3:亡霊と 阿修羅が招く 鉄棺(テツヒツギ)。柔き己を 地に埋(うず)めよと。
膝枕
『――本日21時頃、プリストル市ゴルゴン・ロード沿い××番地の移民児童養護施設にタンクローリーが突っ込むという大事故が発生しました。幸い火災は起こりませんでしたが、同施設に保護されていた移民児童と職員合わせ18名が死亡、5名が重軽傷を負いました。なおタンクローリーの運転手は見つかっておらず、VK警察は――』
広間に据えられた大型テレビから漏れるニュース音声を聞きながら、ボクは判決を待つ被告のような気持ちで手術室の扉の前でうなだれていた。
自分達のことがニュースで報道されるというのは、なんだか不思議な感じだった。まるで他人の身の上に起こったことのように聞こえる。そうであればよかったのだが。
足音が近づいてきたので、ボクは護符のように握りしめていた暗視ゴーグルを装着した。近づいてきたのはガリリアーノ刑事だった。両手に持った紙コップの1つをこっちに差し出す。
「ほらよ」
「……ありがとうございます」
紙コップを受け取ると、コーヒーの湯気と香りが鼻孔を撫でた。
「よかったな、伊久那の奴が生きてて」
絶望的な惨状だったにもかかわらず、伊久那と数人の子供達だけは辛うじて生きていた。いや、生きていたというのは早計かもしれない。全ては今、手術室の中で起きている戦いの結果次第だ。
勝率は決して高くない。だが他の病院ならゼロだっただろう。
私立チェダーフィールド病院はプリストルでは1、2を争う大病院だ。大学のように大きな病棟と広い駐車場を持ち、敷地内には付き添い客のためのホテルまで存在する。雇われている医師達も優秀と評判である。
当然、費用も高くつく。雑食人は医療費の9割が税金でまかなわれるが、それでもボク達のような孤児には本来手の届かない場所だ。
それでも搬送してもらえたのは、ラマイカさんの口利きが大きい。治療費も彼女が代わりに払ってくれるらしい。これでもう完全に血婚を断れなくなってしまったが、伊久那達が助かるなら安いものだ。
刑事はコーヒーを一口だけ飲んで、脇に置いた。
「上流階級御用達の病院は自販機の中身まで高級だ。俺達みたいなワイルドな舌の持ち主には御上品すぎるな」
「勝手に野獣仲間にしないでください。美味しいですよ。タバコの吸いすぎで味覚がイカレてんじゃないですか」
「お、調子が戻ってきたか?」
「まあ、最善は尽くされているというか……。ここで駄目だったら他の病院でも駄目だと思いますし。あきらめがつきます」
「ラマイカ様々……いや、様様々か? それはどうかな。信用するのは早いと思うぞ」
いきなり何を言い出すんだこの人は、とボクは刑事の顔を見る。
だがガリリアーノさんの顔は真剣そのものだった。ゴーグルで目元は見えないが。
「おまえを襲った貴族は、ヴァンデリョス家絡みかもしれん」
「は……?」
「結婚でごたごたしてるのはリープシュタット家だけじゃない。ヴァンデリョス家もなんだ。姉が2人とも他家に嫁いだ関係上、ラマイカ・ヴァンデリョスかその入り婿殿が伯爵家を継ぐことになる。だがミス・ラマイカはヴェレネ・リープシュタットの倍近い年齢にもかかわらず、正式な結婚相手が決まってないんだ」
そういえば、トリーリョがラマイカさんのことを『嫁き遅れ』って言ったっけ。
「で、父親や親戚、婚約者候補達が跡目争いで苛々してるときに、おまえが出てきたってわけだ」
「…………」
血婚と結婚は別制度。だがそれもラマイカさん次第だ。
「彼女の意志次第では、おまえが次期伯爵にもなりかねないってこった。まあそんなの前代未聞だが、万が一ってこともある。そんなこと周りの貴族どもが黙って見過ごすと思うか?」
あの脅迫状をボクは思い出した。みじん切りにしてしまったのが悔やまれる。保管しておけば指紋を採れたかもしれないのに。
そしてだ、と刑事は指を立てる。
「あのお嬢様がそれを考えもせずおまえと血婚しただろうか? 俺にはそうは思えんね」
「…………」
「ひょっとしたらラマイカ・ヴァンデリョス自身が、おまえにとって憎むべき仇になるかもしれん」
ボクは紙コップに口をつける。中の液体はもうだいぶぬるくなってしまっていた。
ボクの命を狙った貴族は誰だ? リープシュタット家か、パクシュ家か、ヴァンデリョス家か、それとも生意気な平民の話を聞いて懲らしめようとした別の貴族か。
「あの犯人は……?」
3人の刺客のうち、1人は仲間に撃たれて死に、その撃った1人はボクが殺した。しかし最後の1人は生きている。
「あいつなら本職のお巡りさん達が署に連れて行ったよ」
ガリリアーノさんに言わせると、この国で昼間に働く人間――雑食人の仕事の大半はおままごとに過ぎないのだそうだ。特に警察官などは腕力で絶対に吸血人に勝てない以上お飾りでしかない、と自嘲する。だからよく彼は吸血人の警官達のことを『本職』と呼んだ。夜の警察がドーベルマンなら、昼の警察はトイプードルだとも。
「まあ、捜査情報は俺みたいなアマチュア警官には回ってこねえな。いや、もう黒幕が裏から手を回して釈放させてるかもしれない。貴族様ならやりかねん」
「…………!」
「そうむくれるなよ。手ぶらってわけじゃない」
刑事はポケットから何かを取り出す。鎖でぶら下げられたそれは銀色に輝くペンダントだった。半身を向けた狼が丸い玉をくわえ込んでいる、そんなデザインだ。
「野郎の持ち物をちょっと拝借したんだ。あんなオッサンの私物にしては、ちょっと洒落てるとは思わないか」
「敵の組織の紋章か何かだって言うんですか」
「ああ。でもってこの形、どっかで見たことあるんだよな。俺もアクセサリーには明るくないんだが」
同じものを見たら気をつけろ、と刑事はペンダントをしまった。
「さて、俺は
着ていた服は自分自身とシスターの血でもうボロボロだったので、ボクは病院の患者服を借りている。確かにこれでは外に出られない。ちなみに今つけている暗視ゴーグルも病院で貸し出しているものである。
「下着はエマニュエル・ストリートの『ラ・カオ』でお願いします。女物のデザインで男が穿いてもキツくない奴、そこにしかないので」
「……お、おう、努力する……」
余計なことを言ってしまった、という顔で刑事は立ち上がったが、数歩前に進んだ後で振り返った。
「……そういやおまえ、随分平気そうだな?」
「何がですか?」
「人を殺しといてだよ」
「……あれは、やらなきゃやられてたからで……」
「それにしたって、降参した相手を息の根止まるまで滅多打ちとはな。ビビったぜ」
「…………」
一瞬嫌悪感をあらわにした刑事が立ち去っていくのを、ボクは呆然と見送った。
やり返さなければやられていた。だからといって、どこまでも無制限にやり返していいことにはならない。
その境界を見誤れば、正当防衛は過剰防衛に、被害者は加害者になる。そしてボクのやったことは、気さくな刑事からさえ忌避される対象となる行為だった。
だけどボクは自分のしでかしたことに罪の意識を感じていなかった。降伏した敵を無惨に殺し、顧みもしない。父親を殺したのだってそうだ。遅すぎたことを悔やみはしても、殺めたこと自体を後悔したことはなかった。
シスター、どうやらボクはボクが思っている以上に醜い人間だった。やっぱり、あなたが生き残るべきだった。
暗視ゴーグルを外し、壁に深く背を預けて瞼を閉じる。
疲労が呼び寄せた睡魔の羽音を感じながら、全てが夢であればいいのに、と心の底から思った。
予想通り、夢から覚めても目の前の状況は変わっていなかった。まだ手術室のランプは点いたままだ。
ただし、頭の下の状況は変化していた。微妙にあたたかくやや柔らかく微かにいい匂いのするものが枕のように敷かれていて、ボクはそれに頭の右側面をくっつける体勢になっていた。
猛烈に嫌な予感がした。胸元に抱えたままの暗視ゴーグルを顔に押し当て、視線を上に向ける。文庫本を手にしたラマイカ・ヴァンデリョスの上半身がそこにあった。
もしかしたらボクの人生を狂わせた元凶かもしれない人に、ボクは膝枕されていたのだった。
「おはよう」
「お、おはようございます」
ボクは跳ね起きた。
「感想は?」
唐突にラマイカさんが問うた。
「は?」
「私の膝枕の感想だ。よく上の姉にしてもらっていたが、私がするのは初めてだ。どうだった?」
「どう、といわれましても――その、よ、よかったです」
「そうか、それはよかった。私の太腿は姉達より固いから、寝苦しいんじゃないかと心配していたのだ。ところで疑問なのだが、何故
「さ、さあ」
ラマイカさんは右腕にギプスをしていた。ボクの視線に気づくと、見せびらかすように身体を傾ける。
「全治1週間だ」
「はあ」
「フフン」
何に対してのフフンなのかよくわからない。
「……今、何時ですか」
「午前5時だな」
ボク達がここに来たときから伊久那の手術は始まっていたから、もう8時間になる。知り合いの手術に立ち会うのは初めてで、長いのか短いのかわからない。
「もうあの忌々しい太陽が営業中だ。私は今昼ここに泊まりだな。君もそうするだろう? 部屋は取っておいた」
ラマイカさんは隣接するホテルのルームキーを差し出してきた。ありがたく受け取る。
「ところで、ガリリアーノ刑事を見ませんでしたか?」
「いいや」
もう戻ってきてもおかしくないはずだが、中年刑事に女物の服――下着込み――を買ってこさせるのはハードルが高かったか。
「さて、礼を言っておかなければなるまい。君があの機体を動かさなければ私は右腕だけですまなかっただろう。――ありがとうございました」
「え、そんな――」
礼を言うのはむしろこっちの方だ。彼女がWG込みで来てくれていなければ、ボクは殺されていた。
それに――たとえ復讐に駆られていたとしても、降参した敵を問答無用で惨殺したボクなんかに対して、どうして彼女はこうもまっすぐに礼が言えるのだろう。
「それでだ」
彼女は本題に入る。
「残念なことに、あれは機密の塊のような機体でね。君が乗ってしまったのは非常によろしくない。数年は当局の監視下におかれる、かもしれない」
「えっ……」
ラマイカさんはフフン、と笑い、ボクの背中を叩いた。
「どうした、
その時、手術室のランプがふっと消えた。間を置いて、疲れた表情の医師や看護師が吐き出される。ボク達を見つけると近寄ってきた。
「リナ・イグナさんの関係者の方ですか」
「そうです」
「意識はまだ戻っていませんが、一命は取り留めました。ですが全身の損傷は激しく、特に両足の接合は不可能でした」
「…………」
あんなに元気いっぱい走り回っていた奴が、もう同じようには動けないのか――。そう思うと目の奥が震えたが、それでも生き残ったことを喜ぶべきだろう。
「幾つかの臓器は今人工臓器を接続することで代用しています。適合する臓器がでてくるか、内蔵式人工臓器ができるまでは寝たきりの生活になりますが、後者の場合はそう長くかかりませんので安心してください」
「あの、顔を見ても?」
「しばらく絶対安静です。無理に起こすことはしない方がいい。今日のところはお引き取りを」
「……わかりました。ありがとうございました」
「ヴィリーヴィノ先生!!」
若い看護師が靴音も高らかに走り寄ってきた。ヴィリーヴィノと呼ばれた医者は眉をしかめる。
「君、廊下を全力疾走するものじゃない」
「すみません、でも院長先生がすごい剣幕で、先生を呼んでこいと……。それから、移民児童養護施設の方がいれば一緒にと……」
「……ボクも?」
ボクとラマイカさんは顔を見合わせた。
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