第4部

122 - アルア・ティーユの並木道

 そこは風の大陸。岩の島。あるいは虹の住処だと謳った者も居たという。

常に吹く風と大地を覆う岩板。変わりやすい天候により、雨と太陽が同居して空に見事な虹が現れるのを目にし、ジズナクィンを旅する者は、確かにそうだと頷くのだ。

そして他の大陸、特に豊かな農地を有する地方から来た者達はそこを痩せた土地だと感じることが多いという。

 緑は、確かにある。だがその多くは、強い風に飛ばされぬよう地面に張り付いているかの様。そもそも大地の多くが岩でできており、樹木が深く根を張ることの出来る土地は限られているのだろう、鍬などとても入りそうにないその隙間から、ひょろひょろと生えるのは丈の低い植物で、せいぜい藪程度。森と呼べる場所は余りに少ない。

 誰の土地とも知れぬ大地には、延々と石で堡塁が築かれている。風を受けて倒れない様敢えて風を通す隙間だらけに作られたそれらは、家畜を囲うものか、土地を区切るものなのか、判別はつかない。随分古くからあるらしく、所々崩れ、また修復され、ただそこが人の手の入った場所であることだけを明確に示していた。


 時に強く降る雨や、地面に浸み込み湧き出す水は、大小様々な池や湖となり、地上の川、あるいは地下水となってやがて海へと流れていく。

 その流れを遡るように、リーを仲間に加え五人となった一行は、一路メルドギリスへと向かった。

辿るのは、ハックフォック街道。ジズナクィン大陸最大の玄関港の街であるレグアラから、王都メルドギリスまでを結ぶ道だ。

限られた農耕地と、後は放牧による畜産。質素で慎ましやかな人々の暮らしぶりが、古いながらもよく整備された街道に沿うよう設けられた宿場町や小さな村からも見て取ることが出来た。


 丘を越え、川を渡り、樹木の生えない禿山や岩山の裾野を通って、一週間と少し。

やや小高くなった丘を越えると、眼下には息を飲む光景が広がっていた。

 鏡の様に澄んで空を映す湖と、その畔に佇む可愛らしい灰色の家々。湖の中ほどに一つきり浮かぶ小さな島。そして、丘を下った街道が湖の縁を三分の一ほど回る形で村へと至るその道は、薄紅と淡紫の帯の様だった。見ると、村の所々や周りにも、同じ彩がなされている。

 夏の初めに一斉に花を咲かせる、アルア・ティーユの並木道。

諸国を巡る旅人や吟遊詩人がその美しさを称え伝える、見事な景色を作り出すその花木は、広大なジズナクィン大陸において、この場所にだけ生育するのだという。

雲の多い青空と、遠くの山々は丘と呼べる程度で、どれもさほど高くはなくなだらかな稜線を描き、今は斑な緑に覆われている。黒々とした木々の塊はやはり極端に少なく、湖を挟んで村の対岸にやや規模の大きな森がある他は、防風の為に人が植えたと思しき林が所々に見て取れる程度。そんな中で、『ジズナクィンの瞳』と呼ばれる澄んだ湖の畔、花の溢れるスプル村は、まるでたった一つの小さな宝物の様に煌めいて見えた。

 一行は、その景色にしばらく見惚れた後で丘を下り始めた。


 坂の下で道は左右に分かれていた。一方が村へと至る街道の続きであり、もう一方は簡素な土の道が湖をぐるりと回り、途中村のほぼ対岸にある森の端を抜けて随分遠回りした後やはり村へと続いている。

一行は迷わず街道の続きの並木道――道の両側にほぼ等間隔に植えられた木が広く枝を伸ばし、さながら花の拱廊の様になっている方――を選んで馬を進めた。

 かすかに、郷愁を誘う香りがする。

 近付いて見ると、幹は黒に近い無骨な印象の木なのだが、その花がなんとも可憐で愛らしい。

光の加減によって、薄紅から淡紫と黄昏時の空の様に見え方が変わり、その花弁は軽くはらはらと風に舞う。空を覆い、地に落ちてもなお淡く美しいその花の色に、空気までが染まっているように思えた。

「ヘルガの言ってた通り。うぅん、聞いて想像してたより、もっとずっと綺麗……!」

馬足を緩やかなものにしながらアーシャは大きく息を吸い込んでうっとりと言った。

平面的な絵画に描き切ることなどできようもない、奥行きと広がりと立体感をもって押し寄せてくる光景は、どこか全く別の、幻想世界にでも迷い込んだ様な気持ちにさせる。

「感動して、言葉も出ない?」

そう声を掛けられたセフィは、一拍遅れてから陶然と頷いた。

「こんな場所が、あるんですね」

湖を渡って来た風に揺れ、綿雪のように降る花。辺り一面の淡紅紫。

これ程花弁を落としてしまえば枝が剥き出しになっていそうなものだが、散りながらも次々と新たに花開くらしく、どの枝もまだ花に覆われている。

6月最後の約一週間。一年の内でこの光景が見られるのはこの期間だけなのだという。

7月に入る頃には、強く吹く風に木々はほぼ一斉に全ての花を落としてしまい、今度は緑の拱廊となるのだとか。

「これがたった一人の手によるものっていうんだから、感動ものだよねぇ」

異国からの旅人がこの地を訪れ、そして留まることを決め、故郷の木を植えたのが始まりだという話を聞いた。そして見事な花を咲かせるこの花木アルア・ティーユを気に入った村人達が、いつの頃からか祭を催すようになったのだとか。

木と木の間に吊るされた燈火具ランプは、その祭りのためのものなのだろう、手作りらしくどれも形や大きさが違い趣がある。

「スゲーなぁ……。最初正直花なんて、って思ったけど、これは確かにスゲーな」

「花に感動させられるとは、思わなかったよな」

アレスの言葉に、黒髪の青年が軽く笑いながら同意を示す。

 そうして口々に感想を述べながら歩みを進め、時折花を愛でる人々とすれ違いながら丁度並木道を半分過ぎた辺りで、一行は奇妙なものに出会った。

1本の花木の傍で、ふらふらと酔っぱらっているかの様によたつく生き物。否、それは、大きさにやや差のある小さな二つの人影だった。大きい方が小さい方を肩車して、どうやらランプを吊るそうとしているらしい。

遠目ながらも微笑ましく見ていた彼らの前で、ぐらり、と大きく体勢を崩し、

「あっ」と思った時には、子供が二人地面に転がってしまっていた。

「大変!」

咄嗟に駆け寄り馬を飛び下りて跪く。

「いてて……」

「大丈夫ですか!?」

一目で兄弟と分かる、よく似た子供達だった。

掛け損なったランプを大事そうに腹に抱えた弟を、兄が下敷きになることで庇った様子。

同じく駆けつけたロルが、上に乗ってしまっていた、今にも泣き出しそうな幼児をひょいと抱き上げて退けてやり、セフィが少年を助け起こす。

幸い、ほんの少し掌を擦り剥いただけで済んだらしい。触れると同時に治癒魔法を施してやると、

「……あ、あれ?」

忽然と痛みが消えたことに、少年は驚いて自分の手を見、そして顔を上げた。

「まだどこか痛みますか?」

濃い菫色の瞳を見開いて数度瞬き、それからぶんぶんと強く首を振る。大丈夫だということなのだろうと安堵し、セフィは微笑んだ。

「ありがとう、ございます」

歳の頃は10に満たない位か。少年は照れたように頬を染めて立ち上がり膝や尻の汚れを叩いて落とし、頭を下げた。

「にいちゃ! 掛けれたよ!」

ロルに抱えられた幼児が満面の笑みで少年を振り返る。

兄の肩車では届かなかったが、どうやら無事ランプを掛けられた様だ。

「おーよかったな。ちゃんとお礼、言うんだぞ」

「うんっ! あいあとう!」

真っ赤な林檎の様な頬をした幼児は元気いっぱい言い、そのまま兄の元に運ばれてくる。

「余計なことしちゃったかな? ごめんね?」

下ろしてやった幼児が、少年にひっしとしがみ付くのを見届けてロルは苦笑混じりに言った。

「そんなこと、ないです。弟がどうしてもって、だだこねたから連れて来たんだ。ほんとは、大人の人じゃないと届かないだろうって思ってた」

「二人で来たのか?」

少年は彼らを見上げていた顎を引いて小さく頷く。

「父さんも母さんも忙しいから」

「そっか。お兄ちゃんは偉いんだな」

もじもじと言った少年の麦藁色の頭をリーがやや乱暴にかき回し、驚いた瞳をセフィは身を屈めて覗き込んで微笑みかける。

「……おれ、ユイン。こっちは、弟のルテ。みなさんは、旅の人? お祭りを見に来たの?」

「えぇ、メルドギリスに向かう途中なんだけど、丁度いい時期に来たみたい」

興味津々といった風に彼らを見上げながらも、ぴったりとくっ付いている弟の小さな肩に優しく手を置いている利発な瞳の少年に、思わず笑みを誘われながら彼らは答える。

「だったら、うちの宿に泊まるといいよっ!」

ぱぁっと表情を明るくする兄、ユイン

「ユインの家、宿屋なの?」

「うん。小さい宿だけどね。人が増えるお祭りとか、夏の時期だけ部屋を貸すってところも多いけど、うちはずっとやってる、ちゃんとした宿だよ」

「そーかそーか、それはありがたい話だな。でもなーやっぱ、場所と部屋見てから決めないとなぁ」

その余りに真っ直ぐで純粋なきらきらとした表情に、悪戯心を刺激されたリーがにやりとして腰に手を当て言うと、

「甘いよ、お兄さんたち。スプル村は、大きさの割に宿は多い方だけど、この時期はどこもすごくたくさんの人が来て、満室になるところもあるんだ。でも最近はお客さんが減ってて、お祭りの時期だけど、今年はそんなに人も来ないだろうし、母さんの身体も大変だし、宿は足りてるだろうから、本当はうちの宿、お休みしようかって話してたんだ。けど、やっぱり来る人が増えたから休むの止めたんだ。それくらい、たくさん人が来てるんだよ」

少年は鼻息荒く一気に言い返した。

「お母さんの身体が大変?」

「具合が悪くてらっしゃるのですか?」

「ううん。違うよ。弟か妹ができるんだ。まだもう少し先だけどね」

気遣わしげな旅人達に、どこか大人びた仕草で頬を掻いて答えるユイン。

「とにかくっ! 宿が無くて、その辺で野宿する人がでることもあるんだから、空いてる宿があるのは運がいいんだよっ! まぁ、そうでなくてもうちはおススメだからね!」

「ね!」

胸を張って得意げなユインと、それを真似した小さなルテに絆されて、彼らはひとまず兄弟の家、エルヴェイの宿屋へ向かうことにしたのだった。

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