166 - 王の言葉

「よくやった。よくぞあれほどの大群を退けたものだ。褒めて遣わそうぞ」

玉座の主は、威厳に満ちた王の様に彼らにそう声をかけた。

 前回とは違い、荘厳な玉座の間のカーテンは開け放たれ薄い日の光が辺りを満たしていた。壇上中央の豪奢な椅子には、王冠を頭上に頂いた太りじしの男。その両側に老齢の貴婦人、王太后マリアベラと、褐色の髪を高く結い上げ煌びやかな衣装に身を包んだギーゼラ正妃が座しており、傍には背格好の割にあどけない表情の少年、第二皇子ベルナルドが起立し寄り添っている。そしてその一段下、片手に杖を突き、顔の右半分を覆う包帯も痛々しい司教の姿があった。

 戦闘が終わって僅か3日。事後処理や民への支援、救援、復興に向けて、まだまだ混乱している頃であろうはずだが、居並ぶ者達はこの前よりやや多いくらいだろうか。

 彼らを迎えに来た兵士に従い玉座の間を訪れ、促されるままに扉を潜った時、其処には既に人々が集っていた。前の時からさほど和らいだとは思えない視線を浴びながら毛足の長い絨毯の上を進み、既に座した国王らを前に5人は跪いた。

 本当は、膝を折ることも頭を下げることもしたくはなかった。だが、無用の混乱は避け、さっさと立ち去ろうと打ち合わせていたから、真っ先に礼の姿勢を示したロルとセフィに、他の3人も続いた。

「なんぞ、褒美を下そう。何が欲しい?――急ぎの旅であろう、わが国の些末事の為に長く引き留めるも心苦しい故、この国での地位はやれぬが、富ならば如何様にもできる。欲しい額を申せば――」

つまり、金を遣るからさっさと出て行け、と国王は言っているのだ。

自身の行いを悔いも詫びもせず、よくそんなことが言えるものだと、込上げた怒りをアレスとアーシャは俯いたまま唇を噛み締めることで何とかやり過ごした。

「ありがたいお言葉ではございますが、既に過ぎる程のご厚情を頂いております。これ以上に望むものはございません」

動じることなく静かな声で、示し合わせた通りロルが応える。

王はふむ、と自らの顎鬚を弄り、

「そうは言うがの、それでは示しがつかぬ。そなたらの働きに対し不十分であると誹りを受けるは余であるぞ。富は要らぬか。ならばなんぞ欲しいものを申せ。馬か? 武具か? それとも」

さして困った風を見せず、憮然として投げやりに問う。

あくまで彼らをもてなすのは、自分自身の外聞を慮ってのことだと憚る事すらしない態度に内心呆れ果てながら、

「――それでは、城下にての今しばらくの滞在の御許しを。陛下、ご心配召されずとも我々は早々に王城を辞去致す考えでおります。ですがまだ、傷は癒えておりません。旅路を往くには療養が必要です」

ロルが顔を上げ言うと、王は小さな眼を数度瞬いた後で表情を明るくした。

「そうかそうか。それが望みとあらば、致し方あるまい。今しばらくの滞在を許そう。だが早急に余の居城を出ていくがいい。これ以上国として、歓待し匿ったとみられてはかなわぬゆえな」

「心得ております」

「よし、よし、わかっておるではないか。よいぞ。それでよい。これ、誰ぞ。すぐに馬車を用意し、こやつらを望むところへ送り届けよ。ふむ、その後の所在は明らかにするのだぞ。あぁ、そうだ、見張りの兵も――」

満足げに頷き上機嫌で続ける国王の熱が上がるにつれ、辺りはしん、と水を打ったように静まり返っていく。

 国王の声だけが響く痛いほどの沈黙の中、跪き俯いていたセフィだが、ふっと目の前がくらみ、前のめりに身体が傾ぎそうになって体勢を戻そうと無意識にやや顔を上げた。ふいに、自分達を見下ろす国王と視線が交わる。

アレスが取ってきてくれた予備の眼鏡には色がついていない。

王の、肥えた身体が何かを恐れる様にびくりと振れた。

「――余は、間違ってなどおらぬ」

そしてそう、低く声を発した。

「陛下……?」

司教が、王太后が、玉座の男に訝し気な瞳を向ける。

「余は、間違ってなどおらぬ。この国を、民を救おうとした時、たった一人を差し出せば救われるのだと知れば、そうする他なかろう? しかもその者は人ではない、魔性の存在。取るに足らぬ――否、そもそもが害悪たる存在ではないか。余は正しい判断をした」

王は座した豪奢な椅子の肘置きを強く握り自らの言葉に頷く。

 確かに王は、難しい選択を迫られていた。答えは容易く、だが、決断の難しい問題だった。

それでも、一人と全メルドギリスの民を天秤にかけた時、掲げられるのは「一人」の方であり、国王の判断は当然のことだと――真実王が、民のことを思って行ったのなら、その英断は賞賛されただろう。

だが王が守ろうとしたのは自分自身。民ではなく、己のためだけに贄を差し出した。

何故、魔物達が彼を求めていたのかを考えもせず、知ろうともせず、ただただ早急に、自らに迫る脅威を取り除きたいがために、何より自分自身が生き延びたいためだけに下した判断だ。

 それは本当に正しい判断をしたと言えるか。

 この場に集う者の中に、蟠りを込めた瞳を向けずにおれないものが少なからず居るのは、そのことを――王の内心を知っているからに他ならない。

「余は、王だ。この国の主なのだ。王なくば、国はどうなる? 王無くして、国は成り立たぬ。国とは王だ。王の為に在るのだ。メルドギリスは余の国だ。王という尊き存在の為に、その身を賭すことになんの不満があるというのだ。その、化け物の、卑賤なる命など取るに足らぬものではないか。元より、存在してはならぬ命を、余の為に捧げるは当然。寧ろ光栄と思えばこそであろう」

問わず語りをする王の言葉に、だが応える者も異を唱える者もおらず辺りは重く沈んでいる。何を言っても王は聞く耳を持たないと、悟りきっているかのように。

「そもそもが、その者を求めて魔物の大群が押し寄せたのではないか。その者のせいで、余の民が殺され、街が破壊され、余の国は災禍に見舞われたのではないか……!!」

まるで何かを畏れるかのように玉座を握りしめセフィを指差し国王は声を荒げる。

「……恐れながら国王陛下、先にご報告申し上げました通り、黒獅子は――敵の首領は、この地を制圧し手中に収めることこそが本来の目的であったと、その様に――」

臣下の誰かが、漸くそう発言した。気真面目そうな若い声だった。

「それが本当かどうかなど、分からぬではないか! 奴らの虚言やもしれんのだろう!? あの者が居れば、また魔物どもがやってくるやもしれぬ。あの者を求め、今度はより多くの、より凶暴な魔物どもの大群が、押し寄せてくるやもしれぬではないか。違うか? えぇ? そうでなくともあのような汚らわしい化け物が、この国に、余の城に居るなど我慢ならんと言うに!」

「陛下、その様に仰られては」

「なんだ、何故ならぬというのだ!?」

「それはっ……」

「この者達の此度の戦いにおける功績は、先ほど陛下がお認めになられたではありませんか」

何れの者の言葉も国王を鎮めることはできず寧ろ煽るばかりで、王太后が堪えきれず声を発する。

だが王は母を向いても舌鋒を鈍らせることはない。

「あの者どもに頼らずとも、我が国には優秀な兵が居る! 十分戦えたではないか! 山の宮殿の安全性、新たな武具の有用性も実証された。なれば、この国に、余の城に、あのような危険な存在は必要ない。あってはならぬ」

そして憎悪を込めた瞳で跪くセフィを睥睨する。

「――死ねばよかったのだ。死んでおれば、今後の憂いも晴れたというに! 我が国の民を、多くの兵を犠牲にしながら、のうのうと生き延びおって。忌々しい化け物めが!――む? キサマ、何をしておる。余に、王に背を向けるとは何事だ! 礼も弁えぬ、下賤の輩が……!」

王はついに激高して立ち上がった。檀下に降りて詰め寄ることはしないまでも、地団駄を踏む勢いで身を震わせた。

「リー……」

 国王がつらつらと語り始めた頃から、リーはセフィの方を向き、両手でその耳を塞いでやっていた。

「聞かなくていい。あんなやつの言葉なんて、聞かなくていい」

俯いてただ、投げつけられる暴言に耐えるセフィに優しくそう囁きかけながら。


 先ほどから、ひどい頭痛がしていた。視界はぼやけぐらぐらと揺れていた。何か分からない重い塊をふいに飲み込んでしまったかのように、呼吸が苦しかった。幾度となく投げかけられた言葉には、もう慣れたと思っていた。だがそれらは、耳から新たに入った音で増幅し、脳裏に何度も何度も響き渡って痛みをもたらしていたのだ。

 お前のせいで多くの人が死んだ。

 お前は化け物だ。

 化け物は、死ねばいい、と。

どうしようもなく、逃れようのない、その通りなのだから受け入れなければならないと知っていたが、込められた激情が重くのしかかり、暗い場所に沈んでいく様な感覚がしていた。

だが――


暖かな手に耳を塞がれた途端、棘を纏った言葉は遠くなって形を顰め、

「黙れ!!」

「無礼なのはどっちよ!」

少年少女の力強い声に、深い場所にまで絡みついていた嫌なものは掻き消え、晴れた視界に、気遣う表情で見詰める翠緑の瞳が映る。

「失礼ながら国王陛下」

そして、耳に心地よい声と共にふっと落ちてきた影に気付いてセフィは思わずその主を瞳で辿った。

 すらりと立ち上がったロルの黄金の髪は輝く宝冠よりも気高く美しく、泰然と立つその姿は玉座に在る男にはない威厳と覇気すら漂わせている。

「陛下のお言葉は、実に陳腐で空々しく、聞くに堪えない正に戯言としか言いようのない下らないものですが、それでも、我々の大切な仲間にとっては毒を塗りつけた刃よりも手酷く苦痛をもたらすものです。どうぞ速やかに、その汚い口を閉じて頂きたい」

歌うような声で、仄かに笑みすら浮かべて彼が言うので、最初美辞麗句を並べ立てている気がした者も少なからず居ただろう。だが、その意味を理解した瞬間、国王は小さな眼を見開いて真っ赤になった。

「な、なにを、言っておる、こ、この、無礼者が……!」

恥辱と怒りに、贅に塗れた身体と声を震わせながら王は唸る。だが、

「口を閉じろ、と申し上げましたが。お分かりにならないか」

彼の、極上の笑みに、ビシ、と音を立ててその場の空気が凍り付いた。

青く澄んだ瞳に射竦められ、玉座の男は陸に打ち上げられた魚の様に、はくはくと口を開閉させることしかできない。

「再びの襲撃を危惧されるなら、まずはこの地が何故標的となったのかを考えるべきではありませんか。斯様な時に、ご多忙な方々を招集し我々を問責し感情のままに詰るよりも先に、なさるべきことがありましょう」

そこまで言って、ロルは纏う気配を緩めた。そして隙のない優雅な仕草で礼をする。

「賜りましたご厚情に感謝を。我々がこの地に混乱をもたらしたと仰るなら、お詫びを申し上げます。それでは――」

「行こうぜ」

ロルが振り返って仲間に目配せした意を汲んで、アレス達は頷き玉座に背を向けた。

そこでやっと呪縛が解けたのか、最も高い所に座した男が喚き声を上げる。

「二度と! 二度と余の前に姿を現すでない! 即刻、余の城から出て行け!」

「お待ち下さい! 陛下、今この者達を城下に放っては……!」

「なんだ、何故ならぬ!? もう十分、歓待してやったではないか! こやつらは褒美は受け取らぬ、そればかりか余を愚弄し、出ていくというのだ。それを何故、余が、縋ってまで引き留めねばならぬのだ!?」

「ですが、陛下……!」

「喧しい! 王は誰の指図も受けぬ!」

王と、それから臣下らしき者達の声を背後に聞きながら半ば程まで来て、あぁ、そうだとロルは振り返った。

気付いた王太后がその場の者たちを仕草で諫め、王はびくりとして無意識に身構える。

「自分の一存で人を動かせると、その人は自分が偉くなったと勘違いするけどね。権力は責任を伴うものだ。その人は課せられた責務に対する権限を与えられたに過ぎない」

視線と注目を一斉に浴びながら動じることなく彼は、誰もが聞き惚れる声で語る。

「王たるは血統じゃない。受け継がれてきた精神だ。民を守り、民の幸福のためにその身を捧げる覚悟と、王としての使命を全うするという揺るぎない意志。その意志と覚悟を、精神を、血筋とともに受け継ぎ資質とするのが王だろう。

自らの命を犠牲にするということではない。命を投げ出す勇気なんてものは要らない。寧ろ放棄してはならないんだ。自らに与えられ許された時間を、人生を全て捧げるということ。決して弛まず、倦まず、生涯をかけて全てを賭して民を守り、国土を肥やし、平和と安寧を永続させるために務めること。そして自らの後に可能な限り憂いを残すことなく、責任を持って次世代に手渡すこと。これら全てを諾了してこその、王位だろう」

彼の声は、とてもよく響く。張り上げているわけではないのに、そして音として以上に、人々の間に行き渡って沁み込む。

 盛り上がる期待に、心地よい慄きが聞く者の背を駆け上がる。

彼が語るのは、きっと言いたかった言葉だ。そして、聞きたかった言葉だ。

「王の為に国があるのじゃない。国の為に、王が居る。国とは人だ。国土があり、民がいるからこそ、王が王として在ることができるとわからないのか」

ロルは決然と言い放ち、それからふっと口元を緩めた。人好きのする魅力的な笑みに、途端、張りつめていた空気が和らぐ。

「俺には、真実向かうべき国の姿なんてものはわからない。けど、人の話に耳を傾けることの大切さくらいは知っていますよ」

それだけ言うと、ニコリと微笑み彼は踵を返した。

「……」

 侮辱されたと王が憤り金切り声を巻き散らかすが、諫める者は居ない。

玉座の間に残された者達は、国王に阿る者もそうでない者も皆、去って行く旅人たちを陶然として見送った。その視線の多くは――それぞれの胸に去来した思いの正体を追ってか――”魔性の瞳持つ者”ではなく、黄金の三つ編みが踊る背中に注がれていた。

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