136 - 予兆

 彼の叔父は、誰もが認める腕のいい職人だった。

村での評判は後にも先にも敵う者他に無しと言われる程で、その手工芸品を他の村や街、行商が高く買い取ってゆくことがあったから、やがてその名声は王都にまで届いた。

 ある時、王家に仕える者が険しい山々を越えてやって来た。

メルドギリス王家は、新王即位に際して錫杖を改め、退位した先王の為の冠を用意するのだという。それらは、王の棺に納められこの世を去って尚その権威を示すもの。

 誰よりも素晴らしい技術を持つという職人に、最高の王具を作ってもらいたい。

その、新王の為の錫杖と先王の為の冠を作るようにとの要請――否、それは命令とも言えるものであったのだが――を使者らは携えて来たのだった。

 王家の要請に、村の者達は皆反対した。

その名誉を報酬にと、実入りなど見込めないのではないか。技術を盗まれるだけではないのか。連れて行かれて、良い様に働かされて、二度と帰ってこられないのではないか。

だが元来探求心の強い叔父は、またとない機会だと喜びそれを受け入れ、使者と共に山を下りて行った。

 そして、立派に役目を果たして帰って来た。

飛び切りの報酬と、沢山の土産話を携えて。

絢爛豪華な王城と、高くそびえる数多の塔。整然と環状に築かれた古よりの麗しき都。千年王都メルドギリス。

そこで暮らす様々な人々と、遠来の旅人に聞いたという異国の物語。

山奥の閉ざされた村の暮らししか知らなかった彼にとって、叔父の語る物語はどれもきらきらと輝いて思えた。

彼は、叔父の話を聞くのが大好きだった。そしていつか自分も、王都の人々に認められる職人になって外の世界で腕を試したいという夢を抱くようになった。

そんな彼に叔父は目を掛け、厳しくも優しく、様々なことを教えてくれた。

 

 叔父が王都へ行って帰って、もう随分と経った後。再び王都よりの呼び出しがあった。

今度も、村人達は止めた。

だが、自分の技術が認められ必要とされていることが嬉しかった叔父は、一度知ってしまった外の世界を再び見たいと、それから彼にだけそっと教えてくれた美しい王妃への淡い恋心を胸に、その要請を快諾した。

そうして叔父は王都に向かい――もう長く帰ってきていない。

 村人達は皆、心配はしたが楽観的だった。

向こうでいい人を見つけて、良い暮らしをしているのだろう、と。

そこにはあるいは、叔父を羨む気持ちもあったのかもしれない。それほどに、叔父の腕は素晴らしかったのだ。

山奥の小さな村はあの男にとって狭すぎるのだと人々が言うのに彼もまた、そうかもしれないと思い始めた頃、いつでも欠かされることのなかった便りが途絶えた。

虫の知らせ、とでも云おうか。それにどうしようもない不安を覚えた彼は、叔父の跡を辿り王都へと出ることにした。

――それももう、随分と前のことだけれど。


 威圧的に高い壁と、石造りの建物の間に見える狭い空は遠く、灰色の雲が垂れ込めている。

薄暗い路地へと視線を落とすと、そこには自分と同じような風体の者達が点々と、あるいは寝そべり、あるいは蹲って居た。

 かじかんだ指先の感覚がなくなる様な寒さの厳しい季節ではなくとも、雨が降ると冷えることもある。

空腹が常の栄養状態が悪い者達は、ただの風邪でさえ命取りになりかねないから、冷たい雨が降らなければいいのに、と彼は虚ろな瞳をもう一度空へと向けた。

故郷では、あんなにも近かった空が酷く遠い。それを思い出せることに彼は安堵し、そして同時に何故か苦しくなった。

 そこには望みや願いは欠片すら見出すことが出来ず、やがて辺りは夜の様に暗くなり、ぽつり、と雫が一つ彼の頬に落ちて伝っていった。







神よ、わたしを安らかに居らせて下さるのは ただあなただけです


神よ、あなたは救い あなたは安らぎ あなたは幸福

神よ、あなたは正義 あなたは絶対 あなたは永久


その尊き御心が、この地でも成されますよう

あなたの道をわたしに教え、わたしを導いて下さい


神よ、わたしの言葉に耳を傾け、どうか御救い下さい

その大いなる慈悲をわたしの前にお示し下さい


救いを 安らかなるを 永久の平穏を

どうかわたしの上に もたらして下さい





 そんなにも熱心に、一体何を祈っているというのだろうか。

国や民を想ってではなく、自身の欲得に関してであろうことは明らかだけれど。

 立ち並ぶ巨木の様な列柱、技を凝らした祭壇、光と祈りに満ちたそこは神の大いなる慈悲を感じられる場所。例え空が晴れ渡っていなくとも、暗い堂内に降る光は明るく清らかで、神聖なその空間の尊さを感じさせてくれる。

祭壇に捧げられた花と、香炉から漂う香りが本能の中にある敬虔の念を優しく呼び起こし、高く梁が交わる下で跪けば、あらゆる苦悩が薄れ心が穏やかに満たされて行く。

そう、慈悲を希う人々の祈りは、清廉なものであると思っていた。

人が神に祈る姿とは本来、美しいものだと思っていた。

だが今、淡い光の中、祭壇に向かって跪くこの者の祈る姿は何故、こんなにも醜いのだろうか。

 彼は思わず眉を潜めた。

「――どうかなさいましたか?」

不快な気分を悟った隣の者が問うたのにはっとなり、なんでもないと潜めた声で彼は答えた。

そしてまた、視線を前に戻す。

変わらず祈りを捧げている、豪奢な衣装に身を包んだ男の頭上には光を弾き煌めく宝飾。

 民の声を聞こうとせず、目を向けず、国家よりも自身の安寧と快楽にのみ心を注ぐ利己心の塊の様な男。

諫言の意味を知らず、真なる忠臣を遠ざけ、甘言に酔い惑う姿は滑稽だと、ただの男ならば憐憫の情を掛けてやることもできたかもしれない。

だが男は、王なのだ。

この国の王位を継ぐ者として生まれ、何の苦悩も葛藤もなく、何の疑問も抱くことなくただその地位と権力と富を当然のものとして先王より受け継いだ。

それ以外の生き方など知らぬかのように、飽食や豪華な衣装やあらゆる贅を享受しながら、それがどこから齎されるものであるのか、何故それを許されているのか、考えたことはないのだろうか。

国があるからこその王であると、分かっているのだろうか。

答えは恐らく、否だ。

 彼はそっと瞑目し、吐息を漏らした。

あの男を、そう在らしめたのは、一体誰か。

その責任の一端を自身も担っていないわけでは無いと、彼は気付いていた。

ある意味この国があのような者を王と成らしめているのかもしれない、と。

『この国には、仕えるべき王が居ない』

そう言った男はこの地を去り、きっと今も信念を持って生きているはずだ。

今ここに居る、自分などとは違って。

「……」

何故自分はこんなところに居るのだろうかという、不毛な考えに彼が迷い込みそうになった時、異変は起こった。

ステンドグラス越しの光を浴びた司教の身体が突然、ガタガタと震え出したのだ。

「!?」

震えは祭壇に伝わり、香炉や燭台が派手な音を立てて砕け飛散する。

「な、何事だ!?」

「ひっ!」

その尋常でない様に近くに控えた者達がざわめき、王は驚きと怖気に、小さく悲鳴を上げて後ずさった。

だが、贅をその身に付けた身体は鈍く、上手く動けない。

「な、何をしておる! 余を守れ!」

金切声と同時に近衛達が王と司教の間に割って入る。

地響きの様な唸り声が響いた後、司教の身体は動きを止め、そしてうなだれた顔を上げた。

瞳のない真紅の双眸がギラリと光り辺りを睨め付ける。

うぬが、この国の王か』

穏やかな司教の声に重なって聞こえる低音の不気味に誰もが言葉を失い、近衛達の甲冑が恐怖を伝えてカタカタと音を立てる。

『邪魔だ。退け』

「!!」

それは緩慢な動きに見えた。だが司教が腕を軽く振ると、薙ぎ払われる様な衝撃が近衛兵らを襲い、王を守るべく立ち塞がっていた者達は皆、吹き飛ばされて倒れ込んだ。

そしてその向こうに、腰が抜けたのか尻餅をついたまま立ち上がれず震える、老齢というには若すぎる男の姿が暴かれる。

『なんだ、その頭のものは。あれをどこへやった』

ひたとその瞳に見据えられた王は、怖ろしさのあまりガチガチと歯を鳴らしながらそれでも何とか頭上の王冠を外して下に置き、差し出すように押しやった。

『――知らぬか。まぁ、よい。見よ』

だが司教は、それに目を向けることもなく両手を掲げる。

突如その場全ての者の脳裏にメルドギリスの全景が映し出された。

 そぼ降る雨の平原の向こうに、そびえる山々と白亜の王都。そして、広大な"荒れ庭”ノルヌ平原に蟠る影の様な黒い靄から無数の魔物が飛び出し、街道をゆく人々を、城壁の外に居を構えた人々を次々と襲う。

「!!」

逃げ惑い、捕えられ、無残に引き裂かれ食われる人々、悲鳴や咆哮、血の匂いすらしてきそうな光景に、息を飲む者、言葉を失い押し黙る者、恐怖に震えへたり込む者――

『恐ろしいであろう、愚鈍なる人間の王よ。我の求めに応じぬならば、この程度では済まさぬ』

更なる闇の靄と異形の化け物の大群が、牙を剥き、爪を研ぎ、凶悪な武器を掲げる姿が全ての者の目に映る。

『我の望みを叶えよ』

にたり、と司教は唇を歪めた。それは笑みではなく、それを真似ただけの不気味な表情だった。

「な、何、何を……」

汝等うぬら人間が、持つべくもない瞳持つ者を差し出せ』

「な、なん……」

恐怖のあまりか言葉を紡げぬ王を意に介することもなく、司教は続ける。

『黄昏と暁の瞳……"人ならぬ瞳"持つ者だ。多少ならば傷つけても構わぬ。だが命あるまま捕らえ、我に捧げよ』

「ひ、ひと……?」

『よいな』

司教はずいと歩を進め、後ずさることもできず涙を浮かべる王の瞳を覗き込む。

「っ!」

王は、ガクガクと震えながら何度も頷いた。

司教は満足げに口角を上げ、そして喉を仰け反らせた。

その身体から黒い獣の影が抜け出て光に溶け去って行くと、後には見開いた目から、口や鼻や耳から血を流し息絶えた司教の身体が転がっていた。

「陛下、御無事ですか!」

「お怪我はございませんか、陛下!」

箍が外れた様に喚き立てる国王に、臣下の者らが我先にと慌て駆け寄る。

「民の避難は如何致しましょう!?」

「兵の編成と配置は」

「そんなこと! そんなものは、どうでもよい!」

対応指示を求める者達に、王は怒鳴り声で応えた。

「城の守りを固め裏山の宮殿を整えよ! すぐにだ、すぐに移れるようにしろ! そして、探し出すのだ! やつらの眷属を、人ならぬ、魔性の瞳持つ者を!! 早くしろ! 褒美を出しても構わん、全国民に触れを――」

「――恐れながら国王陛下」

首や手足が奇妙に曲がった近衛達の無残な死体が転がる向こうから、一人の臣が進み出た。

王城に仕えるもう一人の司教だ。

「民が知れば無用な混乱を招くのみで益はございません。騒ぎを大きくすれば、その者に感付かれ逃げられるやもしれませぬ。真実を知らせる必要はないでしょう。内密に事を進めるのです」

「な、なんと……?」

意味が分からないと言うように問い返す国王に、壮齢の男は碧い瞳を細めて頷く。

「陛下の権限をもって兵らに命ずれば宜しかろうと。彼らにただ、魔性の瞳持つ者を探し出させればよいのです。民を怯えさせる理由を伝える必要はありません。人々の多くはここの他に行く場所などないのですから」

「う、うむ。そう、そうだな。分かった。帥に任せる。どちらにせよ一刻も早く見つけ出すのだ!」

「御意に」

命じられた男は恭しく頭を下げた。

そして慌ただしく聖堂を後にした王をそのまま見送った後で、彼は横たわった老司教の亡骸にそっと法衣の外套を被せた。跪き、悼む様に印を結んで冥福を祈る姿は、死者への憐れみと悲しみに満ち、居合わせた者達はその聖職者に倣って首を垂れた。

 俯くその唇に、薄い笑みを浮かべていることに気付く者は、誰も居なかった。

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