170 - 無知に因る

 セフィとリーとアーシャを、おろおろとして見送ったノーグ達は、そこで思い出した様に「どうしても進めたい作業があるから」と部屋を去り、辺りは急に静かになった。

茶器を置く音が妙に鮮明に聞こえ、居心地の悪さを覚えながらラフクはチラとロルを見た。

「ところで、彼らは、その……」

恋人同士なのか、と。聞いてもいいものだろうか。

 言いにくそうにしながら伺う瞳を向けるラフクに、見惚れる美丈夫がふっと笑って

「どうかなぁ? リーはセフィのこと、完全にそういう意味で好きっぽいけど、セフィは……微妙なところだと思うんだよね」

ねぇ、とアレスに話を振る。

「??」

「いやほら、リーってセフィのこと好きだよね、って」

「うん? あぁ、そうだな」

「恋愛的な意味でさ」

「へ……? え? そうなのか??」

「そうだと思うよ」

「え、でも、だって、二人とも、男だろ?」

「だね」

「だね、って……」

確かに、リーの言葉やセフィに触れる時のやり方には時々ドキリとさせられるものがある。

だが、二人は同性同士で、しかも聖職者だ。

セフィも前に――アシ・ル・マナで「男同士で恋人同士も何もない」と言っていた。女性と間違われていたことを茶化された流れでの言葉だったのだろうが、同性愛を禁忌とする倫理の中で生きてきたのだから当然の感覚だ。それはアレスも同じく、何故と疑いようもないほどに根深く浸透している意識。

「でも、ない、だろ」

「なんで? どうしてないの?」

理解が及ばない様子のアレスに、ロルは論拠を問う。

その表情はあくまで純粋な疑問を示していて、咎める色は無い。

だが、青髪の少年の問い詰められているような面持ちに、ラフクは自身が振った話題が思わぬ広がりを見せていて、どこか落ち着かない気持ちになった。

「それは、だって……倫理に反するだろ。同性愛は、禁忌だって」

「倫理に反するから、ダメってこと?」

「そう、だ」

「淡紫の瞳はいいのに?」

「それはっ! だって、根拠が不確かだし、だろ? それに、男同士じゃ、子供もできないし」

アレスがどうにか見つけ出した答えに、気持ち悪いからって言わないだけ、まぁ、マシかな、とひとりごちてロルはくすりと笑った。

「そもそも、禁忌とされているのは『子を産み増やし、神を信ずるものよ、この地に満ちよ』って教えに反するからなんだろうと思うけど。でも、男女の夫婦でも、子供を授からない場合だってあるよ。だとすると、子を生すことの出来ない二人は、いくら愛し合っていてもその思いは許されないものってこと?」

「ちがっ!!」

ロルの言葉をアレスは反射的に打ち消した。どれ程愛し合っていても、望んでも、得られないことがあることは、アレスも知っていた。

「そもそも、子孫を遺す為に、アレスは誰かを好きになるの?」

「ちがう、そうじゃないっ! そうじゃない、けどっ」

意地の悪い問いかけに、だが、アレスは何と言えばいいのか分からず否定することしかできない。口ごもった少年を、青い瞳の男は一見穏やかそうに見つめる。

「確かに、新たな命を生み出すのは尊い行いだよね。けど、潰えたかもしれない命を救うことがそれに劣るとは、俺は思わない。望んだ子ではないからと我が子を殺す親も居れば、それを救おうとする他者もいる。愛し合っていなくても、子をなす為だけに婚姻することもある。それに……愛し合い周りからも祝福され結ばれた男女から生まれた人間が後に誰かを殺したら? 義務として生された子が大量殺戮者となったとしたら? 命を生み出さないからと否定されるなら、命を奪う全ての殺戮者は、男と女の間に生まれる」

「!! そんなの、そんなの、極論、だ……!」

アレスは何故かぞっとするものを感じて、思わず声を上げた。

「だよね。でも、子供ができないからっていうのは、それくらい極端で暴力的な論理だと思わない?」

「う……」

「人はただ命を繋ぐためだけに生きているわけじゃない。命を繋ぐだけでいいなら、これほど人生が長い必要はないのだし。大切なのは、生きることだと俺は思うよ。命を繋ぐことは、生きることの一部に過ぎないってね。命を繋ぐためだけに、愛するのじゃない。そこにあるのはただ、愛する、という感情だけ……」

「……」

完全に言い負かされた風になって、アレスは神妙な面持ちで押し黙る。

ロルは少し笑った。

「うん、まぁ、結局は、好きなら仕方ないよねってことなんだけど」

「……随分と、肯定的なのですね」

ここへ来てやっと、口を挟む隙間ができたとラフクは声を発した。

 まるでラフクの積年の葛藤と苦悩を全て知り尽くした上でのような言葉に、先ほどから鼓動が高鳴っているのを、どうにか隠しながら。

「だって、心の問題だし。理性とか、そういうので説明のつかないことをしてしまうのが、恋心ってもんじゃない? 教義は大切だけど、それを信じるのもそれぞれの心でしょう? 周りがどうこう言うもんでもないと思うんだよね」

「そう、ですね……」

ロルの言葉に、ラフクは頷きたくて頷いた。

 自分は、生物として許されざる存在であると思ってきた。それは揺るぎようのない真理だ、と。だが彼は、それを揺るがすどころか真っ向から否定して、自分を肯定してくれているような気持になった。そう、ラフク自身ですら、肯定できなかった自分を。

そんなラフクの心を見透かすように、ロルは悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「まぁ俺は、自分の考えが絶対的に正しいとは思ってないし、誰にとっても受け入れられるものじゃないってわかってるけどさ。頭では理解し納得しても、それこそ心が受け入れられないってことは、往々にしてあるものなのだし。もうほんと、生理的に受け付けない! ってのも、あると思うんだよね。

だけど、ただ、そういう考え方もあるんだって、ね? 無知が故の嫌悪なら、知ればいいだけでさ。

異性しか好きになれない人、同性しか好きになれない人、何かや誰かをきっかけに変わる人、様々だと思うんだ。だから自分自身の理解が及ばないからと言って、否定していいもんでもないと俺は思ってる。……リーの場合は、多分、セフィのことが好きなだけで、性別とかそういうのは関係ないんだろうなって」

「そ、れで、本当に、いいんでしょうか……」

ラフクは呟く様に問うた。

酷くうるさい鼓動に気付かれまいと、平静を努めたが声は震えてしまっていた。

こんな、自分の半分程しか生きていない様な人物に、解されるとは思わなかった。こんな風に、答えを求めるなんて、と思いながら、ラフクは断罪を待つ気分で瞳を伏せた。

 ラフクは、ヘンルィク=ブロムダールを愛していた。だが、今はもう、想うだけでいいと思っている。誰にも言えない想いだけを大切に抱えて、生きていくのだと。長くそうしていれば一人にも慣れるだろうと思い過ごしていた頃に現れて、そんなラフクを掻き乱しておきながら『尊敬している』などという言葉で濁して自分自身の気持ちを否定し続けるセヴェリに対し、認めて欲しいと心のどこかで思いながら、それは望んではならないと、ラフク自身も受け入れられずにいた想い。それを彼は――

「別にいいんじゃないかな。少なくともイシュメルとアニエスカが今居るのは、貴方が『そう』だから、ですよね?」

いとも簡単に、確かな論拠で以て肯定してくれる。

「……え?」

だが、その言葉尻に、何故知っているのだと思わず彼を見た。あの、教義でガチガチに固まった男と

少し似た、青いタレ目がちな双眸が優しい色を浮かべていた。

 ラフクが養う二人の子供は、弟である現クルール卿とその妻オーレリアの末の双子だ。多胎、特に男女の双子は忌み子と言われ、生まれてすぐにどちらか、もしくは両方が無かったことにされる。この国の古い因習だ。最愛の妻が命を賭して残した命だから、どうにかして守りたいのだと弟が駆け込んできたのはもう10年も前のこと。だがそれらは、一部の者しか知るはずのない、秘匿されてきた事実。それを何故、この旅人が知っているのか。

「あ、の……」

しかも彼は、自分が――ラフクが同性愛者だと確信したような物言いをしてはいまいか。

混乱のあまりどう問うていいのかと逡巡するラフクを他所に、

「おれも、別に、リーがセフィ好きなの、絶対ダメとか、別にそういうつもりじゃ……っ!」

慌てた様子でアレスが声を上げた時、寝室の扉が開いた。

件の人物の姿が見え、アレスは続く言葉を思わず飲み込む。

何を話してたんだ? という顔のリーに、ロルは何でもないと応え、ラフクに目配せした後でセフィの具合を問うた。

「まだ熱が少し、な。アーシャが、傍についててくれるって」

答えながら元の場所に戻ったリーのやや険しい表情に、ラフクは少し申し訳ない気持ちになった。

「無理を、させてしまったかな」

「いや。本人が知りたがってるんだ。だから――」

リーはどうにか苦笑して応える。

 セフィにとって知らないという事が、きっと不安なのだ。自分自身の生い立ちすら分からず、無知であるが故に周りを巻き込み、傷つけることになるのではないかと恐れているのだろう。

 だが知ろうとしていることは、恐らく彼の記憶に触れる類のもので。

幼い彼が記憶を封じてまで忘れたかった過去に関わることなのだ。

リーはちらと、セフィとアーシャの居る部屋の扉を見遣り、そして視線をロルに向けた

「……セフィが謝っといてくれって」

「?」

「さっきの、淡紫の瞳の者は罪人だとか、居ない方がいいとか、言った事。ソニアさんのことを言ったつもりはないからって」

自分を責めるあまり、彼の大切な人に対して酷いことを言ってしまった、と。

「え、そんなの、いいのに。全然、気にしてなかったのに」

ロルにとっては思いもよらなかった謝罪だ。

「そう言うと思ったけどな。けど、セフィは気にするんだ。変に聡いし気が付くもんだから、余計なトコまで気にして。特に今は、神経が鋭敏になってるっぽいから、尚更だと思うけど。……普通に気にしすぎだし……メンドクサイ、よなぁ?」

「え?」

きつい言葉に、三人は思わず自らの耳を疑った。だが、

「セフィ、いつも、何でもかんでも勝手に背負い込んで、一人で傷ついて、苦しんでる。ほんと、危なっかしくて、メンドクサイ……」

そう苦々し気に言うリーの声にも、瞳にも、愛しいという気持ちが満ちていて、アレスは思わず胸の辺りがきゅうと苦しくなる感じがした。辛辣な言葉の向こうに、どうしようもなく、愛しいのだという思いが隠しきれずに溢れている。

「ま、お前がいつになくだんまりだった上にちょっと小難しい顔してたからってのも、あると思うぜ。――で、何に気付いた?」

パッと重苦しいものを拭って、リーはロルに問うた。

「? 何って?」

「さっき、セフィの話聞いた時。……正確には、アレスとアーシャの発言の後辺りだ。何かに、気付いただろう?」


『絶対、絶対ないと思ってるし、万が一の仮定の話だってしたくないけど、でも、もしセフィがそんな風に罰として殺されなきゃならないんだったら、その、殺す人間に罪はないのか? それは罪じゃないのか? 人間に、裁く権利なんて、あるわけがないだろ!?』

『そうよ! セフィ。セフィが、どこかの誰かに、そんな意味の分からない理由で殺されたりなんかしたら、あたし、そいつを絶対、絶対、許せないっ!』


少年少女がそう声を上げた時、彼がほんの少し目を見張って、それからわずかに何かを思案した風だったのをリーは気付いていた。

「オレ達に……じゃないな。セフィに知られちゃマズいことか」

何かに気付いたことは確実だと言わんばかりの鋭い瞳。

「う、うーん、マズイことはないけど……大したことでもないと……」

「いいから、言えよ」

言葉を濁したロルに、強制力を孕んだ声で促す。その静かながら圧倒的な気迫に押される形で、

「……『神はその者をして、この世が黎明なるか黄昏なるかを裁定し、そのつがいをもって断罪を成さしむ』」

ロルは言葉を紡いだ。それは一遍の詩の様で、

「? なんだ、それ?」

だが、どういった意味を持つのか即座に理解できるものではなかった。

「昔何かで読んだ気がするんだけど、覚えてないんだよね。古い唄か何かだったと思うんだけど」

「それと、さっきのハナシとどう関係があるんだよ」

「さぁ……関係、あるのかな」

首を傾げ、寧ろ問う様な表情のロル。

「は?」

「いや、ふっと、頭に浮かんで。あの時。だから、気付いたとかじゃないし、関係あるかどうかも分からないんだって」

「分からないって、お前な……」

リーは思わず呆れた瞳を向けた。

「だから言ったじゃん。マズいことはないけどって。……ただ、サッヴァ老が言ってたことにも似てる気がするから、そういう類の伝承みたいなものは、あるところにはあるのかなって……今思った」

ロルの軽い物言いに、はぁ、と溜息を吐いてリーは頭を掻いた。彼の態度から何か、重要なことに気付いたのかと思ったが、そういう訳ではなかったようだ。

「わかった。じゃあ、そのことはそれでいい。で、他は?」

「他?」

「ゲルダのこと、シャラハザードのこと――竜の花嫁のこと、話してくれ」

気を取り直してリーは話題を振った。先ほどのやり取りから見ても、ロルはまだ全てを語っていないはずだ。

「別に、セフィに言うかどうか、判断してやろうとか、そんなつもりじゃないからな」

ロルが、自身の判断で語るであろうことに、口出しするつもりはない。だが今、彼の持つ知識はリーにとっても未知のもので、どうしてもそれを分けて欲しいと思っていた。

「でも、俺も、そんなに全部知ってるわけじゃないよ?」

「それでもいい。……オレはものを知らなさすぎる」

確かな知識がないと、守る事が出来ない。

苦悶にも似たリーの表情に、ロルは軽々しく「そんなことはないだろう」とは言えなかった。

「……頼む……」

絞り出す様な縋る様な声。

その張り詰めた空気の中、

「……私は席を、外した方がいいかな?」

「いや」

ラフクが気遣いかけた声に、ロルは咄嗟にそう答え、

「居て頂いた方が。意見を、聞かせてもらえると」

それから一つ大きく息を吐いて前髪をかき揚げた。

「俺の知識にも恐らく、偏りがあると思うので」

知識という力を強く渇望するリーを前に、ロルはついに観念した。

 とりあえず少し落ち着こうよ、と茶を促し一呼吸置いてから、

「神が魔を打倒してからおよそ1000年……。その、1000年、という歳月は、人々が忘れ去るのに十分な時間だと思う?」

ロルはそう言葉にして彼らを見た。

「聖書は、歴史書じゃない。信仰の為の道具だ。……”異教徒”の言によるものだけどね」

どこか不敵な笑み。

 そうして彼が語ったのは、竜の悲劇とシャハラザードの建国神話、そして彼の国の伝承に於けるレバ=ガバーラ<神魔大戦>――イスファハ=イリーネが伝えたという、救世の神サジャ=アダヌスの旅路の物語だった。

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