169 - 淡紫の瞳

「そん人の、言う通りだ!」

思わぬところから力強い声が上がって、二人は思わずビクリとした。

揃って其方を見遣ると、年若い方のノーグが立ち上がり顔を真っ赤にして強く両手を握りしめていた。

「あんたさんらは、教会の倫理観の中にいるから、そんな風に思うんかもしれんが、淡紫の瞳を魔性だなんぞと言うんは、教会の人間だけだ! おらたちは全く、そんな風には思わねえ。な、おじさん!」

そう勢いよく言って、ヤツェクはサッヴァを向く。

「う、うむ、確かに、そうじゃの」

その勢いに押される形で相変わらずムク犬みたいな姿のノーグは頷いた。そして

「――淡紫の瞳持つ者とは、罪を量り、この世が黄昏なるか暁なるかを見定める者と、わしらの間では言い伝えられておる。魔性の者という認識ではないの」

低くしゃがれた声でそう応えた。

セフィの感情の高ぶりがやや落ち着いたことを知ったリーは、触れる腕をそっと緩める。

「言い伝えられている?」

「どういうこと? 何かそういう、伝説的なものがあるの?」

そう言えば先程ラフクも、古い文書に記されていると言っていた。少年少女がサッヴァを、そしてラフクを見て問う。

「そのことも、お話ししようと思っていました。淡紫の瞳持つ者について、これまでで分かっていることを――もし、お嫌でなければ、ですけれど」

ラフクが伺う瞳を向ければ、セフィは弾かれたように真っすぐにそちらを向いて頷いた。

「知りたい、です……!」

その答えを聞き、ラフクは僅かに瞳を微笑ませた後、自身もまだ分からないことが多い為、もし知っていることと相違があるなら教えてもらえるとありがたいと前置いてから話し始めた。


「私が最初に『黄昏と暁の瞳持つ者』を文献で見かけたのは、先程も話しました通り旧教の聖典の一節でした。『破壊と混沌の刻、大いなる変革の為に遣わされ、安寧と引き換えに姿を消した』と。一体それが、いつの時代のどの人物に関することなのか、見つけることはできていませんが、『黄昏と暁』という表現が『ごく淡い紫と黄金』を表すことは、その後の調べからも明確でした。そして……淡紫の瞳は『人に許された色ではない』ということも……」

ほんの少し言いにくそうにしたラフクだったが、皆の表情に非難する色のないことに安堵しつつ、ついと銀縁眼鏡を指の腹で押し上げる。

「私の主観と言いますか、考えを差し挟ませて頂くなら、恐らく、そもそも淡紫の瞳が非常に稀有であったのではないかと思うのです。

古より非常に稀有な存在であり、稀有であるからこそ、人々から畏れられ、人ではないとの認識を受け、現代において――教会の定義において人ならぬもの、つまり『魔性の存在』だと、言われるようになったのではないかと私は考えています」

ただ――言いかけて、ラフクは口を噤んだ。

――彼を前にし、その瞳を覗き込んだ時に覚えた慄きは、珍しい色だからというだけではなかった。

それは、確かな畏れ。嫌悪や恐怖ではなく、忘れかけていた本能に訴えかける、畏敬の念とも思える感覚――

「それに、歴史に記されることなく、存在した可能性がないことはないと思いますし」

本人を前にして告げることの出来ない感想を隠すためにそう付け足した。

「そう言えば、根本的なことをお聞きしたいのですが……ご両親や親族に同じ色の瞳を持つ方がいたりはしないのですか?」

血脈により容姿は類似性を持つものだ。血を分けた者達の誰かに似たということはないのか。ラフクの問いに、だがセフィは首を振る。

「幼い頃に、教会のシスターに拾われて……それ以前の記憶がないんです」

「! そう、でしたか」

自分には当然としてあるものを持たない者が居ると言う事を、やや失念していたラフクは慌てて詫びた。

 彼の丁寧な話し方や物腰には育ちの良さが見て取れていたし、愛情深く育てられたのだろうと、勝手にそう思っていたのだ。だが確かに、諸国を巡る旅人には、肉親や帰る場所がない者も多い。

ラフクは、申し訳ないと謝意を示した後で、「ではそこから辿ることはできないということか……」と研究者の顔で呟く。

 セフィがどうぞお気になさらずに、と苦笑する傍で、

「あ、でもさ!」

アレスはハッとなって声を上げた。

「ロルの探してるソニアさんも、瞳が淡紫だって、言ってなかったか?」

「え……!?」

「! 確かに! てことは、珍しいけど存在したっていうのは、あり得ることよね?」

そう、もう一人、同じ瞳の者が居るはずなのだ。彼女のことがあったからこそ、ロルとセフィは出会っ

たのだと、そう言っていたではないか。

「っ……!」

「そ、れで、そのソニアさんという方は……?」

何かを思い出して僅かに表情を曇らせたセフィに誰も気づかぬまま、驚きを隠せないラフクが問う。

「ソニアナ=テュティヒ。12年くらい前に出会った黒緑の髪の女性で……当時16、7だったと思う。あ、見た目年齢でね。セフィみたいに光彩が金であったかどうかまでは覚えてないけど確かに、綺麗な淡紫の瞳をしていたよ」

「――では、今世においてはもう一人、淡紫の瞳持つ者が存在する、ということですね……」

ロルの答えに、まだ信じられない様子で、だがそれを受け止めるべくラフクは頷く。

「これまでに私が調べた中で『淡紫の瞳』と表現され記されている人物は三人。

最も古くは、竜がこの世界から姿を消す前の時代に、竜と番った娘。

そしてその次に記録として現れるのは、神魔大戦の時代。この時には、二人居ました。

サジャ=アダヌスが訪れた、”竜の里”を統べる神子であり”竜の花嫁”ジルクームと呼ばれる人物。それから、使徒の一人聖アフサラスです。

 勿論、それらの存在と先ほどの『黄昏と暁の瞳持つ者』、そしてあなたやソニアさんに関係があるかどうかまでは分かりません。ただ……竜の時代が終わった時に、そして神魔大戦の時代に、淡紫の瞳持つ者がその変革に多少なりとも関わっていたということには、何かしらの意味があるのではないかと……」

『大いなる変革の為に遣わされ』と記されていたこととの符合が、見られるのではないか。言い方は控えめだが、そこには確信めいたものがあると皆は感じ取った。

「聖アフサラスって、あの、聖アフサラス? 淡紫の瞳だったの?」

半ば呆然と聞き入っていたアーシャだが、よく知った名を耳にして思わず口を開いた。

 サジャ=アダヌスによる赦しを得てからは、常にその傍近くに仕えていた使徒の一人。聖画や彫刻では瞳を閉じて描かれることが多い人物だ。少し前にベーメンの大聖堂で見たステンドグラスのその姿が思い出される。

「えぇ、そうです。腰まで届く長い銀髪に、淡い紫の瞳だったと記されています。その”人ならぬ瞳”故に、人々はそこに神性を見出し……偽りの神を演じることとなったのでしょうね」

自らをそうでないと知りながら、人々に請われ”神”の具現を演じた聖アフサラス。その瞳の色ゆえに、やはり人ではないと、見做されていたのだろうか。

「じゃあ、ジルクームってのは、どういう人物なんだ? と、いうか、竜の花嫁って? その、一番最初に、竜と結婚した娘のことじゃないのか? 神魔大戦の時には、もう竜は居なかったんだろ?」

混乱を来した頭で、それでもなんとか理解しようとしているらしいアレスは、思ったことをそのまま口にし、

「えぇ、そうです。なので、”竜の花嫁”というのは、その神子の呼称というか、尊称の様なものではないかと」

「ふぅん。そんで、確か前に、竜とその娘との間の子はシャハラザードを建国したってロル、言ってたよな?」

何か知っているのじゃないかと、ロルに視線を向けた。

「言ったね。俺の知る限りでは、竜と”竜の花嫁”との子がシャハラザードの始祖で、その”竜の花嫁”の名が、ジルクームだったと思う」

「え……?」

「そんで、そのずっと後の時代の神子も”竜の花嫁”でジルクーム? ってことは、その里とシャハラザードとの間に何か、関係が――」

「待って、待って下さい! シャハラザード!?」

何気なく彼らが話すその地名に、ラフクは聞き覚えがあった。もしや、という瞳を向けると金髪の彼はニッと笑い、

「あぁ、シェ・エラツァーデのことね。古の大国、竜の守護を受けし土地、神魔大戦の時代に王を失い、その後同じ名と血筋の元再興した、今尚栄華極る麗しの都……ってとこかな」

流れる様にそう語った。

「今、尚!? とは、いったい、どういう……!?」

 神魔大戦<レバ=ガバーラ>の後、シェ・エラツァーデという地名は地図上から消えてしまっている。ラフクは、自身の研究から世界が分かたれ、そして自分たちが生きる世界が、その半分<ティグレ>であることを知っていた。だが、失われた世界のもう半分<ゲルダ>に関しては、極端に資料が少なく、神魔大戦以降どのようになっているのか、知るすべはない。

 極々稀に、人やモノがどこからともなく現れることがある、というのは聞いたことがあるが――これらがディロン=ファウヌスの説の論拠となっている――神魔大戦の時代に既に国としての姿をなくしていた王国が、その後再興しているなどとは聞いたことがない。

 何故彼は、それを知り得るのか。それほどまでに詳しいのか。そもそもそれは、真実なのか。

「あぁ、それは、俺がゲルダ出身だからさ」

さらり、と彼は答えた。

「!?」

つまり、彼は分かたれたもう一方の世界からやってきたのだと言う。

にわかには信じがたいことだ。だが、どこかでその異世界のことを信じたい思いのある男は、

「本当に? だが、一体どうやって……? 何がそれを証明する? いや、そもそも世界が分かたれたという説は……」

いや、そうではない、今話すべきはそのことではないとラフクは額に手を当て首を振り、自分が今問たい思いを諫めた。そしてそれならば貴方の方が詳しいのかもしれないがとロルを見てから、

「その――竜の里というのは、かつて滅んだ竜が、この世界にたった一つ”卵”を残したと信じる人々が住まう地……そして”竜の里”を統べる神子に関しては、継承されていくものらしいという事なんです。私が調べた限りでは……」

ラフクはそこまで言って伺う様にロルを見た。

「あぁ、俺もそう聞いた。ついでに言うと、竜の里はシャハラザードでは”聖域”とか”神域”って認識だったよ」

竜と番い、シャハラザードの始祖となる子をした淡紫の瞳の娘、ジルクーム。

そして後の世において、シャハラザードの人々が”聖域”と見做す里を統べる神子は”竜の花嫁”ジルクームと呼ばれ、淡紫の瞳をしていると云う――。

「もしかしたら、今もその流れが」

そしてこの旅人の話によると、シャハラザードは現存するのだという。

今この場に居る淡紫の瞳持つ青年と関連付けてみたくなるのは必然だろう。

「てことは、その”竜の里”ってとこに行けば何かわかるかもしれないってことだよな!?」

「そうよね! ついでにシャハラザードにも行ってみたら、その、始祖? とか? なんか色々分かるんじゃない!?」

 しかもセフィは、竜に対する愛着と憧憬を口にしていた。夢に現れるのだ、と。

直接的にセフィを、その”ジルクーム”なのではないかと言わないまでも、アレスとアーシャは興奮気味に話す。

 そしてやはり魔性の存在などではないではないかと嬉しくなって盛り上がった二人が視線を向けた先、セフィは俯いて膝に置いた手を色がなくなるくらいに握りしめ、もう一方の手で胸を押さえていた。

「――セフィ、どうした?」

隣に座るリーはセフィの表情を隠す髪を避け、覗き込む。血の気のひいた顔は白く、柳眉は苦し気に顰められている。

「大、丈夫、です、続けて、下さ……」

何でもないと首を振るセフィに、アーシャは「でも、」と言って狼狽えた表情を向けた。

リーは仕草で皆を制し、セフィの額に手を当てる。そしてまた少し熱が出てきていると知ると、

「今日はここまでにしよう」

「リー、私、大丈夫、から、聞きたい、知りたい、です」

「駄目だ」

「嫌です、リー、いや……」

大丈夫だからと言い張るセフィの額を自らの肩に招き、あやす様に頭を撫で背を摩ってやりながら急く必要はないと宥める様に言い聞かせる。

「悪いな、ちょっと向こう連れてくわ」

言って立ち上がったリーに、アーシャが「あたしも手伝う!」と慌て続いた。

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