144 - 懸念と思惑
翌朝、彼ら四人は救貧院へと向かった。
昨晩食事の際には確かに帰って来たが、いつ眠ったのか誰も見ていないロルは後から行くと言って、まだベッドの中だ。
「オレは反対なんだからな」
外側の地区へ向かう道すがら、前を歩く二人の背を見るとはなしに見つめながら、リーはむっつりとして言った。
「別に大丈夫なんじゃないか? セフィの瞳のこと、気にしてないっぽいし。司祭様なんだしさ」
空は雲に覆われ、辺りは彩度を奪う薄暗さが支配している。
濃紺の髪の少年は頭の後ろで手を組み見上げていた空から、隣を歩く自分より少し背の高い彼を見遣った。
リーが何を懸念しているのかアレスには分からなかった。
国全体が不安に陥っている、こんな時だからこそ信じるもの、縋ることのできる絶対の存在が必要なのだと司祭は真摯な瞳を彼らに向けた。
貧しい人々に献身的に尽くす司祭は、自分達にも好意的に気さくに話し、街のことや国のこと、それから先日の魔物の襲撃に関しても色々と情報をくれた。
王が"人ならぬ瞳"――淡紫の瞳持つ者を探しているのだとすれば、そして彼がその委細を知っているなら、きっと何か教えてくれるはずだ。
「……」
だがリーは、相変わらず険しい表情をしている。
「何が心配なんだ?」
むしろ、どこに引っかかりを覚えているのかとアレスは問うた。するとリーは短く瞑目して、
「……なんでもない」
大きく息を吐いてからそう言った。
「そうか?」
「あぁ。ただ、一人にはさせないで欲しい。アーシャにも言ってあるけど」
その瞳の色を隠しているのは、眼鏡とやや長く伸びた前髪。余りにも頼りない為セフィは、見る者の心を惑わせる術をいつでも発現させられるよう、恐らく常に身構えている状態だ。
街を巡回するメルドギリス兵らに度々素性の確認を求められ、ただでさえ緊張を強いられている上に、更に人の多い場所へ行くことが、負担でない訳はない。
それを思えば確かに、国が"淡紫の瞳持つ者"を探している真実の理由が分からない現状では、宿の部屋に閉じこもっているわけにはいかないにしても、あまり見知らぬ者と接触しないようにした方がいいのかもしれない。
とはいえ、ならばどうすべきなのかアレスには見当がつく筈もなく、
「大丈夫だ。分かってる」
ただ、何事も起こらないことを期待しながら、他の場所で居るより注意を払わねばならないと肝に銘じるばかりだった。
そもそもアレスには瞳の色が人と違うというだけで、何故疎まれなければならないのかが理解できなかった。
確かにそれが魔性の証と言われていることは知っていた。
だが、実際初めてその瞳を目にした時、セフィと出会った時――ただ純粋に、綺麗だと思った。寧ろ感動したほどだ。
良くも悪くも少年は、言い伝えられたことよりも自分の見たもの、そして自分の感じたものを真実と受け止める心の持ち主だった。
「司祭様はともかく、どこで誰に見られるか分からないもんな」
言いながらアレスは、前の二人に目を遣った。赤毛の少女が何かを言い、其方を向いて眼鏡の青年がクスクスと笑っている。何の話をしているのか気になった彼は、二人の間に割って入るように駆け寄った。
そしてその楽し気な様子を見詰めながら、リーはどこか苦い笑みで溜息を吐いたのだが、杞憂であればいいと願うあまり言葉にできなかった彼の懸念と同じく、それに気付く者は居なかった
「全ては、今話した通りです」
先日魔物による襲撃を受けた際に起きた王城での出来事を聞き、彼は言葉を失った。
国王の礼拝に突如現れた黒い影とその要求、犠牲になったグレイン司教と近衛兵たち。その惨劇を目の当たりにした司教の話は、淡々と語られたものであったがあまりに衝撃的だった。
「それでは、その、人ならぬ瞳持つ者を差し出さねば、更なる悲劇が……」
そしてなんとか絞り出した言葉に司教は頷く。
「その通りです。今、兵士達に探させているのですが、それらしい者の発見には至らず。そこで以前貴方が話していたことを思い出したのです」
「え、えぇ。確かに、学生時代に、噂になっているのを耳にしたことがあります。人ならぬ瞳と底知れぬ魔力持つ者が居る、と……」
王城内の聖堂に付随して設けられた、司教の私室に招かれ緊張の解けない彼に対し、その向かいに座るこの部屋の主は優雅な仕草で手を組み、
「とてもその様な者が実際存在するとは思えない、と言う者も居る様ですが、貴方は見たと言っていた」
背凭れから身を起こして彼を見詰める。
「は、い。随分下の学年だったはずですが、確かに居ました。興味を惹かれ見に行ったことがあります。本当に背筋が凍るほどに見事な淡紫の瞳をした少年でした」
「ほう、それでは、その者はまだ歳若い男性だというのですね」
「――少女かと見紛う様な容姿でしたが、少年だと聞きました。確かその後、育て親の元に戻って司祭をしていると」
「どこですか」
司教の深く澄んだ碧い瞳が、見るものを捕えて放さない。
そして自らの知っていることで司教の力になれるなら、それは喜ばしいことだと感じている彼は問われるままに答える。
「確か、アムブロシーサの王都……」
「フェンサーリルですか。少し、遠いですね」
記憶を辿りながら発した彼の言葉に、司教は僅かに表情を曇らせた。
「えぇ。遣いを遣るにしても、時を要しすぎるのではないかと」
「そうですね……」
そして、司教が何かを考え込むかのように視線を余所へやって言葉を切った時、
「急ぎの報告を、よろしいですか」
その沈黙を見計らったかのように、扉を叩く音がした。
「何です、カーティス」
入室を促し入って来たのは、背が高く士官の出で立ちをした金茶色の髪の男だった。歳の頃は、彼と同じかやや上、20代半ばから後半だろう。
司教は男を傍に招き先を促す。
「城下の門衛が、妙なことを申しております。瞳の色を確認していた者の中に、青く見えたという者と、そうではなかったという者が」
「どういうことです?」
「実際調べを行ったものではなく、控えていた重装歩兵の一人です。見間違いでは無かったと申すのですが、淡い紫の瞳だったと」
抑揚の少ない声音と表情で語られた報告に二人の聖職者は驚き、
「まさか、どうやって?」
「その様な術があるのでしょうか?」
「聞いたことはありませんが」
そして途端に思案顔になる。
「幻惑か……否、精神操作の類の……? ならば本来と違う様に見せることも可能ということか……」
「その術が、効かなかった者がいるということでしょうか」
「いえ、恐らく神鐵の力でしょう」
司教は自らの知識の中に答えを見つけ出し、腑に落ちた様に背凭れに身を預けた。
「神鐵の……」
「手段はどうであれ、件の人物が正体を偽り既にこの国に居る可能性があるということですね」
「はい」
「何故その場で捕えなかったのです」
呟く彼の言葉には応えず、司教はカーティスに目を向ける。
「それが……そのように見えたのがほんの一瞬であったらしく、次に見た時は普通に青だったと」
「……効力に
身に付けることにより精神操作、或は幻惑の魔法を無効化するというのは想定していなかった、だが想像し得る効果だ。得心した司教は更に問いを重ねる。
「どこから来た者ですか。他に特徴は」
「アムブロシーサ大陸から。同行者は他に四人、同じ年頃の若者達だそうです」
男は端的に答えた。
「アムブロシーサ……そう言えば、先のレグアラでの騒動に関わった旅人達が、アムブロシーサから来たということでしたね。あの旅人達か……」
腕を組み呟いた後で、司教は正面に座る彼の瞳を覗き込む。
「――レオニード司祭、貴方の云う人物と同一である可能性は?」
「分かりませんが、ありえるかと」
「姿を見れば分かりますか」
「え、えぇ」
問われ、彼は反射的に頷いた。
あれほど印象的な人間だ。見紛うはずがない。望まずとも、瞳が吸い寄せられる感覚を彼は覚えていた。だが、確信をもって首を縦に振ったものの、向けられた瞳に籠る強い期待に司祭はやや怖気付く。
「……」
「こちらに。レグアラでの情報ですが、名を控えてあります」
言葉ないままの彼を慮ってかカーティスが、司教の前に書類を差し出す。そして司教はそれを一瞥した後で彼の方を向け示した。
「知った名ですか」
「! はい……!」
今度は、真っ直ぐに司教を向いて迷いなく彼は応えた。セヴェリ司教は綺麗な碧い瞳を微笑ませ、
「良い返事ですね――その後の動向は? 居場所はつかめているのですか」
再度カーティスに問いを向ける。
「滞在場所は把握しております」
男は飴色の瞳を逸らすことなく頷いた。
「宜しい。一先ずその存在を確かめる必要がありそうですね。レオニード司祭にご協力頂いてその人物が確かにそうであるかを確認し――それから、連れてきてもらえますか。ここに」
そう言う司教の声は、穏やかでありながら強く他者を惹きつけ従わせる力を持っている。
「承知致しました」
「私でお力になれるなら光栄です」
二人がそれぞれに光を宿した瞳で見つめ返し首肯するとセヴェリは微笑み、
「これまで思い描き辿って来た道程とは多少異なったものではありますが、いずれも救済の為の――神の御元へと至る道に変わりはありません。ご協力を、感謝します」
仕草でもまたその意を示した。
祝福を祈る際にするのと同じその手の動きに、込められた思いの崇高さを知り二人は深く首を垂れた。信じ従うべきものへの、揺るがぬ忠誠を示す為に――。
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