそうに喘ぐ。頬を汗が垂れる。目は虚ろだ。餌を求める雛鳥のように開けた口から犬歯が覗く。それはボクが知っている他の吸血人達より不自然なほど長く見えた。

 手足の皮膚は再生する素振りを見せない。それどころか、指先から砂のように崩れ始めた。

 すぐそこは病院だけど、きっとそれでも間に合わない。直感的にボクは悟った。


『どうしたんだい、カシワザキ君!?』

「マドラスさん! ラマイカさんが、ラマイカさんが死んでしまう――」


 状況を聞いたマドラスさんは少しの間沈黙し、やがて重々しく口を開いた。


『……君の自己犠牲精神を期待したい、カシワザキ君。彼女に血をやってくれないか』

「血……? でも吸血人にとって血液はあくまで栄養補給であって、魔法の回復アイテムじゃないって――」

『普通の吸血人なら、そうだ。でも彼女は違う――彼女は絶滅危惧種の高位吸血人ロード・ヴァンパニアンなんだ』

「ロード……?」


 聞いたことのない言葉だ。

 だけどそれで彼女が助かるなら、やらないという選択肢はない。


 VKに住む雑食人の胸にはエイブラハム弁という血液採取を円滑化する器具が埋め込まれているが、そこから血を抜くためには専用の器具が必要なので今は使えない。

 だとすれば、方法は1つである。


 操縦器具から手足を引き抜き、ボクは『ダモクレスの剣』を引っ張った。

 剣の先端はよく見ればストロー状に穴が開いており、そこから血が吸引される仕組みになっていた。だがそこ以外の刃先は普通に短刀として使えるようだ。


 ボクは刃を腕に当てた。指先をちょっと傷つける程度では駄目だろう。深く息を吸う。息を吐く。息を吸う。深く、息を吐く。

 それでも手先が震えるのは抑えられなかった。ぎゅっと目を閉じる。

 死んでもいいと考えることと、自分で自分を傷つけられるかは別問題だった。


――いいのよ、かりばちゃん。あなたがそこまでしなくて。


 不思議なことに、その言葉で逆に覚悟が決まった。

 自分が生きるべきではない存在だということを思い出せたからかもしれない。


「……駄目だ、姉さん。この人は命と引き替えにしてまでボクを助けてくれたんだ。だったら、血の1リットルくらいは、さ」 


 ボクはいつからこんなに聞き分けの悪い子になってしまったのだろう。

 姉が呆れたようにため息をつく気配がした。そして渋々といった風に、何処を切るのが1番効率的か教えてくれた。


 犬のように長く垂れたラマイカさんの舌の上に赤い液体を垂らす。舌が別の生き物のように震え、流れてくる液体を口腔内に送り始めた。


 じれったいので傷口を口に直接あてがってやると、彼女は母親の乳房に吸い付く赤ん坊のように無心に血を吸い始める。それを見ていると、なんだかむず痒いような甘酸っぱいような気分になってきた。男にも母性本能的なものはあるのだろうかとボクはふと思う。


 この時彼女に噛みつくだけの余力がなかったことは、ボクにとって幸運だった。でなければそんな気分に浸っている余裕はなかっただろう。


 彼女の瞳が意志の光を取り戻す。ゆっくり、だが確実に、時間を巻き戻すように手足が再生していく。

 外では生き残った武装警備員達が『陽光の誉れ』を取り囲み、喝采をあげていた。


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