120 - ブロムダール家の屋敷にて
「あんたが、ローレライ=ウォルシュ?」
議会員らとの話しを終えて、改めてアレス、アーシャ、そしてロルと対面した彼は開口一番そう言って、まじまじとロルを見た。
「? そうだけど?」
セフィと同じか少し高いくらいの背丈の青年が、しきりに見つめてくるのに、ロルはやんわりと首を傾げ応えた。
「――確かに、ちょいタレ目だけど思った以上の男前だな。流石、マーサまでが美形っつーわけだ」
彼はにやり、と悪戯っぽい笑みを浮かべて、そう評した。
「シスター=マーサが彼のことを?」
「そ。えれぇ男前だって言うんで、会うの楽しみにしてたんだ。ウィダはともかく、マーサまでタラしこ……じゃなくて、認められたってんだから、すげーよな、ほんと」
セフィの問いに、腕を組み感心した様に頷きながら――どこか愉快気な表情を浮かべて言う緑玉の瞳の青年。
「それはどうも」とロルは鷹揚に微笑んだ。
その様子を見守っていたアーシャが、今度は彼を見詰めながら口を開く。
「貴方が、リー、なのよね、やっぱり。シンっていうのは偽名?」
「あぁ。そうだ」
「なんで顔隠したりしてたんだ?」
やっと質問できる状況になったと知った少年少女は矢継ぎ早に疑問をぶつける。
「その方が動きやすかったからな」
「あたしたちのこと、セフィの仲間だって知ってたの?」
「まぁな」
「……最初から分かってたなら、話してくれていればよかったのに」
アーシャとアレスは不満げに詰め寄る。
相手は自分たちのことを認識していたのに、自分たちはそうと知らずに接していたというのが、少し馬鹿にされていた様で納得がいかないのだ。
「悪かったって。お前達……つか、ヘルガ嬢の行動の予測がつかなくてさ。面倒なことになって、身動き取れなくなることは避けたかったんだ」
リーが仕方ないだろう、という様に苦笑すると、
「あ……」
二人ははっとなって言葉を失った。彼女のことを悪く言うではないが、巻き込まれた身としてその言い分は妙に二人の共感を誘ったようだった。
その後彼らはすぐに打ち解け、また、同じ宿で寝食を共にするうちに――もともと人見知りしない彼の性格も手伝って――すっかり旧知の仲の様になっていた。
そして今、彼ら五人は揃ってブロムダール家の屋敷を訪ねた。
街の状況は目に見えて良くなってきている。だが、エミリアの助けた青年が目を覚ましていないことも含め、やはりまだ気がかりなことがいくつかあったからだ。
「メルドギリスからの帰還者に聞き取り調査をして分かってきたことなのだが」
会う時間を欲しいと予め申し入れていた為、屋敷ではヘンルィクが迎えてくれた。
そして通された応接室で皆が一通り落ち着くと、彼はそう切り出したのだった
「ギギム山脈では鉱物の採掘と共に、避難壕の様なものが掘られていたということだ」
装いは船上よりも寛いだ風だが、変わらぬ真剣な面持ちでヘンルィクは話す。
「避難壕?」
「そうだ。魔物の襲撃に備え、人々が逃げ込むための場所を造っていたという話でな。その現場に行った者の多くが帰ってこなかったらしいから、あくまで噂ということなのだが」
「それって、国が丸ごと山の中に引っ越すってこと?」
アーシャは意味を汲み取れない表情で首を傾げた。
「いや、そんなものを、おいそれと造れるとは思えない。メルドギリスは王都だ。ここよりも人口が多い」
「……国王とその周辺の者達、上流階級の連中だけってことか」
「そんで、市長達は『お前たちもそこに入らせてやる』とかなんとか言われたのに釣られて言うことを聞くしかなかったって感じかな」
「証拠はないが、恐らくそうなのだろう」
リーとロルの言葉に、ヘンルィクは苦々しく頷いた。
余りにも利己的で民を蔑ろにした密約関係に、憤るなという方が無理があるだろう。
だがそれが分かったところで、すぐさま正すことが出来る可能性が低いのも事実。
地道に証拠を集め、真実を暴いたとしても、明らかな罪であると裁くのは難しいに違いない。
そもそもレグアラはメルドギリス領内の一都市であり、その行政が国の決定に勝ることはない。
本来なら、民に苦難を強いる様な国の決定に対して折衝があって然るべきだが、目の前に吊るされたものに反抗の機運を削がれたレグアラ議会はそれをしなかった。圧政からの防波堤になることを早々に放棄したのだ。だがそれは、ただ従順に国に従っただけとも言える。国の言うなりになることが、罪となるのか。答えはおそらく、否、だ。
国と街の関係がそのままである限り、変えようが無いのが現状だ。
「ところでさ。その採掘してたってのは、何だったんだ?」
重い沈黙を、場を弁えない声が破った。
濃紺の髪の少年は彼らの思いに気付いていないかの様に、出された茶菓子に手を伸ばしている。
「ギギム山脈は、昔から色んな鉱石や鉱物が出るって話よね」
それに続けたのが赤い髪の少女。こちらは、難しい顔をして黙り込んだ彼らに、他にも話すことはあるのよ、別の話をしましょうよ、と思考の中断を促すかのようだった。
「新しい鉱脈って、何か珍しいものでも出たのかな?」
「うむ……何やら希少な鉱物が出たとは聞いているが」
少女の意を汲んでヘンルィクはやや表情を緩めた。
「希少鉱物?」
「そうだ。これまで、稀にしか産出しなかったものらしい」
そして背凭れに身を預けて腕を組む。
「……それって、大丈夫なやつなのか?」
紅茶で喉を潤し、リーがふと口にした。
「大丈夫、とは?」
「いや、オレもよくは知らないんだけどな。ただ、具体的に何かって分からないのが気になって」
「確かに。高値で取引されるような物が出るとなれば、鉱夫を集めるのにも、何が出たかって大々的に言いそうだよね」
「そう。何かよくないものが出てるって話を聞いた気もするし」
――『気を付けろよ、リー。アレはヤバイぜ』
そう、青灰色の瞳の男が言っていた。
「よくないもの……」
軽い口調で話すリーとロルだが、込められた懸念にまたもヘンルィクの眉間に深い皺が刻まれる。
「まぁ、いいや。王都に行きゃ、分かんだろ」
黒髪の青年は、その場の誰からも答えは得られないと知って話題を打ち切り、茶菓子を口に放り込んだ。
「そのことなのだが……。正直なところ、よほどの理由がないなら今、王都へ行くことは止めておいた方がいいのではないかと思う」
「なんでだ?」
「ここよりも状況が良くないと聞いている。私自身、見てきた訳ではないのだが……。連絡が取れなくなっている、という者も多いのだ」
「そんな……」
低い声で言ったヘンルィクの言葉に、アーシャがやや不安げに瞳を揺らす。
すると、それまで黙って聞いていたセフィが、
「……しばらく待てば、状況は良くなりますか?」
静かに問いかけた。
「いや、それは、どうだろうか……」
類稀なる美貌の青年にじっと見つめられ、ヘンルィクは言葉に詰まる。
「今後更に、悪くなる可能性もあるんじゃねーの?」
「それなら、いつ行っても同じだ。ここまで来て、王都に行かないわけにはいかないよな」
リーとアレスが、どうあっても行き先に変更は無いと主張すると、灰色の瞳の男は腕を解き乗り出すようにして皆に視線を巡らせた。
「……そこまでして、何故、と問うてもよいだろうか」
その婉曲な物言いに、好感を抱きながらセフィが頷く。
「全てをお話することはできないのですが……。かつて、メルドギリスがメドギスと呼ばれていた時代の遺跡を調査しに行かなければならないのです」
「古代文明の遺跡調査、ということか」
「そうです。ひいてはそこから、今現在魔物が増加している原因に関する何かしらの手掛かりが得られればと」
かつて、世界は闇に閉ざされた。邪悪なる物が空に地に海に跋扈した時代があった。
その時のことを知ることが出来れば、と。
それは勿論、口外できない本来の目的を隠すための建前的理由なのだが、彼らの旅の目的にはそういった側面もあるため偽りではない。
強い意志の光を湛えた、色硝子の向こうの瞳に男は思わず刹那見惚れた。
「――申し訳ない。そのような重大な使命を負っておられたとは」
そして真剣な面持ちで重々しく詫びたヘンルィクに、
「いやいや、使命ってそんな大げさなもんじゃないよ。ね?」
「だな。成り行き上、なんとなく?」
ロルとアレスがそう返した。セフィもまた表情を和らげる。
「――そういう訳です。私達の勝手な思いによる行いなのですが、行かなければならないのです」
「そうか。わかった。それならば、止めはしまい。くれぐれも気を付けて行ってきてくれ」
緊張を解き解す言葉を向けられ、ヘンルィクは頷き顎鬚を撫でた。
「――誰か知り合いでも居れば良いのだが……あぁ、そうだ。ラフカディオが――私の士官学校時代の友人なのだが、文官として王城に居るはずだ。もしかしたら、力になってくれるやもしれん」
「ラフカディオさん、ですね」
「あぁ。確実でなく申し訳ない。先ほども言った通り音信不通となっている者も多くてな」
「いいえ。お気遣い頂いて、ありがとうございます。もしお目にかかる機会があれば、皆さんのことをお伝えしますね」
「うむ。頼んだ」
ヘンルィクは相変わらず厳しさの拭えない表情で再度腕を組んだ。
「――お話は終わられましたか?」
丁度その時、見計らった様に、橙にも似た金髪の貴婦人が部屋を訪れた。
「おぉ、ナタリエ。どうかしたか?」
華やかすぎない、落ち着いた装いが美しい妻にヘンルィクは思わずといった風に頬を緩める。
妻は夫の招きに応じて歩み寄ると、
「先ほど、セルジュが目を覚ましたそうです」
にっこり、と微笑んで言った。
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